Housework1 家事出来ない俺にイクメン候補育成指導する女子大生家庭教師がやって来た
男は家事なんて出来なくてもいい。
そう考えている男は、今の時代でもかなり大勢いるのではないだろうか?
東京郊外、閑静な住宅街で家事上手な二人の妹に囲まれて育って来た加園家長男、高校一年生の耕太もそんな考えの男の一人だ。
(まだ眠い。二時近くまでテレビゲームしてたからな。今日は早めに寝よ)
耕太が平日毎朝七時半頃に起床し、制服に着替えてキッチンへ向かうと、
「耕太お兄ちゃん、おっはよう!」
次女、小学五年生の彩奈と、
「耕太お兄さん、おはよー。今朝はちょっと蒸し暑いね」
長女、中学二年生の絵実子がいつも手作りの朝食を用意してくれている。
二人ともクラスで一二を争うほどの美少女ではないものの、垢抜けなく可愛らしい顔つきをしている。ゆえに耕太はかなり恵まれた家庭環境にあるといえよう。
彩奈はほんのり茶色なおかっぱ頭をいつもフルーツなどのチャーム付きダブルリボンで飾り、丸顔&広めのおでこ、一三〇センチをほんの少し超える程度の小柄さがより幼さを引き立たせている。
絵実子は丸顔丸眼鏡、ちょっぴりニキビそばかすあり。いつも水玉リボンで束ねている濡れ羽色の髪は今朝のように大抵ボサッと寝癖が付いている。見た目通りの地味で大人しい系だ。背丈は一六〇センチちょっと。クラスの女子十七人中後ろから五番目だそうだ。
「ここ数日、ずっと同じメニューだな」
「だって毎日違うの考えるの面倒だもん」
「耕太お兄さん、文句あるなら自分で作ったら?」
「それは無理。俺、料理なんて全く出来ないし」
耕太は爽やかな笑顔できっぱりと伝え、イスに腰掛ける。テーブル上にはトースト、味噌汁、だし巻き卵、レタス、トマト、ウィンナー、びわ、桃が並べられていた。
「耕太もお料理手伝ってくれたらいいのに。せめて朝ご飯だけでも。今やイケメンよりもイクメンが求められる時代になってるんだから」
母は耕太の分のお弁当の用意を進めながらこう意見してくる。
「母さん、ワイドショー信じ過ぎ。男は今でも家事なんてあまり出来る必要ないだろ」
「耕太、そんな亭主関白的なこと言ってると瑞香ちゃんに嫌われちゃうわよ」
「それはないと思う」
瑞香ちゃんとは、お隣に住む耕太と同級生の幼馴染だ。フルネームは桜谷瑞香。幼小中高、学校もずっと同じである。
「おれも学生時代一人暮らししてたけど、学食やコンビニ弁当ばかりで料理なんてやった経験ほとんどないな。それじゃ、行ってくる」
私立中高一貫校の理科教師を務める父は決まり悪そうに苦笑いする。朝食をすみやかに平らげ、七時三五分頃に家を出るのが彼の平日いつものパターンだ。
「絵実子、今日はトーストと味噌汁食べてないんだな。体調悪いのか?」
耕太は絵実子の分だけ食器が二つ少ないことに気付き、少し心配する。
「ダイエット始めることにしたの。水泳の授業が来週から始まるし」
「絵実子はまだそんなに太ってないだろ」
「いや、太ってる。昨日久し振りに計ったら五〇キロ超えちゃってたもん」
「絵実子の背丈ならそれでもまだ標準体重以下だと思うけど。母さんを見てみろ。母さんよりは痩せてるじゃないか」
「そりゃそうだけど、お友達と比べたら……」
「ママは確かに太いね。足も大根みたいだし」
彩奈はにっこり笑う。
「そんなに太ってるかしら?」
母は気にも留めない様子で微笑む。一五五センチほどの背丈で、体重は確実に六〇キロを超えていると思われるぽっちゃり体型なのだ。絵実子は将来母のような体型には絶対なりたくないなと思っているようである。
「朝食はしっかり食べた方がいいよ」
「絵実子お姉ちゃん、朝ご飯いっぱい食べないと、給食の時間になる前にお腹と背中がくっついちゃうよ」
耕太と彩奈はいちごジャムのたっぷり塗られたトーストを頬張りつつこう助言。
「そうは言っても」
絵実子は納得いかないようだ。
「絵実子、朝食しっかり取らないとニキビがまた増えるわよ」
母は、爽健美茶を飲んで口直ししていた絵実子のほっぺたのニキビをぷにっと押した。
「もうお母さん、触らないで。ワタシ気にしてるのに」
「ごめん、ごめん」
「ごちそうさま」
絵実子は朝食を取り終えると、食器を流しに置いたのち洗面所へ向かい歯磨き&洗顔を済ませる。
そのあと彩奈、耕太の順に洗面所を使うのが最近のパターンだ。
まもなく午前八時になろうという頃、ピンポーン♪ とチャイム音が鳴り響いた。
その約一秒後、ガチャリと玄関扉が開かれ、
「おはようございまーす」
女の子ののんびりとした声が聞こえてくる。
この子が瑞香ちゃんだ。学校がある日は毎朝この時間帯くらいに耕太を迎えに来てくれる。丸顔ぱっちり垂れ目、ふんわりしたほんのり茶色な髪をいつも花柄のシュシュで二つ結びにしていて、高校生としては少し幼く見えるおっとりのんびりとした雰囲気の子なのだ。
「耕太お兄ちゃん、彼女が来たよ」
彩奈はにこにこ笑いながら伝える。
「彼女じゃないって何百回も言ってるだろ」
耕太は呆れ顔だ。
母は玄関先へ向かうと、
「おはよう瑞香ちゃん。瑞香ちゃんは、家事が出来る男の子とそうでないの、どっちがいいかな?」
こんな質問をしてみた。
「それはもちろん家事が出来る方です」
瑞香はほとんど間を置かず笑顔できっぱりと答える。
「だって耕太」
母は後ろを振り返って、ちょうど玄関先へ向かっていた耕太に言う。
「はい、はい」
耕太は迷惑そうに反応し、靴を履いた。
「瑞香お姉さん、おはよう」
「おっはよう! 瑞香お姉ちゃん」
ほどなく絵実子と彩奈も身支度を整えて玄関先へ。
彩奈が小学校へ入学した頃からは、この四人でいっしょに通学しているのだ。
今は六月半ば。制服は今月初めから完全夏服。
私服の彩奈もとっくに半袖になっている。
この四人で通学路を進むさい、耕太が一番前、瑞香が一番後ろを歩くのが昔からのスタイルだ。
「おば様、いきなりあんなこと訊いて来たけど今朝何かあったの?」
「耕太お兄さんが朝食最近ずっと同じだって文句言って、そういう流れになったの」
「そういうわけかぁ。耕太くん、いつも彩奈ちゃんと絵実子ちゃんに作らせといて文句はダメだよ」
「俺は文句があったわけでもないけどな」
「あたし、耕太お兄ちゃんの手料理一度食べてみたいなぁ」
「私も。耕太くんも本気を出せばきっと料理上手になれるよ」
「いや無理だって。それにしても今日は真夏みたいに暑いな。今週も晴ればっかだし、本当に梅雨入りしたのか?」
「雨が降るとプールが中止になっちゃうから、しばらく晴れのままでいいな。それじゃあね」
加園宅の門を出て五〇メートルほど先の、最初の曲がり角で彩奈は別れを告げる。ここから三〇メートルほど先の小さな公園が集団登校の集合場所となっているのだ。
「今日午後の降水確率三〇%だったから、ひょっとしたら降るかもね。そういや今日数学の小テストだ。やばいよ。ワタシ、数学二年生になってますます苦手になっちゃったな」
「私も高校に入ってから急に難しくなったと感じてるよ」
絵実子と瑞香は苦笑いで伝える。
「俺は今も数学得意だけどな」
耕太が自慢げに呟いた直後、
「きゃっ!」
瑞香は突然悲鳴を上げた。そして袖をぶんぶん激しく振る。
「あーん、飛んで行ってくれなーい。絵実子ちゃんか耕太くぅん、早くとってぇー」
街路樹の葉っぱから飛んで来た虫が袖の所に止まったのだ。
「瑞香お姉さん、ガくらいで怖がってちゃダメです。ここは耕太お兄さんが取ってあげて」
「分かった」
耕太は瑞香の肩をパシンッと叩く。
するとそのガは弾みでようやくどこかへ飛んで行ってくれた。
「耕太くん、ちょっと痛かったよ」
「ごめん瑞香ちゃん、軽く叩き過ぎても飛んでかないだろうと思って」
「耕太お兄さん、どうして直接手で掴まなかったの?」
「ガを直接手で掴むのは、ちょっと抵抗が」
「耕太お兄さんも情けないよ。二人とも、高校生なんだから虫嫌いは克服しなきゃ」
「虫の類は大人になるに連れて嫌いになっていくものだと思うけど俺は」
「私もそう思う。これからの季節、歩いてる時とか自転車に乗ってる時とかに虫さんに激突する確率が上がるのは憂鬱だなぁ」
その後も三人仲睦まじく楽しそうにおしゃべりしながら歩き進んでいき、
「ではまた夕方」
加園宅から八百メートルほど先の交差点で絵実子とも別れた。
「耕太くんも絵実子ちゃんや彩奈ちゃんみたいに家事どんどん手伝うべきだよ」
「やる気ない」
「それは勿体無いよ。耕太くんも今から家事を一生懸命頑張れば、将来素敵なイクメンパパになれるよ」
「そっかな?」
その後は耕太と瑞香、二人きりで歩き進む。励まされて耕太はやや照れくさそうだ。
その頃、加園宅リビングにて母は今日の朝刊に付いて来たチラシを眺めていた。
「今日はサンマが安いのね。あら、何かしらこれ? 家庭教師の広告みたいだけど、家事を全然手伝ってくれない小学五年生から高校生までの男のお子様をお持ちの方へ……」
