札
章の最後に脚注があります。
2141年12月18日――サンライズ作戦 D+20。
連邦軍が東京を押し切るペースが速すぎて、前線も同じ速度で人を噛み砕き始めていた。 今や全員、借り物の体力で動いている。
歩兵はレンジャーミントを飴玉¹みたいにしゃぶり、装備は装備で、整備班が本気でブチ切れそうな壊れ方をし始める。 死傷者も、じわじわ増えていった――
イゴールが特別強かったわけでもない。
単に、疲れて。
気が緩んで。
そのツケを前線が払わされとるだけや。
皇居は解放された。 ほぼ無傷――どういうわけか。
インプどもは中身を徹底的に掃除していった。 光るもんも、神聖そうなもんも、全部持って行かれたあとや。 それでも、建物そのものは立ったまま残っている。 正直、それだけでも大したもんやった。
何せ、ハサウェイ元帥は「面倒やから軌道爆撃でガラス化したらええやろ」なんて案を、わりと本気で口にしてたからな。 歴史も文化も、価値が分からん人間や。 『あのクソジジイ』――そう呼ばれる理由も、分からんでもない。
優しさで付くあだ名やない。
その二日後、ようやく銀座が割れた。 汚い戦いやった。
――いや、インプにとって、ほんまに最悪の。
イゴールが、あらゆる路地と隙間から湧いて出てきては、 刈り取られる速度が速すぎて、今ごろ連邦はそのスクラップだけで東京タワーを五本……いや、十本は建てられるんちゃうか、という有様や。
連邦の戦旗が掲げられた時、歓声はなかった。 皆、ただ立ち尽くして、それが冷たい風にはためくのを見ていただけや。 肩は重く、足は悲鳴を上げていて――正直、イゴールよりそっちの方が堪えていた。
だから、攻勢停止の命令が降りてきた時――
即時、休養・再編。
誰も文句を言わんかった。 何人かは、悪い冗談みたいに笑ってたし、 誰かが「信用できへんな」と呟いたくらいや。
補給が問題になったことはない。 ここは地元や。 弾は頼めば来るし、糧食も半分は温かいまま届く。 士気も――妙に高かった。
少し、高すぎるくらいに。
山岸『オオサカ』拓海上等兵は、こういう空気を何度も見てきた。 皆が「自分らは無敵や」と思い始める時期や。 決まって、ロクな終わり方はせえへん。
当人らにとっても…… 財布にとっても、や。
札と賭け事は、第四十四のレンジャーの間でも人気の娯楽やった。 せやけど、オオサカ上等兵にとっての本当の通貨は――
情報と噂話やった。
オオサカ上等兵はホロパッドを閉じ、枕の下へ滑り込ませてから、寝台から身体を起こした。 トランクを開け、いつものガラクタを掻き分ける。ホロカメラ、携帯ゲーム機、古いスマートフォン、本、タバコの箱、現地で拾った小物――
指が止まった。
入隊前から持っている、トランプの束。
縁は擦り切れ、角には折れ目。 汗と汚れ、何度も渡った手のせいで、表面はくすんでいる。
新しいデッキなら、いくらでも手に入る。 PXの棚には山ほどあった。
……せやけど。
これは印の付いた札や。 読み方を知っているのは、自分だけ。
オオサカ上等兵は、テント中央に置かれた折り畳みテーブルの上へデッキを置いた。 頭上の吊り下げ照明の真下。四隅に椅子が一脚ずつ――支給品や。数だけは揃っている。
寝台の下に手を伸ばし、木箱を引きずり出す。 置いた拍子に、中身が小さく鳴った。
缶詰が大半。 紳士向け雑誌に、いくつかの民生品。 PXが喉から手が出るほど欲しがるような代物や。
――これが、今夜のポット。
時刻を確認する。19時3分。
テントのフラップが揺れた。
時間通りや。
「毎度ー」
オオサカ上等兵はすでに用意していた薄い笑みを浮かべ、椅子を示す。
「札、やらへん?」
「ポットは?」
顎で木箱を指す。
二人は顔を見合わせ、にやりと笑ってから腰を下ろした。
今夜の客は、身内――
モリタ伍長とコウタ上等兵や。
「今夜は主催だとは思わなかったな」
モリタ伍長は野戦帽を外し、肩を回す。 視線が一瞬、オオサカ上等兵へ向いた。
「傷は大丈夫なのか?」
オオサカ上等兵は肩をすくめ、札を切る手を止めない。
