第16話 ゴブリン狩り
――― 夜。またあの夢を見た。
左腕を喰いちぎられたあの夢だ。でも今度は違う風景が目に入って来た。
体を包帯でグルグル巻きにされ、白いベッドに寝かせられている。全身が熱くて重い。目まいと吐き気がする。目を左側にやると腕がない。……ということは、腕を喰いちぎられた後の夢か。
ここはどうやら病院のようだ。デスベアにやられた後、誰かが運んでくれたのかもしれない。だけど様子がちょっと変だな。医者に混じって、学者や怪しげな商人がいる。
「あの、ここは何処ですか?」
俺の口が勝手に動いた。いや違うな、俺が喋った訳じゃない。以前見た夢のように、この体の持ち主が体験したことが夢の中で記憶として再生されているのだろう。
「ここは奴隷病院だ」
「お医者さんですね? あなたが助けてくれたんですね?」
「いや、俺はあんたのお世話係だ」
「お世話係?」
「ああそうだ。……おい、目を覚ましたぞ!」
医者だと思っていた男が声を上げると、たくさんの人がベッドの上の俺のことを覗き込んだ。
「あの…… 私を早く家に帰してください」
「400年も経っているのに。信じられん」
「冬眠能力も受け継いでいるのか」
「記憶も残っているようだ」
「大陸始まって以来の大発見だな」
この人たちは何を言っているのだろう。とにかく早く家に帰りたい。
「君、名前は言えるかね?」
「アリシア=アウスレーゼ=エランドです」
「まさかエランドの……」
「私を早く城に帰してください、お願いします!」
「エランドはもうない。とっくに滅んでるよ」
「そんなはずはありません!」
俺の体の持ち主は、涙目になりながら必死で訴えていた。そりゃそうだ。こんな死ぬほどの酷い目にあって、帰る家がないと言われれば不安にもなる。
直ぐに体力の限界が来たのだろうか。一気に意識が低下して行った。
「おい、大丈夫か?!」
「いや、もうダメだろう。衰弱が回復しない。栄養を受付けないんだ」
「どうする? こうなったらもう……」
「死ぬ前に売ってしまうか?」
「少しでも金になるなら私ども奴隷商人にお任せください」
「非正規ルートだが大丈夫か?」
「へへへ、問題ございません。蛇の道は蛇というヤツでしてね」
意識が無くなって行く間に、そんな会話が聞こえた。
夢を覚えておかなければ。重要なヒントがたくさん得られた気がする。起きたら直ぐにメモへ落そう。よほど強く意識していないと、夢は忘れてしまうものだ。
俺はまた眠りの深淵に落ちて行った。
目を覚ますと、額には冷たいタオルが乗せられていた。隣に目をやると、レンさんが椅子に座って俺の様子をじっと見ていた。久々にエリーの顔も見えた。いや、エリーだけではなかった。ビスマイトさん以下、全員が集合していた。何の騒ぎだよ、コレは。
「起きられました。カミラ様、お体の方は大丈夫ですか? 大変苦しそうにうなされておりましたので、水と布を準備すべくキッチンへ参りましたら、ビスマイト様にお会いしましたので……」
それで大騒ぎになって全員集合しちゃったのか。エリーとかもう涙ぐんでるし。皆心配そうな顔で見ている。おいおい、えらい愛されぶりだな、この体。自分の親にもこんなに心配された事、ほとんど覚えがないぞ。
「え、ええ……。大丈夫です。皆さんにご心配をお掛けしてしまったみたいですね。ごめんなさい」
「ふぅー、お前はあらゆる意味で特別なのだ。何もなければそれでよい」
ビスマイトさん、過保護過ぎるぜ。あまり過保護に育てると、将来子供はワガママし放題の曲がった性格になっちゃうよ。
「この1週間、本当にいろいろな事がありましたが、私はこうして無事に戻って来ることができました。皆さんのおかげです」