※
八時二〇分頃、耕太と瑞香は所属する近隣では二番手の公立進学校、都立鴇塚高校一年五組の教室に到着。芸術選択で共に書道を選んだのが功を奏したか、クラスも今は同じだ。
「希帆ちゃんおはよー」
瑞香は自分の席へ向かう前に、先に来ていた幼稚園時代からの幼友達、藤城希帆のもとへ。
「おはよう瑞香さん」
希帆はいつものように爽やかな笑顔で返してくれる。背丈は一五五センチくらい。四角顔で細めの一文字眉、四角い眼鏡をかけ、ほんのり茶色なショートボブヘア。見た目そんなに賢そうな感じの子ではないが、東大に毎年三名程度の現役合格者を出すこの高校の新入生テストと一学期中間テストで共に総合二位を取った正真正銘の優等生なのだ。
「ねえ希帆ちゃん、家事や育児に快く協力してくれる男の人とそうでないの、どっちがいいと思う?」
「それはもちろん、快く協力してくれる方だな」
希帆は悩むことなく即答する。
「耕太くん、希帆ちゃんもそういう男の人の方がいいって言ってるよ」
瑞香は耕太の目を見つめながら伝えた。
「あっ、そう」
耕太はちょっぴり目を逸らし、適当にあしらう。
「耕太さんは、家事にあまり協力して来なかったみたいですね」
「そうだな。家事は母さんと妹がほとんど全てやってる。父さんは俺以上に協力しない」
「耕太さんのお父様は、お母様や妹さんから家事協力してくれるよう言われなかった?」
「母さんはむしろやめて欲しいと思ってるよ。父さんが料理とかしたら、後始末が大変だからな。餃子焼いてフライパンをダメにしたこともあるし」
「そうですか……わたしのお父さんも、家事はあまりしないけどね。一番の得意料理はカップ麺って言ってたし」
希帆は苦笑いする。
「俺の父さんと同じだな」
耕太は思わず笑ってしまった。
「わたしのお父さん、豊富な学問の知識を持ってるけど、実際に手を動かして工作物を作ったり、機械を操作したりするのはすごく苦手なの。学生時代も副教科の筆記試験はいつも満点かそれに近い点取れてたけど、実技はさっぱりダメだったって言ってたな」
「俺の父さんも似たようなものだな。物理や数学の知識は豊富だけど、パソコンとかHDDレコーダーとか全然使いこなせてないぞ。大学で理論物理を専攻したのは実験がなくて楽そうだったからって言ってた」
「私のお父さんも、機械を扱うのは苦手みたい。でも家事はけっこうやってくれるよ」
この三人で会話し合っていたそんな時、
「やぁ加園君、おはよう」
「おはよう龍作」
耕太の幼稚園時代からの幼友達、根岸龍作が登校して来た。中学入学以来今に至るまで校内テストで学年トップの成績を維持し続け、現段階ですでに東大に合格出来そうな学力を有する超優等生だ。坊っちゃん刈り、丸顔、四角い眼鏡。まさに絵に描いたようながり勉くんの風貌である。
「龍作さん、おはよう」
「龍ちゃんおはよう」
希帆と瑞香が爽やかな笑顔で挨拶をすると、
「あっ、おっ、おはよぅ」
龍作はやや緊張気味に返した。女の子が苦手なのは幼児期からで、未だ治らないのだ。
「ねえねえ、龍ちゃんのお父さんは、家事は積極的にしてくれる?」
瑞香はそんな龍作に顔を近づけ質問する。
「いっ、いえ、ほとんどやらないですねぇ昔から。それ、普通のことでしょう?」
龍作はかなり緊張気味に答えた。
「龍ちゃんのお父さんも非カジメンかぁ」
「龍作さんも、家事はほとんど手伝わないとか?」
希帆も彼の側に近寄って質問する。
「はいぃ。僕んちでは家事は専ら母や祖母の役割ですねえ」
「龍作さん、将来良きイクメンパパになれるよう、今からでも家事をどんどん手伝ってあげた方がいいと思うわ」
「そう言われましてもぉ……」
龍作は照れくさがってますます俯く。
「母里先生の旦那さんはどうなんだろう? 聞いてみよっか?」
「そうね。わたしも気になるわ」
瑞香と希帆でこんな会話を交わしている時、八時半の、朝のSHR開始を告げるチャイムが鳴った。
それからほどなく、
「皆さん、おはようございます。昼間はかなり暑くなって来ましたね。立ってる子は早く席に着いてね」
クラス担任で家庭科の母里先生が教室に入って来た。背丈は一五〇センチくらい。ぱっちり瞳に卵顔。色白のお肌。さらさらした濡れ羽色の髪はおかっぱにしている、清楚な感じの小柄和風美人だ。来月には三十路を迎える二九歳。とはいえまだ二〇歳くらいにも見られる若々しさを保っているそんな彼女は、いつも通り出欠を取り、諸連絡を伝えた。
これをもって朝のSHRが終わると、
「あの、母里先生の旦那さんは、家事育児は積極的に協力してくれますか?」
瑞香はさっそくこんな質問をしに行ってみた。
「ええ。お料理洗濯掃除はもちろん、お買い物や、娘の森佳の保育園へ送り迎えやおむつ替えも積極的に協力してくれるわ。そもそもそういう人を選んだから」
母里先生はゆったりとした口調で楽しそうに伝える。
「やはりこれからは、男の人も積極的に家事育児に携わるべきですよね?」
希帆も真顔でこんなことを問いかけてみた。
「ええ。そういうことが出来る男の人じゃないと、これからの時代、ますます結婚出来なくなると思うわ」
「耕太さん、龍作さん、聞きました?」
「耕太くんに龍ちゃん、母里先生がさっき言ったこと聞こえた?」
「ああ、しっかり聞こえたけど、それは母里先生の考え方だろ」
「僕はその手の話には全く興味なし」
耕太と龍作は迷惑そうに反応する。
「あらあら。今度の家庭科は調理実習だけど、二人とも協力しなさそうね」
母里先生は苦笑いし、次に授業があるクラスへ向かっていった。
「今度の調理実習、龍作さんにも調理手伝ってもらうわよ」
「そんなぁ。後片付けだけでもいいって言ってたのに急に条件変えないで下さいよぅ」
希帆から通告され、龍作は落胆する。同じ班になったのだ。
「耕太くんも絶対調理も手伝ってあげなきゃダメだよ」
「分かった、分かった。まあ俺が手伝うまでもないだろうけど」
耕太と瑞香は別の班だ。
このクラスでの今日の一時限目、数学Ⅰの授業にて前回の小テストが返却された。
(よぉし、なんとか満点キープ)
点数を知った瞬間、耕太はホッと一安心。学業成績はまあまあ優秀で、先月行われた中間テストの耕太のクラス総合順位は四〇人近くいる中で七番。学年三二〇人近くいるうちで五〇番台だった。
この調子でさらに上を目指して頑張れば、早慶にも受かりそうな感じである。
そんな赤点とは無縁そうな耕太なのだが……。
二時限目は六組との合同体育。一年生の男子は今の時期はサッカーだ。
「こら加園、根岸、ぼけーっと突っ立っとらんと、ボール奪いにもっと積極的に動けぇ!」
耕太は龍作とともに体育の授業はいつもやる気なさそうにしているため、体育教師の鬼島先生からほぼ毎回注意を受けている。
二人ともスポーツが全般的に苦手なのだ。
「あいつ毎度、毎度。鬱陶しいよな」
「そうですねぇ。体育なんか出来ても大学一般入試には関係ないしぃ。僕、内申に副教科さえなければ一番手の都立高に行けてたのですが。その点筆記試験のみ当日一発勝負の東大一般入試はじつに公平かつ素晴らしいシステムですね。容姿、出身地、経歴、年齢による差別もないですしぃ。ねえ加園君、話題は変わりますが今日の帰り、いっしょに吉祥寺のア○メイト行きましょう」
「いいけど。また行くのかよ。先週行ったばっかだろ」
「高校入ってから寄り道自由になったんだし、恩恵を授からないと勿体ないですよん」
授業のあと、耕太と龍作はこんな会話を弾ませながら教室へと戻っていった。
※
「ただいまー」
耕太が午後五時過ぎに帰宅すると、リビングへ向かう前にトイレへ。
扉を開けると、
「うわぁっ!」
耕太はびっくり仰天した。思わず声が漏れる。
先客がいたのだ。
「ぁん、もう、エッチ♪ わざとやったでしょ?」
水玉模様のショートスリーブワンピースを身に着けた女子大生っぽいお方が、ピンクの花柄ショーツを膝よりちょっと下まで脱ぎ下ろして便座に腰掛け、ちょろちょろ用を足している最中だった。
「……誰だよ?」
見知らぬお姉さんの放尿姿に耕太は当然のように我が目を疑う。
「はじめまして。アタシ、今日から耕太君にイクメン候補育成指導をすることになった養父育恵、一九歳の大学二年生よ」
トイレットペーパーをカラカラ引きながらにっこり笑顔で伝えられ、
「えっ!?」
耕太は唖然。
「きみ、耕太君だよね?」
「そっ、そうだけど……」
「あの、耕太君、恥ずかしいから、早く扉を閉めて欲しいな」
育恵に上目遣いでお願いされ、
「あっ! ごめんっ」
耕太はふと我に返り、慌てて扉を閉めた。
ほんのり茶髪に染めたセミロングウェーブ、まだ女子高生としてもじゅうぶん通用するちょっぴりあどけない顔つきだった。
「見慣れない靴があるな」
耕太は玄関先へ確認しに行く。普段はない茶色いハイヒールに先ほどは気付かなかったようだ。
(母さんの知り合いか?)
