[第三法章 デシレの魔法]
わたしのお腹の上では、アズリが寝息を立てて。
その向こうには、二段ベッドの裏側が見えた。
暖かいのは、わたしにお布団がかけられているからで。
ふかふかしたまくらは、まちがいなくわたしのだ。
なんで、わたしは寝てたんだろう?
たしか、アウスオル君と話してて。
なにを、話してたんだっけ?
わたしは、あいまいな意識をけんめいにめぐっていって。
そうだ、アウスオル君が、魔法を奏でたいって言ったんだ。
それから先は、覚えてない。
どうやって、わたしは帰ってきたんだろう?
それに、アズリがわたしに寄りかかってるのも、おかしいよね。
なにかがあったんだ。
「アズリ、起きて」
わたしはアズリの肩をゆらして。
アズリののどから、か細い息がこぼれた。
アズリは一瞬だけわたしを見上げて。
すぐに、わたしのかたを、すごいいきおいで、つかんできた。
「セア、平気なの!?」
なんでアズリが、こんなにあせってるのか、わからないけど。
きっと、わたしが心配かけちゃったんだ。
「だ、だいじょうぶだよ。なにがあったのか、わからないけど」
わたしの言葉をきいて、アズリは泣きそうになって。
そのまま、わたしは抱きしめられた。
「あなた、急に倒れたのよ。本当に、驚いたんだから」
たおれた?
わたしが?
なんで?
理由はよくわからないけど。
実感もぜんぜんないけど、きっとそれはホントのことなんだろう。
そうじゃなきゃ、こんなにアズリが取り乱さないだろうから。
「ご、ごめん。もう、へいきだよ」
わたしが、なんとかアズリを安心させようとすると。
アズリは力が抜けたみたいに、わたしに体をあずけてきて。
「よかった、ほんとうに……」
おだやかな波が、三回寄せて返るくらいの時間、アズリはそうしていて。
それから、わたしから体を離したんだ。
「さ、お腹空いたでしょ? ご飯を持ってくるわ」
「あ、ごめん、今日わたしの当番だったのに!」
あわてるわたしの鼻先を、アズリはちょんっと、つついて。
「いいから。倒れたんだから、無理しないの。今日はミルク粥よ」
うわぁ、やった。
わたし、ミルクがゆ、だいすき。
たまには、たおれるのもいいかもしれない。
アズリは持ってきてくれた器は、湯気を立てて。
ほんのりと甘い香りが、わたしの食欲をさそう。
「いただきまーす」
舌をやけどしないように、ふぅふぅと息を吹きかけて。
ぱくん、とほおばれば、暖かなミルクの甘みとチーズの深みがわたしの口にしみこんでくる。
「おいしい!」
ほんとうに、アズリはお料理が上手だから、わたしは幸せ者だ。
アズリは、わたしが食べてる様子を見て、柔らかく微笑んでて。
「そうそう。倒れた時、保健室まではウォルドが運んでくれたのよ」
「そうなんだ」
やっぱり、アウスオル君は優しい人なんだ。
だけど、自分への引け目がそれをジャマしてて。
その原因は、魔法を奏でられないこと――ううん、小説よりも魔法に強い気持ちを持ってることだ。
でも、ほんとうは。
同じなの。
魔法も。
小説も。
誰かに、想いを伝えたくて。
誰かに、ときめいてほしくて。
どきどきや、わくわくや、それから、しんみりとか、きゅんっとか、そういう気持ちになってほしくて。
その表現で。
始まりの気持ちも、その結果の感動も、同じなのに。
それを、わかってほしいな。
それを、わたしは伝えたいな。
「そういえば、セア。そのミルク粥を作るのに、新しいお鍋をあなたの荷物から出したのだけど、こんなのも入っていたわよ」
そう言って、アズリはわたしの銀色に輝くものを持ってきて。
それは、食器じゃないのに、どうして混じってたのか、わからないけど。
けれど、それは、わたしの悩みを解決してくれたかもしれない。
それは、わたしの奏でられるもうひとつの魔法なんだから。
***
それから、わたしはその魔法を作り始めて。
海曜日の放課後には、街に五線譜ノートを買いに行って。
地曜日も闇曜日も、すぐに帰って、そのノートに記号たちを踊らせていく。