「へっ、相変わらず子供らしくないご立派な台詞だな。次期ご当主様はこうでなくっちゃな」
ドルトンさん、褒めてるのかけなしているのかわからないよ。でも安心してくれたようだ。よかった。
「だけどカミラちゃんの出生が、あのヴルド家の血縁者って設定には驚いたよ。専属メイドが来たと言うから何事かと思ったけど。ふん、ディラックのヤツ、なかなかやるじゃないか」
シャルルさんは、俺の事情をどこまで知っているんだろうか。できればこの場に居る皆には本当の事を知ってもらった方が、やりやすいんだけどね。
「あの、お父様……。皆さんはどこまでご存じなのでしょう?」
「安心せい。全部知っている。知った上で皆こうして、心配して集まっているのだ」
顔が見えないのは、チャラ男だけか。アイツはまだ蟠りが残っているようだな。後でフォローしておかないとね。
「そうなんですか、良かったです。でも今まで皆さんに嘘をついていました。私は謝らないといけません」
「いいのよ、気にしないで。だって独りで全部抱え込んでいたんでしょ? それなのに私……」
エリー、泣きすぎだよ。それにエリーは悪くない。一番悪いのは、皆を信じられず正直に話を切出せなかった俺だ。
「まぁ、何はともあれ大団円って事で丸く収まった訳だし、カミラちゃんも目利きと剣技を頑張らないといけない訳だ。忙しくなるね」
「はい。シャルルさん、ご指導よろしくお願いしますね」
「私はスパルタ指導だからね。フフフ、覚悟しておいて」
うむ、望むところだぜ。
「儂もドルトンも剣技や鍛冶に関しては、教えてやれるだろう。遠慮なく聞くがよい」
ビスマイトさんの言葉で、俺の不安は少し和らいだ気がする。何しろ、現実的にやることがたくさんあるし、どれもハードルは凄く高い。
当面やらなければいけないのは、剣技の修得、鍛冶の目利き、自分の素性調査の3つだ。でも目利きは実質ほとんどドルトンさんやシャルルさんがやるだろうし、素性調査は後回しでもいい。時間もかかりそうだし。
優先すべきはやっぱり剣技か。これはあと4年という期限もあるし、達成条件がかなりシビアだ。社会人たるもの納期がある案件を優先しなきゃね。よし、まずは剣技から学んで行こう。正確には学ぶというより、自分なりの流儀を編み出す事をしないといけないんだな。
「皆様、カミラ様はもう大丈夫のようですので湯浴みを致します。それから朝食をお取りになり、本日のスケジュールをお考えになります。ここは一旦ご退出頂けますとありがたいのですが……」
レンさんがプロメイドっぷりを発揮している。どうして俺が湯浴みをしたいと思った事と、朝食を食べながら1日の計画を考える事を分かったのだろうか? 生半可な観察力と洞察力じゃないぞ。敵にしたら一番怖い人かもしれない。
「じゃあ私も湯浴みを手伝うわ。お湯を準備しますから」
「エリー様、ありがとうございます。助かります」
そう言うと、エリーは早々に階下へ降りて行った。よかった。レンさんはプロすぎるメイドだから、他人に手を出されるのは嫌がって突っぱねるかと思って一瞬冷や汗をかいたのだが、協調性もあるようだ。
「それなら私も手伝うぞ」
シャルルさんは手伝うんじゃなくて、幼女の裸を見たいだけだろうな。うん、要らない。
「ではシャルル様には、カミラ様の警護をお願いいたします。湯浴み中は無防備になります。どうぞドアの前で見張りをお願いいたします」
う、上手い。この先読み感と手際の良さ、尊敬するよ。本当に有能な人ってこういう人なんだろうな。
シャルルさんは不満そうな顔だったが、手伝うと言い出した以上、引っ込める訳にも行かず、すごすごとドアの前に立った。ドアは開けっ放しで顔はこっちを向いているけどね。それじゃ護衛にならんだろう、エロ姉御。