こう推測していると、
「耕太お兄ちゃーん、新しいお姉ちゃんが出来たよーっ」
「ワタシもお姉さんが出来てくれて嬉しいです」
先に帰っていた彩奈と絵実子が二階から下りて来て伝えてくる。
「どういうことだよ?」
耕太が呆気に取られたような表情で問いかけた。
その直後に、ジョバーッと水の流れる音が聞こえて来て、
「耕太君、さっきは鍵掛けなくてごめんね」
育恵がトイレから出て来た。背丈は一五八センチくらい、ごく普通の体型であることが分かった。
「家事を全然手伝ってくれない男の子を、イクメン候補になれるよう指導してくれる家庭教師がいるって今朝のチラシに載ってて、申し込んだら一時間くらい前にこの子が来てくれたの」
母も廊下へやって来て伝えてくる。
「……家庭教師。月謝いくらなんだ?」
「アタシ、ボランティアでやるから無料よ」
育恵は爽やかな笑顔で答える。
「耕太、ここに書いてあるわ」
母は例のチラシをかざしてくる。確かに完全無料と書かれていた。
「そっ、そうか。いや、そういう問題じゃなく……」
「これから日曜日までよろしくね、耕太君。耕太君が将来的には立派なイクメンパパとなれるよう、とりあえずカジメンになってくれるように〝泊り込みで〟指導していくから」
「泊まり込みって……」
動揺する耕太に、
「耕太も、期間限定だけどお姉ちゃんが出来て嬉しいでしょう?」
母はにこにこ笑顔で問いかける。
「いや、べつに」
「耕太君、その制服、よく見たら鴇高のじゃん。耕太君、鴇高生なの! すごい! アタシ受験した時そこ落ちたよ。耕太君はとっても賢いのね」
「それほどでもないよ。鴇高よりもっと難しい高校も、都内でもけっこうあるし」
耕太は謙遜する。照れくさいのか、育恵と目を合わせられなかった。
「耕太はお勉強はよく出来る賢い子なんだけどね、家事が全然ダメで。そこをなんとかして欲しいわ」
母はにこにこ微笑みながらお願いする。
「はいっ! お任せ下さいお母様! これから四日間で息子さんを立派なイクメン候補へ責任を持って育てますので」
育恵が自信たっぷりに宣言したその直後、
「こんばんはー、耕太くんに育恵ちゃんという新しいお姉さんが出来たと聞いて、飛んで来ました」
玄関扉が開かれ、瑞香が加園宅を訪れて来た。
「かっわいい! この子が瑞香ちゃんっていう耕太君の将来のお嫁さん候補ね」
育恵に初対面でこう突っ込まれ、
「いやぁ、その話はまだまだ早いです。このお方が育恵ちゃんかぁ。見るからに家事の出来そうなお姉さんっぽくって憧れます。あの、育恵ちゃん、私のお姉さんにもなってくれませんか?」
瑞香はけっこう照れてしまう。
「もちろんOKよ。瑞香ちゃんのおかげでますます耕太君への指導に気合が入って来たわっ!」
育恵はウィンクして快く応じた。
「俺、まだ状況が上手く飲み込めてないんだけど……」
廊下で呆然と立ち尽くす耕太、
「ではさっそく、洗濯物を取り込んで畳む作業から始めましょう」
「えー、ちょっと待て」
育恵に容赦なく肩をむんずとつかまれる。
「耕太くん、頑張って家事の出来る男の子になってね。ではまた」
瑞香はそう言い残し、自分のおウチへ帰っていった。
「なんで俺がこんなことを……」
「これから日曜日まで、家事の全てを耕太君に任せるからね。よいしょっ!」
「そりゃないだろ。なあ母さん、この子に何か言ってやって」
耕太は育恵に背後から抱きかかえられ、リビングの裏庭に通じる窓の方へ連れて行かれる。一七〇センチほどある耕太は体を揺さぶって抵抗するも、敵わなかった。
「耕太、育恵ちゃんの言うことしっかり聞くのよ」
「耕太お兄さん、家事頑張ってね」
「耕太お兄ちゃん頑張れー。育恵お姉ちゃんはママより細いのにすごい力だね」
「おいおい」
「そりゃアタシ、幼い頃から家事手伝ってて、並みの高校生の男の子以上の力付いてるからね。柔道経験もあるし。さあ耕太君、さっさとやりなさい!」
「分かったから下ろせって」
こりゃ逆らえないな、と不覚にも恐怖心を感じてしまった耕太は大人しく裏庭に出て、
「雨降ってるし。傘いらないくらいだけど」
「耕太君、急いで」
干されていた洗濯物を取り込む。
いつもは母か妹二人が担当している作業だ。
「耕太、みんなの分の洗濯物を分けて畳んでね」
母からこう要求される。
「分かった、分かった。これが俺のだな」
耕太はソファに腰掛け、面倒くさそうに作業をし始める。
「耕太君、雑過ぎ。もっときれいに畳まなきゃ」
「適当でいいだろ。どうせまた着るんだから」
「しわになっちゃうでしょ」
育恵は反論。
「気にするほどのことでもないだろ。これは、絵実子の下着か」
水玉模様柄のかわいらしいショーツが出て来て、耕太は思わず手を引っ込める。
「絵実子、彩奈、下着を俺に畳まれてもいいのか?」
「うん!」
彩奈は元気よく答える。
「ワタシも、耕太お兄さんのトランクス普通に畳んでるし、気にならないよ」
絵実子も快く承諾した。
「そうなのか。うわっ、絵実子の服のボタンが取れた」
「お気に入りの服なのに。耕太お兄さん、丁寧に扱ってね」
絵実子はむーっとふくれる。
「俺ボタンには触ってないし、ボタンが寿命来たんだろ。母さん、ボタン付けてあげて」
「分かったわ。母さんに任せて」
「お母様、それも耕太君にやらせるべきでしょう」
育恵がにこやかな表情で意見すると、
「そうねえ、耕太にやらせましょう」
母はすぐに賛同してしまった。
「俺、ボタン付けなんてやったことないし」
「耕太君、小中学校の時、家庭科でやらなかった?」
「授業ではあったけど……とにかく付けりゃぁいいんだろ」
「耕太、これどうぞ」
母はリビングのタンスから裁縫セットを取り出し、ローテーブル上に置く。
「まず針に糸を通せばいいんだよな」
耕太がこう呟いたその直後、
「こんばんはー、イクメン候補育成指導のお姉さんに会いたくて来ちゃいました」
希帆も加園宅を訪れて来た。リビングへお邪魔させてもらう。
「はじめまして育恵さん、わたし、瑞香さんの幼友達の藤城希帆です」
「希帆ちゃんか。こちらこそよろしくね」
「はい、よろしくです。耕太さん、頑張ってますね」
「あの、藤城さん、悪いけどボタン付け、代わりにやってくれないか?」
「耕太君、人に頼っちゃダメッ!」
「育恵さんのおっしゃる通りですね。ここは耕太さん一人で頑張らなきゃダメです」
「そんなっ、授業でやった時は黙ってても快くやってくれたのに」
「耕太君、この子にやってもらってたんだ」
育恵はくすっと微笑む。
「そうだ。小中共にな」
耕太はきっぱりと認める。
「耕太さん、将来イクメンパパとして活躍出来るよう、高校生の今のうちから家事の出来る男になって下さいね。カジメンはイクメンの始まりですから」
希帆はそう言い残して、加園宅をあとにした。
「やっぱ難しい。あいてっ! 針が指に刺さった」
耕太は引き続きボタン付けに苦戦。
「頑張って耕太お兄さん」
「耕太お兄ちゃん、頑張れーっ!」
絵実子と彩奈はすぐ側で応援してくれる。
数分後、
「なんとか出来たぞ絵実子。またすぐに外れそうな感じだけどな」
耕太がボタンを付けた服を手渡すと、
「これでじゅうぶん。ありがとう耕太お兄さん」
絵実子は嬉しそうににっこり微笑んでくれた。
(喜んでくれたみたいだな)
耕太は達成感を得られたようだ。
それからさらに五分ほどが経ち、
「やっと片付いたぁ」
家族みんなの分の洗濯物を畳み終えると、
「さて、次は夕飯作りよ」
一息つく間もなく育恵からうなじをガシッと捕まれこう命令される。
「その前にトイレ行かせて」
「そういえば、さっき行きたがってたね。先に済ませといで」
育恵に手を放してもらえ、耕太はトイレへ駆ける。
(母さん、変な家庭教師を勝手に申し込むなよ)
不満に思いながら用を足している最中、
「耕太君、おウチでも立ちションなのね」
「うわぁっ!」
育恵に扉を開けられ、勝手に入り込まれてしまった。
「妹やお姉ちゃんのいる男の子は、周りに飛び散らないようにおしっこする時も座ってやるように言われる家庭は多いみたいだけど、耕太君はそう言われなかったみたいね」
「その通りだけど、覗くなよ」
育恵は背後から男の象徴を観察しようとしてくる。
「さっきの仕返し。覗かれたら覗き返す、倍返しよ」
「そのネタ古い」
「男の子のこの部分も、将来パパになるための重要な部位だから、お姉ちゃんに観察させて欲しいな」
「アホかっ!」
「あいでっ、ごめんね耕太君」
耕太は育恵のおでこをペチンッと叩く。
「気が散るから早く出て行って」
「あのね、耕太君、お姉ちゃんには、弟のお○んちんを観察する権利があるの」
「いい加減にしろ」
「きゃんっ、分かったわ。もう、女の子の顔叩くなんてひどいな耕太君」
顔面を平手でペチッと叩かれると、育恵は大人しく出て行ってくれた。
「鍵掛けとけば良かった」
水を流し、耕太は不機嫌そうにトイレから出る。
