第20話 凄惨なる吸血鬼
――― 俺は心を決めた。ずっと蟠っていたチャラ男ことケッペンと、本当の意味で和解しようと。もちろんチャラ男とは、今でも普通に会話したり接することはできる。だが、彼は俺が近づくたびに緊張した面持ちになるのだ。そして常に堅苦しい敬語だ。
いや、敬語自体は問題ではない。問題は俺にだけ敬語を使い、他の人には軽口を叩いてフランクに話すということだ。親方であるビスマイトさんにすら敬語を使わないというのに。俺だけあからさまに距離を置かれている。これでは彼を工房に引き留めた意味がない。
ケッペンの俺に対する蟠りは、おそらく彼の過去に原因がある。少なくとも、吸血鬼に両親を殺されたという過去を聞き、感情を共有しないと前に進まないだろう。他人には触れられたくない過去だろうが、避けて通れない。
日本ならノミニケーションとかいって、無神経に引っ張り出す上司もいるだろうな。でも事はそう簡単ではない。もっと敏感な問題だと思う。だが話し合うのは無駄ではない。
俺はレイさんを連れてチャラ男の工房を訪ねた。
「こんにちは、ケッペンさん」
「カ、カミラ様……。こんにちは。本日はどのようなご用件ですか?」
いかにも距離感のあるこの話し方。やっぱり心の壁は高いな。
「今日はケッペンさんとお話しがしたいと思ってお伺いしました。ご迷惑でしたか?」
「滅相もございません! 今すぐにお茶のご用意をします。少々お待ちになってください」
「ありがとうございます。レイさん、申し訳ないですが、ケッペンさんを手伝って差し上げてください」
レイさんには、ケッペンとの事もすべて話をしてある。いろいろ周辺情報を探ってくれた。やはりケッペンの過去には、深い闇があるようだ。
「ケッペンさん、最近お仕事の方はいかがですか?」
「おかげさまで上手く行っています。これもカミラ様の御寵愛の賜物と思っています」
「そんなお世辞はいいです。もういい加減、私にだけ敬語を使うのを止めて頂けませんか?」
「そういう訳にはいきません。私は罪を犯した者です。慈悲で救って頂きました。カミラ様に足を向けて寝ることはできません」
これはもう鉄壁のガードだな。絶対に俺を侵入させまいとする徹底した姿勢。手強いな。
「では話題を変えましょう。ケッペンさん、あなたは吸血鬼と深い因縁がありますね?」
「はい、両親を殺されました。奴らは仇です」
「それで私を吸血鬼と疑った……」
「そうです。今でもカミラ様はハーフではないのかと疑う自分もいます。それがたまらなく嫌なのです。罪悪を感じてしまうのです」
なるほど、まだ引きずっていたのか。確かにそれでは俺との距離を取りたくなるだろうね。しかし証明のしようもないんだが。ハーフというなら、バンパイアハーフではなく、デスベアハーフかもしれないけどね。
「そうですか。ではお願いです。ケッペンさんの過去を私に話してくださいませんか?」
「過去を、ですか?」
「あなたがどのように吸血鬼に関わって来たのか。辛い思い出もあるかと思います。でもあなたの悲しみを少しでも共有できれば、次期当主としても嬉しく思うのです」
「……わかりました、お話ししましょう」
チャラ男にはおよそ似合わない深刻な顔で、ポツリポツリと過去を語り始めた。
◇ ◇ ◇
少年の名はケッペン。メンデル領の南側に位置する”ラキア領”に住んでいた。両親はこの地を支配するラキア公の執事とメイドを務めていた。家は裕福ではなかったが、貧乏でもない。中流階級と言ったところだろうか。ケッペンはそんな両親に育てられた、明るく元気な普通の子供だった。
――― ある日の事。ラキア公が戯れで奴隷を購入した。人間の奴隷ではない、モンスターの奴隷だ。吸血鬼の娘だった。彼女は人間の血を吸っていたところを、冒険者に捕えられたのだった。
奴隷の流通は、基本的に多くの国で認められている。人間だけでなく、モンスターも例外ではない。ただモンスターは人間と違い、捕えられたら問答無用で強制労働用の奴隷となるか、殺されるかである。殺されるモンスターの中には、研究所に送られ、実験用モンスターとなる者もいる。それはラキア領でもメンデル領でも同じシステムであった。
だが、吸血鬼の奴隷は非常に珍しかった。吸血鬼は非常にプライドが高いモンスターだ。人間を家畜としか見ていない。常に食物連鎖の頂点に居るのは自分たちだ、という意識が強い。
