[第一法章 落ち葉掃除]
秋の空が高くなる十月は、創世神の一柱である大空神ロンが統治する季節って言われてる。
すこし荒々しい風や変わりやすい天気が、なかなか大変な時期だけど、それもロンがわたしたちに強くなってほしい、そんなものに負けないでほしいっていう願いからの行動だから、がんばろうって思える。
わたしは、そんな窓から吹き込む木枯らしから、プリントを守って、職員室に向かっているの。帰り際、担任のライル先生に、クラスのみんなから今日提出のプリントを集めてほしいって頼まれたから。
でも、今日提出なのを忘れてたのは、ライル先生なのになぁ。
ライル先生は、別の仕事もあって忙しくて、大変なんだって言ってたけど、朝や帰りのホームルームで思い出してくれれば、わざわざみんなの部活を回ることもなかったのに。
「失礼します」
「お、セア。ご苦労さん」
職員室に入れば、原稿用紙を手にしたライル先生がにこやかに手を振ってくれて。
窓際のその席に、わたしはプリントを抱えていく。
「大変だったんだよ、先生。みんなのとこを回るのも、風にプリントを飛ばされないようにおさえるのも」
「セアがちっちゃいからな」
む、ちっちゃくないもん。ちゃんと百五十センチあるもん。
くすくす笑うライル先生に、わたしはほっぺをふくらませて抗議する。
「先生だって、いそがしいっていいながら、なに読んでるんですか」
ちらっと、机の上にある続きを見た感じ、小説っぽいんですけど。
ただ、なんというか、こう言うと失礼だけど、慣れてない感じだ。そう、文章を書くのに、慣れていない。パッと見て、すぐわかるくらいのちぐはぐさ。
それは、昔わたしが小説に、自分の気持ちを伝えられる文章に憧れて、書いてしまったものに似てて。
すこし、気分が落ち込んだ。結局、あれはわたしの『声』になってくれなかったから。
「これも仕事なんだよ。文芸学科の書いたものさ」
言いながら、ライル先生は机の上を整理して、プリントを置く場所を作ってくれた。
「ライル先生、小説も書けるんですか?」
「違う違う。魔法を課題にした作品だから、回ってきてるだけだよ」
なるほど。
確かに、ライル先生も大変だったのね。
わたしは、ライル先生が開けてくれたスペースにプリントを置いて。
ちょうど、その時一番上にあった原稿用紙に目が行く。
『小さな袋に詰まった飴玉をひとつ、デシレは取り出した。
魔法使いだった母親が遺してくれたそれを、デシレは見詰めている。
太陽の光で、翠色が跳ね返る飴玉の奥に、母親の面影をデシレは見つけたような気がした。
そして、決意する。
母親なら必ず、困った村の人を助けるはずで、デシレはそんな母親の娘だった。
翠色の飴玉をデシレが頬張れば、口には甘さが広がり、体には魔力が溢れてくる。
デシレが右手を振れば、風が寄り添ってくる。左手を振れば、風が渦を巻く。
この飴玉が口からなくなるまでは、デシレは魔法使いだ。
デシレは風に乗り洋服の裾を翻して、デシレは風に踊りステップを踏む。軽やかに、村中を駆け抜けていく。
デシレの起こす風に、村を覆い尽くしていた木の葉がさらわれていく。枯れた茶色に染まっていた村は、思い出したように赤レンガの色を取り戻し、枯れ葉はデシレの風にもてあそばれる。
そしてデシレは、村の中心に用意された組み木に枯れ葉を放り込んでいく。』
「おい、セア?」
ライル先生に名前を呼ばれて、わたしは意識を取り戻す。
すこし見るだけのつもりが、すっかり引きこまれてたみたい。
「その作品が気にいったのか?」
「気にいったって言うか、引きこまれちゃって。これって、一年生が書いたんですか?」
「ああ、そうだよ」
いつの間にか手にしていたその原稿用紙をライル先生に返すと、ライル先生はその数十枚もある原稿用紙をコピーしてきた。
「じゃ、これはプリントを持ってきてくれたご褒美だ。みんなには内緒だぞ?」
ライル先生はネコを思わせるいたずらっぽい笑顔で、そのコピーした紙をわたしにくれて。
それは、わたしが意識を奪われていた小説のそのものだった。
「え? ええ!? いいんですか!? こんな、勝手に渡すなんて!」
「ん? セアなら盗作したり、他人に見せたりしないだろう?」
「そりゃ、しませんけど、そんな見られるのイヤな人だっているでしょう!」
「それはおかしな話だな、セア」
ライル先生はさとすような声音に切りかえた。
「お前達は、人に見せるものを創るためにこの学園で学んでいるんだ。それは、魔法だろうと、文芸作品だろうと変わらない。だから、いつも人に見てもらえる作品であるべきだ」
いつでも見てもらえる作品。
それは、とてもむずかしくて、それでいて、忘れやすい。
とても、大事なことなのに。
わたしはライル先生の言葉をかみしめながら、原稿のコピーを受け取った。
「先生、わたし、ちゃんとみんなに見てもらえる魔法を奏でますね」
「それは、素晴らしいな。プリント、ありがとう、セア。気をつけて帰るんだぞ」
「はーい。先生、さようなら」
わたしは職員室を出て、すぐにもらった原稿に目を落とした。
最初のページには、題名と作者が控え目に書かれてる。
『Sorcerer in Desire W. Author』
アウスオルっていう生徒が書いたらしい。
表現とか、物語とか、わたしにはもうプロと同じくらい上手に思えた。それに、魔法に関してもしっかりと描写があって、すごい。
デシレのお母さんは魔法使いで、村の人を魔法で助けていた。狩りの時に天気を伝えたり、雨が続いたら洗濯物を乾かしたり。
でも、そのお母さんは死んじゃって。
村の人たちはとても困ってしまう。村のお祭りで、村中の枯れ葉を集めて、燃やさないといけないから。
けれど、魔法の使えないデシレにはどうすることもできなくて。
そんなデシレと村の人を助けたのは、デシレのお母さんが遺してくれた、魔法のアメだった。
なめている間だけ、魔法の力をくれる不思議なアメ。そのアメを使って、デシレは村の人のために魔法を奏でる。
優しい風の魔法。
いいな。
帰り道、落ち葉の増えていく山道を踏みしめながら。
一気に読んでしまった『デシレの魔法使い』のことを考えてる。
まだ、木の葉は枯れ切ってなくて、赤や黄色のキレイなじゅうたんは水気を含んでる。
これなら、風の魔法が使えないわたしでも、水の魔法で木の葉を踊らせられるかもしれない。
あの小説には、詠唱はなかったけれど。
デシレを想えば、それは自然と紡げる。
《風よ 風よ 巻き起これ
風よ 風よ くるくると舞い踊れ
風よ 風よ わたしと一緒にがんばろう》
空気に含まれた水たちが、木の葉に染み込んだ水たちが、わたしの声に応えてくれる。
さらさらと、水が風を起こして。
さわさわと、水が落ち葉を揺らして。
わたしに寄り添ってきてくれる。
《悪いものは 飛んでいけ》
風に落ち葉をさらって。
デシレが村に溜まった悪い想いや空気を集めて、組み木までもっていったように。
柔らかな風で木々をなでていく。
《いいものは 振り撒こう》
風の中にある水をふりまいて。
デシレが風と共に踊って、村の人たちに笑顔をあふれさせていったように。
優しい風で空に奏でていく。
「デシレ――?」
不意にかけられた声に、わたしは魔法を止めてしまった。
声変わりを迎えたばかり男の子の特有の、調子を外した感じの高い声が、意識しないで出てしまったのを印象付けてる。
振り返れば、黒ぶちのメガネをかけた男の子がそこにいた。
栗毛の色合いや白さの映える肌が、線の細さを見せてて。
けれど見開かれた茶色い瞳には、なにか重いものが見え隠れしてる。
「わたし、セアだよ?」
とりあえず、名前を間違えられたままなのはいやだから、訂正してみた。
「セア?」
すると男の子は、声の調子を落ち着かせて聞き返してきて。
「うん、セア・アウロラだよ」
だから、もう一度名前を教えてあげた。
「まさか、あの噂の――魔法学科のセア・アウロラ?」
うわぁ、いったいどんなうわさが立ってるんだろう。
もういやな予感しかしなくて、冷や汗が出てきた。
「そうか、キミが」
男の子のほうは、黙ったままのわたしを見て、一人で納得してしまってる。
「間違えて、ごめん。ボクは文芸学科のウォルド・アウスオル。一応、名乗っておくよ。じゃ、さよなら」
「あ、うん。ばいばい」
ウォルドと名乗った彼は、それだけ言って坂道を降って行ってしまった。
なんとなく、避けられた気がするけど、思いすごしかな。
それに、アウスオルって名字にWから始まる名前、デシレっていうつぶやき。
わたしはカバンから、ライル先生からもらったコピーの表紙を眺めてみる。
「あの人が、これの作者さん?」
たぶん、間違いないんだろうけど。
なにかが、わたしの中でひっかかってる。
いったい、なんなんだろう?
