天国の門③
「隊長に繋いでください――今すぐに!!」
巨岩が衝撃に揺れ、土砂が高く跳ね上がる。
熱が喉を焼き、呼吸が浅くなる。
飛び交う命令は無謀としか言いようがない。飛び出した者たちは、すでに斜面に伏している。
中尉は縮こまったまま腕を抱え、斜面を見上げている。まるで自分が存在していいか、誰かの許可を待っているように。
士官としては論外。
いるだけで負担になる。
無能。
無能。
無能。
無能――
シオン軍曹はすでに動いていた。代替士官の胸倉を掴み、顔を寄せる。
「ネットに入れ!」
再び衝撃が走る。何かが岩を撃ち抜き、破片が頬を掠めた。弾道は中尉の頭上をかすめ、そのまま斜面を抉っていく。
あと一撃まともに食らえば、こいつは誰かを死なせる。
彼女を。
「中尉……!」
一瞬だけ下を覗き込む。
リッカ上等兵はすでにモリタ伍長のそばにいた。忌々しいが、あの程度であの男が倒れるはずもない。……もう少しエルデウを気前よく使えないものかしら。
右手側にはリア伍長、スライス上等兵、オオサカ上等兵。中尉が別動隊とともに送り出した先だ。
一人が身を起こしかける。直後、石を削るような一撃が走り、即座に伏せ直す。
もう一つの分隊は――運がなかった。
背後でコウタ上等兵が罵声を飛ばしている。
違う。こうなるはずではなかった。砲撃は十分だったし、進路は崩れているはずだった。
なのに。
さらに上方で着弾。
エレナ上等兵は身を岩へ押しつけ、奥歯を噛みしめる。軌道砲撃は尾根をなぞるように続いている。圧は消えない。衝撃はむしろ増している。
誰かが主導権を握らなければならない。今すぐに。
通信越しに隊長の怒鳴り声が響く。
「動け! 何をしている!? 動けと言っている!」
頭上で岩肌が砕け、石片が滑り落ちる。シオン軍曹が一瞬身を引き、すぐに中尉へ向き直った。
「中尉――!」
「くそっ!」
彼は叫ぶ。
「もう一度砲撃だ! 尾根の上を叩け!」
「さっきのも大して効いていません! まだ撃つつもりですか!?」
「もう一斉射だ!」
中尉は逡巡した。視線は斜面に貼りついたまま。口が開き、閉じる。喉が上下し、誰にともなく頷いた。
折れた。
代用品。
シオン軍曹はその様子を半拍だけ見据え、地面に唾を吐く。
「メディック」
リッカ上等兵が顔を上げる。
「軍曹?」
「伍長はどうだ」
「まだ戦えます、軍曹」
モリタ伍長は体を起こし、ライフルを構え直す。
「かすり傷です」
……やっぱり。
「なんでみんなそうやって言うかな」
リッカは息を吐く。
「まあいいや。死にはしないよ。たださ、無茶しだしたら止めてよ? エルデウ、精神病棟まるごと分は持ってないから」
シオン軍曹は一度だけ頷いた。
「シロガネ」
エレナは即座に姿勢を正す。
「ドローンを上げろ。砲撃が効いていない理由を確認する。今すぐだ」
ようやく、まともな判断。
「了解、軍曹。ボンボン――発進」
ドローンが小さな電子音とともにドックを離れ、滑らかに浮上する。エレナはオムニリンクで制御を送り、低空を滑らせてから角度を上げた。
それで十分。
ボンボンの映像がHUDに展開される。岩に身を押しつける。手の震えはまだ止まらない。煙と裂けた植生が視界を塞ぐ。サーマルへ切り替える。
……
「軍曹」
呼吸を整える。
「接触確認。防御線を形成しています。塹壕、掩体壕。防護あり」
首をわずかに巡らせる。
「イゴールの反応ではありません。一体も」
「スペルスリンガーか?」
「後方に数名。ですが残りは――」
「レギュラーか」
シオン軍曹が動きを止めるのは珍しい。
ボンボンの映像にも同じ光景が映る。乱れがない。迷いもない。
東京で相手にしていたイゴールは、巻き上げ式の玩具のように突進してきた。
これは違う。
前列が揃って立ち上がり、発砲する。一斉射だ。
武器は長く重い。アルケブスに似ている。あるいは槍やパイク。それを銃のように扱っている。
後列が防壁を維持している。おそらくスペルスリンガーだ。光が脈打ち、層が重なり、途切れない。着弾が重なっても崩れない。
予測より厄介な編成だ。
手の震えが強まる。
