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第二話 『イントロダクト・オービス』Aパート前

 宗はゆっくりと、ところどころ痛む体を起こした。辺りを見渡す。

 時刻は夜。真上にある月が、松葉を薄く照らしている。ここは、森だ。雑木林だ。

 その腐葉土の上に自分は横たわっていた。

 体に外傷は、無い。――全く、無い。ただ、全身の筋肉が痛かった。もっとも、制服の左胸には大きく穴だけが開いていたが。

 頭の中がごちゃごちゃだ。

 取り敢えず、立ち上がってみる。かなり長い間寝ていたのか、立つことすら困難だ。足下がおぼつかない。

 そこで音に気づいた。水の音。川の流れの音。せせらぎの音だ。

 どうせ行くあてもない。

 宗は音のする方に歩いていった。


 少し歩くと、ちょっとした池にたどり着いた。ごつごつとした岩が積み重なり、それが緩やかな傾斜を造っている。いかにも美しい、山奥の源泉といった様相だ。

 だが、宗は眼下の光景に釘付けになっていた。

 そこで少女が水浴びをしていたのだ。

 ――無論、全裸で。

「某少佐だって戦場で手柄を立てて出世したんだ……」

 どこかで聞いたような台詞を呟きながら、ちゃっかり池の数メートル上、崖に生えた茂みからそれを覗いている宗を誰が止められよう。山奥の池の畔で水浴びをしている少女を目撃するなど、普通に暮らしていればまず、無い。

 引き締まった肩、すらりと伸びた太股、見事な形の双丘。完璧だ。宗は思った。もはや目を離すことさえ躊躇われる。

 流れるような金髪、そしてあと少しで見えそうな恥丘……。宗は何とかアングルを変えようと試みた。場所をここから一メートル程右にずれれば、間違いなく見える。あと少しなのだ。本当に。

 だが人間、欲望に身を任せたときほど失敗することはない。

 ――このときもやはり同様だった。

「……え?」

 宗が足を動かした先には、まだ乾ききっていない、湿ったぬかるみがあった。足場が無くなり、強制的に姿勢が崩れる。宗は真っ逆さまに、少女が水と戯れている池へと堕ちていった。悲鳴を上げる間もない。

 着水。視界が水に覆われた。池はかなり深く、宗の足が底に着かないほどだ。――しかも、宗は泳げなかった。昔から水泳の授業は嫌いだったし、海にも生まれてから一度も行ったことが無い。無我夢中で手足をばたつかせ、近くの岩にしがみつく。宗は呼吸を整え、胸を撫で下ろした。しかし――、

「何やってんの……」

 背後からの殺気。しかしその声には聞き覚えがあった。宗は恐る恐る、振り向く。

 宗は初めて気づいた。そこにいたのは、金髪碧眼にツインテールの美少女。だがそのこめかみにはぴしっ、と血管が浮き出、頭上に二メートル超の大剣を掲げた……、

「贖罪しなさい……! 今、ここで!」

 ……ミレッタ=グリーナウェーだった。


「ったく……。なんで男ってのはこう……、アレなのかしら」

 半ば呆れた表情で下着姿のミレッタは、同じく下着姿の宗を見下ろしている。先程の珍事件の後ミレッタは池の側にある大きな岩の上で、薪をくべ火を熾していた。服を乾かす為だ。

 宗は淡白な無表情でずっと、目の前で静かに揺らぐ炎を見ていた。ミレッタが自分に愚痴をもらしていることに気づいたのは、かなり後になってからだった。

「その上、『組織』からは全然連絡無いし……」ミレッタは宗の向かい側に腰掛けながら呟いた。「どっかのバカは小一時間一言も喋らないし、動こうともしない!」ついに、宗を睨みながら言い放つ。

「ごめん」宗はとりあえず小声で呟いた。だが視線は移さない。――火は何も言わないからだ。

「あんたさ……」ミレッタは宗を見つめる。「正直、『ごめん』って言えば何でもすむと思ってんでしょ?」

「思ってないよ……」炎が揺らめいた。

「今までも『ごめんなさい』の一遍通しで来たんでしょ?」

「……仮にそうだとして、何が悪いんだよ」

 ミレッタは深くため息をついた。「そうね。悪くは無いかもしれない。あんた、学校じゃ、どうせ友達ゼロなんでしょうね。人との交流を減らすのは、楽な生き方よ。……でもいつかは、絶対に困る。他人を拒絶ばかりしていて、他人に受け入れてもらえるはずがないわ」