***
とりあえず、わたしのうわさだけはどうしても気になってしまって。
わたしは帰ったらすぐに、ルームメイトのアズリにそのことを聞いてみた。
「ねぇ、アズリ。わたしのうわさって知ってる?」
今日はアズリが料理当番だから、彼女は部屋着の上にエプロンを着けて、さらさらとしたポニーテールを揺らしながら、おなべを見てた。
このにおいだと、今日はクリームシチューだ。
「え……? セア、それ誰から聞いたの?」
わたしに振り返って聞き返すアズリは、たしかに一瞬動きを止めて。
いつも冷静な彼女の顔に、すこしのあせりが見える。
「帰り道に会った文芸学科の男の子だよ」
「セア、文芸学科に知り合いなんていたの?」
アズリはコンロの火を弱めて、首をかしげてる。
そのまま、わたしの向かいに座って。
わたしは、帰り道にあったことをアズリに説明した。
それを聞いて、アズリは何度かうなずいて。
「なるほどね。ウチのクラスだけ口止めしても、駄目だった訳ね」
たぶん、クラスメイト全員が担任のライル先生よりも信頼を置いてるアズリだからこそ、そんなことができたんだろう。
うわさがいつからあるのかは知らないけれど、クラスのみんなからはそんな話はすこしも聞いたことがないんだから。
「それにしても、ウォルドってアイツのことかしら?」
「アズリ、知ってるの?」
「ええ。前に奏法部に誘われた時に、見たのよ。彼は紡法部だったから、見かけただけだけど。たまたま、同じところで活動していたみたい」
アズリは、いろんな部活を見て、けっきょく武術部に入ったんだっけ。たしか、それを聞かされた時、アズリは体重計に乗ってたんだよね。
「あれ? 文芸学科なのに、魔法の部活?」
「詳しくは知らないわ。じっと木を見て、何か書いているところしか見ていないから。まぁ、紡法なら魔力なくても出来るでしょう」
紡法とは、魔法を紡ぐこと。つまりは、魔法を創作することだ。
だいたい六千年前くらいになる帝国暦の中期に、詠唱詩と魔法譜が発明されてからは、理論的に魔法を紙に起こすことで、魔力がない人でも魔法を創作できるようになった。
それでも、実際に魔法を奏でられないから、魔法として残ってるのは、本当に少ないんだけれど。
「でもでも、魔法が使えるけど、小説が好きで文芸学科に言ったのかもしれないよ?」
「どっちにしても、魔法と文芸の両方をやろうとするなんてね」
アズリのその言葉は、突き放すような響きを含んでいて。
「どういうこと?」
それが気になって、わたしはアズリに聞き返してみる。
「同じ創作だって言っても、技巧も魅せ方も違うことを勉強するのは大変ってことよ。どれだけ時間を割くか、どこまで目指すのか、考えることがたくさんあるわ。最悪、どっちも中途半端に終わるわよ」
アズリの言葉は、実感がこもってて。
疲れ切った声が、わたしに不安を湧き立たせる。
「アズリも、その、えと――」
わたしはどんなふうに聞けばいいのか、わからなくて。
わたしは首元に降りてきてる髪をいじるけど、全然言葉が出てこない。
そんなわたしを見て、アズリはくすり、と笑う。
「召喚を自分で勉強するのは大変だったって話よ。愚痴みたいになってしまったわね」
アズリの後ろではおなべのふたが、かたかたとふるえ出して。
アズリは席を立って、煮立ったおなべにルウを流してく。
「あ、それで、わたしのうわさってなんなのー?」
わたしの声が届くと、おたまでルウを溶かしてたアズリの手が止まった。
あぶない、あぶない。
つい、流されるところだったよ。
「さぁ、セア。ご飯ができたわよ。食べましょう」
でもアズリは、なにもなかったかのように、シチューをお皿に分け出した。
あのアズリがプライドを捨てて、話をそらそうとしてる。
これは、ムリに聞かないほうがいいのかも……。
でも、気になるしなぁ。
ああ、シチュー、いい香り。
「セア、パンを出してくれる?」
「うん、わかったよ」
わたしは棚からパンを取って、バスケットに移して。
アズリのクリームシチューはきのこたっぷりで、おいしそう。
見た目も香りもわたしの食欲を刺激して、思わずのどを鳴らしてしちゃう。
「さぁ、セア。食べたいなら、何の疑問も持たずにさっきの話を忘れなさい」
な、なんていう取り引きなのっ。
「ひ、ひきょうだよ、アズリ!?」
「卑怯でもなんでもいいわ。さぁ、食べるの? 食べないの?」
アズリは堂々と胸を張って、わたしの分のスプーンをひらひらさせてる。
スプーンがないと、このアズリの愛情たっぷりなおいしいシチューは食べられない。アズリがこんな非情な手段を使うだなんて。
わたしはどうすればいいの!?
