天国の門④
地下壕の入口は、近づいてみると思っていたより広かった。
ヘルメットのライトが届くのは数メートル先までで、その先は別の光がぼんやりと続いている。歩くには足りるが、それ以上は見通せない。壁面も床も補強材も――予想より整っていた。少なくとも、彼女が想像していたような鉱山坑道ではない。
あれほど頑強に抵抗している以上、地下にマナ中継器を埋設していると考えるのが自然だ。軌道砲撃は十分だった。それでも抵抗は崩れなかった。
ならば“特別任務”の目的は単純だ。中継器を見つけ、停止させる。ギャップ・ゾーンが残っている限り、〈ヤマシロ〉は再度の砲撃を許可しない。ボンボンの走査とRATSの情報が鍵になる。
狙撃兵を近接戦に投入するなど――
愚策だ。
「まとめてくたばれぇ!!」
コウタ上等兵が、視界に入った十名ほどのレギュラーへオートコイルを叩き込む。撃ちっぱなしだ。銃声が狭い空間に跳ね返り、甲高い振動が耳の奥まで突き刺さる。夏の蝉みたいに、鼓膜を無遠慮に擦り潰す。
名は体を表している。
「撃ち方やめ――やめて!」
リア兵長が両腕を上げて叫ぶ。それでも止まらない。
「撃ち方やめ!」
エレナ上等兵はコウタのヘルメットを強く叩いた。彼がよろめき、指が引き金から滑り落ちる。
セミが止む。
残ったのは、負傷者の呻きだけだ。空間を引きずるように響き、リア兵長がその場から止めを刺すまで続いた。
「全員無事か?」
短い声が返る。息の荒さと、苛立ちだけが混じる。
リア兵長は隊形を崩し、コウタ上等兵へ向き直った。
「辻、次からは命令を待ちなさい――分かった!?」
コウタは横へ唾を吐く。
「了解っす、兵長」
軍曹が伍長ではなく、この兵長を選んだ。その事実が癪に障る。判断の綻びだ――運が味方しただけ。
リア兵長がエレナ上等兵へ一瞬だけ視線を向け、それから踵を返した。
階級だけでは人は動かない。彼女もそれは分かっている。
「くそったれのフェイダー……」
リア兵長に任せれば、いずれ死人が出る。四人まとめてだ。
「移動するぞ――スライス、先頭」
トンネルは暗く湿り、硫黄と閉じ込められた体臭が混ざった臭気が充満している。本来なら短期決戦で終わるはずだった。赤城周辺の複数入口から突入班が収束している。それでも帝国側は最後まで持ちこたえている。
最悪なのはプラズマキャスターだ。直撃を受けた者はのたうち、叫びながら折れ曲がる。武器も装甲も肉と融着し、焼けた蛋白質の臭いが空気にまとわりつく。
ここで吐くわけにはいかない。体裁が悪い。
壁が震える。第二線への押し込みが始まった。
スライス上等兵が先頭に立ち、最初の角を曲がる。プラズマキャスターが低く唸る。発射のたびにトンネルが悲鳴を上げ、臭気が制服に染みつき、熱が靴底を通して伝わる。
なぜ軌道攻撃が許可されない。民間人を数人失う――その政治的反発が、そこまで恐ろしいのか。
無能だ。
通信は途切れがちだが、断片は届く。第二線は持ちこたえている。〈ヤマシロ〉は友軍誤射の懸念を理由に砲撃要請を拒否した。まるでそれが連邦を止めたことがあるかのように。
〈シュトゥルムフォーゲル〉一機が戦闘不能。アカギ-1は炎上中。第141歩兵師団の指揮官が戦死。
『チャーリー――第七分隊――室内で釘付け――複数敵――防壁――』
さらに奥で、ボンボンのスキャナーが反応を拾う。RATSが事前にマッピングしていた大型空間の一つだ。
兵長は通信の再接続を試みる。回線は戻らない。進路を切り替え、チャーリーの位置へ向ける。
前方で短い連射音が響く。パルスライフルとオートコイル。反響の質が違う。空間が開けている。