男連中が出て行き、エリーが湯を準備してくれると、俺は部屋に違和感を覚えた。――― 狭くなっている。謎の荷物が増えている! クローゼットが1つ増えているではありませんか。いつの間に模様替えしたのか。昨日寝た時には確かになかったぞ。
「このクローゼットは?」
「奥様がカミラ様へお送りするようにと、昨夜ご就寝中にヴルド家からメイド達が運んで参りました」
「……中身は?」
「奥様お手製のドレス、それに舞踏着です」
昨日の夜、レンさんが念入りに部屋をリサーチしてたのは、このためか……。服だけじゃなくてクローゼットごと持ってきちゃうところが貴族だね。庶民はそういう発想できないよ。でもそれだけ俺の事を思ってくれているのだろう。フォーマルな場所ではメルクさんの服を、カジュアルな時はエリーのお下がりを着ることにしよう。
――― 湯浴みも終盤に差し掛かった頃。甲高い叫び声が聞こえたかと思うと、突然部屋の窓ガラスの割れる音がした。
レンさんが俺の目の前にスッと手を出し、左手で何かを捕まえるような仕草をした。手を開くとそこにはゴルフボール大の石が握られていた。どうやらこの部屋目がけて、何者かが石を投げ込んだようだ。レンさんは気配だけでそれを空中で掴んだ。大した速度ではなかったとは言え、とんでもない反射神経と勘の鋭さだ。この人が騎士並の戦いが出来ると言っていたディラックさんの話は、本当かもしれない。
「何事だ!」
シャルルさんも元冒険者で剣の手練れだ。直ぐに階下に降りて、石が飛んで来た家の前の通りへ出て、剣を抜いた。レンさんも素早く俺にガウンを掛け、窓から離れるように言った。さすがの危機回避能力だ。SPみたいだな。
窓際に寄り下を窺った。庭を隔てて街の通りが見える。そこに剣を抜いたシャルルさんが居た。誰がこんな石を投げて来たのか興味がある。単なる無差別な悪戯なのか、それともピンポイントで俺の部屋を狙ってきたのか。後者だとしたら、絶対に犯人を特定したい。今後も狙われる生活なんてイヤだからね。
しかし俺のそんな細かい心配は杞憂だった。シャルルさんが対峙している人が犯人だった。いや、正確には人ではなかった。あの冒険者ギルドのモンスター資料集に載っていた、ゴブリンその物である。
「そんな、どうして街中にゴブリンが……」
「今は確か”ゴブリン狩り”の時期ですよね。冒険者の数は十分足りていると聞きました。討ち漏らしたゴブリンでしょうか?」
「わかりません。とにかくモンスターがこの街中にいること自体が普通ではありません。何か異常な事が起きています。カミラ様、早くお着換えくださいませ」
言われた通りに素早く普段着に着替えた。あいにくスカートしかないので、一番動きやすい短い物を選んだ。
念のため、壁にあるカタールを取ろうと手を掛けようとしたが、レンさんに止められた。
「ダメです。魔剣化するおそれがあります。それにカミラ様の楯となり剣となるのは私です」
レンさんは壁からブロードソードを取ると、俺にぴったりと寄り添った。
しかし、通りではゴブリン対シャルルさんの戦いが始まっているのだろう。少し興味があった。シャルルさんの戦いぶりを見てみたい。
「戦力の多い階下へ移動した方がよくないですか?」
「わかりました。2階は的になりやすいかもしれません。1階へ降りましょう」
1階へ降りると、我が家の玄関先は大騒ぎになっていた。近所の人が集まってきている。人の輪が出来ている。輪の中心にはシャルルさんが居た。
「カミラちゃん、怪我はない?」
「ないです。窓ガラスが割れただけで済んでいます」
「そうかよかった。犯人はコイツだ」
彼女が指差す地面には、ゴブリンの死体が転がっていた。袈裟斬り一閃、斜めに断ち切られている。しかし思ったよりも大きい。資料集でイメージしていたのは、せいぜい身長70~80cmくらいの子鬼って感じだった。これはどうみても、その倍はある。