「人に受け入れてもらえなくても構わないよ。――僕は一人で生きる」炎が、大きく揺らめいた。風は強くないのだが。

「無理よ」ミレッタはきっぱりと言った。「人は、人と関わることでしか人として生きることができない」

「できるよ」宗は、ミレッタを見据えて言った。

「できない」ミレッタは、宗を見据えて言った。

 ぱちぱち、と薪が爆ぜる断続的な音だけが静寂を妨げる。

 先に沈黙を破ったのはミレッタだった。

「もういいわ。あんたとの付き合いも、もうすぐ終わるし」

「……どういうこと?」宗は、自分の口からそのような言葉が出たのに驚いた。思えば、自分がこれほど他人と喋っているのは久しぶりだ。

「あたしの任務は、あんたを『組織』に連れてくことだからよ。今はまだ逆探知される危険があるから、ポートが開いてないけど、向こうに行けばそれで終わり。もうあんたと会うことも無いでしょうね」

「……僕はどうなる?」宗は再び炎に目をやり、言った。

「さあ? 生体実験されて人間兵器にでもなるんじゃない?」ミレッタは両手を広げ、肩をすくめる。「……ってのは冗談だけど。あたしにも分かんない」

 だが宗にとっては別に、生体実験でも何でもされようがどうでも良かった。この世に超常現象が存在するんだ、という事実は目の前であんな戦いを見せられてしまった以上、もはや嫌でも信じざるを得ない。なら勝手に連れて行けばいい。もう今さら逃げられないし、特にこの世に未練があるわけでもない。やれやれ、だ。宗は心の中で呟いた。

「もう少ししたら『組織』から連絡が来るはず。そしたらサヨナラね。二度と会うことも無い」ミレッタは近くに積んである薪を一本、炎の中に放り込んだ。

 再び、沈黙。

 今度は、宗がそれを破った。どうしても、自分がこれだけ他人と喋れる理由が分からない。だが言葉が自然に出るのだ。不思議だった。

「……『クラッカー』ってなに?」

 ミレッタは宗を凝視した。

「あんたから会話が始まるなんて、大質量隕石でも降ってきて地球の総人口の半数が死滅、さらに南極の永久凍土は融解し水面が十メートル以上上昇。さらに地軸が傾いて各地で異常気象が発生するし、暴動や紛争も起きる。東京でも爆弾テロが起きるんじゃない? あと、日本は永久に夏になるわ。それくらい珍しいわね」

 どれだけすごい災害なんだよ。宗は心の中で呟いた。

「ま、いっか。どうせヒマだし、簡単に説明するわ」ミレッタは足を組み替える。「クラッカーてのは、つまり天才よ。人間を遥かに越えた神経速度を持つもの、と言われてる」

「神経速度」宗は鸚鵡返しに言った。

「かなり昔、物質の最小単位は分子と思われていた。でもしばらくするとそれを構成する、もっと小さい原子というものを人間は見つけたの。さらに段階的に原子核、中性子や陽子というように時代につれて物質の構成単位、つまり素粒子と定義されるものは変わっていった。現代ではクォークやレプトンやゲージ粒子、それらの反粒子がそう。ちなみにこれを物理学用語で『自然の階層性』というんだけど――、そんなことはいいわ。で、クラッカー達……、って言ってもブラックハッカーという意味じゃなくて、あたし達のような『異常な神経速度をもつ者』のことよ? ま、とにかくあたし達クラッカーは素粒子を構成する最小のデータ単位をプログラムで表記し、物質を表すことに成功したのよ。特殊なプログラム言語――、云わばこの世界を構成するソースコードでね。……分かると思うけど、これは凄いことよ。人間が素粒子から自由に物質を生み出すことが出来るんだから。ただし条件があった。驚異的な神経速度を持つ人間、つまりあたし達クラッカーでないとそれは無理だったの。そしてあたし達にとっても物質の創造は極めて難しい。何せ頭の中でパソコンのプログラムを全て記述するようなものだからね。かなりの訓練が必要よ。……で、更にそれを実行……、つまり空想上の曖昧な存在から、大義的に目に見える物質としての存在に変化させるコンパイルやインタプリタ。無から有を生み出す……、まさに禁断の力ね。……聞いてんの?」

 宗はうんざりしていた。聞かなければ良かった。全く意味が分からない。何が自然の階層性だ、素粒子だ。ほとんどSFじゃないか。

「まあ、『組織』に行けば誰かから嫌でも詳しく教えてもらえるわよ」ミレッタは、宗が分からなくて悩んでいるのだと解釈したのか、励ますように言った。宗は実際、聞いてすらいなかったのだが。

「……で、僕がその『クラッカー』だっていうの?」

「そうよ。現にあんたはもう、一人殺したでしょ。あんたの手で」

 思いがけない言葉に、宗は思わずミレッタを見た。僕が一人殺した?

 嘘だ。

「殺した、って……」

「あんた、覚えてないの? 三日前の夕方。あんたとあたしが会った日よ」

 三日も経っていたのか。宗は納得した。道理で起きたときに全身の筋肉が衰えたような気がしたわけだ。

 いや、納得している場合ではない。

「だ、誰を――、」

 その時、ミレッタの携帯電話が鳴った。

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