そのため、人間に捕えられた時点で、自害する吸血鬼が殆どである。人間の奴隷に成り下がるなど、彼らのプライドが許さない。滅んだ吸血鬼は、ほとんどが灰に変化してしまう。灰になれば、さすがの吸血鬼も復活は難しい。
しかし彼女は違っていた。捕えられても悠然としていた。檻に入れられ、鎖に繋がれても表情一つ変えなかった。人間に殴られようが刺されようが、まるで意に介していなかった。
見た目は10代後半の少女であったが、何も言わずいつもニヤニヤと笑っていた。その笑みを少年ケッペンは、生涯忘れることはないだろう。
ラキア公は珍しい物が大好きだった。そして有名なコレクターでもあった。特に珍しい動植物やモンスターを好んで収集し、他人にそれを披露することを何よりの道楽としていた。それは家来に対しても例外ではなく、会う者すべてにコレクションの自慢話をするのが、彼の日課となっていた。
吸血鬼を手に入れたラキア公は、当然ケッペンの両親にも自慢げに話をした。そしてある日、家来一同とその家族を城の大広間に集めた。両親はもちろん、少年ケッペンもそこに居た。
「よいかお前たち。今から珍しい物を見せてやる。我がコレクションでも最高ランクだ」
大広間に巨大な檻が運ばれて来た。檻には黒い布がかけられている。中身はまだ見られない。
「そら、これだ!」
ラキア公が声を掛けると、布が取り払われた。中には容姿端麗な少女が、足を組んで椅子に座っていた。肌が異様に白い。透き通る硝子のようだ。そして黒く長い髪。だが彼女が人間でないのは、一目瞭然だった。長く伸びた犬歯に赤い目。まさに吸血鬼の特徴がよく現れている。
「どうだお前たち。生きた吸血鬼など滅多にみられるものではないぞ。もっと近へ寄って、とくと見聞するがよい!」
見た目の美しさのせいだろうか、恐れずに檻に近寄る者、反対に恐怖してホールの端に寄る者、反応は様々だった。
「この檻には聖なる十字架が彫り込まれている。しかも高位の聖水で清めてある。吸血鬼は檻に触れる事すらできぬ。さぁ、怖らず近くに寄るがいい」
ラキア公は得意げな顔をしていた。だが檻の中の少女は、見世物にされているというのに、まったく屈辱を感じてはいないようだった。椅子に座るその姿は、気高くそしてどことなく余裕があるのだ。
「ははは、吸血鬼の再生能力を試してみようか?」
テンションの上がったラキア公は、調子に乗って吸血鬼に矢を射かけるように命じた。城の衛兵が、檻の隙間から少女に向けて矢を放った。
どよめきが起こる。
少女の太ももに矢が刺さり、鮮血が溢れる。
ケッペンは衝撃を受けていた。刺さった矢がたちまち体内から押し出され、傷口があっという間に塞がったのだ。
「これが吸血鬼の再生能力だ! どうだ、凄いであろう!」
ラキア公はまるで自分の能力であるかの如く、自慢げに叫んだ。
「ククククッ、人間どもよ。楽しいか?」
その時、檻の中の少女が立ち上った。不敵な笑みを浮かべていた。見世物にされ、嬲られ拘束され、いつ滅ぼされてもおかしくない絶体絶命のピンチだというのに。
ケッペン少年は、その姿を美しいと思った。心の底から秀麗で気高い女性だと感じていた。相手は吸血鬼なのに。まるで初恋をしてしまったかのようだった。彼女の赤く宝石のような目を見るだけで、体から力が抜けていく。
「おい、吸血鬼。どうしてお前はそんなに余裕なのだ? 殺されないとたかをくくっておるのか?」
「ラキア公よ、我は人間に興味があった。だから気まぐれに人間に捕えられてみたのじゃ。久方ぶりに見る人間は、どう進化しているのかと思ってな。まぁほとんど変わっておらぬようじゃな。所詮は家畜。どこまで行っても下等な生き物ということか」
「吸血鬼のくせに減らず口を叩きおって! ……どちらが上か思い知らせてやる!」
挑発に乗ったラキア公は、十字架のペンダントを取り出すと、檻の中の少女へ投げつけた。
十字架は吸血鬼の再生能力を封じ、ダメージを与える効果がある。触れても滅びはしないが、吸血鬼にとっては地獄の激痛がもたらされる恐怖のアイテムである。
だが少女はその十字架を手で受止めた。掌からほんの少しだけ煙が上がったが、十字架はグニャリと握り潰された。
「そんな……。なぜだ? なぜ十字架が効かぬ!?」