わたしの想いをこめて。
世界を響かせるように。
ひとつひとつ、大切にしながら。
そうして、『デシレの魔法』を紡いで。
「できた!」
あとは、練習するだけだね。
でも、ひさしぶりだから、感覚を取り戻すのにも時間がかかっちゃうかもしれない。
「ただいま」
ちょうど、その時にアズリが帰ってきて。
「アズリ、できたよ!」
わたしが喜びのままにアズリにかけよると。
アズリは笑い返してくれた。
「すごいわ、セア。誰にも見てもらわないで出来るなんて」
「えへへ~。昔、兄様に教えてもらってたんだよ。兄様、実は芸術肌なんだ」
兄様は本当になんでもできる人で。
たくさんできることがあれば、たくさんの人を笑顔にできるねって、いつも微笑んでたの。
「でも、これで、セアが授業中上の空でいたり、話しかけても返事がなかったりすることもなくなるわね」
「あ、あはは」
アズリのしんみりとしたなげきに、わたしは笑いしか返せなくて。
数学、すっかりわからなくなっちゃったな。
「みんな、気にしていたわ。シルベルなんて、セアが集中してるなら、静かにしなきゃいけない、とか言って。何を考えたのか、息を止めだして、本当におかしかったのよ。あなたは、集中し過ぎて気付いていなかったかもしれないけどね」
そうだったんだ……。
明日は、ちゃんとみんなとお話をしよう。
今まで、心配をかけた分、たくさん笑って。
それから、お礼を言わなくちゃ。
「あのね、いっぱい練習して、上手になったら、アズリたちにも、奏でてあげるね」
「あら、ありがとう。楽しみにしているわ」
アズリはにっこりと笑って。
それから、ポニーテールをさらりと揺らす。
「ところで、私が今すっごく楽しみにしているものがもう一つあるんだけど、わかるかしら?」
「え?」
なんだろう?
アズリが楽しみにしてるもの――。アズリって、あんまりものに執着しないから、むずかしいな。
そうやってわたしが悩ませていると、アズリはくすりと笑って。
わたしの後ろにあった、お手製の当番表を指さしたんだ。
「今日、セアがお夕飯当番なんだけど、いつ食べられるのかしら?」
「あ! ごめん、すぐに作るよっ!」
いけない、いけない。
アズリは部活をしてきて、お腹がすいてるのに。
わたしは、すぐに冷蔵庫を開いて、中を確認して。
海曜日に、ノートといっしょに買ったお野菜とか、ソーセージとかがまだ残ってくれててた。
「簡単なものでいいわよ?」
アズリが制服を着替えながら、そういうけど。
「だめだよ、ちゃんと作るよっ。えと、えと、とりあえずポトフと、あとは」
わたしは、材料をテーブルに投げ出して。
大きめのおなべで、お湯を沸かしながら、メインを考える。
でも、あせってる頭じゃ、なにも思いつかなくて。
早く作らなきゃいけないのに、からまわりしちゃう。
「セア、私、オムレツが食べたいわ」
「オムレツ? わかったよ」
助かった、オムレツなら手間がかからないね。
冷凍のひき肉を、レンジで解凍して。
玉ねぎをきざんで。
あとは、ホールトマトとコンソメで、ミートソースができる。
オムレツには、ピーマンとニンジンを入れちゃおう。
余分なお野菜は、ポトフのおなべにいれて。
そこに、ソーセージもそのまま浮かべれば、あとは放っておいてもだいじょうぶ。
「魔法だけじゃないって、分かってほしい、か」
「え? なに、急に?」
リビングのアズリの声が、キッチンにも届いて。
わたしは弱火でひき肉と玉ねぎに火を通しながら、聞き返す。
「あなたって、本当にいい子ね」
「ええ? 同い年だよぉ」
もう、あんまい子どもあつかいしないでよね。
誕生日だって、アズリより早いんだから。
たしかに、見た目は、まぁ、こんなだけどさ。
もう、なんでコンロがこんなに高いのかな。お料理がしにくいよ。
そんなことを思っていたら、アズリのため息が聞こえてきて。
「え、あ、もうちょっと待ってて」
「そうじゃないわ。大丈夫、ちゃんと待っているわよ。本当に、しょうのない子」
なんだろ、わたし、なにか言ったかな?