隣の洗面所で手洗いを済ませ、キッチンへ。
食材がテーブル上にいろいろ並べられていた。
「お母様が耕太君に今晩作って欲しいメニューは栗ご飯とサンマのひらき、野菜炒めだって。耕太君、まずは栗の皮を剥いてみてね」
「分かった、分かった」
耕太は包丁を右手に取り、左手に栗を持った。
「かったいな。いってぇっ!」
尖った部分を切り取ろうとして、手が滑ってしまう。指先から血が少し流れた。
「耕太お兄ちゃん、こんなこともあろうかと用意しておいたよ」
すぐに彩奈が駆け寄って来て、かわいい動物さん柄の絆創膏を貼ってくれた。
「もう嫌になった」
耕太は不満を呟く。
「耕太君、頑張れ!」
育恵はそんな彼を励ますように笑顔でエールを送ってあげた。
「包丁なんて今まで使ったことないし、彩奈と絵実子、母さん、手伝ってくれ」
「今回は無理」
「育恵お姉ちゃんから手出ししちゃダメって言われてるの」
「耕太、今日は一人で頑張ってみなさい」
絵実子と彩奈と母はにっこり笑顔で言う。
「そんなっ。栗の皮、どうすれば簡単に剥けるか、母さんなら裏技知ってるだろ」
「知ってるけど、自分で発見することも大事よ」
「ケチだな母さん。こうなったら」
困った耕太は自分のスマホから瑞香のスマホに連絡して訊いてみた。
『栗の皮の剥き方?』
「ああ。俺今、夕飯作りさせられてて、教えて欲しいんだ」
『大変だね耕太くん、栗の皮は茹でてから剥けば簡単に剥けるよ』
「そっか。ありがとう瑞香ちゃん」
『どういたしまして』
「それじゃ」
電話を切ったあと、耕太はお鍋に水と栗を入れ火をつけた。
沸くまでの間に無洗米を計量カップで六合量って炊飯器の内釜に移し、水をお米が浸るくらいまでと昆布を入れて炊飯器にセット。さらに醤油、みりん、料理酒、塩を入れた。
「耕太君、作り方知ってるのね」
「まあ、栗ご飯の作り方は中学の頃、家庭科のテストで出たことがあるから」
「そういうわけかぁ。でも、分量適当過ぎない?」
「それは特に気にする必要ないと思う」
「大いにあると思うけど。あっ、耕太君、栗、茹で上がってるよ」
「もうか」
耕太は栗を鍋から取り出すと硬い皮を雑に剥いていき、炊飯器に放り込んでいく。
蓋を閉めて炊飯スイッチを押すと、耕太は続いて魚焼きグリルにサンマを並べ、点火。
「耕太君、待ってる間にお風呂も沸かしてね」
「分かった、分かった。ああ、面倒くさい」
耕太は浴室へ向かい、そのまま浴槽に栓をして蛇口を捻ろうとしたら、
「待って。お水入れる前に、まず浴槽を洗ってからね」
育恵に腕をつかまれ阻止された。
「べつにそのまま入れてもいいと思うんだけど」
「昨日の汚れがついてるからダメよ」
「はい、はい」
耕太はしぶしぶ栓を外し、浴槽に洗剤をかけてブラシで擦り、シャワーで洗い流してからまた栓をしてお水を入れ始めた。程よい所まで水が浸るのを待っている最中、
「耕太お兄ちゃん、サンマさんが焦げかけてるよーっ」
「えっ、もう?」
彩奈から伝えられ、耕太は慌ててキッチンへ向かっていく。
「耕太お兄ちゃん、お料理頑張って。あたし宿題済ませてくるから」
「ワタシも宿題してこよっと。耕太お兄さん、怪我と火の元に気をつけてね」
廊下にいた彩奈と絵実子はそう伝えて自室へ。
「危ねえ、もう数十秒放って置いたら真っ黒焦げになってたな」
「耕太君、お母様と妹さんの大変さがよく分かったでしょ?」
「まあな」
「さあ、次はお野菜を切っていこう!」
「分かった、分かった。あっ、その前に風呂」
耕太は再び浴室へ向かい、
「ちょっと入り過ぎたか」
蛇口を止めて給湯器の操作ボタンを押し、キッチンへ。
「耕太ぁー、作り終わったらガスの元栓締めるの忘れないようにねー」
「分かったよ母さん」
その後も耕太は育恵の監視のもと、不器用ながらも夕食作りをこなしていった。
同じ頃、桜谷宅では瑞香も母の夕食作りを手伝っていた。
「瑞香、このお魚捌いて切り身にしてくれる?」
「お母さん、このお魚さんは怖くて触れないよ。なんで頭ついたままのを買うの?」
「瑞香、将来は耕太ちゃんのお嫁さんになるんだから、これくらいのことはそろそろ出来るようにならなきゃ」
「お母さん、その話はまだ早いよ。それに、お魚さんの下処理は心配しなくても耕太くんがやってくれるようになるって」
瑞香は照れ笑いして、母の肩をペチぺチ叩く。
「あらあら」
母はにこにこ微笑んだ。
※
加園宅キッチン。耕太は母の要求通り野菜炒め、サンマのひらき、栗ご飯の三品を家族五人分プラス育恵の分も何とか作り終え、テーブルに並べ終えた頃には午後七時過ぎ。
「ただいまー、イクメン候補育成指導をする斬新な家庭教師が来てるんだってね」
それからほどなく父帰宅。
「はじめましてお父様。アタシ、今日から日曜日まで泊り込みで息子さん、耕太君のイクメン候補育成指導をすることになりました、養父育恵です」
「どうも、どうも。耕太のことよろしくね」
父はぺこりとお辞儀する。
「父さん、いいのか? 母さんが勝手にこんなことして」
「べつにいいんじゃないかな? 無料ということだし」
父はハハッと笑う。
「お父様から認めてもらえて嬉しいな」
育恵は満面の笑みを浮かべた。
「今日の夕飯、全体的にやけにいびつな形だな」
「全部俺が作ったというか作らされたんだ」
耕太は苦笑いで伝えた。
「ああ、それでか。まあおれが作ったら確実にこれより遥かに酷い出来になるな」
「お父様も、家事をしたことはないみたいですね」
「そうなんだ育恵ちゃん。母さんや娘が全部やってくれるし」
「お父様、それではいけませんよ」
育恵はやや険しい表情で注意する。
「ハハハッ。今さらそう言われてもなぁ」
父は決まり悪そうに笑い、洗面所へ逃げていった。
七時一五分頃から、加園家の夕食の団欒が始まる。
「耕太お兄ちゃんの手料理もなかなか美味しいね」
「ありがとう彩奈」
「でも栗の皮が完璧に取れてないのも多いわねー。野菜も大き過ぎだし中までしっかり熱が通ってないし」
「母さん、そこはスルーしといてくれ」
「耕太お兄さん、初めて作ったわりには、よく出来てると思うよ」
「母さんや彩奈や絵実子が作った時と変わらないくらい美味いぞ耕太」
「耕太君、味はそれほど悪くないから、あとは包丁の使い方をマスターしていこう」
母以外は高評価してくれたようだ。
「サンマさんは、むしりにくいなぁ」
「彩奈、むしってあげるね」
「ありがとう絵実子お姉ちゃん」
「絵実子、彩奈はもう五年生なんだから甘やかしたらダメよ」
母が注意。
「まだいいんじゃないか? おれも中学に入る頃までは母さんにむしってもらってたし」
「さすがパパ」
「お父さん、情けないわ」
「母さんもそう思うわ」
「俺も」
「お父様のお母様は、けっこう過保護だったようですね」
「まあそうなんだろうな。でも二人の姉にはけっこう厳しくしてたようだけど」
「お父さんが家事出来ない理由がよく分かるね。ごちそうさま」
「あら、絵実子ちゃん、もういいの? まだ半分以上残ってるけど」
「うん、ダイエット中だから。耕太お兄さんの手料理が不味かったわけじゃないよ」
絵実子はそう伝えて席を立つ。
「絵実子ちゃんはそんなに太ってないよ。腕もアタシより細いし」
育恵はそう意見するも、
「育恵お姉さんが太過ぎると思うの」
絵実子はこう主張してリビングへ逃げて行った。
「絵実子お姉ちゃんが残した分、あたしが食べるね」
最後に彩奈が夕食を食べ終えた後、
「さてと、お父様と耕太君で食器洗いを手伝ってもらいましょう」
育恵がそう告げると、
「……」
リビングでソファにゆったり腰掛け阪神・巨人戦のプロ野球試合を眺めていた父は、すばやく立ち上がって逃げていった。
「パパァ、逃げちゃダメだよぅ」
彩奈は父の腰にしがみ付いて阻止しようする。
「パパが食器洗いをすると絶対お皿が割れちゃうからな」
父は苦い表情でそう言い訳して、彩奈を説得。
「パパ情けなーい」
彩奈はぷくっとふくれて書斎へ逃げていく父の後ろ姿を見送った。
「お父様逃げちゃったか。そういうわけで耕太君、一人でお願いね」
「はいはい」
「助かるわ」
その作業を普段担当している母はリビングでソファに腰掛け、のんびりとバラエティ番組を視聴。
「耕太君、もっとしっかり擦りなさい!」
「あー、もううるさい」
耕太は育恵にすぐ側で監視されながら食器洗いをこなしていく。
そんな中、
「お風呂入ってくるね」
「育恵お姉ちゃんもいっしょに入ろう!」
絵実子と彩奈はそう伝えて脱衣室兼洗面所へ向かっていく。
この二人はいつもいっしょに入っているのだ。
「それじゃ、そうさせてもらうね」
「育恵お姉ちゃん、水鉄砲で遊ぼう!」
「いいよ彩奈ちゃん、アタシと撃ち合いしよう」
「育恵ちゃんのパジャマも用意してあるわよ」
母が手渡してくる。
「おウチから持って来てたけど、お母様が用意して下さってるのなら、そちらを使わせてもらいますね」