「ほら、あんまり悩みすぎると、冷めてしまうわよ」
アズリは余裕たっぷりな笑顔で、わたしを追いつめる。
さらに、アズリのシチューはその湯気と香りでアズリの応援をしていて。
わたしのお腹が、切なく鳴いた。
「ごめんなさい、もう気にしません」
「ええ、それでいいのよ」
わたしが素直になると、アズリはすぐにスプーンを渡してくれて。
「わーい、ごはんっ♪」
「それじゃ、いただきましょうか」
アズリからもらったスプーンで、シチューをひとくち。
もちろん、きのこはしっかりすくって。
ほどよく弾力があるエリンギの、バターがしみ込んだ甘さが口いっぱいに広がって。
牛乳の優しい味と温度に心が癒されていく。
「おいし~♪」
アズリの愛情をかみしめながら、わたしは次々とシチューをほおばっては、口直しにパンをちぎってく。
そんなわたしを、アズリはゆっくりシチューを口運びながら、微笑んでいて。
なんて幸せなんだろう。
ずっとこの幸せが続いていったら、すてきだよね。
***
次の日の朝は、太陽の光が心地よくて。
ひさしぶりに、アズリに起こされないでも、自分で起きられた。
今日は魔曜日だから、学校はお休み。
でも、わたしには大切な用事があるから、早く準備をしなくちゃ。
はみがきして、顔を洗って。
ちゃんと髪も乾かさないと、またアズリに怒られちゃう。
髪が長いから、顔を洗うだけでも、どうしても髪もぬれちゃうんだよね。
そうやって髪の水気をタオルでぬぐってる時に、アズリも起きてきた。お休みの日は、アズリもすこしだけおねぼうさんだ。
「えっ、セアがもう起きてる?」
アズリはわたしを見るなり、目をまるくして。
いや、まぁ、ふだんのわたしがわるいんだけど、さすがに傷つくよ。
「あ、ごめんなさい。驚いちゃって。でも、セアが自分で起きられたのって、始めてじゃない?」
たしかに、アズリとルームメイトになって一ヶ月が立つけど、毎朝アズリに起こされてる。
「今日は楽しみがあって、早く目がさめちゃったんだよ」
わたしがそう言うと、アズリはくすくす笑って。
そのままアズリはわたしのところまで来て、わたしの髪を手ぐしでとき始める。
鏡に映るわたしたちは、その雰囲気もあって、親子のようにも見えて。
「今日はお出掛け? 髪、セットしてあげるわね」
アズリは鏡台の引き出しから、ブラシとリボンを取り出して。
アズリに髪をいじってもらうと、きれいになれるから、うれしい。やっぱり、毎日ポニーテールにしてると、手慣れてくるんだろう。
「うん、今日はね、デートなの」
「でえと?」
アズリが、めずらしくかたことな発音をした。
デートって、ふつうの言葉だよね?
「えっと、相手は男子?」
「うん。かっこいいんだから」
アズリはさっきから同じところしか髪をとかしてくれなくて。
わたし、髪のボリュームあるから、他のところもとかしてほしいな。そこはもう、クセが直ってると思うんだけど。
「それにしても、魔曜日を選ぶだなんて」
「なにかあったっけ?」
「魔属性は、揺らぎや歪みを生み出す属性。気持ちが揺らいでいるから、恋に落ちやすいと言われてるわ」
アズリは真剣にそんなことを言ってるけど、たぶん明日の聖曜日も休みだから、魔曜日を選んだんだと思うな。
「セア、私も着いていくわ」
「え? アズリ、今日はヒマなの?」
「ええ。それに、相手がセアに相応しい人間なのか、見極めないといけないからね」
アズリの声は決意に満ちていて。
気づけば、鏡の中のわたしはクセの直された前髪を桃色のリボンであげられてて。おでこがいつもより広くなってる。
リボンは左のほうで、ちょうちょ結びされててかわいい。
「あのさ、アズリ。今日のデートの相手ね――」
「大丈夫よ、邪魔したりしないから。すこし待っていてね。すぐに出掛ける準備済ませるから」
アズリはわたしの言葉をさえぎって、洗面台へと向かって行って。
なんか、アズリが思い違いしてる気がするけど、ま、いいか。会えばすぐわかるだろうし。
みんなでお出かけなんて、始めてだからうれしい。
エアルスも、ちゃんとアズリと仲良くしてくれるかな。
うん、二人ともいい子だから、きっとだいじょうぶだよね。
「セアったら、そんなに嬉しいの? すごいいい笑顔よ」
洗面台から戻ってきて、ポニーテールを揺らすアズリに、わたしはそう指摘されて。
「ほっぺをいじりたくなるじゃない」
いじわるく笑うアズリに、えくぼをつつかれる。
それもやっぱり楽しくて。
「それで、どこで待ち合わせ?」
寮のエレベータで降りてる時に、アズリはそう聞いてきて。
わたしは、街の中の公園だと答える。ついでに、待って相手は、クノウァ学院の生徒であることも。
「世界一と言われる学院に入るなんて、頭がいいのね」
「うん。すっごい頭いい子だよっ」
「そこは、ポイント高いわね」
アズリが形のいいあごに指をかけて悩んでる仕草も、それだけで絵になる。プロポーションもいいし、アズリがモデルとかしたら人気が爆発しちゃいそう。
そんなことを考えてるうちに、エレベータは一階に着いて。
わたし達は、共同の玄関から外に出る。
「お出かけ、いってきます」
「はい、いってらっしゃい」
「行って来ます」
もちろん、受け付けのお姉さんに、ちゃんとあいさつをしてから。
お姉さんも、笑顔で手を振ってくれた。
今日は空の青いいい天気。
天気予報だと、ずっと晴れてるから、気持ちいい一日になるんだろうな。
ひとつ、のびをすれば、わくわくが強くなった気分だ。
「まだ日が暖かいわね。いいことだわ」
「アズリ、寒いのだめ?」
「ええ。もう日陰にはなるべく入りたくないわ」
アズリはすこしうつむいて。
ちょっと弱気な声が、ふだんとのギャップがあってかわいいって思う。
「アズリにも苦手ってあるんだね。わたしは寒いの平気だし、冬大好きだよっ」
秋に色づいてる木の葉もキレイだし、涼やかな風は気持ちいけど。
冬の真っ白な雪の中にいるとまるで夢の世界にいるみたいだし、息が凍りついて輝くのにもときめく。
「今から、冬は心配よ。まだこっちの寒さは体験してないから」
そう言って、アズリはどこか遠くを見るような目になって。
アズリの故郷はサバンナ気候のジェウェル地方だから、一年中ずっと暑い。四季のあるクノウァとは全然違うところなんだ。
こういうなにげないことをわかり合っていくのが、とても幸せ。
「あら? アローネって海底都市よね? 冬、寒いの?」
「寒いよぉ。雪だって降るんだから」
アズリはなにかを悩むそぶりを見せて。
答えが出なかったのか、わたしにとまどった視線を向ける。
「でも、水が凍らないなら、四度以下にはならないでしょう?」
アズリの言ってることが、一瞬理解できなくて。
わたしも思考をめぐらせる。
四度は、水が一番重くなる温度で。
それから、水が凍るのは、零度。
重い四度の水は、下に沈むから、海でいうと、アローネの近く。
だから、アローネの気温も、四度より下がるのは不思議って、アズリは言いたいのかな?
