第17話 ゴブリンロード
坑道内は意外と明るかった。光る鉱石でもあるのかと思ったが、何の事はない、ガス灯が所々にあるからだ。おそらく作業用に設置されているものだろう。空気の流れも計算されていて、酸欠にならないように上手く配置されている。
地面にはトロッコ用の軌道がある。だが想像していた以上に大規模な鉱山だ。天井が高い。数十メートルはあるだろうか。洞窟というか、もはや大規模なトンネルという感じだ。
「カミラ様、今回はどう戦うおつもりですか?」
「どうって……。剣を使うと魔剣化してしまいますし、拳一つで戦うしかないかなと」
剣を使うのはいい。だけど魔剣化する。戦いが終わった後、捨てて行く訳にもいかないだろう。誰かが見つけたら、大騒ぎになる。悪用されることもあるだろうし。
「徒手空拳では時間が掛かり過ぎます。どうぞこれをお使いください」
そういってレンさんが取り出したのは、紫に輝く魔剣だった。これには見覚えがある。そうだ、俺が最初に鍛冶で打った剣じゃないか。ちょっと長めのカタールだ。
「ビスマイト様のお部屋からお借りして参りました。これならば、いくら使用しても問題ないかと思います。私は失礼して、こちらを使わせて頂きます」
レンさんが、スラリと抜いた剣はサーベルだった。細身だが輝きに冷たさを秘めている。青白く光を反射するその様は、レンさんの冷静さが乗り移ったかのようだ。切れ味も凄そうだ。
しかしこの人、今までどこに荷物を収納していたんだろうか? ドラ○もんのポケットも真っ青な手品だな。
ここで重要なことに気が付いた。血だ。もしも俺の血が飛び散ったら、レンさんが死んでしまう。これはまずいぞ。
「レンさん、私の血の話は聞いていますか?」
「もちろんです。ニールス様よりこれをお借りしております」
そういってレンさんは自分の服を捲り上げる。前に見たニールスさんお手製の防毒用チェインメイルを着こんでいた。
一体どこまでこの人は手際が良いんだろうか? 予知能力者なのではないかと思ってしまう。だがこれで思い切り戦える。魔剣がどのくらいの力を持つのか未知数だが、素手よりは遥に効率がいいだろう。
「先ほどのパーティの方の話だと、ゴブリンロードがこの一連の騒動の発端となっているようですね。ゴブリンは指導者が居ると途端に知能や筋力が上り、組織的に動くそうですから。今日のところは、そのロードを倒しておきましょうか」
「あの、レンさんって冒険者もやっていたことがあるんですか?」
「100以上のギルドの依頼を単独で達成しないと、ヴルド家のメイドにはなれない決まりになっております」
メイドの教育カリキュラムに冒険者の経験もあるのかよ。さすがヴルド家だ。クエストを通じて実戦的な戦闘術を覚えるという教育方法なのかもしれないな。レンさんは、既に歴戦の冒険者ってことか。手際の良さも知識の豊富さも納得だ。
「カミラ様、前から3体ほど来ます。おそらく斥候でしょう。逃がすと面倒なので潰しておきます」
「は、はい!」
レンさんが実際戦うのを見るのは、これが初めてだ。
程なくしてホブゴブリン3体が現れた。先の膨らんだ粗末なこん棒を持っている。原始的な武器ではあるが、アレで力任せに殴られたらタダでは済まない。当たり所が悪ければ、一撃で天に召されてしまう。それと冒険者から奪ったと思われる皮の鎧を着ていた。結構丈夫そうだ。
レンさんは俺の心配を物ともせず、華麗に剣の舞を披露するように動くと、一瞬にしてホブゴブリン3体を皮の鎧ごとスライスにしていた。強いなんてものじゃない。美しささえ感じる。いや、速すぎて正直何が起きたか半分くらい理解できてないけど。
「時間がございません。雑魚は早く片付けて先に参りましょう」
「あ、はい!」
俺はもう返事しかできなかった。もしかしたら、レンさん1人でも十分だったかもしれない。そういえばディラックさんが、レンさんは騎士と同じくらいの戦いが出来ると言っていたな。
平均的な騎士は、10匹のオーガを1人で倒せるそうだ。そして平均的な冒険者は、オーガ1匹を倒すのに10人必要だそうだ。つまりレンさん1人で並の冒険者100人分だ。そりゃ強いはずだ。もちろん戦いはそんな単純計算ではないから、簡単に論じることはできないけれどね。
坑道の階層を一つ降りるたびに、ホブゴブリンやゴブリンの数が増えていったが、俺の出番は皆無だった。レンさんが朝食用のバターでも切るように、次から次へと優雅にゴブリンのスライスを生産していく。相手から見れば、凄惨な光景でしかない。もう200匹以上は倒しているだろう。俺はレンさんの後ろで、ぼんやりと美しい戦いを観ているしかなかった。
