<4> 雨の大街道、忍び寄る笛吹きの男
――9月10日、13時。ポルティガ近郊。大街道。
暗い灰色の雲が、空の低いところまで垂れこめている。世界のすべての音を一度かき消し、そこに上書きしようとしているような静かな雨の音が続いている。
大街道の端では、隊商が休憩の準備をしていた。雨の中強行軍で進んでいたが、馬に疲労が強く見え始めていたのだ。
護衛の冒険者が周囲を警戒し、御者たちが馬車を並べ、防水の魔法を施した帆布を馬車と馬車の間にかけていく。
湿気が周囲を満たし、作業をしている者たちの衣服が肌にまとわりつく、不快な雨だった。
「急げ急げ!」
「魔導コンロで火をつけろ!」
慣れた手つきで、手早く準備を進めていく。
遠くに森が見え、その先には山々の稜線が続いている。手前の平地では、大街道がまっすぐに伸びている。
ポルト王国には、大街道と呼ばれるいくつかの都市や町を繋ぐ整備された街道がある。
歴代の王たちが地道に広げてきた道路網であり、ポルト王国に物資を行き巡らせるための毛細血管のような物流の要でもある。
大街道には一定の距離ごとに宿場町が整備され、他の街道と比較すると、盗賊団や魔物に襲われる危険性が少なく、利用する商人は多かった。
「おやおや、旅の商人の方々でしょうか。ご一緒してもよろしいですかな」
隊商が大街道沿いで休憩をしていると、濃い灰色のローブを着た男がそう言って近付いてきた。
護衛の冒険者たちが警戒して立ち塞がる。
「私は怪しい者ではありません。ただの旅の修道士でございます」
男はそう言うと、ローブの前で手を合わせる。胸元には濃い灰色の刺繍で縫われた星のマークが3つ重ねられている。
「……聖心教会の修道士様でしたか」
護衛の後ろから、一人の背が低く恰幅の良い男が出てくる。男は小さく頷いて冒険者に合図をすると、彼を招き入れる。
「あいにくの雨でございますな。このような場所で出会うのも何かの縁。しばしの休憩をご一緒いたしましょう」
商人として、情報はいつだって貴重である。危険がないのであれば、旅先のちょっとした交流は大切なことだと見なされていた。
「これはこれは……身体が芯から温まりますな」
旅の修道士は隊商が休憩で飲んでいたスープをもらって啜ると、人心地ついたように言う。大規模な隊商で、大きな馬車が5台連なっている。
修道士が顔を上げると、馬車の屋根と屋根の間に張っている帆布に雨が溜まっているのがわかる。帆布に防水の魔法を施すくらいには儲けている隊商なのだろう。
ローブのフードをおろした修道士は、スキンヘッドに鉤鼻が特徴的な見た目の初老の男だった。
ただ、一番印象的なのはその目だった。視力が低く見えにくいのか、瞳が少しだけ白濁している。ただし、好奇心旺盛そうに、その濁った眼がよく動くのが異様と言えば異様だった。
「……修道士様はお一人で旅を続けられているのですか?」
やや不気味さを感じつつも、隊商の代表である商人の男がそう訊ねる。
「ええ、7月にわが聖心教会の一部の過激派が、ポルティガで起こした事件はご存じですかな?」
「……僧兵たちが司祭様を殺してクーデターを起こそうとしていたとか」
慎重に言葉を選びながら、商人は言う。商人として、ポルティガ開港祭事変と呼ばれる事件のことはよく知っていた。
「そうなのです。聖心教会の過激派の一部が、ポルト王国の外務大臣と、第7隊の副隊長と手を組み、国家転覆を目指したのです。それで聖心教会の信者たちに少なくない不安が走りました……だから私は信者の皆さまの誤解を解くために、国内を回っておるのです」
「なるほど、そうだったのですね。すばらしいお心がけですな」
「ええ、あくまでも事件を起こしたのは過激派の一派であり、聖心教会の教え自体は何も変わってはおりませぬので」
修道士はそう言った。
