第19話 新しい魔剣
暫くは何事もなく、平和な時間が過ぎて行った。街にはガスの灯かりが戻り、不穏な噂も消えていった。他国との貿易も順調に進み始め、港も賑わいを取り戻しつつあった。
ゴブリンロードの件は、城の騎士が応援に駆けつけて斃した、という事でケリがついたらしい。ディラックさんが冒険者ギルドへ赴き、直々に話をしたので、不審に思う者はいなかったようだ。ディラックさんもギルドマスターとは旧知の仲だ。話はスムーズに進み、例の鎧とゴブリンロードの死体も騎士団が回収していったとのことだった。
そして俺は、本格的に剣の訓練を始めた。正確には力を制御して、それをどう剣術に取り入れるかなのだが、どうしてこれが難問だった。毎日屋敷の中庭で訓練をしている。しかし、肝心の闘争心が湧かないと力が出ない。力が出なければ訓練の意味がない。
闘争心を出すためには、相手が必要だ。しかも、かなりの手練れであることが条件だ。弱すぎる相手では、直ぐに闘争心が失せてしまう。ビスマイトさんやシャルルさん、ドルトンさんはハッキリ言って忙しい人なので、訓練に付き合ってくれと頼むのは心苦しい。といって、ニールスさんのところまで行くのは、さすがに大袈裟だ。
「はぁ、ダメか……」
「カミラ様、どうされたのですか?」
レイさんは俺の訓練をずっと見守っていた。もちろん、警護のためだと思うが。
「これじゃ訓練にならないかなって。闘争心を維持できる強敵がいないと無理かなって……」
「それでは、僭越ながら私がお相手しましょうか?」
「え? レイさんもレンさんのように剣の使い手なんですか?」
「申し訳ありません。剣はさほど使えません。ですが拳は使えます」
おう……。これは格闘術の使い手という意味だろうか。確かRPGでも、素手で戦う忍者や舞踏家のような職業があったな。
「姉と違って、私は器用に武器を使いこなす才能がありません。ですので、この体一つで警護できるよう、修練を積んでおります」
「そうなんですね。少しでいいのでお相手してください」
「はい、喜んで」
レイさんはメイド服のまま俺と対峙した。大丈夫なんだろうか。それだと動きにくいと思うけど。
だが対峙してみてよくわかる。レイさんの周りには、迂闊に踏み込めない空気ができている。ニールスさんにも感じた、達人だけが持つ独特の緊張感に満ちた雰囲気が、レイさんにもあるのだ。
「ちなみに、姉は私に勝ったことはありません」
なんと、あのレンさんをもねじ伏せる武力があるのか。これは気を引き締めないといけない。俺は右手の魔剣カタールを改めて握り直した。
「いきます」
そう言った途端、強烈な殺気がレイさんから放たれた。ある種の風圧のような物を感じる。達人の放つ圧力だ。
次の瞬間、10メートル以上あったレイさんとの間合いが、ゼロに詰められていた。気が付いたら彼女が半身の構えで目の前に立っていた。
まずいっ! そう思った時にはレイさんの拳が、俺の鳩尾に深々と突き刺さっていた。小型軽量の俺の体は、見事に吹き飛ばされた。屋敷の石壁まで飛んで、後頭部を打ち付けて地面にうつ伏せに倒れた。
ちっくしょう! 無茶苦茶痛ぇぞ! そう思った瞬間、鳩尾と後頭部の痛みが、怒りのツボをキックする。ようやく発動したか。
にべもなくやられて、さすがの俺も怒りがふつふつと湧いてきている。
だがレイさんを見ると明らかに顔色が悪い。まさか俺の血を浴びた訳じゃないよな。まだ出血はないからな。
レイさんは、一撃目以上の速さで間合いを詰めて来た。だが今の俺には、スローモーションにしか見えない。今度はフェイントも織り交ぜて、必殺の拳が何発も飛んでくる。だがこれもすべて見切れる速度だ。
レイさんの拳をかわし切ると、俺の本能が爆発してしまった。反撃の狼煙が上がった。だが本気で攻撃をしてはいけない。レイさんを殺してしまうかもしれない。俺は必死で本能を制御した。防衛本能は生物の原始の本能だ。急に止めることは難しい。
理性を働かせろ、俺!