育恵は半袖紫系花柄の受け取ったのち、リビングに置きっぱなしのマイバックから下着などを取り出し、いっしょに洗面所兼脱衣室へ向かっていった。
「育恵お姉ちゃんのおっぱい、すごく柔らかいね」
「もう彩奈ちゃん、くすぐったいな」
「ごめんなさーい」
「ワタシも大学生になる頃には、育恵お姉さんくらいの大きさになってて欲しいな」
「絵実子ちゃんは今も中学生のわりには大きめだから、きっとなれるよ。アタシ、ハイビスカスのシャンプー持って来てたの。使ってみる?」
「うん!」
「育恵お姉さん、使わせてもらうね」
この三人がすっぽんぽんになって浴室へ入った頃に、
(食器洗いって、想像以上に重労働だな)
耕太は食器洗いを終えた。彼はそのあとは自室へ。
机に向かい、古文の予習に取り組み始めてから二〇分くらいが経った頃、
「耕太君のお部屋、拝見させてね」
お風呂上りの育恵がノックもせずに勝手に入り込んで来た。
「まあいいけど、普通過ぎると思うよ」
耕太の自室は約八帖のフローリング。出入口扉側から見て左の一番奥、窓際に設置されてある学習机の上は教科書・参考書類やノート、筆記用具、プリント類、CDラジカセ、携帯型ゲーム機やそれ対応のソフトなどが乱雑に散りばめられてはおらず、きちんと整理されている。彼の几帳面さが窺えた。
机備え付けの本立てには今学校で使用している教科書類の他、地球儀や、動物・昆虫・恐竜・乗り物・天体・植物などの図鑑といった、耕太の幼少期に母が買い与えてくれた物も並べられてあった。机の一メートルほど手前には、幅七〇センチ奥行き三〇センチ高さ一.五メートルほどのサイズの本棚が配置されている。そこには三大週刊少年誌連載のコミックスが合わせて百冊くらい並べられていた。
「男の子のお部屋のわりに、けっこうきれいに片付いてるね」
「俺が学校行ってる間に母さんが掃除してくれるからな」
「耕太君、自分の部屋の掃除は自分でやらなきゃダメよ」
「べつにいいじゃないか」
「耕太君はエッチな本は持ってないのかな?」
育恵は勝手に机の引出やベッド下を調べてくる。
「持ってるわけないだろ」
「それじゃ、スマホやパソコンにエロ画像をデータ化してるのかな?」
今度は耕太のスマホを手に取って確認してくる。
「それもないって」
耕太はサッと取り返した。
「耕太君、かわいい」
育恵はくすっと笑う。
「あの、もうこれ以上俺の部屋物色するのはやめて」
「あっ、テストが出て来た。数学Ⅰ九三点に古文八七。やっぱり賢いのね」
「勝手に見るなよ。プライバシーの侵害だろ」
「家庭科のテストも出て来た。中三三学期末、すごい! 満点だ。調理実習とか被服の知識あるみたいなのにやけに苦戦してたわね」
「筆記試験と実践は別物だろ」
「通知簿も出て来た。中学の頃のだね。五教科はオール5だけど、副教科がオール3だ」
「実技系は全般的に苦手なんだ。筆記試験は得意だけど」
「そっか。耕太君らしいね。耕太君はプラモとか作らないの? 男の子はそういうの好きな子多いでしょ」
「特に興味持たなかったな。俺、創作は苦手だから」
「あらまぁ」
耕太と育恵、こんなやり取りをしていると、
「おーい、耕太くーん、育恵ちゃん」
窓の外から瑞香の声が。
瑞香のお部屋と、耕太のお部屋はほぼ同じ位置で向かい合っているのだ。
「あっ、瑞香ちゃん」
「やっほー瑞香ちゃん、お部屋そこだったのね」
「はい。十年以上前からそうなってます」
「瑞香ちゃん、育恵ちゃんが俺の部屋勝手に荒らしてくるんだけど、何か言ってやってくれないか?」
「耕太くん、お姉ちゃんっていうのは弟のこといろいろ知りたいものなんだよ。私も弟がいたら、お部屋を勝手に詳しく調べると思うなぁ」
「俺、育恵ちゃんの弟じゃないし」
「瑞香ちゃん、いいこと言うわね」
育恵は感心したようだ。
「育恵ちゃん、耕太くんはエッチな本は絶対持ってないから安心してね。ではまた」
瑞香はそう伝えて窓を閉めた。
「ねえ耕太君、あの子、本当に耕太君の彼女じゃないの?」
育恵はにこにこ笑顔で問いかけてくる。
「ああ。ただの幼馴染のお友達なんだ」
耕太はこの質問に慣れているかのように即答した。
「そっか。の○太くんとし○かちゃんみたいな関係ってわけか。ひょっとして、毎朝起こしに来てくれるとか?」
「それはないな。アニメやゲームの世界じゃあるまいし」
「ありゃりゃ。そりゃ期待外れだ。キスはもうしたん?」
「するわけないって」
「俯きながら答えてるとこが怪しい。絶対してるでしょ。正直に答えて」
「してない、してない」
「これはしてるなぁ。お顔に書いてあるよ」
育恵はにやっと笑う。
「だからしてないって。それより育恵ちゃん、さっきからパンツがまる見えに」
耕太は俯き加減のまま気まずそうに伝える。
「えっ! きゃっ! もう、耕太君どこ見てるんよ。エッチ♪」
胡坐をかくような姿勢で耕太のベッドに座っていた育恵は、慌てて正座姿勢へ変えて照れ笑いする。
「俺は見る気はなかったって」
薄紫の花柄ショーツをついつい五秒以上は凝視してしまった耕太がこう言い訳したその矢先、
「あっ、この音はママからの電話だ」
育恵のスマホ着信音が鳴り響く。育恵は手に取るとすぐに通話アイコンをタップした。
『育恵、家事出来ない男の子へのイクメン候補育成指導、ちゃんとやれてる?』
「うん、真面目ですごく指導しやすい男の子だったよ。嫌々ながらも一生懸命やってくれてるし、この子は絶対カジメン・イクメン力伸びるよ。それに本当の弟みたいにかわいがりがいもあるし」
『それはよかったわね。いじめちゃダメよ』
「うん、それじゃぁねママ」
育恵は嬉しそうに伝えて電話を切る。
「耕太君、ひょっとして照れてる?」
「いや、全然」
「そうには思えないなぁ」
微笑みながらそう突っ込んで耕太のほっぺたをぷにぷに押す。
「照れてないから」
耕太はすぐに育恵の手首を掴んで引き離した。
そんな時、
「耕太お兄さん、お母さんもお風呂上がったから早く入っちゃって」
絵実子が廊下から叫んで知らせてくる。
「分かった」
「耕太君、アタシといっしょに入る?」
「アホか」
耕太は逃げるようにお風呂場へ。
それから十数分のち、湯船に浸かってゆったりくつろいでいたところへ、
「くらえーっ、耕太お兄ちゃん」
「うぼぉあ!」
彩奈が入り込んで来た。すっぽんぽん姿で。
耕太は水鉄砲を顔面に直撃される。
ほぼ毎日のことだ。
「それーっ!」
さっきに加え耕太が入っている時、父が入っている時合わせて普段一日計三回入っている彩奈は湯船にドボォンと飛び込むと、耕太と向かい合った。
「彩奈、そういう入り方はダメだよ」
まだつるぺたな幼児体型の彩奈、耕太は当然、欲情するはずも無い。
「耕太お兄ちゃん、いっしょに水鉄砲打ち合いして遊ぼう!」
「俺は高校生だから水鉄砲で遊ぶのは変だって。彩奈ももうそういう年じゃないと思う」
「そんなことないよ。同じクラスの男の子も遊んでるもん。そういえば今日の算数でね、小数の割り算習ったよ」
「そっか。俺も小五で習ったよ」
「めちゃくちゃ難しいよ」
「そうかな? 俺は苦労した覚えないけど」
「いいなあ耕太お兄ちゃん」
耕太が彩奈とそんな会話をしていたら、
「おーい、耕太くーん。彩奈ちゃーん」
窓の外からこんな声が。
瑞香だった。
「あっ、瑞香ちゃんも今入ってたんだ」
耕太は湯船に浸かったまま呟いた。
「やっほーっ、瑞香お姉ちゃん♪」
彩奈はバスタブ縁に上って窓から顔を出し、瑞香に向かって嬉しそうに叫ぶ。
「やっほー」
瑞香は嬉しそうに振り返してあげた。
加園宅の浴室と、桜谷宅の浴室は低い塀越しに向かい合っていて、双方の窓が開いていれば互いの浴室をなんとか覗けるようにもなっているのだ。
「耕太お兄ちゃん、あたしと同じクラスの子で、もうおっぱいがふくらんで来たからブラジャーつけてる子がいるんだけど、あたしのおっぱいはいつ頃からふくらんでくると思う?」
彩奈から無邪気な表情でこんな質問をされ、
「六年生頃じゃ、ないかな?」
耕太は困惑顔で答えてあげる。
「そっか。あたし、まだまだおっぱいふくらんで欲しくないなぁ。絵実子お姉ちゃんにおっぱいがふくらんで来たら、耕太お兄ちゃんといっしょにお風呂入っちゃダメよって言われたもん」
彩奈は自分の胸を両手で揉みながら言う。
「彩奈、胸に関係なくそろそろ俺と入るのは卒業しないか?」
耕太は苦笑い。
「えー、嫌だぁ。耕太お兄ちゃんやパパといっしょにお風呂入るの楽しいもん」
「絵実子は小四の時には俺や父さんといっしょに入るの卒業してただろ」
「絵実子お姉ちゃんは絵実子お姉ちゃん、あたしはあたしだもん」
「彩奈の同い年の女の子で、パパやお兄ちゃんと入ってる子なんてもういないと思うよ」
「いるよ。お友達にもまだ入ってるって言ってた子がいるもん」
彩奈はにっこり笑いながら主張する。
