秋風の中で、僕らはまた少し大人になる
夏の終わり、新学期が始まった。たけるは、夏祭りの夜に想いを伝えたあんりとの距離に戸惑っていた。あの日の「好きだよ」という言葉の余韻は残っているものの、日常の中では彼女とどう接すればいいかわからず、自ら壁を作ってしまう。
一方で、あんりとクラスメイトのあつしは、文化祭の準備で急接近。たけるは二人の姿を遠くから見つめることしかできず、心の奥に渦巻く感情を持て余していた。
文化祭が近づく中、たけるはあつしから本心を見抜かれ、「逃げるより、想いを伝えろ」と励まされる。そして迎えた本番の日。演劇の舞台裏、たけるは再びあんりに自分の想いを伝える決意をする。
「また、あんりとちゃんと話したい。隣にいたい。」
そう口にしたたけるに、あんりは微笑みながら答える。
「私もそう思ってた。」
秋風の中で交わされたその言葉は、少年の心に新たな一歩を刻み込んだ。そして、三人の関係も少しずつ変化を始めていく――。
新学期が始まる朝、空気は夏の終わりを知らせるかのように澄んでいて、木々の葉も少しずつ色を変え始めていた。たけるは制服の胸元を整えながら、鏡に映る自分に小さく問いかけた。
「…今日から、また普通の毎日か。」
夏祭りの夜、あんりに想いを伝えた。あの時、彼女は微笑みながら「私も、たけるが好きだよ」と言ってくれた。夢のような言葉だった。けれど、それから二人で何か特別なことをしたわけでもない。連絡を取り合うわけでも、放課後に一緒に帰るわけでもなかった。
教室に入ると、あんりはすでにクラスメイトと笑顔で話していた。たけるの姿に気づき、一瞬視線が合った。あんりは微笑んで手を振ったが、そのあとすぐに隣の席の友達に話しかける。たけるは小さく会釈を返し、自分の席に向かった。
「なんか、夏とちがうな…」
そう感じたのは、たけるだけではなかった。
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数日が過ぎた。放課後、たけるは図書室で静かに本を読んでいた。気づけば、教室ではあんりとあつしがよく話すようになっていた。二人が仲が良いのは今に始まったことではないが、最近はその距離が少し近くなった気がした。
ある日、たけるが廊下を歩いていると、教室の中から聞こえる笑い声に足が止まった。
「それ、マジでやばいって!」「あはは、あつし最高!」
声の主はあんりだった。その隣にはあつしの姿があった。
たけるの胸の奥が、じわりと苦しくなった。
「…俺、あんりと話してないな。」
彼女の中で、自分の存在はもう薄れてしまったのかもしれない。そう思うと、声をかける勇気が出なかった。
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そして、文化祭の準備が始まる。
たけるのクラスは「演劇」をすることになり、脚本はクラスで一番絵が得意なあんりが担当することになった。主役はあつし。誰もが納得のキャスティングだった。あんりとあつしは、打ち合わせのために毎日のように放課後一緒に残っていた。
たけるは大道具係として裏方に回った。誰にも文句を言われず、誰とも関わらずに済むポジション。それが、今の彼にとって一番楽な場所だった。
「ねえ、たけるくん。これ、塗る色ってこれで合ってる?」同じ班の女子に聞かれ、たけるは頷く。
「うん、大丈夫。」
彼の返事はどこか冷たく、自分でもそれを感じていた。でも、感情を出すのが怖かった。
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ある日、体育館の裏で一人、スプレー缶を振っていたたけるのもとに、あつしがやってきた。
「よお。最近、元気ないなーって思ってさ。」
たけるは一瞬、言葉に詰まったが、無理に笑って返す。
「別に、普通だよ。」
あつしは缶のふたを拾いながら、ポツリと言った。
「俺さ、たけるがあんりのこと好きだったの、ずっと気づいてた。」
その一言に、たけるは動きを止めた。
「でも、あんりも、たけるのことちゃんと見てたよ。…だけど、今はお前が何考えてるのか、あいつもわかんないって言ってた。」
たけるはスプレー缶をゆっくり置き、顔を上げる。
「わかんないのは、俺自身も同じだよ。あんなに好きだったのに、今は…話しかけるのが怖くて。」