「ゴブリン……ですよね? シャルルさんが斬ったのですか?」
「ああ、個体としては大したことはない相手だったが、大型化している。もうホブゴブリン級だな」
「それがどうして街中に? 今はゴブリン狩りで数は減っているんですよね?」
「それについては俺が答えよう」
「マ、マスター!? どうしてここへ?」
見覚えのあるスキンヘッドのおっさんがいた。冒険者ギルドのマスターだった。
「話はちょっと込み入っている。屋敷に上がらせてもらってもいいか?」
「は、はい。どうぞ」
マスターを客間へ案内し、レンさんにお茶を淹れて貰った。テーブルにはマスターとシャルルさん、そして俺とレンさんの4人が着席している。レンさんはまだ警戒を解いていない。ブロードソードを足元に置いたままにしている。
「危うくカミラちゃんに、ゴブリンが投げた石が当たりそうになったよ。マスター一体何が起きているんだい?」
シャルルさんがちょっと強気で迫るように質問した。
「待て待て、順を追って説明するから。まず安心のために言っておくと、投石の被害は他の家でも発生している。だからこの家だけを狙った意図的な攻撃ではないぜ」
「安心しました、ありがとうございます」
「どうしてゴブリンが街中にいるかというとだな……。オーバーフローだ」
「オーバーフロー? 何ですか、それ?」
マスターの説明によると、昨夜ギルドへ何組かのパーティが、血塗れになって駈け込んで来たという。
「今年はゴブリンが増えすぎている。数が多すぎて手に負えない。応援が欲しい」
との事だった。
ゴブリン狩りで死傷者が出ることはまずない。十分に準備し、すべての冒険者が単独行動を止め、バランスの取れたパーティーで狩りに入るからだ。それに毎年ゴブリンが湧く場所は決まっている。戦法もお決まりのもので十分対処できる。個体も強くはない。集団で来られても十分対処可能だ。
だが今年は様子が違っているという。まず出現する場所が異なっていた。そして個体の力がもはやゴブリンではなくホブゴブリンレベルになっていた。いわば、グレードアップしたゴブリンが、知らない場所から湧いている訳だ。それは戦術を大きく狂わせるだろう。しかも、例年より個体数も格段に多い。
もうこの国の冒険者は、すべてゴブリン狩りに出払っている。困ったギルドマスターは、仕方なく城へ出向き、正規兵と騎士団の援軍を願い出た。通常、城の騎士や正規兵がゴブリン狩りを行なうことはない。なぜなら毎年、冒険者だけで十分にこなせる軽い仕事だからだ。しかし、街の治安を守るのも正規兵の仕事である。万が一の不測の事態に備えて、騎士団への報告は毎年欠かしていない。そして今年、その”万が一”が起きてしまったという訳だ。
「それで、騎士団からは何名手を貸してくれる事に?」
「それが、ゼロなんだ。正規兵もゼロだ」
「どうして!? 街の治安が侵されているのよ!」
「どうやら最近、城の中で大きなトラブルがあったらしい。騎士団が身動き取れないそうだ」
「そんな馬鹿な。騎士団はそうそう動けないとしても、歴戦の実力者よ。1人だけでもお出まし願えればかなり違うのに……」
「ああ、だから俺もそう言ったんだ。だけどそのトラブルとやらで、騎士団員が何百名も死んだそうだ」
あっ……。それってデスベア脱走事件のせいだよ。まさかこんな時に巡り巡って来るとは。タイミングが悪すぎる。
確かに、あれだけの団員が一気に減ってしまったんだ。騎士団も立て直すのに時間がかかるだろう。団員の補充と言っても、アルバイトを雇う訳にもいかないだろうし。