「医者曰く問題なしや。『ただのかすり傷』やて。エルデュー三日当てたら、もう新品同然や」
口の端を吊り上げる。
「停戦も効いとるな。社交生活が捗ってしゃあないわ」
伍長の向かいで、コウタ上等兵が必要以上に乱暴に椅子へ腰を落とし、足を伸ばした。
「……俺は、あれ目当てで来てるだけだ」
顎で木箱を示す。
「ちゃんとポットに入ってるんだろ?」
「さぁ……どうやろな」
オオサカ上等兵は肩をすくめ、無邪気そうに笑う。 指の間で札が軽やかに踊った。
「運が良けりゃ、ひとつくらい掴めるかもしれんで」
コウタ上等兵が目を剥く。
「ったく……よくも俺をこんなのに誘いやがって、このフェイド野郎……」
「ほな、やるんかやらんのか、どっちや?」
「やらないとは言ってねぇ」
コウタ上等兵は苛立たしげに手を振った。
「引き延ばすな。さっさと配れ」
「はいはい」
オオサカ上等兵は、ようやく札を配り始める。
「ちょっとは待つこと覚えぇ」
札は迷いなく、狙い通りの位置へ飛んでいく。 百回、千回と繰り返してきた動きや。
筋肉の記憶が、すべてをやってくれる。 指が弾き、手首が返り、紙がキャンバスと折り畳み金属の上を囁く――
全部、手首一つや。
ポーカー。
単純で、皆のお気に入り。
オオサカ上等兵は自分の札を引き寄せ、一度だけ確認する。 大したことはない。セブンのワンペア。
……どうでもええ。
やけど――
視界の端で。
モリタ伍長は、ほとんど反応を見せなかった。 姿勢も、呼吸も、いつも通り。
それだけで、オオサカには半分分かった。 一拍遅れて、伍長の指が札を掴む力を、ほんのわずかに強め――
すぐに緩む。
スペードのペア。
……エースやな。
オオサカ上等兵は、危うく笑いそうになる。
テーブルの向こうでは、コウタ上等兵がまるで別人やった。 覗いて、眉をしかめ、もう一度覗く。 睨めば札が並び替わるとでも思っとるみたいや。
ハイカード。 それは見て取れた。
ハートのキングに、 情けないダイヤのセブンが、場違いみたいにくっついてる。
ペアなし。 安心材料、ゼロ。
「……ちくしょう」
コウタ上等兵が、小さく吐き捨てる。
オオサカ上等兵は、聞こえへんふりをした。 テーブルを、トン、と一度叩く。 ゆっくり、余裕たっぷりに。
沈黙を、伸ばす。
――ここが、大事なとこや。
札が喋らん時、人はよう喋る。
モリタ伍長は静かやった。 待つ。いつもそうや。 自信のある手ぇを持っとる奴ほど、我慢が利く。
コウタ上等兵は椅子の上で身じろぎする。 有り余る元気。使い道は、なし。
「お前、いつもそんな切り方するよな」
なるべく平静を装った声。
「見てると、落ち着かねぇ」
オオサカ上等兵は、くくっと笑った。
「それが狙いや」
視線を卓から外さないまま、次の一枚を滑らせる。
いつもの流れ。
いつもの遊び方。
札が出て、 口が動き出す。
……遅かれ早かれ、 誰かが『ポーカーをやっとる』こと自体、忘れよる。
最初に光を拾ったのは、ダイヤのキング。
オオサカには関係ない。 モリタ伍長にとっても、何一つ変わらん。
伍長は石像みたいに動かへん。 落ち着き払って、呼吸も一定。
それはポーカーフェイスやない。 自信や。
あの手なら、演技なんか要らん。
一方――
「いいね」
コウタ上等兵が身を乗り出す。 顔に浮かんだ笑みは、隠しようもない。 四コマ漫画みたいに分かりやすい。
「チェック」
モリタ伍長は盤面を見てから、オオサカへ一瞬だけ視線をやり、 卓を、トン、トン――二度叩いた。
チェック。
オオサカ上等兵は何も言わへん。 一度だけ頷き、札を一枚捨て、次をめくる。
……変わらん。
伍長の眉が、ほんのわずかに上がる。 楽しんどる。
……上手いな、この野郎。 あれはポーカーフェイスやない。余裕や。
コウタ上等兵は、また椅子の上で動いた。 札と盤面を行き来する視線。
まだ、期待しとる。 いつも、そうや。
「……チェック」
結末は、最初から決まっとった。 伍長の勝ち。 モリタ伍長は、一瞬の躊躇もなく言う。
「チェック」
オオサカ上等兵は鼻から息を抜き、札を前へ滑らせた。
「フォールド」