「考え事しながらだと、セアなんだから火傷するわよ」
「あ、うん。注意するよ」
そうだ、早くアズリに、ごはんをつくってあげなくちゃ。
わたしは、気持ちを切りかえて、お料理に集中する。
おいしいものを、だいすきな人に。
それはきっと、最高の味つけになってくれるから。
***
やっぱり、ちゃんと思った通りのものになるまでは、時間がかかって。
それどころか、始めは音も出なくて困っちゃった。
なんとか満足いくくらいになった時には、もうガロの見守る十一月になっていて。
晶を司り、宝石を世界に振りまいた狼神を迎えるように、木の葉がコハクやトパーズの色合いを見せて、果実はルビーやガーネットを思わせるくらいに熟しきってる。
わたしは、紡法部に行ったんだけど、アウスオル君はいなくて。
彼は、前にアズリが見かけたっていう樹の前に座ってた。
秋も半分が終わって、ずっと風にたえていたその樹も、もうだいぶ葉を散らしてて。
すこしだけ、さみしさに胸がこすれた。
それは、デシリオドという樹で。
その語原は、デシレといっしょ。
風と願いを世界にめぐらせる渡り鳥の、ヒューイの止まり木として、世界中で大切にされてる。
今も、頭の飾り羽をひらひらと揺らしながら、ヒューイが熟したかどうかわかりにくいデシリオドの翡翠色の実を、ついばんでる。
ずっとこの樹にいるから、どれが食べごろか、ヒューイだけが知ってるんだ。
「アウスオル君」
わたしは、魔法のアイテムを後ろ手に隠しながら、声をかけて。
振り返るアウスオル君は、目を丸くしてる。
「アウロラ? もう、来ないと思ってたのに」
「どうして?」
わたしはアウスオル君の隣まで行って。
そう聞き返してみた。
でもアウスオル君は、なにも言ってくれなくて。
顔をしかめて、うつむいてしまうんだ。
「デシレの木なんだね」
話題を変えようと、わたしは、この大きな木を見上げて。
アウスオル君も、それにつられて、いっしょに見上げる。
彼の手元には、魔法譜の七線譜があって。
そこに落とされた記号は、みんな手書きだった。
それから、七線譜の右肩――タイトルには、『Sorcerer in Desire』と記されてた。
「なんで、キミはそう、『ほんとう』のことを言い当てるかな」
まいった、というように、アウスオル君は声をあげて。
わたしはまた彼に視線を移す。
「なんでだろね? でも、ちゃんと言葉にしてあげないといけない気がするんだ」
わたしは、また一歩、デシリオドの樹に近づいて。
アウスオル君の横を通り過ぎる時には、隠してるものに気づかれないように、くるりとターンをして。
そのままバックステップ。
制服のスカートが、ドレスのように、ふあり、と踊った。
「胸に秘めてるだけでは、だめ。ちゃんと自分にも言い聞かせて。人が触れ合えるのは、体なんだから」
心に残る、その言葉をなぞって。
想い出すの。
気持ちは秘めていたら、『ほんとう』になってくれなくて。
その意味だけが、心に浮かんでばかりで。
知ってても、わかっていないままになっちゃう。
だからね、わたしは伝えにきたの。
わたしの気持ちを、『ほんとう』なのか、たしかめるためにも。
「アウスオル君、魔法語、わかるんでしょ?」
「――わかるよ」
アウスオル君は、顔をそむけて。
でも、目を向いてほしい。
目をそむけないでほしい。
見ないままでいたら、いつか忘れて、なくなってしまうから。
それが、『ほんとう』に大切な想いでも。
「デシレの意味はさ――」
「やめてくれ」
わたしの言葉を、アウスオル君はさえぎって。
苦しそうに、胸をおさえてる。
「やめてくれないか。ちゃんと、自分でもわかっているから」
すこしだけ、気持ちが揺らぐけど。