無情にもカタールが振り下ろされた。レイさんに恐怖の表情がハッキリ見て取れた。だが、その表情で俺は我に返ることができた。カタールの一撃は単なる小学生の振る剣となり、レイさんも難なくかわすことができた。
危なかった。だがレイさんは警戒して、俺から思い切り距離を取っている。
「……カミラ様、今のは一体?」
「ええ、今のが死の獣王の力の一端よ」
「死を――― 覚悟しました。こんなの初めてです。素手でミノタウロスを倒した時でさえ、感じた事のない恐怖がありました」
レイさんの顔が青ざめている。死の淵をまともに覗いてしまったのだ。精神的なショックは大きいだろう。申し訳ないことをした。だが、ミノタウロスを素手で斃したという正拳突きは、かなりのものだった。
「ごめんなさい、レイさん。怖い思いをさせてしまいましたね」
「滅相もございません! 私も噂のカミラ様の力を見てみたいという悪戯心があったのは否定しません。謝るのはこちらの方です、申しわけございませんでした」
「いいえ。レイさん、あなたは今、とても良い働きをしてくれました」
「……?」
「私がすべき訓練がわかりました。戦闘や格闘の修行も必要ですが、それ以前にもっと重要な訓練が必要です。精神の修養です」
「は、はぁ……。私にはよくわかりませんが、お役に立てていれば光栄です」
「ええ、本当に役に立ってくれましたよ」
そういうと、恐怖で青ざめていたレイさんの顔が、ゆっくりといつもの笑顔に戻って行った。だけど俺の鳩尾と後頭部の痛みはそのままだ。やっぱり獣王の力が発動する前に負った傷は、回復しないのだね。でなければ、この左腕もとっくに再生しているはずだからね。
これまでの戦いで悟った。俺がデスベアの力を発揮すれば、大抵の相手ならそうそう負けることはないだろう。そりゃドラゴンに突然襲われたりしたらわからないが、少なくとも人間や人間型モンスター相手なら、今は負ける気がしない。問題はどうやって力を発揮できる状態に持って行くかだな。
俺の闘争心が鍵だ。闘争心に火を点けるためには、それなりの攻撃を一発貰えば良い。だが相手が強敵の場合、その一発で即死してしまうかもしれない。不意打ちで首を斬り落とされたり、心臓を抉られたりした場合、即死する危険性は高い。再生能力が働かないかもしれない。
それに、闘争心を発揮できないような攻撃を食らった場合、何もできずに終わる可能性がある。例えば、頭部を殴られて意識を瞬時に失った場合だ。闘争心もへったくれもないので、再生能力も働かない。
つまりイメージだけで闘争心を呼び覚まし、それを維持することが必要だ。心が維持できれば、力も維持できる。そうなれば不意打ちへの対処も可能だ。
心のコントロールか……。座禅でも組んだらいいのか? 平凡な日本人の俺には、それくらいしか思いつかない。そういえば会社の新人研修で、座禅研修があったな。ああいうメンタルコントロールって、身に着けられるものなんだろうか。
「レイさん、イメージトレーニングとかってやったことありますか?」
「はい。格闘術を修める上で、精神修養は肉体の鍛錬と同じくらい重要視されておりますので」
「心のコントロールの仕方、教えてください」
それから俺は毎日、レイさんと部屋に籠ってひたすらイメージトレーニングをした。要は闘争心が湧くようなシーンを思い浮かべ、瞬時にデスベアの力を引き出せるようにするのだ。そして、なるべく長い間維持できるようにする。維持できるようになったら、意識しなくても自然に力を保てるよう心の状態を高める。いつでもどこでも、どんな環境でも自由に力を引き出したり、逆に減少させたりできるようにする。
レンさんはこういうトレーニングをずっと繰り返して来たらしく、凄く的確なアドバイスをくれる。格闘術の場合は、相手の気を読んだり、殺気を感じたり、怒りをコントロールして痛みを減少させたり、あるいは恐怖を取除き火事場の馬鹿力を出す、などの肉体の制御を行なって戦闘を有利にするらしい。奥深いものだと感心したが、ヴルド家のメイドは誰もが習う基本中の基本だそうだ。格闘術だけでなく、剣術や普段の生活にも役立つらしい。