「あのね、アズリ、わたしもよくわからないんだけど、海水は四度付近だけど、空気はもっと冷えるんだって。アローネ海は、冬になると厚い氷が張って、海底には光が届かなくなるからって教えられたけど」
「ああ、太陽熱が届かなくて、気温がだんだん下がっていくのね」
わたしのつたない説明でも、アズリは納得してくれた。
やっぱり、アズリって頭がいいんだね。
「あと、もともと光の届かない深海地域はね、アローネの涙っていう宝石の魔力を使ってるんだけど、それも冬は力が弱くなるみたい。アローネも冬眠したいのかな?」
「どうでしょうね?」
アズリは言葉だけで返して。
わたしは、空を見上げた。
空の青さを真似て、海は碧くなった。それは、アローネがもっと愛するロンに近づきたかったから。
でも、その色合いは微妙に違ってて。アローネはそれを嘆いて、涙を流した。もともとの海の色と同じ、白く輝き、虹色をこぼす涙は、アローネの魔力を持った宝石になって。
それが、今は誓都アローネの生活を支えてくれてる。
哀しいような、切ないような、愛おしいような、神様のお話。
でも、とわたしは思う。
ロンは、海の碧さをどう思ったんだろう。
やっぱり哀しかったのか。
それとも違うからこそ愛し合えることを喜んだのか。
「セア、危ない!」
「ふぇ、にゃあ!?」
そんなことを考えて歩いていたら、見事に電信柱におでこを衝突してしまって。
せっかくのアズリの注意もムダになっちゃった。
そして、すごく痛い……。
「ああ、もう。ぼうっとしてたら駄目って、いつも言っているでしょう。大丈夫、セア?」
わたしは涙をガマンして、アズリを見上げる。
たぶん、痛くて両手でおさえてるおでこは、赤くなってるだろう。
アズリはわたしのおでこをなでてくれて。
《痛みと苦しみを冷やす優しき掌は 子を見守る母の魂》
ひんやりと、アズリの手は体温を失っていって。
それに触れてるわたしのおでこから、熱と痛みが引いてく。
「どう、セア?」
「いたいの、直ったよ。ありがと、アズリ」
「本当に、注意しなさいね?」
わたしは困り笑いを浮かべながら、アズリにうなずいて。
アズリが差しのべてくれた手を握り返して立ったら、ふと周りの景色が気になった。
「ここ、どこ?」
わたしのそのつぶやきは、空に消えていって。
「え?」
とまどったアズリの声が、耳にやけの残った。
二人して黙っていたら、どこかで鳴いてる小鳥の声がはっきり聞こえるようになって。
後ろからしばらく見なかった車がわたしたちの横を通り過ぎて行った。
ここ、もしかして、大通りからも離れてる?
「セア、冗談、よね?」
ためらいがちなアズリに、わたしは笑顔を向けて。
もう怒られてもしょうがないから、開き直るしかない。
「あはは。迷っちゃったみたい」
「え、ちょっと、セア!? あなたが道分かるんだと思って着いてきたのよ!?」
さすがのアズリもこんな時はあわてるらしい。
まぁ、まだ慣れてない街で迷子になったら、当たり前なのかも。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。たぶん、待ってたらいいタイミングで来てくれるよ」
「その自信はどこからきているの!?」
わたしは迷子に慣れてるけど、アズリはそうじゃないみたいで。
どうすればいいのかなって、思っていたら、目の前から不機嫌そうな顔をした赤髪が見えた。
「オイ、コラ。わざわざこんな入り組んだ道で迷ってんじゃねぇよ。探すのが面倒だろうが」
その表情と全く同じ感情がこもった声が、わたしに投げかけられて。
彼が近づいてるのに、気づいていなかったアズリが、バッと後ろを振り返る。
そこには、適当に伸ばしっぱなしの髪を跳ねさせたエアルスが、立っていて。
エアルスは、不思議そうな顔でアズリを見下ろしてる。
「コイツの魔力、見たことがあるな。セアのルームメイトか?」
「こいつじゃないわ! 私にはアズリ・カミセって名前があるのよ!」
エアルスの態度がアズリを刺激してしまったみたい。
でも、アズリがこんなに声をあらげるなんて、なにか変だ。
「ちょ、ちょっと二人とも落ち着いて。ね?」
わたしは、アズリの体に抱きついて。
じゃないと、アズリがエアルスに手を上げてしまいそうだったから。
「怖いのか?」
エアルスは、いつも調子で、短くそんな言葉をアズリにかけて。
そんなわたしにはなんでもないような言葉に、アズリはびくりと体をふるわせた。
「お前も、真理改変だな。オレに――真理改変の魔術師に自分の内面が見られるのが、怖いのか?」
真理改変は三つある魔法の系統の一つ。全ての物に存在する真理というものを理解して、書き換えることのできる、魔法使いや魔術師の中でもまれな魔法系統だ。
アズリも、そしてエアルスもその真理改変で魔法や魔術を使えるんだ。
「見ないで!」
エアルスがまっすぐにアズリを見下ろしていたら、アズリはそう叫んで。
わたしの腕の中でうずくまってしまった。
まるで、自分を隠そうとするみたいに。
そんなアズリに近づくように、エアルスはかがんで。
「あのな、オレはセアと違って人の心なんか見えねぇぞ。確かに、魔眼の力でマナの流れは見えるけどな」
エアルスの言葉はどうしてもすこし乱暴に聞こえるけど。
それがただ人を傷つけるようなものじゃないことは、わたしが一番よく知ってる。
「だから、オレはお前の内面なんか見えねぇし、見えたとしても、そんなことはしねぇよ」
アズリはゆっくりとエアルスのほうに振り返って。
「魔眼?」
単語だけで疑問を投げかけた。
「ああ」
「魔眼は、人の心を見透かす、悪魔の眼じゃない」
アズリがそう聞き返すと、エアルスははっきりと聞こえるくらい大きなため息をついた。
「ったく、科学が発展したこの時代で、まだ迷信なんかが蔓延りやがって。あのな、魔眼はただの共感覚だ。マナを感じた時に、それが視覚化されてるだけなんだよ」
「――そう、なの?」
エアルスの話はむずかしくて、わたしにはよくわからなかったけど。
アズリは納得したみたい。エアルスを見上げてる。
「ごめんなさい、取り乱してしまって」
赤くなってる顔を手で隠しながら、アズリは立ち上がって。
今日はふだん見れないアズリがたくさん見れる日だなぁ。
「別に、怯えられるのには、慣れている」
そして、エアルスはいつも通り素気なくて。
もう、女の子相手なんだから、もっと優しい言葉をかけてあげてもいいのに。
「全く、女の相手なんて本当にメンドクセぇな」
しかも余計な一言まで言うし!?
アズリもその言葉には、怒りを覚えたみたいで。
その切れ長な目で、気丈にエアルスを見返す。
背の高いエアルスは、それでもアズリを見下ろしてるんだけど。
「何よ! 男の方がデリカシーがないじゃない!」
「だったら、女には淑やかさが本当にあるのかよ?」
「なんですって!」
ああ、もう。
二人は意地になったように、言葉を飛ばし合って。
アズリにエアルスは相性が悪かったんだ。
でも、なんだか似てる気もするんだよね、この二人。こんなこと言ったら、両方から怒鳴られそうだから言わないけど。
「セア、こんな女心の解らない男と付き合うなんて駄目よ! 帰りましょう!」
「え、あ、ええ?」
アズリがわたしの手を引っぱって。
本気で帰るつもりみたいで、とても逆らえる力じゃない。
「あぁ? 誰がセアと付き合うだって?」
でも、そのエアルスの一言で、アズリは急に振り返って。
その反動でわたしも、ぐわんっ、と体を揺らされる。
目が回るよぉ。
「あなた、セアのことは遊びだった訳!?」
あ、そうだった。アズリはエアルスのことを勘違いしたままだったんだ。
早く本当のことを言わないと、エアルスが危ないかもしれない。
「あ、あのね、アズリ――」
「いいのよ、セア。こんな男のことなんて弁護しなくても!」
アズリはわたしの言葉も聞いてくれなくて。
わたしの手を握ってたアズリの右手が放されて、こぶしを作る。
「なんで血の繋がった姉と付き合わないといけないんだよ。そんな趣味オレにはねぇ」
アズリが体をひねった瞬間に、エアルスはそう言って。
その顔の直前で、アズリの手が止まる。
「……姉?」
なにか、不思議なものでも聞いたように、アズリの声は変に跳ねてて。
わたしは、今さらだけど、アズリに本当のことを伝える。
「うん、まぁ、わたしの弟だよ。エアルスは」
アズリはわたしとエアルスの顔を何度も見比べて。
わたしを見る時には視線を下げて、エアルスを見る時には視線を上げないといけないから、大変そう。
「彼の方が、背が高いじゃない!?」
そこなのっ!?