引いちゃいけない。
ここで立ち止まっているだなんて、ダメなんだ。
前に進まなくちゃいけないんだ。
わたしも、アウスオル君も。
大切な人と別れたって。
魔法を奏でられなくたって。
それでも、自分を信じて。
自分の想いを大切にして生きていけば。
また、『ほんとう』に出逢えるから。
わたしは、空を見上げて。
コハク色に染まった木の葉が目に映る。
もう、真理の神様であるロンは、遠くて。
ガロは、協調の神様。
けれど、それは時に牙を持って。
間違いを正していき。
その間違いも受け入れて、誠意と言葉を重ねた神様。
だからわたしも、甘さを飲み込んで。
『ほんとう』の協調を得るために。
『ほんとう』にアウスオル君と、なかよしになりたいから。
今は、逃げるあなたに、この残酷な言葉を。
たとえ、どんなにわたしが辛くても。
たとえ、どんなにあなたが苦しくても。
それも受け入れて、強くなるために。
「デシレは、魔法語で願いという意味。デシレは、アウスオル君の望みの姿なんでしょ」
わたしは、確信を持って、告げて。
アウスオル君は、右手で頭をおさえてる。
「そうだよ」
なまりのように、重くてさびついた声が、落ちる。
ざんげのように。
独白のように。
アウスオル君は、続ける。
「魔力がなくても、魔法を奏でたい。あの時の、ボクが与えられた感情の高ぶりを、ボクも誰かに与えたい。ボクにとっては、魔法が始まりで、全ての根幹なんだ。だから、もう、いいんだ」
ぱたり、とひとしずく、地面がぬれて。
ずっと、そんな悲しみを一人で抱えて、苦しんできたんだと思えば。
わたしも、目の奥が熱くなるけど。
ガマンした。
わたしは、まだアウスオル君のために泣く資格なんてないから。
まだ、友だちにもなっていないから。
だから、友だちになるために。
彼の涙を受け止められるようになるために。
大きく息をすって。
「デシレの魔法は風じゃないよ」
高らかに、はっきりと、宣言する。
わたしを見上げるアウスオル君の、とび色の瞳を受け止めながら。
わたしはさらに、言葉を紡いでいく。
「魔法がアウスオル君のすべてじゃないし」
ヒューイたちが、なにが起こったのかと、下枝に降りてきて。
わたしたちの周りで、するどく警戒の声をあげる。
「魔法がわたしのすべてじゃない!」
アウスオル君は、ただわたしを見返すばかりで。
だから、わたしはこの分からず屋さんに、魔法のアイテムを突きつけた。
なめらかな光沢ある素肌は、銀のフレーム。
まっすぐに、すらりとのびたその姿は、まるで歌姫のよう。
ヒューイの歌声にも似てる響きを奏でるそれは、フルート。
わたしの想いを伝えてくれる、もうひとつの魔法。
「それを今から、教えてあげる」
伴走者は、願いを世界に渡すヒューイたち。
舞台はよく晴れ渡った空の下、柔らかいデシリオドのコハクが作るこもれび。
お客さんは、たった一人。とても大切なお相手だから。
わたしは、スカートのすそをつまんで、右足をすこし引き。
柔らかく、ひざを曲げて、おじぎする。
フルートの唇に、わたしの下唇にあてて、そっとキスして。
息を響かせて、伴走者さんたちと音合わせ。
風に音が吹き抜けていって。
ヒューイの涼しげなさえずりが重ねっていく。
それは、夏の高原で草の香りをたっぷり含んだ風の音のよう。
さぁ、いっしょに唄おう。
だいすきを。
たいせつを。
風に乗せたら、世界の果てまで届くから。
目の前にいる人に伝えるなんて、かんたんだよね。
ヒューイの軽やかな歌声に乗せて。
細く音をたなびかせてく。
デシレを想って。
アウスオル君の願いを想って。
伝えたいって思うのは。
自分を分かってほしいって思うのは。
すごく大切で。
すごく尊くて。
