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アーケイン・フロント  作者: メグメル
【模範市民編】第二章: 砕かれた平和【上】
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砕かれた平和【上】②

マグレブ列車が低く唸りながら、都市の軌道を滑るように進んでいた。一定のリズムで鳴るアナウンスのチャイムが、車内に淡々と響く。


モリタは窓際に立ち、片手で金属製の手すりを掴んだまま、流れゆく都市の風景を見つめていた。高層ビル群が、鋼とガラスの線へと溶け込み、冬の淡い陽光を反射してきらめいている。


視界の隅で、ホログラフィックの広告塔がちらついた。以前は《ÄNGSÄLVOR PHARMACEUTICALS》の華やかな広告で彩られていたが、今は連邦の厳めしいロゴが全面に映し出されていた。


(人類の未来のために、今こそ行動を)


兵役登録を促すスローガンが、無機質に点滅している。


静かだった。ただ、沈黙ではなかった。整然と並ぶ座席に座る通勤客たちの顔が、ホロスクリーンの淡い光に照らされている。誰もが個人ニュースを確認していた。


表情は、どれも似ていた。心配、戸惑い、そしてどこかあきらめに近いもの。

フィードのトップには、戦争関連の見出しが並んでいる。


(連邦の動員呼びかけにより、志願者数が120%増加)


(ÄNGSÄLVOR社、国家反逆容疑で調査対象に)


(『異界人論』を巡り、トリフェクタが支援強化を発表)


向かいの座席に、一人の少女が座っていた。周囲を気にするように、視線が何度も揺れる。額の横から、小さな角が二本、控えめに覗いていた。膝の上に乗せた鞄の上には、くるりと丸まった尻尾がそっと巻きついている。


ティーフリング——そう呼ばれる種族だった。


混雑した車内の中で、彼女の隣の席だけがぽっかりと空いていた。


抑え気味の声が、車内のあちこちから断片的に漏れていた。学生同士の小さな囁き、大人たちの一瞥。そのどれもがはっきりとは聞き取れないが、そこに込められた「色」は否応なく伝わってくる——淡く、しかし確実に含まれた拒絶の気配。


モリタはふと、天井に投影された広告に視線を移した。


そこには、ドレスユニフォームを身に纏った連邦将校が、戦闘装甲を着た部隊を背にし、堂々と星間巡洋艦艦隊の前に立っていた。


その下には、太く刻まれたスローガンが光っている。


(安全のための奉仕——未来のために戦え)


静かに息を吐き、再び窓の外へ目を向けた。


列車が減速し始め、都市の光がゆっくりと流れを変える。


「まもなく 王子 王子です 左側のドアが開きます」


自動音声がキャビンに響き、続いて聞き慣れたチャイムが鳴る。


そのアナウンスに、モリタは思考を断ち切られた。鞄のストラップを直し、肩に掛け直す。


ドアが小さな音を立てて開き、プラットフォームのざわめきと共に、冷たい朝の空気が滑り込んできた。ホームに降り立った瞬間、ひやりとした風が頬をかすめ、眠気が吹き飛ぶ。


王子駅——普段なら、学生や会社員で溢れる活気ある混沌の交差点。


だが今日、モリタの視線は別のものに引き寄せられた。


連邦の制服を身に纏った兵士たち。青みがかった灰色のユニフォームが整列し、訓練された無駄のない動きで並んでいる。規則正しく、無音の存在感を放っていた。

背後で列車のディスプレイが静かに切り替わる。いつもの通勤ルートの表示が消え、公式の文字列が浮かび上がる。


(特別運行 軍関係者専用)