たしかに、エアルスは背が高いけど……わたしたちの身長差は二十センチ以上あるけどぉ……。
「まぁ、双子で数分の差しかないがな」
「あ、なるほど」
エアルスのもらしたつぶやきに、アズリはやっと納得がいったみたいで。
あらためて、この身長がうらめしくなる。
「でも、セアの弟――しかも、双子がこんなに捻くれているだなんて、ちょっと信じられないわ」
「知るか。セアはセアで、オレはオレだ」
そう言って、エアルスは身をひるがえす。
「ほら、いつまで立ち話しているつもりだ。どうせ、お前達だけじゃ今どこにいるのかも分かからねぇだろ」
「もう少し、言葉を選びなさいよ」
文句を言いながらも、アズリがエアルスの後に着いていくから、わたしも早足になる。
またなにか二人は言い合っているけど、なんだかさっきと違って、柔らかい雰囲気になってる気がする。
「くっだらねぇ妄想を男に押しつけんな」
「あら、女性のために努力できない男なんて、一生独身よ」
「結構だね。女に興味なんかねぇからな」
気がするだけかもしれない。
二人は会話のペースのままに早い調子で歩いてくから、着いていくのも大変だ。
わたしは二人より歩幅が小さいから、どうしても早足を続けないといけない。
「ああ、そうだ、セア。お前、バイキングとスイーツの食べ放題、どっちがいい?」
思い出したように、エアルスがわたしに振り向いて。
歩調もゆるめてくれたから、助かった。
「あなた、それじゃ、セアが食いしんぼみたいじゃない」
アズリはエアルスに向かって、きびしい声音でそう言って。
わたしとエアルスは、いっしょにアズリの顔を見て、それから同じタイミングでお互いの顔を見合わせる。
「お前、普段どのくらい食ってる?」
「あはは、とりあえず、お腹になにか入ったのが実感できるくらい」
アズリに合わせたご飯の量だと、どうしてもすぐにお腹がすいてくるんだよね。
それを聞くと、やっぱりエアルスはため息をはき出して。
それから、アズリはキレイな眉を寄せてる。
「ま、見りゃわかんだろ。それなら、バイキングに行くか」
「わ~い♪ ひさしぶりにお腹いっぱい食べよっ」
わたしが喜んで声を上げたら、アズリがとても複雑そうな顔をしてた。
それから、そのアズリの整った顔は、バイキングでもっと複雑そうな感じになってしまったんだ。
「ここの料理おいしいね! さすがエアルス!」
エアルスが連れてきてくれたバイキングは、ただ食べ放題なだけじゃなくて、味も最高だった。
食べ物の種類も豊富で、スパゲッティにローストビーフにカキフライに、それからコーンスープとかサラダバーとか、メインもサブもついつい目移りしちゃう。
だからわたしは、ぜんぶ食べるの。
だって、せっかくシェフの人が作ってくれたんだから、みんな味わってみたいもんね。
うん、このシーフードグラタンもすっごくおいしい。
「セア……、まだ、食べれるの?」
「相変わらず、いっそ清々しいな」
わたしが重ねたお皿を見て、アズリはぼう然としてて。
エアルスは苦笑いしながら、コーヒーで一休みしてる。
そんな二人に見守られながら、わたしは三つのお皿にある食べ物をお腹に納めていって。
クラムチャウダーで一息つく。
「こんな量、セアの小さい体の、一体どこに入ったの?」
アズリはさっきから手が止まってて。
せっかくおいしい料理がたくさんあるのに、もったいないな。
「アズリ、なにか取ってきてあげようか? ほら、アイスとかケーキもあるよ」
わたしがそう聞くと、アズリは一生けんめい首を横に振って。
「だ、大丈夫よ、もうお腹一杯だから!」
「そう?」
わたしが小首をかしげると、今度はアズリは何度もうなずいて。
その度にポニーテールが踊る。
「まぁ、セアが持ってくるペースに合わせて食ってたら、三十分で腹は満たされるわな」
エアルスはコーヒーカップをソーサーに置いて。
カチャリ、と陶器独特の軽い音が空気を区切る。
「恐らくだが、セアは食ったもんをほぼ全て魔力に変換しているんだ。それが、セアの高い精神感応を維持してるんだな」
エアルスが自分の考えを語って。
なんとなく、わたしにも思い当たるところがある。
「だから、わたし、魔法の後にお腹すくんだ。アズリは?」
「私は、魔法を奏でても空腹にはならないわ。むしろ、眠くなっちゃう」
人それぞれっていうことなのかな?