規律がある。東京で相手にしていたイゴールとは別物だ。敗残兵とも違う。正面から構えている。
「黒宮軍曹」
紫苑軍曹がヘルメットの側面を叩く。
「戦車支援は」
妥当だ。火力は必要。
軍曹の顎がわずかに強張る。尾根へ視線を戻した瞬間、斜面から再び一斉射が上がった。〈ヤマシロ〉の支援は止み、キルゾーンは崩れない。
軍曹が分隊へ向き直る。
「装甲は登れない。他へ回す」
赤城は歩兵で取る、ということだ。
エレナ上等兵はまずコウタを見てから視線を流した。モリタ伍長、リッカ上等兵、エルフ、スライス上等兵、オオサカ上等兵。要塞化された陣地に歩兵突撃。斜面から離れた場所で、それを妥当と判断した者がいる。
この場で最も愚かなのは――軍曹だ。
「もっといい手が来る。ラプターだ」
軍曹の視線がこちらを捉える。
「何かあるか、白銀」
エレナ上等兵は目を逸らさない。
「……どなたの権限ですか」
軍曹は答えず、中尉へ歩み寄って襟を掴んだ。
「指揮を引き継ぐ」
中尉は言葉もなく頷く。
「白銀。主目標はスペルスリンガーだ。撃てるか」
エレナ上等兵は短く息を吐いた。
「軍曹。失礼ながら、軌道砲撃で揺らぎもしなかった防壁です。それを、わたくしに求めるのですか?」
「窓は作る。撃てるのか」
理解し難い。あの単純さが、必要以上に神経を逆撫でする。
エレナ上等兵は握りを強め、岩の縁からライフルを差し出した。頬をストックに預け、スコープへ入る。手の震えは止まらない。それでも像は出ている。
ローブ姿の人影が腕を掲げていた。詠唱か、祈りか。揺るがない。
アンカー。標的だ。
「窓を」
軍曹が頷き、ヘルメットの側面を叩く。
「ラプター・アクチュアル、こちら富田軍曹。交戦許可。繰り返す、交戦許可。防壁を割れ。急げ」
スコープの中でスペルスリンガーが揺れる。違う。揺れているのは照準だ。
ボンボンの数値は正確だった。七百メートル前後。撃ったことはある。もっと遠くから。もっと悪条件で。
中央の一体が核だ。杖を高く掲げ、発光が濃い。左右の二体が遅れて供給している。わずかな遅延。
照準が流れ、補正しても通り過ぎる。
地面が震え、像が跳ねた。ラインを失い、再補正する。
斜面下から重い駆動音が迫る。機体が視界にせり上がり、双連チェーンカノンが帝国陣を追った。
〈シュトゥルムフォーゲル〉。
四機の歩行機が横一列に展開し、射撃位置へ収まる。側面装甲が開き、チェーンカノンと同時にヘルファイアが連続して吐き出された。火力が防壁へ絶え間なく叩き込まれ、光がその表面で弾け、重なり、押し潰していく。
同じ結果になるはずだったが、
亀裂が走る。
次の瞬間、防壁が砕けた。
着弾が前列を削り始める。土が鋭く噴き上がり、立っていた場所ごと肉体が吹き飛ぶ。中央のスペルスリンガーの杖へ光が集中し、その担い手がのけぞる。平板な光が連続して展開されるが、最初の一枚は即座に砕け、次も着弾と同時に崩壊する。両脇の二体が遅れて杖を上げた。まだ間に合うと思っている動きだった。
中央を落とす。
照準が静まる。震えが消える。
引き金を引いた。
赤い霧が視界を覆い、首を失った身体がそのまま後方へ倒れる。銃口を滑らせる。右の個体はまだ供給を続けている。気づいていない。
撃つ。
崩れる。
左がこちらを見るが、遅い。
引く。
胴体が弾け飛んだ。
《見事な射撃です、エレナ様。目標排除。偏差は許容範囲内です》
彼女は息を吐き、肩の力をわずかに抜いた。ボンボンの賛辞は予想どおりだ。
前線が露出する。
「目標排除」
「レンジャー!」
紫苑軍曹はすでに遮蔽物を飛び出している。弾丸が位置をかすめるなか、両腕を上げた。
「立て! 前進! 止まるな! 行け!」
「行くぞ、この野郎ども――!」
コウタ上等兵はもう走っていた。あの粗野な男らしい。
レンジャーたちが一斉に立ち上がる。さきほどまで地面に張りついていた身体が、泥と砕石を踏みしめて前へ出る。足を取られてよろける者もいる。躊躇した者は追い越され、振り返らず突き進む者もいる。
〈シュトゥルムフォーゲル〉が並走する。歩行機は隊列を押し越し、砲口を上へ向けたまま尾根を縫うように制圧射撃を続ける。側面装甲が再び開き、ヘルファイアが塹壕を薙ぐ。頭を上げれば撃たれる。