「次は5階層目になります。気を引き締めて参りましょう」
レンさんは呼吸一つ乱れていない。顔に汗すらかいていない。少しゴブリンの返り血を浴びただけだ。
5階層に降りた途端、寒気がした。4階層目までとは空気がまるで違う。坑道内はゴブリンたちで溢れていると予想していたが、皆無だった。静寂に包まれている。不気味だ。何が起きているのだろうか。様子がおかしい。
坑道は僅かに下に向かって傾斜していた。つまり徐々に降っているという感じなのだが、下り終わると、6階層と5階層の間にある大きなホールに出た。坑道の地図によると、ここは通称”落盤跡ホール”となっている。昔、大規模な落盤があり、それ以来使われていない大きな空間になっているという。
ホールの中心には一際大きなゴブリンが立っていた。大きな斧を肩に担いで、何か話をしている。言葉はゴブリン語なのか、内容は全然理解できない。
暗くてよくわからなかったが、目を凝らしてみると巨大ゴブリンを中心に、ホブゴブリンが大勢集まっていた。彼ら全員が、身動ぎ一つせずにじっと話に耳を傾けていたせいか、巨大ゴブリンの声だけがこだましていた。なるほど5階層の坑道に1匹もいなかった理由は、これだったのか。
「カミラ様、あの中央に立っている巨大なゴブリンが、ゴブリンロードで間違いないでしょう」
「彼らは何をやっているのでしょうか?」
「おそらくですが、配下に知恵と作戦を授けているのだと思います」
ほほう、こうして組織的な動きを擦り合わせているのか。作戦会議というわけだ。
「ここであのロードだけでも叩いておかないと、後々厄介なことになります」
「でもさすがにこの数は……」
そう、5階層の全ゴブリンが集結しているだけあって数が物凄い。ざっと1000匹は集まっているだろう。そして何より、ゴブリンロードの強さも未知数だ。
「問題ありません。頭を潰せば、あとは恐れをなして瓦解するでしょう」
レンさんの理屈はよくわかる。だがちょっと無理があるんじゃないかな……。客観的に見れば、ゴブリンとホブゴブリン混成軍団1000匹と人間2人の戦いになる。しかも場所はホールだ。坑道ならば道幅に制限があるので、数匹づつ相手をすることができる。だが、ここでは全方位から切り込まれてしまう。
俺たちが戦うには不利な地形だ。
しかしレンさんは何事も無いように、躊躇なくホールへ足を踏み入れた。そして話を聞いていたホブゴブリン達を片っ端から斬って行った。数十匹斬られたところで、ゴブリンロードが気付いたようだ。何やらゴブリン語で大声をあげた。声と共に一斉にゴブリン達がレンさんを避けるように、ホールの端まで移動した。
既に指揮命令系統が出来上がっているのか。勝手気ままに動くゴブリンは、一匹も居なかった。
周囲に敵が居なくなって取り残されるレンさん。まずいな、距離を取られて全方位から一斉に襲われると、さすがに彼女でも対処が難しい。
だが彼らは襲って来なかった。
ゴブリンロードが口を開いて喋った。たどたどしいが、メンデル語である。
「オマエ……、ワレラノジャマ、スルノカ?」
「ゴブリンのくせに言葉がわかるのですね。では申し上げましょう。殲滅しに参りました」
「グヘヘヘヘ~ ボウケンシャ、ミンナソウイウ。ヨワイ」
薄気味悪い笑い声と共に、ゴブリンロードが戦闘態勢に入った。
「ウオォォォォーッ!」
巨大な斧の柄を地面に突き立てると、ゴブリンロードは雄叫びを上げた。
「カカッテ、コイ。ボウケンシャ、コロス」
どうやら一騎打ちをお望みのようだ。ロードとしては、冒険者を自ら始末することで、権威を示したいのだろう。組織ってヤツは上級幹部になればなるほど、パフォーマンスが重要になる。それがたとえハッタリでもね。
レンさんは静かに、そして素早くゴブリンロードに近づいた。身長差は1メートル以上あるが、まったく臆することなく立ち向かっていた。
レンさんの踏み込みは、これまでで最高の速さだ。物凄い数の剣撃を雨あられと一気に浴びせていた。一瞬で十以上の斬撃を見て取れた。凄い。
ゴブリンロードの巨体では、とてもこの攻撃をかわせない。それをわかってか、ガードに徹していた。だが斧でのガードも間に合っていない。ガードの間を抜いて数撃がクリーンヒットしていた。