わたしは上目づかいでエアルスを見てみる。座っていてなお、この身長差ではそうしないといけないんだ。くそぅ。
ともあれ、エアルスならなにかその原因を見つけてくれそう。
「ん? 魔法の違いだろ。真理改変は情報処理が重いから、脳に負担がかかるんだ。脳の負担は睡眠の方が効率いいからな」
なるほど。やっぱりエアルスは頭がいいな。
さて、一休みしたから、また食べ物持ってこよっと。
「え、セア、まだ食べるの?」
わたしがお皿を手にして立ちあがると、アズリが驚いて。
「うん、だって、おいしいものはたくさん食べたいよ」
にこにこ笑って、そう返したら、アズリもがっくりとうなだれて。
「まぁ、確かにそうでしょうけど……」
「いいじゃねぇか。好きなだけ食わせておけよ。どうせ、太らないんだし」
「そうよ! なんでセアはそれだけ食べて太らないの!?」
そう叫ぶアズリはすごい剣幕で。
でも、わたしに言われてもわからないよっ。
「だから、魔力にしてるんだろ。一マナの魔力にジュール換算で約四倍のエネルギーが必要だと考えれば、九千キロカロリーでやっと単純な魔法を使える程度だからな。あ、セア、ついでにコーヒーもう一杯とアイス適当に持ってきてくれ」
「うん、わかったよ」
わたしは弁解してくれたエアルスからコーヒーカップを受け取って、その場から逃げ出す。
体重の話になると、アズリは怖いからなぁ。
今度からアズリの分のご飯は少なめにしたほうがいいのかも。
ちょっとわたしたちの席のほうを見ると、エアルスとアズリがなにか話してる。
また、ケンカにならないといいんだけど。
早く取って戻ろうっと。
あ、このピザできたてだ、おいしそう。
んと、フライドポテトに、グラタンももっと食べたいな。
それから……あ、わたしもそろそろケーキ食べようかな。イチゴのムースを二個くらい取って。
あとはエアルスのアイスとコーヒーを取っていけば、完ぺきだね。
「――必ずだ」
わたしが戻った時、エアルスはちょうど話をし終えたところみたいで。
「お、また随分と取ってきたな」
わたしが持ってきた料理を見て、笑顔を見せてくれる。
「うん。ピザはできたてだよ。食べる?」
「じゃ、一切れくれ」
「もちろん、いいよ」
エアルスに頼まれたコーヒーとアイスを渡す時に、チャリ、とエアルスのブレスレットに付いた鎖が音を立てる。
アズリはその銀色のアクセサリをじっと見てて。
なにか、思いこんでるんだと、わかる。
「アズリ、アイスほしかった?」
「ち、違うわ。え、エア、ルスも、まだ食べられるのねって思って」
今日始めて、アズリがエアルスの名前を呼んでくれた。
大切な人同士のキョリが縮んで、すごくうれしい。
二人とも、すてきなところがたくさんあるから、もっともっとお互いを知っていって仲良くなってほしい。
「案外、家系なのかもな。大食いなのは」
「でも、あなたも、背は高いけれど、太ってはいないわね」
アズリはまじまじとエアルスの体を見回して。
そんなアズリに、エアルスは軽く笑いをもらした。
「それなりに運動しているからな。剣の素振りとか、走り込みとか」
「私も運動しているのに……」
たしかに、アズリも武術部で体を鍛えてるもんね。きっとアズリだからすごい強いんだろうな。
「でも、アズリだってスレンダーじゃない。だいじょうぶだよ」
わたしは、あつあつのピザを飲み込んで。
アズリにだいじょうぶだよって、笑ってみせる。
「セアに体重のこと言われるのが一番イラってくるわ!」
それがいったい、なんの琴線に触れたのか。
アズリはわたしのほっぺをつねってくる。
いたいよぉ、アズリ~。
「仲いいな、お前ら」
そう言いながら、エアルスは止める気まったくゼロでコーヒーにバニラアイスを浮かべてた。
助けてよぉ。
涙の浮かんだ視線でエアルスにそううったえるけど。
エアルスはそしらぬ顔で自作のコーヒーフロートを味わってる。
お姉ちゃんを見捨てるなんて、ひどい弟だっ。
心の中で文句を言うと、エアルスはちらりとわたしを見て。
助けてくれるかも、って期待しちゃう。
じゃれてるの止めてどうする。
冷たく、そう言い返された。
だから、こんな時ばっかり、双子の精神同調を利用しないでほしい。
泣きたくなるじゃない。
もう、涙はこぼれてるけど。
「ひりひりするよぉ」
やっとアズリの気がすんだ時には、もうエアルスはコーヒーを飲み終えてた。
この薄情者めっ。
思いっきりエアルスに伝わるように、心を開いているのに。
エアルスはわたしを見下して、いじわるな笑いを浮かべるんだ。
そんなんじゃ、女の子にもてないんだからね。
「別に女に興味はない」
「もう、またそんなこと言って!」
わたしがどんなに心配しているか、エアルスはわかってるの?
こんなにステキなのに、そんな態度じゃ、みんなエアルスとキョリを置いちゃうよ。
「お前が思ってる程、友達少ないからな、オレ」
「え? あなた、ちゃんと友達いるの?」
「おいっ」
エアルスの反論に、アズリが本当に信じられないといった感じで返して。
うん、やっぱり、エアルスの態度は心配になっちゃうよね。
「あ、そうだ。話、ぜんぜん変わるんだけとさ、エアルスに聞きたいことがあったんだ」
「なんだ?」
わたしはカバンの中から、紙の束を出して。
エアルスは、それを受け取って首をかしげている。
「セア、それ持ってきていたの」
アズリはこれがなにか、すぐにわかったみたいで。
「うん。ね、エアルス。わたしこの小説どうしても気になるんだけど、どうして気になるのか、わからないの」
きっと、エアルスなら、わたしが気づけないことにも気づけると思うんだ。
エアルスは、パラパラと中身を確認していって。
「これは、お前の学校の生徒が書いたのか?」
「うん。わたしたちと同じ一年生だって」
エアルスは、もっとよく見ようと目を細めて。
指で文章をなぞっていく。
「一年でこれだけ書けるのは、すごいんじゃないか? オレは小説は書かないから、あまり詳しくは分からねぇけど」
それと、とエアルスは言葉をつなげる。
「気になるのは、題名か」
「え? どうして?」
『デシレの魔法使い』って、とってもいい題名だと思うんだけど。
「これじゃ、まるでデシレ村の魔法使いみたいだ。デシレは魔法使いなんだんだから、魔法使いデシレでいいだろ」
たしかに、そうかもしれない。
これじゃ、デシレは魔法使いじゃないみたいだ。
あれ? でも、デシレはお母さんのアメをなめないと、魔法が使えないから、魔法使いではない?
なんだか、頭の中でぐるぐるしてきた……。
「ま、あんまり深く考えなくてもいいんじゃねぇか? 題名を適当につける作者なんて山ほどいるしな」
「話を振っておいて、その態度はどうなの」
アズリの言葉に、エアルスは肩をすくめて。
これは全く気にしてないってことだ。
わたしの弟ながら、その態度はどうかと思う。
「ただ、学問的に作品を論ずるならば」
そう、エアルスは前置きをして。
声の調子がまじめさをまとう。
「作品は、作者の内面を表現するものだから、作者の思想、環境、理想、コンプレックスに影響を受けるものだ。演奏者によって、同じ曲でも音の響きが違うように、同じ人物の絵でも、その時々の考えで絵の構成やテーマが変わるように」
「じゃ、作品が気になるのは、作者のことが気になるっていうこと?」
「さてな。そこらへんの感情っていう奴は、オレには分からん」
なんとなく、エアルスの話を聞いて、前に進めたような気がするけど。
それでもまだ、わたしはもやもやした気持ちだった。
もう一度、アウスオル君に会えば、またなにかわかるかな。
そう思ったら、わたしはまた彼に会いたいって気持ちが強くなったんだ。
そうしないと、後悔してしまう気がする。
***
週末が過ぎて、光曜日には、また学校が始まる。
その放課後にわたしは一つの決意をする。
それは、紡法部に行くこと。
今までわたしは部活をしてなかったけれど。
クラスのお友達に場所を聞いて。
でも、その時、すごい驚かれちゃった。紡法部は本当に人数が少なくて、全学年でも十人もいないらしい。
その子の話によると、魔法をしたい子はみんな奏法部に入部するんだって。
「しかも、奏法部も紡法部もほとんど魔法学科の生徒なんだ。ほんとに、アウスオル君って変わってるんだなぁ」
わたしも、人のことあんまり言えないのかもしてないけど。
ふつうの人は、公園で魔法を奏でたりしないし。
同時詠唱もできないし。
あんまり、ご飯をたくさん食べないみたいだし。
アズリはあれしか食べなくて、お腹すかないのかな?
世の中、不思議がいっぱいだね。
そう言うと、エアルスはいつも、不思議なのはお前の頭の中だ、って言ってくるんだよね。ほんとに、かわいげっていうものがない子なんだから。
あれ? なんで目の前にプールがあるんだろう?