兵長が歩幅を上げる。伍長のやり方に似ている。
トンネルが折れる。閃光が走り、射撃は止まらない。
通路を抜けた瞬間、足音が石壁に跳ね返る。
敷居を越えた先で床が落ち込み、天井は闇の奥へと高く消えている。RATSが記録していた大型空間の一つで、部屋というより意図をもって削られた空間だった。急造の籠城地点ではなく、もっと古い。
視界が順応するより先に高低差を把握する。彼らは石の縁に立ち、下の床面を見下ろしていた。
チャーリーは真下にいた。
柱のそばに一人がねじれた姿で倒れている。顔は天井を向いたまま、下半身がない。別の隊員が砕けた石塊の陰に身を縮め、縁から盲射している。残りは教範違反の密度で固まっていた。逃げ場がないためだ。
四枚の盾が肩を寄せて組まれている。縁を重ね、隙間なく並ぶ。中世の隊形が現代の兵を押し込んでいる。パルス弾は表面で弾け、侵徹しない。
盾の後方から槍が規律正しく突き出される。間隔を揃え、隙間を狙い、壁を無視する魔力を撃ち込む。
チャーリーは床面で応戦しているが、盾は崩れない。
――上からの射撃を想定した構造ではない。
スライス上等兵が一歩出てキャスターを押し下げる。青い奔流が盾越しに後列を叩く。
続いてコウタ上等兵が撃ち込む。槍兵たちは絡まり合い、のたうち、塊になる。悲鳴が空間に反響する。
盾兵が気づいたときには遅かった。
チャーリーが開いた隙へ撃ち込む。反撃は速く、正確だった。
「……クリア」
兵長が銃口を巡らせる。ボンボンの反応も消えた。
「チャーリー中隊?」
石塊の陰にいた隊員が立ち上がり、手を振る。
「こちらへ降りろ。少し奥に降り口がある――マナ灯を辿れ」
上から見ると、天井は浅く湾曲している。ボンボンが浮遊するには十分な高さだ。柱の配置が視線を中央へ導き、自然と上を見せる造りになっている。
地面が揺れ、中央に吊られたマナのシャンデリアがゆっくりと揺れた。
急造ではない。籠城のために一日で掘った空間でもない。
奥の長い通路の先でチャーリー分隊と合流する。一名戦死、二名が乱れた状態だ。坑道戦は想定以上に消耗が激しい。
「援護、助かった」
声は掠れている。チェストリグは焦げていた。
「囲まれていた」
当然だ。軌道バンカーバスターが許可されていれば、この損耗は避けられた。
「お役に立てて何よりです」
兵長が応じる。まず生存者を確認し、次に空間を見回す。
「状況は?」
レンジャーは倒れた仲間へ一瞬視線を落とし、兵長へ戻す。
「うちの軍曹がここまで降りてきた。あの不運な野郎だ」
息を整えながら続ける。
「幸運にも、捕虜収容区画を確保した。捕虜も一名」
言葉を選ぶように間が空く。
「……誰か、言葉が分かるか?」
エレナ上等兵はコウタ上等兵へ視線を投げ、次にスライス上等兵を見る。期待はない。
兵長が一歩出て手を上げる。
分からないほうが問題だろう。エルフの血を引く異界人なのだから。
レンジャーは頷き、奥の扉へ手招きした。
「一番奥、右端の独房に入れてある。聞き出せることは全部聞き出せ。どうやってリレーに辿り着くか、必ず吐かせろ」
扉の取っ手を握りながら言う。
「増援と後送が来るまで、こちらで持ちこたえる」
一瞬、足を止めて振り返る。
「どうやるかは任せる、兵長。――痛みは与えろ」
扉が押し開けられた。
最初に出てきたのは臭気だった。淀んだ体臭と排泄物、腐敗が重く粘つくように漂う。次に鉄の匂いが強く混じり、さらにそれを覆い隠そうとしたのか、何かを燃やした香が残っている。
その先に通路が伸びている。
