ナイモノネダリ
私に無くて誰かに有るもの。
私はどうしても“ソレ”が欲しい。
“ソレ”が有れば、もう少し幸せになれるから。
ナイモノネダリ。
私にあって貴方に無いものはなぁに?
…僕に無くて、誰かにあるもの。
僕はそれが欲しくて堪らない。
それはナイモノネダリ…
そんな名前の付いた現実逃避。
もし、それがあったらどうなる?
勿論、今より幸せになれるはず。
そんな都合良く幸せになんてなれないんだけど。
あれ?矛盾してないかい?
あの言葉はどっちも本当。
それを手に入れたら一時的には幸せになれるかもしれない。
だけど“結果的に”幸せなのかは分からない。
…試してみないと分からない。
だからこそ、ナイモノネダリ。
あれが欲しい、これが欲しい…
無いものは沢山ある。
無い物が無い人なんて居ない。
逆に、誰かが求めるものを、持て余している人も居るけれど。
人は自分に無いものを求め、自分にあるものを要らないと言う。
失ってみて分かる、自分が持っている物の大切さ。
つまり、失ってみないと分からない。
そうと知りつつも無いものだけを願うのは人間が愚かな証拠。
ナイモノネダリ
あれが無くなる事は…
“ナイ”
無いものねだり。
もっと僕が強かったら、もっと頭が良かったら…
数えたらきりがない願望。
でもその願望と同じ数だけ僕は何かを持っている訳で。
それに気付いた時、
“ナイモノネダリ”
のループは終わるんです。