「あら? セア、こんなところで何しているの?」
凛とした声に振り返れば。
道着姿のアズリがそこにいて。
すこし汗ばんだ肌が、上気してて、なんとなく色っぽい。
「汗ばんだアズリって、なんかいいね!」
「なんであなたはそういう変な思考するのかしら」
「ひゃんでアズリは、わひゃしのほっぺひっぴゃるの~?」
わたしはアズリのことをほめたつもりだったのに。
アズリは笑いながら、でも、目だけは笑ってないんだけど、そんなちょっと怖い表情で、わたしのほっぺを引っぱるんだ。
しかも今回は、指でうにうにとほっぺをつぶされて、痛い。
「で、何をしているの?」
なんとかわたしのほっぺはアズリの手から解放されて。
赤くなってないといいな……。
「紡法部の部室に行こうと思って」
「ああ、そうなの。って、正反対じゃない!」
そう、部室がある特別教室棟は、わたしたちの教室がある校舎の校庭をはさんだ向こうがわで。
プールとは正反対の場所なの。
不思議だよね。
そう思って笑顔を浮かべてたら、アズリは右手で頭を抱えちゃって。
「つまり、また迷子になったのね」
「あはは。そうとも言うね」
「そうとしか言わないわよ、もう」
さすがのアズリも疲れてるのか、声に元気がない。
やっぱり運動部の走り込みは大変なんだね。
「こんな短い距離で、どうしたら迷子になれるの?」
「んとね、玄関から出たんだよ。で、なんとなく歩きだして、歩いてるだけだと、なんかさみしいから考え事して、気づいたらプールが目の前に来てた」
わたしがここまで来た過程を話すと、アズリはあからさまなため息をはき出して。
ポニーテールも心なしか、いつもより力なくたれてる。
「どう聞いても、考え事しているから、迷っているんじゃない」
そう言うと、アズリはわたしの手をにぎって。
「ほら、連れていってあげるわ」
「え、でも、アズリ部活は?」
「どうせ、走り込みのルートで目の前を通るもの。一周くらい歩いたって平気よ」
そんなことを言いながら、やっぱり周りを気にしているのか、アズリは小走りで。
手を引かれてるわたしも、かけ足になる。
アズリは運動神経がいいから、手を抜かれても着いていくのが大変だ。
でも、すぐに特別教室棟が見えてきて。
わたしたちの校舎よりはこじんまりとした建物に、わたしは始めて入る。
「ありがとうね、アズリ」
「あんまり、部活している人の邪魔をしてはだめよ」
「わかってるよ、だいじょうぶ」
アズリと別れて、わたしは特別教室棟の奥へ歩いてく。
教室のクラスを示すプレートには、何部のお部屋なのかが書いてあって。
紡法部は、一階の一番奥にあった。
暗くて、すこしジメジメしてて、お日様も当たりにくいところだ。
あんまり、いいお部屋じゃない。これも、人数が少ないせいなのかな。
すこし怖いけど、わたしは勇気を出して、紡法部のドアをノックしてみる。
「はぁい?」
間のびした声が、わたしのノックに応えてくれて。
落ち着いた響きが、お姉さんって感じがした。
その人が、わたしの目の前のドアを開いて。
声の印象の通り、ゆるいウェーブの柔らかい亜麻色の髪を、カチューシャで止めてる人が出てきた。
「あら? どちらさま?」
「あ、わたし、セア・アウロラっていいます。ウォルド・アウスオル君いますか?」
「あー、彼はまだ来てないの」
「そうなんですか?」
せっかくアズリに案内してもらったのに、ムダになっちゃうのかな。
「すこしここで待つ?」
わたしが暗い顔をしちゃったから、心配してくれたのかもしれない。
お姉さんはわたしをお部屋に入れてくれて。
席のひとつを引いて、わたしが座るのをうながしてくれた。
「あたしは、ベルカナよ。一応、魔法学科の三年で、ここの部長をやっているの」
ベルカナさんはわたしの前の席に、腰を降ろして。
柔らかい光を宿した銀色の瞳が、わたしの目をのぞきこんでくる。
不思議と、じっと認められても、恥ずかしくなくて。
むしろ、ほっとする。
「それで、クノウァ文化学園始まって以来の天才さんが、彼にどんなご用があるの?」
「て、天才? わたしが?」
わたしはふつうの女の子だよ?
それに、ベルカナさんは、わたしと会ったことないのに。
「セアちゃんは、もう学校中の噂になっているのよ。知らなかった?」
うわさって、きっとアズリが教えてくれなかったやつのことだよね。
わたしはベルカナさんに首を振ってみせて。
それに、ベルカナさんは悲しそうな表情になる。
どうしたんだろう。
「セアちゃん、クラス以外の人とあんまり話さないでしょう?」
「はい。なんでわかるんですか?」
「だって、もう学校全体に広まっているもの。寮でも、ちらちら聞くしね。そんなうわさをずっと隠しているだなんて、セアちゃんはクラスメイトに愛されてるのね」
そんなに有名になってたんだ、わたし。
やっぱり、気になる。
みんなはきっと、わたしを傷つけないために黙っていてくれてるんだろうけど。
わたしだって、いつまでも守られてばかりじゃいけない。
アズリの優しさに甘えてばかりいるのは、友達じゃないから。
「あの、どんなうわさなのか、教えてくれませんか?」
ベルカナさんは、すこし困った顔になってしまって。
「後悔しないかしら?」
わたしは、ベルカナさんにはっきり見えるように、しっかりとうなずいて。
覚悟を決めて、ベルカナさんの銀色の瞳を見返す。
「そう。見た目より、強いのね、セアちゃんは」
ベルカナさんは、たったひとつしかない小さな窓の向こうに、視線を移して。
その優しい光の宿る目で、彼女はなにを見ようとしてるんだろう?
「セアちゃんは、同時詠唱ができるって、ほんとうなの?」
「あ、はい。できます。こないだの試験でも、やりました」
「そう。きっとそれが噂の原因なのね。あなたの噂はね、ハルモニィとセアエルのハーフじゃないのかっていうものなの」
……なに、それ?
セアエルって、魂しかない種族だから、わたしたちハルモニィとの間に子供って生まれないんじゃないかな。
いやいや、それ以前に、わたしの母様も父様もハルモニィだし。
「しかも、それだけ優秀なのにエモーテ魔法学校やリーフェリア学園じゃなく、この学校に来ているのも、ハーフだからって言われているの」
たしかに、エモーテ魔法学校やリーフェリア学園は、魔法教育では世界最高って言われてて、わたしも、ちょっとは行ってみたいなって思ったけど。
でも、わたしはそれ以上に、エアルスが心配だから、その近くに来たかったんだ。中学校から家族から 離れてるあの子は、すごく不安だと思うから。
まぁ、エアルスはさみしいとか、ぜったい口にしないと思うけど。
とりあえず、目の前の一人だけでも、誤解を解いておこう。
「あの、わたし、純粋なハルモニィです」
「そうなの。なぁんだ、ちょっと残念」
わたしは、ベルカナさんの言葉に小首をかしげる。
おもしろがってた――っていう訳じゃなさそう。
ベルカナさんは、うわさのことを話す時にわたしに気を使ってくれたし、あの優しい瞳に好奇心はなかったから。
「どういう、ことですか?」
ベルカナさんの言葉の意味がどうしてもわからなくて。
わたしは、聞いてみることにした。
すると、ベルカナさんは、窓の外にやってた視線をわたしに戻して。
光を浴びて、ネコのように細くなってた瞳孔が、一瞬でまるく変化した。それは、ハルモニィの瞳孔とは明らかに違って。
「あたしがね、ハーフなの。まぁ、セアエルじゃなくて、ベアストとハルモニィのなんだけど」
そう言って、ベルカナさんがカチューシャを外すと、まとまってた亜麻色の髪が重力に引かれて。
その隙間から、小さいけれどピンと立った耳がのぞいてる。
その瞳孔も、獣耳も、ベアストの特徴で。
きっと、ベルカナさんのおしりには、しっぽもあるんだろう。
「ふわふわ……」
わたしはベルカナさんの耳から目が離せないまま、言葉をもらしてた。
ネコちゃんとか、イヌさんの耳ってなでるとすごく気持ちいいんだよね。
「触ってみる?」
「いいんですか!」
やった!