「なら、言えばいいじゃん。俺の前でもさ。」
あつしのその言葉には、まるで怒りも妬みもなかった。むしろ、応援するような優しさが込められていた。
「…あんりの隣に、いたいと思うなら、行けよ。」
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文化祭当日。演劇は大成功だった。会場には笑いと拍手が響き、主役のあつしは堂々と舞台を締めくくった。
たけるは、照明ブースの隅からその光景を見つめていた。
終了後、片付けのために体育館に戻ると、あんりが一人ステージの上に立っていた。スポットライトの名残が彼女の髪を柔らかく照らしている。
たけるは、ゆっくりと歩み寄った。
「あんり。」
彼女は驚いたように振り返り、微笑んだ。
「来てくれたんだ。」
たけるは頷いた。そして、まっすぐ彼女の目を見つめた。
「ごめん、夏のあと、俺…ずっと逃げてた。あんりが、あつしと一緒にいるのを見るのが怖くて、自分の居場所がなくなる気がして。」
あんりは少しだけ眉をひそめたが、すぐに優しく答えた。
「私もね、たけるともっと話したかったよ。でも、たけるが私を避けてるように見えたから…踏み込めなかった。」
静かな沈黙の中で、たけるは一歩、彼女のそばへ近づく。
「また、あんりとちゃんと話したい。隣にいたい。」
その言葉に、あんりはうなずいた。
「うん、私もそう思ってた。」
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文化祭の打ち上げ。クラスのみんなが盛り上がる中、たけるはあんりと隣に座っていた。笑い声が響く教室の中で、彼は心から安心して笑っていた。
少し離れた場所で、あつしが一人、飲み物を飲みながらその様子を見ていた。そして、小さく微笑んだ。
「よかったな、たける。」
その言葉は誰に聞かせるでもなく、ただ静かに空気に溶けていった。
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秋風が校庭を通り抜ける。
たけるは、あんりと並んで歩く帰り道、ふと立ち止まった。
「ねえ、来年の夏もさ、一緒に祭りに行こうよ。」
あんりは笑いながら返す。
「約束だよ。」
その言葉が、秋の空にふわりと舞い上がる。
あの日、勇気を出した少年は、また一歩、大人になっていた。
「秋風のなかで、僕らはまた少し大人になる」を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
この物語は、「たけるとあんりの夏」のその後を描く続編として執筆しました。前作では、初めて誰かに想いを伝える勇気を描きましたが、今回は「想いを伝えた後、どう向き合うか」がテーマです。
たけるは、あんりに気持ちを伝えたことで全てがうまくいくとどこかで期待していました。でも実際は、そこからが本当のスタートです。言葉にしたからこそ、次は「関係を育てていく」必要がある。それは子どもにとっては、とても難しいことかもしれません。
人との距離感に悩み、不安になり、何が正しいのか分からなくなる。そんな経験は、大人になる過程で誰もが一度は通るものです。この物語を通じて、たけるの葛藤や成長をリアルに描けたのなら、私は嬉しく思います。
あんりもまた、たけるに想いを寄せながら、言葉にされない時間が不安でした。明るく振る舞っているように見えて、彼女もまたたけるの言葉を待ち、迷っていたのです。そして、そんな二人を見守るあつし。彼の言葉と存在が、たけるの背中を押したことは間違いありません。
「友情」と「恋心」。この微妙なバランスのなかで、自分をどう表現し、相手とどう関わるか。まだ未熟な彼らだからこそ、まっすぐで、時に不器用な形になりましたが、その不完全さこそが青春だと思います。
この続編では、たけるの「沈黙」と「前進」、あんりの「待つ強さ」、あつしの「見守る優しさ」を描くことを意識しました。三人の関係は、これで終わりではありません。今後の物語では、さらに深まる感情の揺れや、別れ、再会などを通じて、彼らがどんな未来を選んでいくのかを描いていく予定です。
今はまだ未完成な彼らが、少しずつ自分と他人を受け入れ、大人になっていく――その過程を、これからも見届けていただけたら幸いです。