「それで仕方なく”元冒険者”も掻き集めることにしたんだ。もちろん、任意で協力してくれる有志を募るしかないんだが。最初に思いついたのがシャルル、お前だってことだよ」
「なるほど、事情はわかったわ……」
「頼む! 何せ今年は異常なくらいゴブリンの数が多い。今見た通り、街中も危なくなっている。正規兵も街の警備に手を取られていて、殆ど身動きが取れていない」
「そうね。ブラッドール家としては、真っ先に協力しなければならないわね」
シャルルさんが決意を秘めた顔で言った。
「ああ、お察しの通りだ。坑道も軒並みやられている。とても鉄鉱石が採れる状態じゃない。そしてガスも危ない。鉄鉱石とガスが止まったら、この国の活動自体が止まる」
おお、資源大国で資源が無くなったら確かにヤバい気がする。石油の採れなくなった砂漠の国は、砂しか残らないというヤツだな。
「わかったわ。それじゃあ、ドルトンやケッペン、親方にも声を掛けてみる」
「すまん、頼む。もし討伐に参加できるメンバーが決まったら、冒険者ギルドまで来てくれ。パーティーを編成してから鉱山へ入る。いくら腕に覚えがあっても、単独で突入するのだけは止めてくれ。今回ばかりはどうも勝手が違う。ギルドの長老にも聞いてみたんだがな、ホブゴブリンが湧いて来る事など初めてだと言っていた。侮ると死人が出る。既に何人か行方不明になっているしな……」
「初心者向けのゴブリン狩りでそんな……。確かに前代未聞だわ」
「悪いな、俺はこれからまた別の所へ行って、腕に覚えのある奴らを掻き集めて来る」
マスターは、そういって大急ぎで飛び出して行った。しかしこれは大変な事になった。ブラッドール家にも大いに関係がある話だ。鉄鉱石が採れなくなったら、鍛冶ができない。商売上がったりだ。
しかし、考えようによってはチャンスかもしれない。俺も参加してゴブリン退治で皆の、そして何よりもビスマイトさんの役に立てる。
「……あのシャルルさん、私も冒険者として討伐に参加してみたいと思います」
「ダメよ!」
即却下された。
「どうしてですか?」
「通常のゴブリン狩りなら、それも良かったかもしれない。でも今回は訳が違うわ。もしもカミラちゃんに何かあったら、親方に顔向けできない」
「じゃあ、私は黙って見ていた方がいいと?」
「そうね。素人さんにはまだ早いわ」
ハッキリ言われた。まぁそうだろうな。シャルルさんも今回ばかりは勝手が違うようだから、俺を守り切れるか不安なのだろう。
「しかし、城から騎士団や正規兵が派遣されない理由には、私にも関係があります。もしもっと早くデスベアを倒す事が出来ていれば、こんな事態にはならなかったかもしれません」
「だからって、カミラちゃんが出ることはない」
シャルルさんはどうあっても、俺をちょっとでも危険に晒す行為はしたくないらしい。これは正攻法では難しそうだ。あまり意地を張っても、シャルルさんを困らせてしまうな。
「わかりました。では、シャルルさんに託すしかありません。どうか街の治安をよろしくお願いします」
「任せておいてよ。もしこの件が片付いたら、一緒に冒険者ギルドの依頼をこなして鍛えてあげるから。
今はまだ焦らずにいて欲しいわ」
「はい……」
結局、ブラッドール家からは、シャルルさん、ドルトンさん、チャラ男が出ることになった。鉄鉱石が採れなくなったとあっては、どうせ鍛冶作業も直ぐに止まる。であれば、総出で戦うのが良いだろうという事になった。
ビスマイトさんは、さすがに冒険者としては高齢だ。短期戦ならば十分対応できるだろうが、長期戦になると厳しい。今回は状況から考えても数の戦いになる。間違いなく持久力が問われる。
俺は鎧戸を閉めた暗い部屋の中で、レンさんと共に過ごすように言われた。街中は、いつゴブリンやホブゴブリンが出没するかわからず危険だからだ。街の通りから屋敷内に侵入して来る可能性もある。
