第一話 『クラッカー』Bパート前
ニルも、第三者の出現に驚いてはいたようだ。が、今はもう先ほどのように、顔に怪しげな笑みが戻っていた。
「へえ。もしかして、『組織』のヒト?」
少女はニルを眺めた。「ご名答。あんたは、見たところ余計な情報を仕入れた非組織所属クラッカー……ってとこかしら?」
「はは。言ってくれるね」ニルは少女を見据える。「確かに僕はパーソナルクラッカーさ。何かに縛られるのが嫌いでね。で、『組織』の……No.7だったかな? 『ミレッタ=グリーナウェー』さんだっけ?」
ミレッタと呼ばれた少女は、若干の驚きを見せていた。自分の名前が相手に知られている事、に対してだろう。
ニルは続ける。「僕は、情報を最大の武器と思ってる。とりわけ僕達クラッカーにとってはね。……ま、そんなことはいいよ。僕はイントロダクト・オービスを手に入れたい。君はその妨害が任務。これほど分かりやすいことは無いね」
ミレッタはため息をついた。「『取り込む眼』の存在まで知ってるとはね。褒めてあげたいくらい」続いて、先程からずっと腰を抜かして呆然としている宗を見下ろし、
「内臓に損傷があるみたいね。とりあえずあんたは伏せてて。死にたくなければね」と言った。
宗に対する感情など微塵も感じられない、完全な命令口調だ。
「……死ぬ?」
宗には分からなかった。
ここは現実なのか?
いきなり蹴り飛ばされ、鉄パイプが飛んできて殺されるかと思ったらあげく金髪美少女にバカ呼ばわり。そしてさっきから会話に出てくる、クラッカーとか、イントロダクトうんぬんといった意味不明の言葉。何なんだ? エスパーのことか?
もう、訳が分からない。自分は夢でも見てるのか? こんなこと現実的に考えて有り得ない。いや、あってほしくない。でも、目の前でこんな超常現象が立て続けに起きれば信じるしかないんだろうな。
――やれやれ、儘よ。宗は、考えるのをやめた。というよりもう頭がついていけない。とにかく、この少女が言ったのは『伏せろ』という命令だけ。伏せるのなら犬にでもできる。それにどうせ僕はこの場では蚊帳の外だ。できることは何もない。とりあえず素直に伏せよう。後はやりたいんなら、勝手にやってくれ。僕と、このミレッタとかいう女の子に何の関係がある。僕を守りたいんなら守ればいい。適当に。
宗はミレッタと目を合わせるのが嫌になり、俯いた。宗は、人と目を合わせて喋ることが苦手だった。どうしても目を逸らしてしまうのだ。何故かは分からない。性癖というやつだろう。
「案外、素直ね」ミレッタはそんな宗を見、言った。「あんたはそこで見てなさい」
そして再び、敵を見据える。手を大きく翳し、叫んだ。
「object-code:ジャスティスブレイカ、compile!」
次の瞬間、巨大な大剣がミレッタに握られていた。
大剣――そう呼ぶには程遠いのかもしれない。確かに全長二メートルはありそうな巨大な剣だったが、明らかに違うのはその刃の部分だった。刃が全て回転式のチェーンソーになっているのだ。
少女には似つかわしくないような、金属の掠めあう駆動音がけたたましく響いていた。
「いいプログラムだ。精密に計算された構成だよ。だけど……」言葉と同時にニルは振りかぶり、例の鉄杭を数本、放った。放たれた杭は真っ直ぐ宗たちのところに向かって来る。だがミレッタは狼狽えもせず、大剣を目にも見えぬ高速で振り回し、それら全てを凪ぎ払った。
もはやどちらも人間の限界、地球の物理法則を遥かに凌駕している。それは宗の目から見ても明らかだった。彼らが人間ではないか、ここが現実世界でないか、のどちらかだ。
自らの放った杭を弾かれたにも関わらず、ニルは全く動じていない。むしろ笑っていた。「君は絶対に勝てない。僕にね」ニルはそう言った。
続いて高く跳躍するニル。軽く十メートルは跳んでいるだろう。そのまま空中で杭を放ちながら、壁を蹴り移動。宗めがけさらに放つ、放つ。
針の雨。
そう呼ぶにふさわしい光景だ。ミレッタは声をあげ、剣でそれらを一つ残らず払い続ける。宗はうずくまっているばかりだった。
「分かるかい? 君はそいつを守っている以上、そこから動けない」ニルは空中で、体操選手――それもオリンピック級だ――のように回転し、ほとんど音も無く着地した。再びミレッタとの距離は最初に戻った。
「君の武器は見たところ接近戦専用。なら動いてしまえばそこのトウマソウが狙われる。つまり……」ニルは何かいたずらを考え付いた子供のような笑みを浮かべ言った。
ニルは、杭をたった一本だけ飛ばした。それを大剣で弾くミレッタ。
――だがその直後、ミレッタの姿勢が崩れた。倒れ込みそうになるのを咄嗟に両手で堪える。片足立ちがやっと、といった状態だった。
「そんな」初めてミレッタの顔に焦りが浮かんだ。「まさか、もう……!」
「そうだ。僕の攻撃を弾くために剣を高速で振り回す……。だがそれは、君の身体能力を大きく越えたプログラムを、常時コンパイルし続けるということだ。そして今、君の体力が限界に達した。『フリーズ』だよ」
「っ……」
ミレッタが息を切らし、喘いでいる。
宗はそれをただ見ていた。だがどうすればいいのか分からい。分かるはずもない。これってかなりまずい状況なのか?
「女性をいたぶるのは趣味じゃなかったけど、やっとしなくて済むなぁ」ニルは両手を広げ、肩をすくめた。「君はここで死ぬから」
ニルは再度降りかぶる。そして――、
「object-code:スパイラルパイル、interpreter」
集束する光とともに、先程と同じような鉄の杭がニルの手に現われ、放たれた。
だがそれは今までのものとは明らかに違う。まるでドリルのように、杭自体に螺旋状の溝が見える。その速度も今までの杭の二割増しほどはあった。銃器で言えばライフルか? 貫通力と命中率の向上を図っているのだろう。
ミレッタは舌打ちをした。自分の体はほぼ動かない。つまり、宗を連れて逃げることは不可能だ。ならば残された選択は二つ。
――すなわち、自分を犠牲にするか、宗を見捨てるか。
「大切なのは、世界の命運か、私の命か。……そんなの決まってる……」
迷う暇は無い。ミレッタは決意した。
次のミレッタの行動、――宗は自分の目を疑った。
宗の目の前にいる少女は、自ら飛んでくる杭に向けて走り出したのだ。
宗は目を閉じた。駄目だ。あの娘は死ぬ。
鈍い音。
同時に、宗は何か温かいものが飛んできたのに気づいた。
血だ。大量の。
「二人まとめて殺そうとしたんだけど……、まさか自分の体で止めるとは。いや、凄いな。さすが『組織』のクラッカー」
なんの抑揚もない声でニルは言った。