グラリとよろめくゴブリンロード。よし! レンさんの勝利だ。
そう思った次の瞬間。ロードがニヤリと邪悪な笑みを作った。嫌な予感がした。ゴブリンロードは、倒れずに踏みとどまっていた。振り向きざまに、太い丸太のような腕を力任せに振り抜いた。腕による単純攻撃は、勝利を確信して無防備になったレンさんを直撃していた。
まずいぞ。これは本当に危険な当たり方だ。
レンさんは物凄い勢いで吹き飛ばされ、ホールの壁に激突して止まった。壁から落ちた彼女は、ぐったりと地面に這いつくばっていた。ピクリとも動いていない。完全に意識がないようだ。出血もある。骨の何本かは確実にやられているだろう。
「グヘ、グヘヘヘ~ ニンゲン、ヨワイ。オレノカチ」
どうしてレンさんの攻撃が効かなかったんだ? 確かに剣は当たっていた。
ゴブリンロードの体を見ると粗末な布の服の下に、黒光する鎧が見えた。なるほど、素肌と見せかけ、実は硬い鎧を着こんでいたのか。どこからそんな鎧を手に入れたのか。先達の冒険者から剥ぎ取ったものだろうか。だが、大柄なゴブリンロードの体に合う人間用の鎧などまずない。こいつはどう見ても身長3メートル近い。人間サイズの鎧は着ることはできないだろう。
となると、コイツに見合った鎧を作ったヤツが居るってことか……。意外と根が深そうだな。
「チビ、オマエモ、ヤルノカ?」
「カ、カミラ様……。お逃げくだ、さい」
レンさんは生きていた。よかった。意識を取り戻したのか。だがとても動ける状態ではない。壁に激突した感じからすると、頭を打っている可能性が高い。早く手当しないと、手遅れになるかもしれない。時間が惜しいな。
「ゴブリンロード、お前を斃す」
「グヘ。カタウデデ、ナニガデキル」
俺が魔剣を抜くと、ロードも警戒したのか、斧を肩に担いで戦闘態勢に入った。
ゴブリンロードと比較したら、俺はまるで小人だ。2メートル近い身長差がある。斧を振り下ろすだけで簡単に潰れるように見えるだろう。
「ダメ、です……コイツは強いです。私を置いて、今すぐ、逃げてください。ゴフッ」
レンさんが血反吐を吐きながら、声を振り絞って忠告してくれている。
その姿を見た俺は、一気に全身の血液が沸騰するくらいの怒りを覚えた。あのレンさんを死の危険に晒してしまった自分も許せなかったが、目の前の敵に対して、激しい殺意を抱いていた。
「ナンダ、オマエ……。メガ、ヒカッテイル。ニンゲンジャ、ナイノカ?」
デスベアの力が覚醒したかどうかはわからないが、一気に間合いに踏み込み、怒りに任せてカタールを思い切り突き出した。
剣撃は単純な直突きだったためか簡単に見切られ、斧で防御された。だが魔剣の力とデスベアの力が乗った一撃は、ブロックした斧を破壊した。破壊したまま、さらに俺はもう一歩踏み込み、敵の腹にカタールを突き立てた。カタールは堅い鎧を突き破り、ゴブリンロードの体まで到達した。
大量の血が噴き出る。辺りがたちまち生臭い匂いで溢れる。
「バカナ……ドウシテ、ヨロイ、コワレル?」
「死ねよ」
俺の口からはそんな乱暴な台詞が出ていた。相手の腹に突き刺さったカタールをそのまま力一杯上向きに振り抜いた。ゴブリンロードの体は、剣が突き刺さった箇所から真っ二つに割れた。それこそ、バターをスライスしたように。
勝った。技術も何もない力技だったが、今はレンさんの治療が最優先だ。周囲で戦いを見守っていたホブゴブリン達から、どよめきが起きた。ボスを失って、この後の対応を決めかねているらしい。まずいな。もしここで襲われても、負けはしないだろうが時間が掛かってしまう。
俺は、上半身が真っ二つになったゴブリンロードの体をさらに切り刻んだ。首だけを切り取り、ホブゴブリンの群れへ投げつけてやった。相手の戦意を削ぐためだ。裏目に出て、逆上されたらアウトだが。
ホブゴブリン達は暫くすると、怯えながらも剣を構えはじめた。くそっ、効果がなかったか。思った以上に仲間意識が強いようだ。
時間が惜しい。何としても戦わずしてここを切り抜けたい。俺はゴブリンロードの大斧の刃を柄からすべて削ぎ落とし、一本の棒にした。怪力のためか、金属を魔剣で加工出来てしまう。先端を尖らせると、立派な槍になった。バキバキと魔剣で巨大斧を加工する俺の怪力に、ホブゴブリン達はますます怯えた様子を強くしていた。
――― もうひと押しすればいけるか。