即座に応射が返る。光弾が藪と岩を裂き、不用意に露出した装具を引き裂く。誰かが倒れ、そのまま動かない。別の誰かがその身体を踏み越え、止まらず前へ出る。陣形は崩れ、勢いだけが残った。
エレナ上等兵は照準から目を離さない。いるべき位置にいる。
「ボンボン、掃射。全部拾いなさい」
ドローンが戦場を走査し、HUDへ情報を流す。スコープは前線の奥をなぞり、頭を上げすぎた者、槍や杖の光が強すぎる者を探す。遮蔽物から一体が飛び出し、反撃に移る。
引き金を引く。
身体が後方へ弾かれ、像から消える。
ボンボンが次を示す。照準を右へ流す。武器を持ち上げかけた個体。
撃つ。
崩れる。
三体目が走り出す。背を向ける。
弾丸が背を捉え、胴が裂けた。
レンジャーはすでに塹壕へなだれ込んでいた。あの軍曹は一瞬も躊躇していない。
コウタ上等兵はその中心にいるはずだ。オートコイルの扱いですぐ分かる。無謀で速い。目立つ。
モリタ伍長の分隊は軍曹とともに左へ展開し、塹壕線へ撃ち込んでいる。そこに踏みとどまる愚か者たちには、わずかに同情すら覚えた。
さらに右では、リア伍長の火力班が塹壕口のひとつ付近で煙の中へ消える。
エレナ上等兵は撃ち続ける。
頭を上げすぎた者。
形成しかけた術式。
消せる一瞬。
弾数は数えない。
名も探さない。
照準を保ち、作業を続ける。止まれば、他のことを考えれば、距離が一気に詰まる。
「第一線確保!」
リア伍長の声がヘルメット越しに響く。エレナ上等兵は即座にその最終位置へ照準を合わせ――
捉えた。
リアとその分隊が地下壕の入口を包囲している。オオサカ上等兵が他のレンジャーと並び、開口部へ銃口を向けていた。
「スライス、前へ!」
スライス上等兵がエルフの横を滑り抜け、プラズマキャスターを構える。
青い流束が暗い口へ撃ち込まれる。一秒ほど押さえつけ、続けてもう一射。
二体、あるいは三体がよろめき出てくる。すでに炎に包まれている。装甲が剥がれ落ち、動こうとするたびに身体が崩れる。オオサカ上等兵と周囲のレンジャーが即座に仕留めた。
エレナ上等兵は岩陰へ身を戻し、冷たい空気を吸い込む。オゾンと灰の匂いが鋭く鼻を刺す。
ボンボンは引き続き目標をHUDへ送り続ける。だが煙と崩れた角度、高低差の変化で像は歪み、もはや理想的な射線は取れない。
彼女は中尉の方へ目を向けた。
愚か者は死んでいる。流れ弾が遮蔽物を裂いた。不運だ。
ハーネスを確認する。残弾は二本。青テープのポーチが一つ。印をつけ、そのまま意識から外す。価値に見合わない対象に使うつもりはない。
再び斜面へ視線を戻す。第二線からの射撃はすでに厚みを増している。より長い一斉射が伸び、部隊が遮蔽物の裏で動いているが、まだ完全には解像できない。歩行機は持ちこたえ、レンジャーもそれに合わせて前へ出ている。次の押し込みが来る。
他より先にマーカーが目に入った。
コウタ上等兵。
あの引き金の軽い男は、まだ立っている。なぜか伍長と言い合う余裕すらあるらしい。分隊の他のマーカーも安定している。軍曹の信号も、まだ点灯している。
その下、第一線へ至る斜面には死体が散乱していた。開けた場所で撃ち抜かれたレンジャー。手を離した位置に残るライフル。本来あるべき頭の代わりに転がるヘルメット。
父親。
母親。
兄弟。
姉妹。
友人。
もっと速ければ、違っていたのか。
……
思考を押し流す。必要な者はまだ立っている。
それで足りる。
「白銀、聞こえるか」
モリタ伍長の声がヘルメット越しに入る。
「生存しています、伍長。ご懸念には及びません」
「リアと合流しろ。軍曹から特別任務だ」
特別任務。ろくな意味を持たない言葉だ。
「了解しました、伍長。状況を確認後、合流いたします」
回線を閉じ、ボンボンを呼び戻す。ドローンは素直に格納された。
第一線は崩れた。第二線はすでに応じている。
まだ終わっていない。
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