タダ者じゃないな彼女たちは。”ヴルド家のメイド最強説”は真実味を帯びて来た気がするぞ。
トレーニングを1日10時間、たっぷりと続ける日が2週間も続いただろうか。劇的な変化が出始めた。まず力の発現が意図的にできるようになった。少なくとも平常心でいる時は、数秒以内で発現できる。ただ、心が緊張した状態では、実際どこまでできるかわからない。場数を踏む必要があるだろう。
そして力の維持ができるようになった。しかしまだ3分程度しか持たない。集中が途切れた途端、力は戻ってしまう。これも訓練次第でもっと長く伸ばせるようになると思う。
ともかくきっかけは掴めた。あとは日々努力して精神力を鍛えるだけだ。
「レイさん、本当にありがとうございました」
「滅相もございません。私もカミラ様のご活躍が早く見たいです」
「試合は4年後……。それまでには、意識せずに力を維持できるようになりたいと思います」
「カミラ様ならあと1ヶ月でマスターできると思います。ちなみに私も姉も、16歳からこの訓練を始め、卒業するまでに1年かかっています。ご自身がどれだけ優れた資質をお持ちなのか、お分かりいただけると思います。どうぞ自信をお持ちください」
「ありがとうございます、レイさん」
「メイドが主人のために力を尽くすことは当たり前です。どうか御礼の言葉など仰らないでください」
レイさんはちょっと困った顔をしていたが、微妙に嬉しそうだったので、俺はそれ以上言うのを止めた。
「そういえば、ビスマイト様がお呼びでした。例の魔剣化したカタール持参で、工房の方へ来るのようにとの仰せでした」
「お父様が……?」
早速工房まで行ってみると、ビスマイトさんが真剣な顔で剣を研いでいた。両手用でも片手用で使えるハンド・アンド・ハーフソード(片手半剣)だな。それにしては、ちょっと長いかもしれない。1メートル半はあるだろう。何より特徴的なのはその色だ。紫と緑が斑に混じり合った蛍光色なのだ。見た目に毒々しい剣だ。
「カミラ、来たか……」
「お父様、お呼びでしょうか」
「まぁ、座りなさい」
「では私は珈琲など淹れてまいります」
レイさんが素早く席を外した。身内だけの話かもしれないと思って、気を利かせてくれたのだろう。
「魔剣を持ち出したな?」
「はい、ごめんなさい。ゴブリン討伐の時に無断で持ち出しました」
「うむ、それは預かっておこう」
俺は素直に魔剣化したカタールを返却した。これは本来、持っているだけで罪に問われかねない代物だ。
「お父様、こちらの特徴的な模様の剣は一体?」
「ああ、儂の持てる技術のすべてをつぎ込んでこの剣を作った。お前専用の剣だ」
おお、なんという事だろうか。ここ10年も自ら腕を振るうことがなかった鍛冶師の最高峰、ビスマイトさんが剣を俺のために作ってくれた。しかも全技術を全力投入。考えただけで胸が熱くなる。
「凄く特徴的な剣ですね……」
「これには理由がある。どの剣を使っても魔剣化してしまうお前の性質。メンデル領内では非常に厄介だ。だから最初から魔剣のような模様を持つ剣にしておけば、問題ないだろうと思ってな」
そこまで考えていてくれたのか。でもこんな不思議な模様、どうやって出したのだろうか? 素人ながら、金属の強度とか気になってしまう。
「そしてこの模様だが……。あの鎧の欠片が役に立った」
「ダマスカス鋼、ですか?」
「ああ、あの黒いのを再現することはできなかったがな。硬度としては、あの鎧をも断ち斬れるものになっている。様々な材料の組合せを試した結果、この剣が出来たのだ」
「何を混合されたのですか?」
「鉄をベースに、クロム鋼、チタン鋼、バナジウム鋼、そしてビスマイト鋼だ」
うん? クロム、チタン、バナジウムは良しとして、ビスマイトさんの名前が付いた金属があるのか。
「ビスマイト鋼は、儂が開発した鋼の一種でな。作り方はまだ誰にも伝えておらん」
「そうなんですか……。ビスマイト鋼はどのような物なのでしょうか?」