夜はガス灯が点かず、暗い街となっていた。そのせいか、様々なモンスターが徘徊するという噂が立ち、憶測が憶測を呼んだ。日が暮れると誰一人として、街を歩かなくなってしまった。
しかし、数日経っても良い話は聞こえてこなかった。ギルドから派遣された冒険者にも、ついに死者が出たという話が伝わってきた。
話は尾ひれが付き、周辺国へも広がって行った。メンデルはモンスターが闊歩する危険国と見做され、取引を中止する商人まで現れた。このままでは、メンデルの経済活動もストップしてしまう。
国の経済も心配だが、それよりもシャルルさん達の事が気にかかる。討伐に出掛けて5日が経つ。連絡が何もないのだ。もしかしたら、ホブゴブリンの大群にやられているのではないかと思うと、居ても立っても居られなくなった。
「ええい!」
気合と共に決心した。ここは俺も討伐に出掛けるしかないだろう。
「レンさん、お願い……じゃなかった命令します!」
「はい」
「私と一緒にゴブリン狩りに参戦してください!」
「承りました。何か作戦はございますか?」
驚いた。レンさんは大反対して止めるのかと思っていたが、あっさりと承知してくれた。
「作戦? 特にはありませんけど……」
「それでは差し出がましいとは思いますが、私の作戦を申し上げてもよろしいですか?」
レンさんの作戦は、現実的な問題を直視して細部まできちんと練られていた。適当に剣を持って坑道に突っ込んでいけば、何とかなると思っていただけの俺は、にべもなく賛同した。というか完全にお任せになってしまった。
この人、もしかしてこの5日間、ずっと考えていたのかな。
――― その夜。黙ってこっそりと家を出た。朝までには戻る予定だ。ビスマイトさんに内緒で動くためである。どうせ相談しても大反対されるからね。
まず冒険者ギルドへ行って、正面から登録を試みる。ギルドの酒場フロアは、とんでもないことになっていた。ゴブリン狩りの負傷者が続々と運ばれてくる。担架で床がいっぱいになっていた。中にはもう助かりそうもない怪我を負った人もいる。これは完全に押されていると見ていいだろう。
「マスター、今晩は」
「おう、嬢ちゃんか。スマンな、今はご覧の通り手が離せない。用事があるなら後にしてくれ」
「私達2人もゴブリン狩りに参加したいのですが……」
「……冗談だろ? いくら人手が足りないと言っても、隻腕の小娘とメイド風情に助けられるほど落ちぶれちゃいない」
「参加はダメでしょうか?」
「馬鹿野郎、当たり前だ!!! これ以上余計な死人を増やすようなことをしないでくれ!」
マスターの怒鳴り声がフロアに響く。予想通りの反応だ。正攻法で行っても、参加は認められないだろうと思っていた。レンさんの計画の範囲内である。
「わかりました、大人しく帰ります」
「おう、十分に気を付けて帰りな。夜道は今危ねぇからな」
「ありがとうございました」
俺とレンさんは怪我人たちに声を掛けつつ、マスターを後にした。ギルドを出たところで、1人の冒険者が後を追って来た。
「おい、あんたら! ちょっと待った! これで良いなら譲ってやるぜ」
男の手には坑道内の地図とランタンと燃料、少しばかりの携帯用食料があった。
「銅貨5枚でどうだ?」
「いえ、銅貨2枚でしょう。中古品ですし」
「じゃあ銅貨4枚! これ以上はダメだ」
「銅貨3枚」
「……ちっ、しょうがねぇな。どうせ俺らは怪我しちまって暫く冒険者稼業もできねぇし、使い道もねぇ。売ってやるよ」
レンさんの強気の交渉で、あっという間に銅貨3枚で目的の物を入手した。日本円だと大体6000円くらいの感覚か。そもそもランタンの相場を知らないので、これが妥当な値段かどうかよくわからないな。