龍作は、女の子は一般的に十歳を境に男に裸を見せるのが恥ずかしくなって嫌悪感を示すようになるって言ってたけど、彩奈はまだまだそうならなそうだな。
耕太が複雑な心境になっていると、
「やっほー、彩奈ちゃんに耕太君」
育恵が入って来た。薄手のバスタオルを肩から膝上にかけて巻いた状態で。
「育恵お姉ちゃんだぁ!」
彩奈は大喜び。
「育恵ちゃんまで二度風呂しに来たのか」
耕太は当然のように迷惑がる。
「あれからまた耕太君のお部屋漁って埃被っちゃったからね」
育恵はにっこり微笑んだ。
「おいおい。俺、もう上がるね」
耕太は何とも居心地悪く感じたようだ。
「じゃああたしも上がるぅ」
「アタシは少し浸かってから上がるよ」
彩奈は耕太に続いて浴室から出て、洗面所兼脱衣室へ。
「耕太お兄ちゃん、このタヌキさんのパンツ、かわいいでしょ?」
「彩奈、そういうのは見せびらかすものじゃないから。知らないおじさんにパンツ見せてって言われても見せちゃダメだよ」
「はーい」
「しっかり拭かないと風邪引くよ」
「ありがとう耕太お兄ちゃん」
全身まだ少し濡れたままタヌキさん柄ショーツを穿こうとした彩奈の髪の毛や体を、耕太はバスタオルでしっかり拭いてあげる。彩奈の裸をもう少し観察したいという嫌らしい気持ちはさらさらない。
「その子どもっぽいパジャマももう卒業したら?」
「まだ着たいよ」
「キャラ物の服って、大人になってもけっこう着たくなるものよ」
「育恵ちゃん、まだ上がって来るなよ」
ちょうどトランクスを穿いている最中の耕太はとっさに育恵から目を背ける。
「育恵お姉ちゃん、カラスの行水だね」
彩奈はお気に入りの暗闇で光るフォトプリントパジャマを着て、リビングへ。母といっしょにソファに腰掛けバラエティ番組を視聴する。
「母さん、俺が入ってる時に育恵ちゃん入らせるの引き留めて欲しかったな」
「べつにいいじゃない。育恵ちゃんタオル巻いてたでしょ」
「確かにそうだけどさぁ」
耕太がキッチンテーブル横でやや呆れた気分で冷蔵庫から取り出した麦茶を飲んでいると、
「耕太君、ちゃんと大人扱いしてあげたでしょ。もし耕太君が小六までだったらアタシ、すっぽんぽんで入ってたよ」
育恵がちょっぴりアダルトな薄紫花柄ショーツ&ブラの下着姿で彼の目の前に現れた。
「……」
耕太は目を背け何も突っ込まず。
「育恵ちゃん、お泊りするお部屋、狭くて悪いけど彩奈と絵実子のお部屋でいいかな?」
母がこう問いかけると、
「はいっ!」
育恵は快く承諾した。
その直後、
「おい母さん、洗面所にナメクジが出たから、取ってくれないか?」
最後に風呂に入ろうとした父からこんな伝言が。
「はいはーい」
母はすっくと立ち上がり、快くビニール袋とティッシュペーパーを用意する。
「このご家庭では、ナメクジを退治するのはお母様の役目なんですか?」
「ああ、昔からな」
耕太が答える。
「それは男の子がやるべきよっ!」
育恵はやや顔をしかませ、強く主張。
「それじゃ、今回は耕太に任せようかしら?」
母はにっこり微笑む。
「えー。それはちょっと……」
「耕太君、よろしくね♪」
「耕太、頑張れ」
父は爽やかな笑顔で応援する。
「頑張らなきゃいけないのは第一発見者の父さんの方だと思うけど。しょうがない」
耕太は億劫そうにティッシュペーパーを十組二十枚ほど重ねて掴み、もう片方の手にビニール袋を持ち洗面所へ。
(でかいな)
壁を這っていた体長五センチほどのナメクジをおっかなびっくり掴み、ティッシュの中へ潜り込ませた。
そしてそれをすばやくビニール袋へ入れ、固く縛る。
これにて作業完了。
「耕太、よく出来たね。次からナメクジ退治はずっと耕太に頼もうかしら」
母はにやりと微笑む。
「勘弁して。二度とやりたくねえ。寿命が縮む」
耕太は心拍数がけっこう上がっていた。
「ナメクジは確かに気味悪いよね。アタシも苦手だ」
「あたしもナメクジさん見るのはいいけど退治するのは無理。育恵お姉ちゃん、いっしょにテレビゲームしよう!」
「分かったわ」
育恵は彩奈にせかされ、彩奈と絵実子の相部屋へ。約十帖のフローリングなお部屋をちょうど真ん中くらいで分けている。
絵実子側の本棚には合わせて四百冊は越える少年・青年コミックスやラノベ、アニメ・マンガ・声優系雑誌まで並べられてあった。
DVD/ブルーレイプレーヤーと二〇V型液晶テレビ、ノートパソコンまであるが、これは絵実子と彩奈の共用である。
本棚の上と、本棚のすぐ横扉寄りにある衣装ケースの上にはアニメキャラのガチャポンやフィギュア、ぬいぐるみが合わせて二十数体飾られてあり、さらに壁にも人気声優やアニメのポスターが何枚か貼られてある。美少女萌え系のみならず、男性キャラがメインのアニメでもお気に入りなのが多いのは女の子らしいところだ。
「育恵ちゃん、引いちゃったかな?」
ちょうどベッドに寝転がってラノベを読んでいた絵実子は、アハッと笑って尋ねる。初対面の人にこの部屋を見られるのは恥ずかしく感じているようだ。
「いえいえ、むしろすごく好感が持てたわ。アタシのお部屋なんか絵実子ちゃん以上にオタクっぽいし。アタシも絵実子ちゃんが見てるようなアニメやマンガやラノベが大好きなの。小学校の頃から」
育恵はにっこり笑ってきっぱりと伝える。
「そうなの! めっちゃ嬉しい♪」
絵実子は仲間意識が強く芽生えたようだ。
彩奈の学習机の上は雑多としており、教科書やプリント類、ノートは散らかっていて、女の子らしくかわいらしいぬいぐるみがたくさん飾られてある。収納ボックスにはたくさんのゲーム機やゲームソフトやおもちゃ、本棚には幼稚園児から小学生向けの漫画誌やコミックス、図鑑などが合わせて百数十冊並べられてあった。
「男の子向けの漫画が多いね」
育恵が本棚を見渡しながら突っ込むと、
「あたし、コ○コロとジャ○プに載ってる漫画が特に好き♪ な○よしやり○んやち○おより面白いよ」
彩奈は生き生きとした表情で伝える。
「ワタシも少年漫画の方が好きだから、彩奈も影響されちゃったみたい。瑞香お姉さんのお部屋は少女マンガだらけよ」
「それは気になる。絵実子ちゃんは絵は得意?」
「はい、まあ、そこそこ自信あります。ワタシ、学校で文芸・漫画部に入ってるの」
「アタシも高校生の頃その部活だったよ。今も漫研だし。ますます親近感が沸いたわ。絵実子ちゃん、彩奈ちゃん、似顔絵描いてあげるよ」
「ありがとうございます育恵お姉さん」
「育恵お姉ちゃんの絵、どんなのか楽しみ♪」
「かわいく描いてあげるね」
育恵はマイバッグから4B鉛筆とスケッチブックを取り出し、楽しそうに彩奈と絵実子のツーショットの似顔絵を描いてあげた。
「あたしそっくり。育恵お姉ちゃんの絵、少年漫画みたいな絵実子お姉ちゃんの絵と対照的で少女マンガ風だね。あたしより上手だよ」
「とってもメルヘンチック、育恵お姉さんの優しさが伝わってくるよ」
大いに喜ばれ、
「ありがとう。アタシの絵、そんなに上手かな?」
育恵はとても嬉し照れくさがった。
「上手、上手。ワタシはこういうタッチの絵は上手く描けないよ。育恵お姉さん、瑞香お姉さんの似顔絵も描いてあげて」
「もちろんOKよ」
「瑞香お姉ちゃんきっと喜んでくれるよ。おーい、瑞香お姉ちゃーん」
彩奈はこのお部屋の窓から斜め向かいに大声で叫ぶ。
「なーに? 彩奈ちゃん」
瑞香はすぐに気付いて窓から顔を出してくれた。
「育恵お姉ちゃんが似顔絵描いてくれるって」
「本当! ありがとう育恵ちゃん」
「今から瑞香ちゃんのお部屋、お邪魔しに行っていい?」
「はい、もちろんです」
快く承諾してくれ、
「ありがとう。どんなお部屋か楽しみ♪ こっから屋根伝って行こうかな」
「育恵ちゃん、危ないから絶対ダメだよ。玄関から入ってね」
「冗談、冗談。飛び越えれそうなほどは近くないしね。それじゃ、すぐ行くね」
育恵はわくわく気分で桜谷宅へ移動し、瑞香のお部屋へおじゃまさせてもらった。
「おう! まさに女の子のお部屋って感じ♪」
「そうかなぁ?」
約七帖のフローリング。ピンク色カーテンで水色のカーペット敷き。本棚には少女マンガや絵本や児童書、一般文芸、楽譜が合わせて三百冊くらい並べられてある。ガラスケースや収納ボックスにはトライアングルやタンバリン、小型ピアノ、ヴァイオリン、フルート、オカリナなどなど楽器がたくさん置かれていて、学習机の周りにはケーキ、ドーナッツ、アイスクリーム、いちご、みかん、バナナなんかを模ったスイーツ&フルーツアクセサリー、イルカやモモンガなどの動物やゆるキャラの可愛らしいぬいぐるみ、着せ替え人形、オルゴールなどがたくさん飾られてあり、女子高生のお部屋にしては幼い雰囲気だった。
「瑞香ちゃん、楽器が得意みたいね」
「うん、まあ、お父さんが中学の音楽の先生だから、ちっちゃい頃からいろんな楽器触らせてもらってるし」