「お前には伝えておかねばなるまい。ビスマイト鋼は、それ単体では普通の銑鉄と変わらないものだ。だが、あらゆる異種金属を強力に接合し、親和性を高め、新しい性質の金属を生み出す力を持っている。生み出される金属は、混ぜる金属の種類と量によって様々に変化するが、正直、儂でも出来上がりを見ないと最後まで正確には効果のほどがわからんのだ」
色んな金属を組み合わせて、自在に合金を作れるって事だよね。それはかなり希少な材料というか製法のような気がするぞ。現代の日本でもわざわざ無重力状態の宇宙まで行って、新しい合金生成の実験をしているくらいだからね。もし本当ならとんでもない大発明だよ。
「お父様、それはとても凄い金属……、いえ、製法なのではありませんか?」
「おお、カミラ、お前は察しがよいな。そうだ。ビスマイト鋼を使えばもしかしたら、魔剣以上の物を生み出すことができるやもしれん。あのダマスカス鋼の製法を超えることもできると信じている」
すげぇ……。やっぱりこの人、とんでもない物を発明しちゃってるよ。鍛冶師最高峰の実力はダテではない。
「お父様、試してみてもよろしいですか?」
「もちろんだ。だがお前の体では少々重いかもしれぬな」
「問題ありません。今はこの通りです」
俺はメンタルトレーニングの成果を早速発揮してみた。僅か2秒で力を発現させることができた。そして、自分の身長より長い剣を右手でだけで、軽々と持ち上げた。
「……それがデスベアの力を使っている時のお前か」
ビスマイトさんはちょっと驚いた顔をしているが、それよりも興味と好奇心の方が先に立っているようだ。鍛冶師としては、剣の出来を早く見てみたいだろうね。
出来立てホヤホヤの剣を持って中庭に出た。ビスマイトさんを少し離れたところまで下がらせ、俺はブンブンと剣を振り回した。軽い。そして手によく馴染む。
問題は切れ味だろうな。俺は剣を肩に乗せて構え、大きな庭石目がけて振り下ろしてみた。もちろん十分に手加減してだ。
庭石がプリンのように柔らかく感じた。この庭石は堅い花崗岩だ。それが何の抵抗もなく、さっくりと真っ二つになった。剣には刃こぼれ一つない。まったくの無傷だった。
「お父様、凄まじい剣ですね」
「いや、儂はミスをおかしたようだ」
ん? 何だろうね。俺にはこの剣は完璧に見えるけど。
「お前が振るう前に儂が振るうべきだった」
そうか。俺が使っちゃったら魔剣化するから、剣本来の力かどうかわからないってことか。これは悪い事をしたな。
「すみません、お父様……」
「いや構わぬ。どうせ魔剣化する物であったし、魔剣化してもその特異な文様のおかげで、目立たぬであろう?」
確かに目立っていない。魔剣はやたら派手に光るので、抜いた瞬間にバレてしまうが、この文様があるおかげで、光が絶妙に拡散され、魔剣だとはわからないようになっている。
「お父様、ありがとうございます。大切に使わせて頂きます」
「うむ、……儂はもう一本予備を作る作業に入る。しばらく手が離せなくなる。もし何かあったらマドロラかエリー、シャルルに相談するようにしなさい」
ビスマイトさんは、人生の集大成に入ろうとしているのかもしれない。鍛冶師としての最高の作品を作ろうとしているのだろう。
でもこれで剣を使える。小さいようで大きな事だった。”歩く魔剣量産機”の俺は、人前で武器を使うこと自体できないと思っていた。レイさんを見て、自分は格闘術を選択する他ないと密かに考えていた。だが格闘術は少数相手なら問題ないが、多数の敵が相手の場合は、どうしても厳しい戦いになる。
だけどこの剣を使えば何とかなるな。問題があるとすれば、今は日常的に持ち歩くことができないことだ。なぜって……そりゃあ身長より大きな剣なんだぜ。しかも重い。小学生女児の状態で持ち歩くにはかなり厳しい。俺が歩いてる姿を見て、街の人からは”剣が歩いてる!”と大層注目を浴びてしまうだろう。普段から帯刀できない剣は、使い勝手が悪い。
うーん、早く身長伸びないかな。確か女子って中学生くらいが一番成長するんだよね。あと4年。16才になれば、身体つきも変わって来ることを期待しておこう。