槍を肩に乗せて構え、全力でホブゴブリンの群れへ投擲した。聞いたこともないような大きな風切り音を立てて飛んで行った。ゴブリンの一匹に命中しても勢いは止まらず、そのまま群れの数十匹を貫き、耳を劈く轟音を立てて、ホールの壁に巨大な横穴を作った。
地面が揺れた。我ながらとんでもない怪力だな。敵にとっては、恐怖以外の何物でもないだろう。
横穴の底では、槍で壁に縫い付けられたゴブリン達が、血を流しながらぶら下がっていた。まさに串刺しってヤツだ。
さすがにこのパフォーマンスは効果絶大だった。ゴブリンの群れは我先にと蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。数分もしないうちに、1000匹近くいたゴブリンの群れがすべて消え去っていた。
俺は魔剣をしまい、レンさんを抱え上げた。今の力なら簡単に担ぐことができる。急いで地上に戻らなければ。ゴブリンロードの着ていた鎧が少し気になったが、今はそれどころではない。
4階層より上には、相変わらず雑魚ゴブリンがたくさん湧いているのかと思いきや、様相は一変していた。一匹も居なかったのだ。理由はわからない。もしかしたら、ゴブリンロードを斃した事と何か関係があるのかもしれない。
俺は怪力モードのおかげもあって、苦労なく坑道の入口まで辿り着くことができた。入る時にたむろしていた冒険者達は、もう居なかった。これは計算外だった。実は彼らをレンさん応急手当の当てにしていたのだ。仕方ない、治療できる所まで移動させるしかない。
だがここに来て問題発生である。レンさんを馬に乗せることができない。というかそもそも、俺は操馬することができない。どうしようか。レンさんの出血が激しい。このままだと命が危険な状態だ。
ここは鉱山。助けを求められるような民家も近くにない。仮に民家があったとしても、治療できるような物があるか期待できない。
「ちくしょう! こうなったら!」
俺は怪力に任せてレンさんを右肩に抱えたまま、馬に無理矢理に跨ってみた。レンさんを抱えているため、右手は使うことができない。足のみで繰馬しなければならない。ズブの素人にできる訳がない! そう思ったが、馬が俺の意思を汲むかのように、全速力で走り始めた。どうした事だろうか? なぜか馬が思い通りに動いてくれる。
ここから西地区の冒険者ギルドに戻るには、あまりに遠い。かと言ってブラッドール家もやや遠い。距離的には、ヴルド家に戻るのが一番近いだろう。何より治療するための設備や薬が、確実に揃っている。そう判断した途端、馬がそれに沿った動きを始めた。もちろん俺には、使える手がないので手綱は握っていない。足だけで必死に馬上に貼り付いている状態だ。だが馬は的確に俺の意思を読み取って一路、城の高台へ疾走していた。まるで自動運転の車みたいだな。もちろん乗った事はないけどね。よくわからないが、今はこの馬に感謝しよう。
城の高台に登り、貴族の屋敷街を抜けると見慣れた屋敷が見えて来た。まだここを出て1週間しか経っていないのに懐かしい。安心感が俺を包んだ。
その途端、馬が急に暴れはじめた。大きな嘶きを発して足を強く踏みしめる。明らかに機嫌が悪い感じだ。一体どうしたのだろうか。ここまで俺と人馬一体だったというのに。
危険を感じてレンさんを抱えて馬を降りた。降りた途端、レンさんを抱えることができなくなっていた。重い! そうか例の力が切れてしまったのか。きっと安心感と共に、闘争心が無くなったということだろうな。
馬の声に気が付いて、ヴルド家のメイド達が屋敷から出て来た。
「何者だ!」
「私です。カミラです……」
「カミラ様! こんな夜更けにどうされたのですか?!」
「理由は後です。緊急事態です、助けてください。レンさんが重傷です」
俺は持てる力で必死にレンさんを支えたが、小学生女児の筋力に戻ってしまっていて無理だった。レンさんに押しつぶされる格好になり、一緒に地面に倒れ込んでしまった。メイドさん達は、直ぐにレンさんに応急手当をすると、屋敷内に運び専属の医師を呼んで、治療に当たった。
「メイドさん達は医療もできるんですね……」
「カミラ様、どこかお怪我はございませんか?」
「私は大丈夫です。それよりレンさんの治療に専念してあげてください」
「かしこまりました。レンをお救いくださいまして、ありがとうございました」
「その御礼は、レンさんが元気になってからです」
俺は心底疲れていたので、リビングのソファーに倒れ込むとそのまま眠ってしまった。