モリタはちらりと振り返る。その列の中には、どこかで見たことのある顔がいくつかあった。

——かつての天文部のメンバーたち。


しかし、声をかけることはしなかった。


〈新兵か……訓練所行き、か〉


鞄のストラップを軽く直し、彼は無言のまま背を向ける。そのまま人波に紛れ、ゆっくりと歩き出した。

地上へと出ると、モリタは大きく息を吸い込んだ。冬の冷たい空気が肺に染み渡り、身が引き締まる。前方、学校へと続く通学路の端に、見慣れた姿が立っていた。


カティアだった。自販機のそばに立ち、柔らかな朝日を受けて黒髪が静かに揺れる。手にはお茶のボトル。ときおり周囲に視線を向けつつ、ゆっくりと口をつけていた。翼は背中にきちんとたたまれていた。尾は、地面に触れないようにそっと揺れている。


その隣では、ナオトが自販機にもたれかかりながら、片手を大げさに振り上げて喋っていた。ジェスチャー付きの陽気な会話。時折の笑い声が寒空に響く。


もう一人、横にいたのはリア。両手で温かい缶しるこを抱え、吐く息が白く舞っていた。イヤーマフをつけていたが、長く尖った耳の先までは届かず、露出した部分がピンク色に染まっている。リアはナオトの話に付き合いながらも、口元には常に余裕のある笑みを浮かべていた。