レンさんの懸念は、坑道内で迷子になることだった。坑道の地図は、ギルドに討伐参加を登録しなければ入手できない。だが脱落者が多数出ている今、交渉次第で安く手に入るだろうと踏んでいたのだ。さすがレンさんだ。できる女は違うぜ。
「カミラ様、時間がございません。早めに移動致しましょう」
「はっ、はい」
懸案の鉱山は東地区の外れにある。ここは西地区だ。街を横断する形になる。移動だけでもかなりの時間がかかる。徒歩での移動は無理だろう。朝になってしまうかもしれない。
レンさんは移動手段についても抜かりなかった。こっそり馬を拝借して来ていたのだ。といっても盗んだわけではない。冒険者ギルドでレンタルしてくれるのだ。これは観光用に貸し出されている馬だ。だから冒険者として登録しなくても問題ない。
この国では馬がレンタサイクルみたいな感覚なのかね。不思議な感じだ。当然俺は乗馬なんてやってことはない。だがレンさんと一緒に乗ることで、まったく苦にならなかった。華麗に乗馬までこなすメイドとは……一体どういう教育を受けて来ているんだろうか。今度じっくり聞いてみたい。
レンさんの操馬術は、素人の俺から見てもかなりのものだった。何しろ疾走させてもほとんど揺れを感じさせないのだ。速い。馬ってこんなに速く走れるものなのか。今まで競馬くらいしか見たことはなかったけど、その迫力たるや、やはり見るのと乗るのでは全然違う。
馬を飛ばすと、ほどなくして坑道入口に着いてしまった。坑道の出入口には、ギルドから派遣された何組かのパーティがたむろしていた。よく見ると彼らは負傷している。体力と戦力に限界が来て、撤退したのだろう。
彼らを横目に徐にランタンに火を灯す。ランタンという響きだけで、もうかなりファンタジーなんだが、初冒険の初クエストがホブゴブリンとはね。ゲームなら結構難易度は高いな。初心者はスライム討伐が基本だろう。
「おい、そこの2人! ちょっと待ちな」
不意に負傷したパーティーから呼び止められた。
「ここにはとんでもない化け物がいるぜ」
「化け物?」
「ああ。ゴブリンやホブゴブリンだけじぇねぇぞ。ゴブリンロード(君主)がいやがる。死傷者が出たパーティは皆アイツにやられている。ロード中心にゴブリンどもが集結してやがるぞ」
おお! ゴブリンロードか。昔プレイしたRPGに出て来たな。たかがゴブリンなのに、その親玉となると冗談みたいに強いというイメージがある。
「なおさら急がないといけませんね」
「小娘、お前馬鹿か?」
「何か問題でも?」
「俺たち5人パーティ3つがかりでもこの様だ。必死で逃げるしかできなかったんだぜ。メイドと片腕の小娘なんて秒殺されるぞ。悪い事は言わねえ、早く帰りな」
「ご忠告ありがとうございます。ちなみにそのゴブリンロードはどの辺りにいましたか?」
「真っ直ぐ入って突き当りを左にいった3番目の階段を降りて、5階層目まで行けば嫌でも会えるぜ。まぁそこに行くまでに、ホブゴブリンが数百匹以上手ぐすね引いて待ってるがな」
「お嬢様、距離的には割と近いです。何も無ければ徒歩50分というところでしょう」
レンさんが冷静に情報を分析して坑道の地図と重ね合わせた。ここで名前から素性を悟られないようにさりげなく”お嬢様”と呼ぶあたり、さすがの気転だ。でもこの2人コンビじゃ、嫌でも目立つから直ぐに素性がばれそうだけどね。
「おっ、おい! お前ら人の話を聞いてねえだろ!」
「情報ありがとうございました。それではまた」
「親切で言ってやってるのに……。馬鹿野郎! 死んでも知らねえぞー!」
あの人、口は悪いけど良い人なんだろうな。単に先輩風吹かせてるだけじゃない。本当に心配してくれてるっぽい。