「そうなんだ! アタシ、瑞香ちゃんの演奏聞きたいなぁ」
育恵からこうお願いされると、
「じゃあ、フルートを吹くね」
瑞香は快くそれを手にとって、メリーさんのひつじを演奏してあげた。
「めちゃくちゃ上手よ」
育恵にうっとりした表情で拍手交じりに褒められ、
「いやぁ、そんなことないよ」
瑞香は照れ笑いする。
「今度はピアノ弾いてー」
「分かった」
次のお願いにも快く応え、嬉しそうに小型ピアノで瀧廉太郎作曲『花』を弾いてあげた。
「とっても上手。次はヴァイオリン弾いてっ!」
「私、ヴァイオリンは上手くないよ」
「瑞香ちゃん、謙遜し過ぎ」
「じゃあ、きらきら星を弾いてみるね」
瑞香は躊躇うようにヴァイオリンをかまえ、弦を引いて演奏し始めた。
最初の一節を演奏してみて、
「どうかな?」
瑞香は苦笑いで問う。
「……上手よ」
育恵は三秒ほど考えてからにっこり笑顔で答えた。
「正直に言ってくれていいよ。私ヴァイオリンはすごく下手なんだ。下手の横好きなの」
瑞香はそう伝えながらヴァイオリンを元の場所に片付ける。
「気にしちゃダメ。アタシもヴァイオリン全然弾けないから」
育恵が慰めるようにそう打ち明けた直後、
「瑞香お姉さんは、これが理由で中学の時、吹奏楽部には入らなかったんだって。高校でも入るつもりはないみたい。他の楽器は上手いのに勿体無いよね」
「ヴァイオリンもあたしよりは上手だよ」
絵実子と彩奈が自室から叫んで伝えた。あの演奏がしっかり聞こえていたようだ。
「私、練習厳しいのは嫌だから。見学はしてみたけど、鴇高の顧問の音楽の先生もすごく怖かったし、芸術選択で音楽選ばなくて正解だったよ。楽器演奏は趣味だけに留めとくのが私には合ってるよ」
「瑞香お姉さんらしいな」
絵実子はにっこり微笑む。
「私、気の弱い子だから」
瑞香は照れ笑いした。
「瑞香ちゃん、今の表情いいわねぇ。この表情ので描くよ」
育恵はスケッチブックにササッと描写し瑞香に手渡した。
「ありがとう。すごく上手。私こんなにかわいいかな?」
「うん、とってもかわいいわ。瑞香ちゃんは絵は得意?」
「いえ、趣味でお絵描きはするけど、それほどでも。これ、大切に持っておくよ」
瑞香は照れくさがりながら、自分の似顔絵が描かれたB4用紙を自分の机の引出にしまおうとした。
その時、
「きゃっ! ゴキブリィッ!」
瑞香は大きな悲鳴を上げ、とっさに育恵に抱きついた。
「瑞香ちゃん、落ち着いて」
育恵はにっこり笑って瑞香の頭をなでる。
「瑞香お姉ちゃん、あたしが今すぐ退治しに行ってあげるよ」
彩奈は嬉しそうに伝えた。
「待って彩奈ちゃん、ここは耕太君に任せましょう!」
「それはいい案かも」
「そうだね。耕太お兄ちゃんにやってもらおう!」
絵実子と彩奈は快く賛同した。
「育恵ちゃんに今すぐ退治してもらいたいんだけど……耕太くーん、ゴキブリさんが出たのーっ! 大至急私のお部屋まで来て退治して」
瑞香はベランダに出て、向かいの耕太に向かって助けを求めた。
「また出たのか」
耕太はやや困惑。彼もゴキブリはやや苦手なのだ。
「耕太お兄ちゃん、これ、殺虫剤」
彩奈が耕太のお部屋へ移動して来て手渡してくる。
「用意早いな」
耕太は受け取ると、すぐに自分のお部屋から出て行った。
□
「ゴキブリくらいでそんなに騒がなくても。どこにいるの?」
それから一分ほどで瑞香のお部屋へ到着。
「あそこ、あそこ、窓のすぐ横」
瑞香は蒼ざめた顔で指を指して伝える。
「あれか」
耕太は狙いを定め、凍らせるタイプの殺虫剤をブシャーッと噴射した。
「逃げられたか。すばやっ!」
しかし外してしまった。
「きゃぁっ! 近寄って来た」
瑞香は飛び上がってベッドの上へ避難。
ゴキブリは床をちょこまか這いずり回る。
「動きがますます速くなったような……今度こそ」
耕太は恐る恐るもう一吹き。
今度は見事捉えることが出来た。
「死んだようだな」
耕太はまだ辛うじて生きているだろうゴキブリを、何重にも束ねたティッシュペーパーで掴んでビニール袋に詰め、かたく縛って退治完了。
「耕太くんありがとう、さすが男の子だね」
「どういたしまして」
瑞香に背後から抱きつかれ、耕太はちょっぴり照れくさがる。
「耕太お兄さん、おめでとう」
「耕太お兄ちゃん、よく出来たね」
絵実子と彩奈は耕太の自室からパチパチ拍手する。一部始終を眺めていたようだ。
「瑞香ちゃん、部屋でお菓子食べるのやめたら二度と出なくなると思うよ」
耕太はこうアドバイス。
「そう言われても」
「瑞香ちゃんも、ゴキブリくらい余裕で退治出来るようになれなきゃ、立派なママになれないわよ」
「申し訳ないです育恵ちゃん、虫さんは全般的に苦手でして」
「瑞香ちゃんがゴキブリを克服出来るように、この死んだゴキブリ、このお部屋のごみ箱に捨てようかなぁ」
育恵は耕太の手に持たれたビニール袋を指さしながらにやりと笑う。
「それは絶対ダメーッ! 甦って袋から出て来そうだもん」
瑞香は表情を引き攣らせ大声で拒否した。
「ごめん、ごめん。瑞香ちゃんのゴキブリ嫌いは筋金入りなようね」
「早くそれ持って帰って。それじゃ、おやすみなさーい」
「おやすみ瑞香ちゃん」
「じゃあまた」
こうして育恵と耕太は桜谷宅をあとにした。
ゴキブリを入れたビニール袋は加園宅キッチン隅に置かれたごみ箱に捨てた。
今、時刻は午後九時五〇分頃。
耕太は自室に戻って数学の予習を進め、育恵は絵実子&彩奈のお部屋へ。
「育恵お姉ちゃん、ゲームすごく手いね」
彩奈は育恵と、アクション系のテレビゲームで遊び始める。
「そうかな?」
「ワタシより上手。ワタシがなかなかクリア出来なかった面をあっさりと」
絵実子はベッドに寝転がってラノベを読んでいた。
そんな時、
「彩奈ぁ、もう十時過ぎよ。そろそろゲームやめて寝なさーい」
母がお部屋に入って来て、こんな命令。
「ママ、今日は育恵お姉ちゃんがいるから特別にもう少しだけ延長させてー」
「それじゃ、十時十五分までよ」
「はーい」
彩奈は素直に承諾。
母は一階へ降りていく。
「彩奈ちゃん達のママ、いいしつけ方してるわね」
「アタシはもう少しゲーム時間延長して欲しいと思ってるけどね。ゲームは一日三〇分以内で、夜十時以降はしちゃダメって言われてるの」
「そっか。アタシが小学生の頃と似てるわね」
「あっ、そろそろ時間だ。もうやめなきゃ」
彩奈がテレビゲームを中断し、おトイレも済ませてくると、
「彩奈、明日の授業の用意はちゃんと出来てる?」
絵実子はこう問いかけた。
「うん! 今日はちゃんと出来てるよ。体操着もリコーダーも入れてるぅ。おやすみなさーい」
彩奈は水色ランドセルを一回開けて見せ、自信を持って答える。いつものように二段ベッド上の布団に潜り、一分後にはすやすや眠りついた。
「アタシもこの面クリアしたらやめよっと」
育恵は音量を少し下げ、それから三〇分ほどこのアクションゲームで遊んだ。
本体やソフトを元の位置に片付けると、
「あの、育恵お姉さん、ワタシの描いたマンガ読んでみて下さい。一応、学園コメディ物なんですけど。その、学年一冴えない男の子が、休み時間中に教室に現れたゴキブリを退治して、多くの女の子達からモテモテになるというお話でして」
絵実子から自作マンガ原稿を手渡された。
「やっぱ絵がとっても上手ね。どれどれ」
育恵は全三十一ページ熱心に読んであげた。
「育恵お姉さん、どうでしたか?」
絵実子はちょっぴり照れくさそうに感想を尋ねる。
「なかなか面白かったわ。特に主人公が廊下に出てゴキブリ追っかけてる時に、強面の生徒指導の先生にぶつかっちゃうところ」
「ありがとうございます」
「かわいい女の子はいっぱい出てくるけど、エッチな描写はないのね」
「そういうシーン描くのは、抵抗がありまして」
「ありゃりゃ。中学二年生にはまだきついか。これ、ジャ○プとかの新人賞に出すの?」
「いえいえ。これは文芸・漫画部の文化祭展示用の作品です。賞に出すなんて、まだまだ実力不足だと思ってます」
「絵実子ちゃん控え目ね。アタシなんかプロ漫画家目指して小五の時から描いたら即、賞に応募してたよ。もちろん全落ちだったけどね」
「そうでしたか。ワタシも、将来はプロの漫画家さんになりたいなって思ってます」
「アタシ、大学入ってからはアタシより絵もストーリーも上手い子ばっかりで自信なくしちゃって、ラノベ作家も目指そうかなっとも思うようになったわ」
「ラノベ作家かぁ。ワタシのお友達も目指してる子がいるよ。四百字詰め原稿用紙に三百枚くらい物語書かなきゃいけないんでしょ。五枚の読書感想文埋めるのすら毎年苦戦してるワタシには無理だな。漫画描く方がずっと楽」
「そっか。でも自分が創った作品のアニメ化を狙うなら、今や漫画家よりラノベ作家になった方が実現可能性高そうよ」