お友だちはみんな、くすぐったいとか、なんかはずかしいって言ってさわらしてくれないんだ。
わたしは、どきどきしながら、ベルカナさんの耳に手をのばす。
わたしの指がふれた途端、ベルカナさんの耳が一度だけぴくん、て跳ねて。
毛の感触がくすぐったい。
それから、手のひらが届いたら、やっぱりふわふわで。
「うわぁあ♪」
いいな、いいな。
なんてすてきな感触なの。
この耳がわたしについてたら、毎日思う存分さわれるのにっ。
あぁ、この感触を知ってしまったら、アズリがわたしのほっぺをあんなにいじりたがるのも、わかる気がしてきた。
「セアちゃんって、不思議な子なのね」
「ふぇ?」
わたし、またなにか変なことしたかな?
ほっぺに指を当てて、すこし悩んでいると。
ベルカナさんがそれを見て、くすくす笑い出した。
「あたしのこと、怖がらないのね。ハーフなのに」
「ベルカナさん、こんなに優しいじゃないですか。わたしのお友だちはさわせてくれないんですよ。ぜったい、みんな、さわったら気持ちいいのに!」
今までは、たぶんっていう気持ちだったけど。
ベルカナさんの耳にふれて、その気持ちよさが確信に変わっちゃった。みんな、こんなに気持ちいい耳をひとりじめしてるなんて、いけずだ。
「ねぇ、セアちゃん。紡法部に入らないの?」
「え? どうしてですか?」
ベルカナさんは、わたしがべつに紡法部の見学に来たんじゃないっていうのは、わかってると思うんだけど。
紡法に興味はあるけど、部活でまでやろうっていう気は今のところないんだよね。
「あたしね、セアちゃんがここにいてくれることに、すごく意味があると思うの」
ベルカナさんの言葉には、続きがあるみたいだったけれど。
それが紡がれる前に、教室のドアが開いた。
「こんにちは」
小川のせせらぎのような、落ち着いた雰囲気の声には聞き覚えがあって。
振り返れば、黒ぶちメガネの向こうでブラウンの目がまるくなってた。
「アウロラ? ここに入部するのか?」
「誘っているとこなの。考えてみてね、セアちゃん」
アウスオル君の言葉を受けて、ベルカナさんはにこにこと笑ってて。
「か、考えるだけなら……」
まだ部活にピンと来ないから、なんとも言えない。
帰ったら、アズリに相談してみよう。
でも、その前にここに来た用事をすませないと。
わたしは、アウスオル君のとこに近寄って。
人見知りなのか、アウスオル君はすこしだけ身を引いた。
「わたしね、アウスオル君に会いに来たの」
「ボクに? なんで?」
「え? あ、えっとね……」
なんで会いたいって思ったんだろうね。
なにか、話すきっかけがあるといいんだけど。
「あ、そだ。あのね、あなたの小説、すてきね!」
『デシレの魔法使い』に、わたしはわくわくして。
最後まで一気に読めちゃった。
アウスオル君は、人に読ませる文章を書くのが上手なんだ。
そんな想いを伝えたら、アウスオル君はまゆを寄せて。
「どこで、読んだ?」
その一言が返された瞬間、わたしは自分の血の気が引くのを感じた。
そうだよ、なに言ってるの、わたし!
あの小説のことはないしょってライル先生と約束したのに!
あれ、でも、アズリにもエアルスにも見せちゃったよ、どうしよう!
もう、わたしはパニックになっちゃって。
どうしよう、いい訳とかしたほうがいいのかな。
でもでも、わたしが下手なこと言ったら、また逆効果になっちゃう気もするし。
待って、黙ってるほうがとても失礼なんじゃないの。
「あ、とりあえず、落ち着いて。わたわた暴れないでくれ」
ハッと、わたしは動きを止めて。
混乱したままに髪を手でかき乱してたらしく。
髪の中にある手には、くしゃくしゃな感触がある。
きっと、わたしの髪はあれた海みたいになってるだろう。
とりあえず、手ぐしで自分でめちゃくちゃにしちゃった髪を整えて。
ついでに深呼吸をして落ち着こう、うん。
「まぁ、ほめられて悪い気はしないけどさ。読んだのって、もしかして、デシレ?」
アウスオル君は困ったように笑ってる。
それは、はずかしそうな感じだ。
「うん、そうなの。読んじゃったの」
「そっか。大したものじゃなかっただろ?」
「え?」
わたしは、一瞬、アウスオル君がなにを言ってるのか、わからなくて。
どうして、自分の作品をそんなふうに言うの?
わたしの疑問は置き去りにされたまま。
アウスオル君は、自嘲を浮かべたままで、その先を続けていく。
「リアリティがないと思うんだ。とくに、魔法と、魔法を奏でるデシレの感情にさ。本当は、風の魔法使いに聞けばいいんだろうけど、でも、それでも、魔法を奏でられないデシレの気持ちはそこにはなくて。欠けてるんだよ、あの作品は一番大事なところがさ」
アウスオル君の言葉は、それこそ、木枯らしのようで。
ただわたしの思考をかき回して、すぐに消えてく。
残されるのは、風にもてあそばれた木の葉だけで。
それをいくら集めようとしたって、なんの意味も見つけられない。
「ああ、そっか。だから、デシレだなんて間違えて、怒ってるのか。ごめん。もう、あんなものは書かないよ」
アウスオル君は、そう結論づけて。
「もう、書かないの?」
ただそれだけが、わたしの耳で残響して。
アウスオル君は、こくんとうなずいた。
「ああ。デシレの気持ちがわからない以上、ボクに彼女の物語をつづる資格はないからね。ここにいて、魔法は見れても、ボクに魔法は奏でられないから」
それでも、魔法を紡ぐことはできるはず。
魔法譜は、魔力を持てない人にも、魔法を理解してもらうために、あるはずなのに。
「あなたは、どうしてこの部活にいるの?」
その疑問が、どうして生まれたのか自分でもわからなくて。
でも、どうしても聞かないといけない気がした。
アウスオル君は、なにかを鼻で笑って。
「なにかをするのに、必ず意味がなければならないというのは、残酷すぎるよ」
答えにもならない応えが返された。
それは、わたしの胸に突き刺さって。
そうなの――わたしは、残酷、なの、ね。
気付けば、もう太陽は一日の終わりを嘆いていて。
小さな窓から、その赤が傷から流れる血のように、部屋の中に染み込んでた。