「こんな玩具で我に勝てると思ったのか?」
「むぅ。ならばこれはどうだ!」
ラキア公は小瓶をポケットから取り出し、吸血鬼に中の液体を振りかけた。
「どうだ! これは司祭が1年以上かけて祈りを捧げた高位聖水だ。いかに強力な吸血鬼であっても、死ぬほどの激痛を味わうはずだ。フハハハハッー!」
しかし、檻の中の少女は、ほんの少し顔が濡れただけだった。何の変化もない。
「人間、相手が悪かったの」
ラキア公は恐怖していた。どういう訳かこの吸血鬼には、聖水も十字架も効かない。そうなるとこの檻も危ないのではないか? だが今は昼間だ。窓さえ開けてしまえば、こちらの勝ちだ。陽の光があれば、吸血鬼は例外なく滅びる。
「皆の者、窓を開けよ!」
ラキア公は家来達に命じたが、もう手遅れだった。檻の中の少女は、足元に落ちていた矢をラキア公に投げつけていた。単に投擲しただけなのに、弓で射るよりも速く飛んだ。矢はラキア公の頭を貫き、彼に速やかに死をもたらしていた。
そして少女は鉄格子に手を掛け、まるで暖簾を払いのけるが如く手を振った。鉄格子は飴細工のように曲がり、彼女は悠々と外に出ていた。
「ふむ、見たところざっと200人程度か。寝起きの朝食にはまぁまぁじゃの」
惨劇が始まった。少女が歩みを進めるたびに、周囲の人間が惨殺されていった。悲鳴がこだまし、骨が砕かれ、血の飛び散る音が大広間を支配していた。衛兵達もまるで歯が立っていなかった。鎧の上から心臓を貫手で貫かれ、血を吸われていた。
ケッペンは恐ろしさのあまり腰を抜かしていた。床にヘナヘナと座り込み、身動き一つ取れずにいた。
そして見てしまった。両親が少女の手にかかるのを。少女に血を吸われると、両親は凄まじい速度で吸血鬼と化していた。顔色は生前のものではなく極端に青白い。死者の顔色だ。目付きは鋭くなり、犬歯をカチカチとならしながらふらふらと彷徨い、今まで仲間だった同僚たちの血を吸い始めた。
……地獄だ。ここは地獄に違いない。ケッペンは思った。
口元から血を垂らしながら、高らかに笑う少女は悠然と人間を見下ろし、玉座に座った。その姿はさながら女王のようだった。
こんなに凄惨な地獄にもかかわらず、ケッペンは恐怖と共に奇妙な感情に支配されていた。
――― 美しい。この世のものとは思えない。
恐怖心と審美心とが拮抗する奇妙な感情。そして罪悪感と嫌悪感。目の前で両親が人の血を啜っているのである。それにもかかわらず、ケッペンは吸血鬼の少女を美しいと思ってしまった。そんな自分が許せなかった。
僅か数分で辺りは血の海になっていた。立っている者は全員吸血鬼である。生気を失った元人間達が幽鬼のように生きた人間の血を求めて彷徨っている。
やがてケッペンのもとにも吸血鬼がやってきた。
よく見れば、それは父だった。
「お父さん! 正気に戻って! お願いだから」
ケッペンは必死で訴えた。だがそれはもう父ではなかった。父の形をした吸血モンスターでしかなかった。ケッペンは必死で祈った。神様に祈った。だが世界は無情だ。父親は正気に戻るどころか口を大きく開け、牙を突き立てて来た。
「痛っ。お父さん、痛いよう、お願いだから止めて!」
元父であった吸血鬼は、チュルチュルと音を立ててケッペンの血を吸い始めた。
その時だった。突然大広間に陽射しが差し込んだ。誰かがカーテンを開けたのだ。光を浴びた父は、ボロボロと崩れ去り、やがて灰になって空気中に霧散して行った。広間の吸血鬼は一匹残らず消滅し、玉座に座っていた少女も奥の部屋へ素早く退避していた。
「ちっ、遅かったか。おい坊主、お前は大丈夫か?!」
「うん……」
「しかしこりゃひでぇな。まだこの坊主は人間だったか。吸血鬼化しないよう、陽の光の下に移動させるぜ」
3人の冒険者がケッペンを治療し、陽の光の下で過ごすように言い含めた。日没まであと2時間はある。傷は軽い。2時間あれば吸血鬼化も防げるだろう。
「坊主、名前は?」
「ケッペン」
「そうか、惨いものを見ちまったな。儂の名前はニールスだ」
「私の名前はマドロラよ」
「俺はビスマイトという」
そう、幼いケッペンを助けたのは、冒険者としてパーティを組んでいた若かりし頃の3人だった。
「ケッペン、ちょっと聞きたいんだが、お前さん、あの吸血鬼から何か聞いてないか? どんな小さなことでもいいんだ。教えて欲しい」