だから、自分が想ってることが伝えられなかったり、かんちがいされたりしたら、悲しくて。
そんなふうにしか表現できなかった自分が、とてもくやしくて。
それで苦しくなっていっちゃうんだ。
わかるよ。
わたしも、そうだから。
デシレは、そんな苦しみを受け入れて。
お母さんとの別れを、受け入れて。
そして、お母さんの想いを受け継いで。
お母さんが好きな自分の想いに応えて。
魔法のアメを口にしたんだよね。
始めは、落ち葉掃除。
突風で村中の落ち葉を集めて。
村につもったイヤなものをお掃除したんだ。
だからわたしも、高くするどく、音をふるわせて。
悲しみなんて、吹き飛ばしちゃえ。
ヒューイたちも、わたしの気持ちに応えてくれて。
風が、わたしの髪をなでて走っていく。
それから、デシレは狩りの時に、雲を払ったね。
狩人さんたちが、雨に降られないように、たつまきを起こしたんだ。
ちょっと失敗して、森の木を何本か引っこ抜いてしまったけど。
まだ、魔法になれていなかったのに、がんばって大きな魔法を奏でたんだよね。
だからわたしも、くるりとワルツのリズム。
うずまく風を感じて、雨はまた今度。
ヒューイたちも、楽しくなってきたみたいで。
くるくると、わたしの周りで舞い踊る。
すこしずつ、ヒューイは風をためていって。
解き放たれた小さなたつまきに乗って、わたしは空に浮かぶの。
響き渡る風に、足を乗せて、降りていく。
スカートがふわりと、めくれて。
下から風を感じるなんて、夢のよう。
次のデシレの魔法は、おせんたく。
ずっと雨が続いて、村中のせんたくものが、かわいてくれなくて、大変だった。
でも、デシレは、魔法を使うたびになくなるアメに悩んでて。
お母さんを失っていくようで、こわくて。
それでも、魔法を奏でたんだ。
あかちゃんの布オムツもかわかなくて、ずっと泣いてたから。
その涙を止めたくて、自分の涙を飲み込んだんだよね。
だからわたしも、切なさを揺らして。
風に揺られて、体を右に左に。
ヒューイはわたしの足もとでくるりと、まわって。
ステップの残るそこに、木枯らしが砂を巻き上げる。
踏んでしまわないように、注意しないとね。
最後にデシレは風と踊って。
お母さんとデシレの魔法使いの想い出に、心をはせるの。
辛かったこと。
楽しかったこと。
悲しかったこと。
うれしかったこと。
ほこらしかったこと。
全てを胸に大切にしまおうと。
風の中で、踊っていたの。
だからわたしも、ヒューイの風に乗って。
デシレを想う。
風は世界をめぐって。
想いを乗せて。
かけ抜けていく。
そしてまた、わたしの胸に飛び込んできて。
集めた想いを弾けさせるんだ。
フルートは軽やかに。
フルートはしなやかに。
フルートは穏やかに。
フルートはさわやかに。
響き渡る。
小さなわたしたちの世界に。
響き渡る。
細く細く。
長く長く。
息を吹きかけて。
その音が響き終わって。
わたしは、アウスオル君に目を向ければ。
そのほっぺを、涙が伝っていて。
「デシレの魔法は風じゃないよ」
穏やかに、アウスオル君にそう伝える。
風は止んで。
空は遠くて。
願いに手は届かないように見えるけれど。
「魔法がアウスオル君のすべてじゃないよ」
でも、そんなことはなくて。
手が届かなくても、声は風に乗って世界をめぐる。
声が響かなくても、心は無限の彼方まで広がっていける。
想いは、まだ見ぬ誰かの胸の中でも、輝くんだ。
「魔法がわたしの、すべてじゃないんだよ」
例えば、遥か昔の魔法が、今も奏でられているように。
例えば、コンサートの演奏が、ディスクで再生されるように。
例えば、一冊の本が、誰かの人生を変えてしまうように。