「第7隊の若き隊長が自らの命を犠牲にその野望を打ち砕いたとか……悲劇の若き天才隊長だという吟遊詩人の歌を聞きましたよ」
商人は、数日前に滞在した街で、吟遊詩人がそう歌っていたのを聴いていた。
「そうですね……クリス様の活躍によって、過激派が討伐され、私どもも一安心しております。さて、商人様は、これからどちらに向かわれるのですか?」
修道士が、何でもないことのようにそう訊ねる。
「ああ、まさにそのポルティガですよ。私たちは定期的にポルティガと地方都市を行き来しているのです」
商人は、会話の流れから、自然にそう答える。
「そうなのですな。積み荷も……随分と大きなものですな」
修道士は馬車や、馬車が引いている台車に載せられた大きな木箱などを見て言う。
「ええ、生活必需品から、希少な動物まで、まあ、いろいろとです。我々は商人ですから、求めがあれば色々と揃えるのです」
「大変なお仕事ですな」
「修道士様の真摯な巡礼と比べると大分俗っぽい仕事ですよ」
商人はそう言う。
「グルル……」
一瞬、雨の音に紛れて獣のような、低音のうめき声が聞こえる。
修道士は一瞬目を細め、耳を澄ませる。そして、ローブの内側に手を入れると、細長い荷物の感触を上からそっと確かめる。
「ほほう……ポルティガには、大層珍しい動物を求めてらっしゃる方がいるようですな」
「……まあ、そういうことです」
商人はそれ以上は会話を続けたくないというように言う。決して、善良な商人というわけではないのだろう。
「ああ、そうです。スープをいただいたお礼に、一曲いかがですかな。ちょうど、とても良い音で鳴る笛があるのですよ」
修道士が言う。商人は話題が変わったことに一安心して、「それはいいですな」と言う。
「それでは、失礼いたします」
修道士はゆっくりと立ち上がると、ローブの内側から笛を取り出す。青銅のような鈍い緑色の金属で作られた横笛で、蛇の彫刻のようなものが笛に巻き付いている。
修道士が息を込めると、不思議な音色が聴こえはじめる。
その音は雨の合間を通り抜けていくように遠くまで響き渡る。警備していた冒険者たちも、手持無沙汰にその音に耳を傾ける。
しばしの間、大街道の野営地に、笛の旋律が響き渡る。
「いやはや、見事な腕前ですな。私は音楽などには疎い方なのですが、それでも修道士様の演奏のすばらしさに聴き入ってしまいましたよ」
修道士が笛を口から離した後で、商人が手を叩いてそう言った。御者たちも、主人の拍手に追随して、ぱらぱらと拍手をする。
「……いえいえ、本当は人前で吹けるような腕前ではないのですが。お褒めいただき、ありがとうございます。色々と実験、いや練習をしたのですが、私の笛は、どうやら、3日後くらいに一番効くようでございます」
胸の前で笛を持ったまま、修道士が言った。
「それはいいですな。3日後であれば、ちょうどポルティガに着く頃です。修道士様の音色を思い出させていただきますよ」
商人は言った。
「箱の中に入れられている希少な動物にも、笛の音が癒しになってくれればいいですな」
「そうですな……」
商人は目を細める。修道士が素直にそう言っているのか、ある貴族に依頼されて秘密裏に運んでいる動物が何であるのかに気付いているのか、読み切れないところだった。
「あたたかいスープ、ありがとうございました。それでは、良い旅を」
「こちらこそ、素晴らしい演奏をありがとうございました。良い旅を」
暗い雨の午後、ポルティガ近郊の大街道に響いた笛の音は、やがて何事もなかったように、雨の音にかき消えていく。
「グルル……」
大きな木箱の中から、再び獰猛な鳴き声が低く響いている。
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