「…… アイツは、人間にわざと捕まったって言ってた」
「そうか、やっぱりな」
「他には?」
「久しぶりに人間を見たって……。十字架も聖水も効かなかった」
「そんな、十字架も聖水も効かないですって?!」
「俺たちだけでは手に負えないな」
「これで間違いない。バンパイアロードだな」
「バンパイアロードって何?」
「坊主には知る権利があるだろう。……話しておこうか」
――― バンパイアロード。吸血鬼の王にして、極めて高い知能と強大な力を持つ特別な吸血鬼の個体である。一般に吸血鬼は不死がゆえに、歳を経れば経るほど強くなる。だがその不死性が災いすることも多い。不死性が驕りと過信を生み、人との戦いに敗れる者が多いのもまた事実である。
一説には、並の吸血鬼の寿命は約1000年とされている。しかしそれを超えて生きた個体は、ハイ・バンパイアと呼ばれ、様々な超能力を得ることができる。そして2000年よりさらに長く生きた者は、バンパイアロードとして特別な力を得るのだ。
聖水、十字架、ニンニク、流水……。こうした吸血鬼の弱点とされるものが、バンパイアロードには一切通じない。唯一の弱点は陽光だけだ。あとは心臓に白木の杭を打ち込み、頭部を切り落として棺に封印するしか対応手段がない。
だが強大な力を誇るバンパイアロードに、これらの手段を用いるのは、不可能に近い。策略を巡らせたとしても、高度な知識と知恵で回避されてしまう。生半可な策はかえって命取りとなる。すなわち、伝説に曰く、”バンパイアロードに出会ったら命懸けで逃げろ”が鉄則である。
幸いにもバンパイアロードになるほど高齢の吸血鬼は、滅多に現れない。エルマー大陸全土合わせても、2~3度しか人間との邂逅例は記録されていない。個体数が極端に少ない上に、家畜でしかない人間との接触に興味を持たない孤高の生き物ともいえる。よって伝説はあるものの、実際に出会った者は皆無に等しい存在。それがバンパイアロードである。
「坊主、すまんな。俺たち冒険者はあいつを普通の吸血鬼だと思って、討伐せずに奴隷商に引き渡したんだ。だがそれはアイツの芝居だった。わざと捕まったんだ。人間を観察するためにな」
「どういうことですか?」
「人間はヤツを檻に閉じ込めて見世物にしていたが、ヤツからすれば人間がどういう反応をするか余裕で眺めていたということさ」
「そう、なんですか……」
「だかこれ以上は手の打ちようがねぇぞ。迂闊に城に入ればヤツの思う壺だ。日が暮れたら吸血鬼のエンペラータイムだ。人間には勝ち目なしだ」
「そうね。残念だけど、ここは冒険者ギルドに報告して、手を引くしかないようね」
「ボクの両親はアイツに殺されました……」
「残念だったな。だが仇討ちをしようなんて思ったらいかんぞ。それこそ死にに行くようなもんだ」
ケッペンは静かに涙を流した。両親を殺された口惜しさだけではない。何よりもあのバンパイアロードを美しいと思い、見惚れてしまった自分が許せないのだ。あんな殺人鬼を綺麗だと思ってしまうなんて、自分はどうかしている。
行く当てもなかったケッペンは、この後、ビスマイトに引き取られ、ブラッドール家の鍛冶師2番弟子として育てられることになった。だがこの日の事件が、彼の心に深い傷痕を残したのは言うまでもない。
そしてラキア公事件の数日後。 ――― ギルドからの通報を受け、メンデル・ラキア両軍で編成されたバンパイアロード討伐軍が城に踏み入った。だがそこはもう、もぬけの殻であった。
玉座に1冊の本が落ちていた。バンパイアロードの置き土産だろうか。討伐軍の兵士が拾い上げたが、未知の言語で書かれていたため、読むことができなかった。
後の解析でこれがエランド語で書かれていることが判明し、内容の理解が進んだ。本は詩集だった。エランド語で書かれたものをメンデル語に翻訳した書が城にも保管されている。
だが、詩の内容は抽象的で脈絡がなく、意味不明なものであった。文章としては成り立っているが、内容をなしていなかったのである。理解不能として、それは今でも放置されているという。
ただ本の終わりに、持ち主の名前と思しき署名があった。
――― カーミラ=シュタインベルク
おそらくはそれがバンパイアロードの名前であろうという説が、研究者の間では定着している。