全てが同じように、すばらしいんだ。
魂に響いていくんだ。
「わたしは、アウスオル君の小説、好きだよ」
わたしは、アウスオル君と視線を合わせるために、かがんで。
笑顔を見せてあげるの。
「どうして?」
ぽつり、と投げかけられる問いかけに、わたしの想いがあふれて。
「だって、すごくときめいたんだもの」
言葉にしてしまえば、とても単純で。
でも、その言葉ですべてじゃないから、わたしたちは想いを奏でるんだ。
それぞれのやり方で。
一番、相手に伝わる表現で。
一番、自分がすべてを伝えられるカタチで。
「わくわくしてね、つづきが楽しみになるの。デシレの想いがわたしの心に伝わって、いっしょに笑ったり、泣いたりできたのよ」
アウスオル君は、とてもステキな方法を持ってて。
すこし、うらやましい。
でも、アウスオル君から見たら、きっとわたしもそうで。
ううん、もっとうらやましいって気持ちが強いんだろうな。ずっとあこがれていた人と同じなんだから。
「ボクは、バカだ。視野が狭くて……どうしようもない、バカだったんだって、今、気づかされた」
アウスオル君の声は、涙でぬれていて。
でも、けして悲しい響きじゃなかった。
新しい始まりを、願いを胸にしたように。
実った種が、地面に落ちて。
いつか芽吹く時がくると、気づいたようで。
「ありがとう」
その一言がどうしようもなく、くすぐったくて。
でも、なによりもうれしくなったんだ。
「ねぇ、わたしね、アウスオル君とお友だちになりたいの。きっとなかよしになれると思うんだ」
アウスオル君は苦しみをはき出すように、せき込んで。
「ウォルド」
「え?」
ぽつりと落ちたその言葉は、ともすれば聞きのがしてしまいそうで。
けど、アウスオル君はわたしをしっかりと見つめなおして、もう一度言ってくれた。
「ボクの名前は、ウォルド。アウスオル君だなんて、余所余所しい呼び方、友だちならしないでくれ」
アウスオル君の瞳は、やっと地中深くから掘り返されたコハクのように輝いていて。
「うん、よろしくね、ウォルド!」
「よろしく、セア」
わたしは、ウォルドに差し出された手をにぎって。
それから、気持ちがあふれて、ぶんぶんと大きく上下に振っちゃうと。
ウォルドはその痛みで、さけんでしまったんだ。
***
それからもうひとつ、わたしは決めたことがあって。
放課後の特別教室棟に来たんだ。
それで、紡法部の部室をノックして。
「はぁい」
いつかと同じ、ほんわかとした声が返ってきた。
「あら、セアちゃん。どうしたの?」
紡法部の部長のベルカナさんは、やっぱりゆるやかなウェーブをカチューシャでまとめてて。
ひさしぶりなわたしに、首をかしげてる。
わたしは、ひとつうなずいて。
もう一度、自分の決意と勇気を思い出すんだ。
「あの、わたし、ここに入部したいです!」
わたしが、いきおいをつけて思いを伝えると。
ベルカナさんは、その銀色の瞳を、星のように輝かせたの。
「あら! あらあら! うれしいわ!」
ベルカナさんはさっそく、わたしの手を取って、部室にわたしを招き入れて。
「でも、どうして急に決めたの?」
入部届けを書きながら、ベルカナさんはたずねてくる。
「えっと、魔法を紡ぐの、楽しいなって感じて」
「まぁ、ひとりで魔法を紡いだの? あとで見せてね」
「はい!」
あ、でも、わたしが紡いだ魔法って、デシレは気分で紡いだのだし、もうひとつは音楽だし、あんまりよくないかもしれない。
そう思ってしまって、うつむいていたら。
ちょん、とベルカナさんに鼻をつつかれて。
「セアちゃん。魔法はね、気持ちを伝えるのが大事なの。だから、どんな形だっていいと思うわ」
ベルカナさんは目を細めて。