カティアがモリタに気づき、パッと明るく手を振る。笑顔を見た瞬間、モリタの足が自然と速くなった。

リアの視線が一瞬だけモリタに向き、すぐにまた他所へと戻る。


「おっそーい! やっと来たと思ったら、氷河期でも旅してたのかよ~?」


ナオトの声が、朝の喧騒を貫いて響く。


モリタは片手を軽く上げて応え、口元に微かに笑みを浮かべた。


「……寒かったんだよ」


「はいはい、またそれ」


リアが腕を組みながら、軽く目を回した。


「去年の夏は“暑くて無理”って言ってなかった?」


彼は肩をすくめるだけで気にも留めず、視線は自然と歩み寄るカティアへと移っていた。


「朝から大変だった?」


カティアが首をかしげながら尋ねる。柔らかな声音に、からかうような調子が混じる。モリタと目が合うと、ふわりと微笑みを浮かべたまま、一歩近づいてくる。


彼女の手には、まだ湯気の残る温かいお茶のボトル。


「別に。……ちょっと長かっただけ」


モリタは肩をすくめながらボトルを受け取り、一口。喉を通る温もりに、ほんの少しだけ顔が和らぐ。

カティアはそのまま彼の隣に寄り添うように立ち、背中の翼を冷たい空気から守るようにたたみ直す。


そして、そっと手を伸ばし、モリタのマフラーを整える。指先が、ほんの一瞬だけ彼の肌に触れた。


「ほんと、どうしようもないよね」


小さく、でもあたたかな声。ため息混じりの言葉には、不満よりも親しみがこもっていた。


「もうちょっと、自分を大事にしなよ」


モリタは苦笑を浮かべながら、マフラーを軽く引き直す。


「……気を遣わなくていいよ」


「誰かがやんなきゃでしょ?」


カティアの指は、ほんの一瞬だけそこに留まったあと、ゆっくりと離れた。


視線は、そのまま彼を見つめ続ける。


「まあ……とにかく無事でよかった。ナオトに回収任務でも頼もうかって話してたんだから」


「誰が好き好んでこの寒さの中を出動すんだよ」


ナオトはそう言いながら体を起こし、ポケットに手を突っ込んだ。


「俺、そこまで慈善精神ないからな?」


リアが鋭い視線を投げながら、口元にニヤリとした笑みを浮かべる。


「慈善かどうかはともかく……あんたの成績見てたら、先生たちも連邦の未来に絶望しそうだけどね」


「ひどっ!?」


ナオトは胸を押さえて、まるで刺されたかのような演技をする。


「副部長ぉ!? 俺、前よりマシになってるんですけどぉ!」


「“伸びてる”って……毎回新しい落ち方を研究してるって意味なら、確かに進歩かもね?」


リアの笑みがさらに広がる。


「二人とも、ほどほどにね」


カティアが穏やかに笑いながら口を挟む。


「ナオくん、気にしないで。最初からハードルそんなに高くなかったし」


「俺、なんでこのメンバーにいるんだっけ……」


ナオトが頭を抱えながら手を投げ出す。


「他に拾ってくれる人がいないからだろ」


モリタが淡々と返すと、一瞬の静寂の後、全員から笑いが起きた。


モリタは腕時計型ホロをちらりと確認し、周囲に軽く合図を送る。


「ほら、まだ学校まで歩くんだから」


一行は自然な流れで歩き出す。それぞれの歩調がバラバラでも、どこかしっかりとまとまっていた。

ナオトは両手を突っ込んだまま、寒い寒いとぶつぶつ文句を言いながら歩く。リアはその後ろで肩にかけた鞄を直し、ナオトに無言の視線を投げる。その一睨みに、ナオトは即座に静かになった。


カティアはモリタのすぐ隣を歩いていた。控えめで、けれど確かな足取り。喧騒の中で、その存在はどこか落ち着いた重みを持っていた。


朝の澄んだ空気が、二人の言葉の間を静かに満たしていた。


カティアの尾が、いつもの気だるげなリズムで揺れていた。その先がふとした拍子にモリタの脚に触れ、彼の視線が横へと向いた瞬間、彼女の翼が小さく震えた。

モリタと目が合うと、カティアはふんわりと微笑んだ。


ほんの少し、長く。


「りゅうくん」


カティアの声が、風に乗って、彼の耳にだけ届いた。


「ちゃんと眠れた?」


「……まあ、寝不足ってほどでもない」


モリタは変わらぬ口調で応じたが、視線が一瞬だけカティアの横顔に流れ、それから前方へ戻る。


「……今朝みたいなことが続くなら、住まいのこともちょっと考えなきゃだけど。カティアは?」


「私はよく眠れたよ」


カティアの声は静かで、どこか余韻を引くようだった。彼女は一歩だけ近づき、笑みを少しだけ深くした。


「年末が終わってから……少し静かになったでしょ」


モリタは肩の鞄を持ち直し、小さく息を吐いた。


「……そうだな」


吐き出された息が白く揺れ、頬に残る温もりが、寒さ以外の何かを思わせた。


「……静かだな、ほんと」


カティアはもう一歩、彼に寄る。


声が、さらに少しだけ下がる。


「りゅうくん。もし困ってるなら……うち、空いてる部屋あるから」


「いや、でもそれは——」


「だいじょうぶだって」


カティアはくすっと笑いながら、耳の横の髪を指先で払った。


「うちの両親、りゅうくんのこと好きだったでしょ?」


モリタは口をつぐんだ。


今朝のやり取りが、頭の中にちらりとよぎる。


けれど——カティアの柔らかな声と、そのあたたかさが、それをそっと押し返してくる。

モリタは彼女の方を見て、ほんのわずかに微笑んだ。


「……考えとくよ」


モリタはまたマフラーを直した。必要があったわけじゃない。ただの癖だった。


隣を歩くカティアは、変わらずそばにいて——その笑顔の温もりが、思っていた以上に胸の中に残っていた。


視線を前に戻し、気持ちを切り替える。

その少し後ろ。


リアの足取りが、一瞬だけ乱れた。


すぐに持ち直してナオトの背後に追いつくが、普段の彼女らしさは少しだけ薄れていた。手に持つしるこの缶が、静かにきゅっと握られている。


「なんかあった?」


ナオトの声が、その沈黙を破った。両手はポケットに突っ込まれたまま。吐く息が、白く空に漂っていく。


「……別に」


リアは即答した。少し、早すぎたかもしれない。

イヤーマフを直し、歩調を速める。ナオトの横を通り過ぎる時、その声は風に消されそうなほど小さかった。


「……なんでもない」

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2025/7/10 - カチャ を カティア に変更しました。ごく小さなこだわりですが、こちらの方が名前の響きが良く感じたためです。

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