「ラノベ原作のアニメ化は多いもんね。でも今は漫画家目指すよ。ラノベ作家は二〇代も後半になってから目指し始めてもなれるみたいだけど、漫画家は十代のうちには目指し始めてないとデビューが相当厳しくなっちゃうみたいだし」
「頑張れ絵実子ちゃん。絵実子ちゃんの描く男の子キャラって、丸顔で細くてかわいい系が多いね」
「ワタシ、顎が尖ってて筋肉ムキムキな男キャラはあまり好きじゃないの」
「絵実子ちゃんは、年下の男の子が好きみたいね」
「はい、小五から中一くらいの男の子が特に好きです。第二次性徴が始まるこの年頃の男の子はかわいいよ」
「アタシもその辺の年頃のひょろい系の男の子が好みだな。でもひょろくても日本の女性達に大人気らしいジャ○ーズ系のイケメンはダメ」
「気が合いますね。ワタシもイケメン過ぎるのは苦手なんだ」
「この男の子のキャラ、微妙に耕太君に似てるけど、モデルにした?」
「えっ、そんなに似てる? そういうつもりはなかったんだけど……」
その後も好きなアニメやマンガ、ラノベなどの話をしていくうちにあっという間に時間が過ぎていき、まもなく日付が変わろうという頃に。
「これから見たいアニメ始まるのに、このテレビじゃ番組が見れないのは残念ね」
「大学生になったらアンテナ繋いでもらうってお母さんと約束してるけど、まだ少なくとも五年近くは先よ。今は深夜アニメ、リビングのテレビで録画してるの。リアルタイムでこっそり見たらお母さんに叱られるし。早くリアルタイムで自由に見られるようになりたいよ。育恵お姉さんは自分の部屋でテレビ番組見れます?」
「うん、大学入学のご褒美にアンテナ繋いでもらったの」
「いいなあ。ワタシもそうしてもらえるよう勉強頑張らなきゃ」
絵実子が苦笑いしながら嘆いたその直後、
「絵実子も育恵ちゃんも、夜更かしはしないようにな。俺はもう寝るから」
耕太が廊下から眠たそうにしながら伝えた。
「育恵お姉さん、やっぱり耕太お兄さんのお部屋で寝た方がいいよ。ワタシも彩奈も寝相が悪いから、育恵お姉さんを蹴っちゃう可能性高いし」
「それじゃ、そうしようかな」
育恵はこのお部屋から出て行き、
「耕太君、添い寝しに来たよ」
まっすぐ耕太のお部屋へ。
「絵実子と彩奈の部屋で寝ろよ」
その時ベッドに腰掛け、スマホをいじって遊んでいた耕太は迷惑がる。
「寝相が悪いからって言ってたし」
「俺もそんなに良くないと思う」
「べつにかまわないわ。ねえ耕太君」
「何?」
「寝る前に、今からほんのちょっとの間だけヌードになってくれない? 男キャラの作画の参考に」
「アホか」
「あいてっ」
耕太は当然のごとく、その要求には応じなかった。育恵のおでこをぺちんと叩いて軽く制裁を下す。
「俺、トイレ行って来るから」
「耕太君、アタシも行きたーい」
「じゃ、先にどうぞ」
「いいの? サンキュー耕太君、優しい」
育恵はこのお部屋から出ておトイレへ。
☆
「お待たせ耕太君」
それから十分ちょっとして戻ってくる。
「長かったけど、う○こか?」
さっきと変わらずスマホをいじっていた耕太が問いかけると、
「もう、耕太君、年頃の女の子にそんなこと聞くのは失礼よ」
「いてててっ」
ほっぺたをぎゅーっとつねられてしまった。
「それじゃ俺、行って来るよ」
耕太が立ち上がって扉の方へ向かうと、
「こら耕太君、女の子が用を足したあとすぐに入るのはマナー違反よ。あと三分くらいしてからにしてね」
「うわっ!」
育恵に背後から両腕を固められ、身動きを封じられてしまった。
「妹さんからも言われてない?」
「べつに言われてないけどな」
「でもちゃんと気遣ってあげた方がいいと思うよ。特に絵実子ちゃんは思春期なんだし。耕太君、アタシと腕相撲勝負しよう」
「いや、負けそうだからやめとくよ」
「男の子のくせに情けない。やってみなきゃ分からないでしょ」
「育恵ちゃんの方が腕太いし」
「筋肉のつき方は耕太君の方がいいと思うわ。一回だけでいいからやろう。ねっ♪」
「……分かった。一回だけだぞ」
ウィンクされてお願いされると、耕太はついつい引き受けてしまった。
耕太と育恵はこの部屋に置かれてあるローテーブルに向かい合い、肘を乗せて右手を握り合う。
(育恵ちゃんの手触りも、やっぱ女の子だな)
マシュマロのようにふわふわ柔らかい感触が、手のひらにじかに伝わって来て耕太はちょっぴり照れくさい気分にもなったがそれに浸る間もなく、
「それじゃ耕太君、いくよ」
「ああ」
すぐに勝負開始。
「んっ、耕太君、思ったより力あるじゃない。やっぱ男の子ね」
育恵は必死に踏ん張っているような表情を浮かべる。
瞬く間に耕太の方が有利な状態になったのだ。
「これは勝てそうだ」
もうあと二センチほどで育恵の右手の甲がテーブル上に付きそうになり、自信がついた耕太はさらに力を振り絞った。
そして、
「耕太君、これが本気?」
「あっ、あれ?」
耕太の勝利、かと思いきや一瞬のうちに育恵にぐいっと跳ね返され、育恵の勝利に終わった。
「耕太君、力弱過ぎ」
育恵はにっこり笑う。
「育恵ちゃん、本気出してなかったのかよ」
耕太は唖然とすると共に少しショックも受けたようだ。
「演技してたの。耕太君、そろそろおトイレ行っていいよ」
育恵から許可を得ると、
「……最初負けるとは思ってたけど、なんかなぁ」
耕太はしょんぼりした様子でトイレへ向かっていった。
二分ほどして戻って来て電気を消して布団に潜ると、
「耕太君、アタシのおっぱい触ったり、パンツの中に手を突っ込んだりしないでね」
「するわけないだろ。そんな汚いこと」
「もう、耕太君ったら失礼ね」
育恵はお構いなく耕太と同じ布団に包まって来た。
「もう少しだけ、離れて欲しいな」
「そうしたらアタシ、ベッドから落ちちゃうよ。ねえ耕太君」
「何だよ?」
「これからはアタシのこと、お姉ちゃんって呼んでくれない?」
「なんでだよ? 俺、育恵ちゃんの弟じゃないし」
耕太は呆れ顔で断り、壁の方へ体を向ける。
「もう、耕太君ったら、照れてるわね」
育恵はくすっと笑った。
「……」
「そういえば、絵実子ちゃんと彩奈ちゃんのお部屋の押入れ、リ○ちゃんハウスやシ○バニアファミリーハウスがあったけど、耕太君は妹や瑞香ちゃんとあれで遊んだことはあるかな?」
「ああ、数え切れないほどあるよ。俺は無理やり付き合わされた感じだけどな」
耕太は苦笑する。嫌な思い出だったようだ。
「本当はけっこう楽しんでたんじゃないの?」
「全然」
「本当かな? ねえ耕太君」
「今度は何だよ?」
「希帆ちゃんって子もけっこうかわいいと思うでしょ?」
「まあな。あの子は俺が小中学校の時、ほとんど同じクラスで理科のモーターカーや技術のラジオ製作や家庭科のエプロン作りとかでなかなか出来なくて困った時、いつも助けてもらってたよ。わたしがやったげるよって。親友の龍作もよくお世話になってた」
「クラスに一人はいる誰にでも優しい女の子ってわけね」
「まあ、そんな感じの子だな。瑞香ちゃんもいろいろ助けてもらってたみたい」
「やっぱ学級委員長や生徒会役員に積極的に立候補するタイプ?」
「いや、リーダーシップはないからってそういうの一度も引き受けたことがないみたい」
「そうなんだ。ちょっと意外。耕太君が将来結婚したいのはどっちかな?」
「それはまあ、瑞香ちゃんの方だな。藤城さんは真面目過ぎて俺にはきついと思う」
「そっか。瑞香ちゃんに伝えとこっと」
「それは絶対ダメだ」
「冗談、冗談。希帆ちゃん傷付いちゃうかもしれないもんね」
「俺はもう本当に寝るぞ」
「あーん、アタシもう少し耕太君とお話したいのに。おーい、耕太君」
「……」
「無視かい。そりゃっ!」
「おっ、おい、わき腹くすぐるなよ」
ビクンッと反応してしまった耕太はかかとで育恵をボカッと蹴る。
「んぅんっ! いったぁーい、もう耕太君、女の子の大事なとこ蹴らないでよ」
「ごめん育恵ちゃん、俺、本当の本当に寝るからな」
「耕太君、あと一分くらいお話を」
「……」
「んもう! おやすみ耕太君」
これにて会話をやめると、育恵は五分も経たないうちにすやすや眠りについた。
(……緊張して眠れない)
耕太はそれからさらに三〇分以上してからようやく眠りつけたのであった。
※
真夜中、三時半頃。
「耕太君、おしっこしたいからトイレの前まで付いて来て」
「……幼稚園児でも夜中一人で行くだろ。自分で行け」
耕太は育恵に体を揺さぶられ無理やり起こされて、ちょっぴり苛立つ。
「冗談だって」
育恵はてへっと笑い、電気をつけてからこのお部屋を出て行った。
(俺の布団に、女のにおいが)
思わず育恵の残り香をかいでしまった耕太、すぐに再び眠りにつく。
「耕太君、もう寝ちゃってる。寝顔かわいいな」
それから一分ほどして育恵が戻って来た。耕太のほっぺたをぷにっと押し、電気を消して布団に潜り込むとほどなく再び眠りについた。
こうして加園家の夜は、今日も平和に更けていく。