うれしそうに、次々と紡法部で奏でられた魔法を教えてくれたんだ。
「昔から、魔法を奏でられない先輩はたくさんいてね。ダンスを踊ったり、魔力の高い動物と心を通わせたり、ひどい時はね、薬草を集めて魔術の勉強をしたりもしてたの。それから、ウォルド君の小説にも、魔法が出てきたけど、あれも素晴らしい魔法だと思うの」
だから、自信を持って、とベルカナさんはほほえんで。
それにすごく救われた気分になる。
「こんにちは」
そんなふうにベルカナさんと話していたら、ウォルドがやってきて。
彼は、わたしに気づくと、笑顔を見せてくれた。
「セア、本当に入部するんだ」
「うん。入部届けももらったから、あとは先生に出すだけだよ」
ウォルドはカバンを降ろして。
「ならさ、セアにお願いがあるんだけど」
「なに?」
ウォルドはとても真剣に、声を響かせて。
まっすぐに、わたしを見てくれる。
それは、友だちになれた証拠で、ウォルドに認められた証拠で、胸の奥からよろこびが、わき上がってくる。
「デシレの魔法使いを紡ぎたいんだ。それで、詠唱詩を、セアに紡いでほしいんだよ」
「え? わたしでいいの?」
ウォルドのほうが、ちゃんと紡法の勉強してるし、上手にできるんじゃないかな。
そう思うけど、ウォルドははっきりと、うなずいてみせて。
「セアの方が、デシレの気持ちを分かってくれてる。だから、お願いしたいんだ。魔法譜は、二人で作ろう」
それは、ウォルドがわたしを信頼してるからこその、お願いで。
なら、わたしは、全力でその信頼に応えないといけないよね。
「うん、わかった。がんばるよ!」
とん、とわたしは胸をたたいて。
がんばるんだって決意する。
それから、とウォルドは思い出したように言葉を続けて。
「デシレ、続きを書くことにしたよ。あの子も、フルートを吹かせようと思うんだ」
その言葉に、わたしの意識は舞い上がって。
感情のままに、声を上げてしまうんだ。
「それ、すっごいステキだね! 完成したら、読ませてよ!」
「うん。もちろんだよ」
やった!
よろこびのままに、両手を上げるわたしを、ベルカナさんが見てて。
はずかしくて、すぐに下げちゃった。
新しいお友だちに、優しい先輩がいて。
魔法を紡ぐことができる部活に、わたしは入って。
それから、楽しいことやわくわくすることが、たくさん待ってるんだって、思うと。
うれしくて、これからが待ち遠しくなちゃったんだ。
――Sorcerer in Desire Fine――
『魔法のひととき・デシレの魔法使い』、お楽しみいただけたでしょうか。
『魔法のひととき』は、わたしにとっての創作に対して、いくつかの答えを出していくようにしてます。今回は、『創作は、カタチではなく、想いを奏でるもの。そのありかたはちがっても、ほんとうは同じ』というものです。
魔法の天才セアと小説の天才ウォルド。けれど、セアはすでに全校で話題になっていますが、ウォルドは文芸学科など一部でしか話題になっていません。これは、魔法の方が素晴らしいとか、セアの方が才能豊かだとかいうことではなく、二人の創作に対する態度の違いです。
セアは魔法が好きで、ともすれば街中でも奏でてしまうこともあるくらい。
ウォルドは小説に自信がなくて、魔法の憧ればかり表に出して、小説は課題に出すだけ。
どちらの『創作』が人の目に触れるかは、言うまでもありませんね。
そんなウォルドの悩みを取り除けば、その作品は瞬く間に広がっていくでしょう。セアは、ウォルドの素晴らしい小説がそんなふうにたくさんの人に見てもらいたかったんです。
ともあれ、この作品が、あなたの胸に響いてくれたら、それでわたしは満足です。
あなたにも、魔法のひとときを――。