第一話 『クラッカー』Aパート前
『二番乗り場にぃ、電車が到着しまあす。黄色い線の内側に下がってお待ちくださぁい』
眠たそうな声で、駅の男性職員がアナウンスを告げた。遠くで明滅しているヘッドライト。電車は朝靄の中にそのシルエットを浮かばせていた。そもそも今どき、アナウンスを人にやらせている駅などあまり無い。駅の周囲には閑散とした住宅地や列車の車両センターが見え、ホームには売店の一つも見えない。せいぜい自動販売機が一つか二つ見えるだけだった。駅の屋根は雨のせいかところどころ錆び、年季を感じさせる。そんな寂れた駅のホームに、たった一人、少年が立っていた。
歳は十六ほど。ざんばらの黒髪に無気力な眼差し。顔立ちは整ってはいるが、どことなく暗い雰囲気がする。そんな少年だった。制服を着ているところを見ると、高校生だろうか。少年は近づいてくる電車を特に表情も浮かべず眺めている。
彼の名前は『当麻 宗』(とうま そう)。県立のいたって平凡な高校所属。数学を除けば、成績は学年で中の下くらい。スポーツも得意でなく、部活にも入っていない。何かの賞なんて生まれてこのかた一度も取ったことない。
人生なんて終われば何も残らない。無だ。それに頑張って何になる?……というのが宗の持論だった。
電車がいつものように宗の前に停まる。
いつものようにドアが開き、いつものように割と空いた電車に乗り、いつものように窓際三番目の席に座る。いつものように学校に近くなれば満員になるんだろうな、と宗は思った。
結局同じことのくりかえしだ。人生なんて。
窓から過ぎて行く、自分がいた駅のホームを眺めながら宗は眠りについた。
宗は夢を見た。いつも見る夢だ。自分の両親が死ぬ夢。いや、『死んだ時の夢』と言うべきか。
宗に両親はいない。四年前に宗一人を残し、二人とも死んでしまった。
だからといって、宗はそれを悲しいと思ったことは無かった。
自分は一人でも生きていける。宗は常に自分に言い聞かせている。現にこれまでもそうだったから。
ふと、横に誰かが座るのを感じ、宗は目を覚ました。
横を見ると、そこにはよく見たことのある顔。
「あ……宗くん、起きちゃった? ……ごめんね」
話しかけたのは高校生、それも女子だった。ごく普通の感じの娘。長い黒髪に優しそうな瞳。そこまで美少女というわけでは無かったが、誰とでも仲良くなれそうな親しみのある風貌だ。
だが宗にとっては違った。
またこいつか。宗はそんなことを考えながら、窓の外を見て言った。
「……何」
それを聞いて慌てる少女。
「いや、別に用事は無いんだけど……」
「なら、話しかけるなよ」
宗は抑揚の無い声で言い放つと、再び寝る姿勢に入った。
沈黙。電車が揺れる音だけがリズムよく聞こえる。
「宗くん……、もう話してくれないの? 昔みたいに……」少女が呟いた。
その話はやめろ。宗は心の中で叫んだ。
「宗くん、学校じゃいつも、」
宗は突然立ち上がり、そして少女を激しく睨んだ。その話にはいい加減うんざり、いや。この時はもはや怒りが込み上げてきた。何千回同じ問いを繰り返すんだ? 宗は自分の胸の中から急激に想いが溢れ出してくるのを、感じた。それはとても刺々しい想いだ。そして宗には、その感情を抑えることができなかった。言葉が一気に溢れる。
「何なんだよ! 他人の事ばかりいつもいつも! 他人だろ! それをまるで分かったみたいに言う! ほっといてくれよ! お前は……詩音は、僕の何なんだよ!」
宗はあらん限りの大声で叫んだ。これほど叫んだのは久しぶりだ、というより前に叫んだのがいつかを覚えていない。ふと、妙な空気を感じ辺りを見た宗は、赤面した。
車内の客が全員こちらを見ている。刺すような視線。電車はもうだいぶ学校の近くの駅まで来ており、客はかなり増えていた。宗は、それに気づかなかった自分の迂闊さを、殴りたくもなった。
宗が、『詩音』と呼んだ少女は、怯えるような目で宗を見上げている。宗はうつむきながら、飛ぶようにして別の車両を目指した。 なんでこんなことに。全部、詩音のせいだ。
だが何よりも、自分に腹が立った。
宗は電車から降り、いつものようにそこから歩いて学校に向かった。宗の通学手順は、まず自宅のアパートから自転車で駅まで行き、そこに駐輪。続いてその駅から、学校の近くの駅まで電車に乗り、後は歩いて少しの学校に行く、というものだ。おそらく同級生の中でもかなり通学に時間がかかるほうだと宗は思っている。最も、彼は同級生の通学手順を知らなかったが。
数分ほど歩くと、学校の門と校舎が見えた。どこにでもありそうな高校だ。だが宗にとってそこは、決して居心地のいい場所ではなかった。
どうせいつかは別れることになる仲なのに、意味のない挨拶を交わす。群れになって笑いあい……。
何が楽しいんだろう? 少なくとも僕はそんなことはしない。したくもない。
宗は校門をくぐり、ふと空を見上げた。
宗は視力だけは異常に良い。2.0以上はあると医者に言われたこともある。だから時々、見たくないものまで見えてしまうこともあった。
そして今がそうだった。
校舎の屋上に、妙なものが見えた。たった一人、人影だ。
屋上に人影がいる、というだけでは別に驚く要素には値しない。しかし、確か屋上は現在使用禁止になっていたはずだ。しかも影は心なしかこちらを見下ろしているようにも見えた。
宗はそれに一瞬興味がわいたが、すぐに頭から閉め出した。ばかばかしい。オカルト部か何かが謎の儀式でもやってるんだろう。
宗はため息をつき、校舎の中に歩いていった。
「見つけたよ。イントロダクト・オービス――」
屋上の人影――宗と同年代ほどの少年は、宗を見て確かにそう呟いた。
夜の闇のような黒い髪、そしてそれと対照的な青色の鋭く美しい目をした少年だ。少年が着ているのは宗の高校の制服だった。だが、明らかに普通の生徒とは、いや。むしろ普通の人間とは雰囲気が違う。
少年は何かを早口で呟いた、その瞬間。
少年の姿はそこから消えた。