青いマナ灯が等間隔に壁へ掛けられ、揺れながら石壁を照らす。補強された木製扉が並び、小さな鉄格子の窓が嵌め込まれている。蝶番は内側へ沈み、錠は石壁へ組み込まれていた。
通り過ぎるとき、最も近い独房の窓に手が絡みつく。
中央に――
……連邦よ……
青い灯の揺らぎの下、石の台が斑に光を受ける。光を返さない部分は黒く、乾ききって割れている。四隅には鉄の枷が打ち込まれ、深く固定されている。側面には意図的に刻まれたルーン文字が並び、その溝は他より濃い。刻まれた溝の終端へ向けて染みが集まり、重力に従って沈んでいる。
通路の奥の壁には、道具が整然と掛けられていた。
《RAPHA…》
独房の一つから声が響く。格子越しに手が伸びる。
兵長が近づく。
指が石の台を指した。
《GALAV… RAPHA. DELEQ… RAPHA. DELEQ… ALAM.》
「……何て言ってる、兵長?」
エレナ上等兵は一歩下がる。
兵長はヘルメットを外し、石の台へ置いた。その表情は怒りで満ちている。光の加減か、エルフの瞳が――紫に光った。
「ここで捕虜を縛り、壊す。ルーンで繋ぎ直して、また壊す」
独房の扉が次々と打ち鳴らされる。重い衝撃音。嘆願が通路に満ちる。複数の手が格子から伸びる。どれも必死だ。
エレナ上等兵は石台へ目を向け、息を吸う。
失策だった。臭気が喉の奥で止まる。飲み込んでも意味はない。もう一度込み上げ、鉄の味が強すぎた。限界だ。
一歩退き、もう一度息を吸う。間違いだった。
ヘルメットを外し、壁へ向き直る。
短く、見苦しい。
隣にコウタ上等兵が立つ。
「……何の用、コウタ」
声は低い。乱れてはいない。
「落ち着け、エリー」
彼は小さく息を吐き、立ち位置を調整する。さりげなく、彼女と分隊の間に入った。
「まずは呼吸だ。それから、連中に何が来るか教えてやろう」
兵長は石台の傍らに立ったまま、右端の独房へ視線を向ける。次いでスライス上等兵を見る。空間が再び震える。
「尋問は私がやる。あなたは残りを」
兵長は最後の独房へ歩み寄り、錠を外す。扉が軋み、内側へ消える。
中から怒声が飛ぶ。
《SARIEL’AN… DARIEL… SANIM QEDAR… HESAR MORTAN…!》
エレナ上等兵はヘルメットを拾い上げ、装備を整える。あのエルフは流暢だ。自称よりはるかに。
ボンボンを操作し、浮上させる。内部の音声を拾わせる。
《TAR’KEDAR. REGINA’AN ZARIM—KONSPIR’AN. TRANSLAT’KA JUDIC’AN—SACER’AN IMPERI’AN.》
「……何て言ってる?」
コウタが振り向く。
「分かるか?」
喉を鳴らし、唇を整える。
「当然よ。静かにして」
《SEKAR LAMPARIM VIRDEK.》
次の瞬間、兵長が独房から飛び出す。片手にライフルを握ったまま、通路奥の扉へ向かう。扉が石壁に叩きつけられ、閉まる前に彼女の姿は消えていた。ヘルメットは石台の上に置き去りだ。
「おい、兵長――くそ、俺が出過ぎって言われるのにか?」
コウタが舌打ちする。
「どうしたんだよ。どこ行く?」
エレナ上等兵はため息をつき、同じ扉へ向かう。
「リレーに決まっています。他にどこがあるのですか。」
「は? 何も言ってなかったぞ。ヘルメットまで置いて」
「じゃ、持って行きなさい」
扉を見据えたまま言う。
「緑の灯を辿れ。それだけ」
スライス上等兵が開いた独房へ近づき、引き金を引いた。内部で光が白く爆ぜ、石壁を照らす。
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