「はぁ?」
コウタ上等兵が、いかにも間抜けな笑みを浮かべて煽る。
――すぐ後で、思い知ることになるやつや。
「どうした、オオサカ? 急に弱気か?」
「ビビったのか?」
オオサカ上等兵は椅子にもたれかかる。
「ちゃうちゃう。運を押し過ぎん時を知っとるだけや」
顎で、伍長を示す。
「あそこに、あんなドヤ顔のクソ野郎がおったらな」
モリタ伍長は肩をすくめるだけで、何も言わへん。 コウタ上等兵がくくっと笑った。
「心配すんなって。伍長さん、どうせハッタリだろ?」
卓を軽く叩く。
「ほら。最後、めくれよ」
――葬式やな。
オオサカ上等兵は、最後の札を捨て、 リバーを開いた。
……それで、終わりやった。
モリタ伍長は背もたれに身を預け、肩の力を抜いた。 ようやく、待ちが報われたという顔や。
コウタ上等兵は長く息を吐き、 まるで盤面そのものに裏切られたみたいな目で札を睨みつける。
オオサカ上等兵は、中央のチップ代わりの山をまとめ、 卓を、トン、と一度叩いた。
「……運だけのクソ野郎が」
コウタ上等兵がぼそりと呟く。
「エースのワンペア? 冗談きついな……」
伍長は立ち上がり、口元に珍しく笑みを浮かべた。 木箱の前で足を止め、中を漁り――
ビスケットの小袋を一つ手に取って戻ってくる。
「中身は把握してる」
腰を下ろしながら、モリタ伍長が言う。
「この中の何個かは、向こうじゃご禁制だ。手に入れるために、無茶する奴もいる」
視線が、卓を横切る。
「……そうだろ?」
コウタ上等兵は、にやりと笑って頷いた。
「間違いないな」
オオサカ上等兵は、札を切り直した。 指の間を、紙が囁くように滑る。
テントの空気が、目に見えて緩んでいく。 笑みが出やすくなり、肩が落ちる。 にこっと笑って、少し凝ったシャッフルを挟む。
――安心させる。
喋っとる間は、こっちが聞いとれる。
……ほんま、単純や。
手首を返し、二人に伏せ札を二枚ずつ配る。 流れるような動き。
「なぁ」
何でもない調子で、口を開く。
「俺ら、この戦線に当たったん、わりと運ええ方ちゃうか」
すぐには返事はない。 それでええ。
オオサカ上等兵は続ける。
「他所から、ぽつぽつ噂が入ってきとる」
ちらりと視線を上げる。
「関西で何が起きとるか、聞いたか?」
モリタ伍長は札を覗く。 今回は、パッとせえへん手や。 顔を上げる。
「関西?」
「それって、お前の地元だろ?」
コウタ上等兵が眉をひそめる。 手応えは悪くなさそうや。
「確か……大阪、だったよな?」
オオサカ上等兵の手が、止まる。
……そら、そう来るわな。
「ちゃうちゃう。宇治や」
札を置く。
「大阪ちゃうで」
コウタ上等兵が固まった。
「……じゃあ、なんで俺らお前のことオオサカって呼んでんだ?」
オオサカ上等兵は肩をすくめ、デッキを中央に戻す。
「知らんがな。自分で聞いてみ」
一枚焼いて、 フロップを開く。
「つか、それ言い出したん、お前やろ?」
「知らねぇよ」
コウタ上等兵は首を振り――
次の瞬間、吹き出した。
「……いや、言いそうだな。俺。やるじゃん、俺……」
モリタ伍長が、小さく鼻を鳴らし、また札へ視線を戻す。
「まぁ、それは置いといてや」
オオサカ上等兵は笑みを浮かべ、卓を軽く叩く。
「要はな、関西、今あんまり笑えん状況や。チェック」
「チェック」
「賭けるぜ」
コウタ上等兵は、もう笑みを浮かべとる。
オオサカ上等兵が、 ターンを放った。
コウタの笑みが、さらに広がる。 無理もない。
――ストレートが見えとる。
「インプどもな」
オオサカ上等兵は、まるで天気の話でもするみたいな調子で続ける。
「あの万博の塔²、取られたらしいわ。 今、胴体がぐるぐる回っとるんやと」
視線は盤面のまま。
「……上の、ちっさい顔な」
モリタ伍長がちらりと顔を上げ、また札へ視線を戻す。
「フォールド」
「レイズ」
コウタ上等兵は、迷いもなく言い切った。
オオサカ上等兵は、 チップ代わりの補給引換票を滑らせる。
「コール」
最後の一枚を焼き、 リバーを開く。
「でな」
オオサカ上等兵は、続ける。
「殺しの光線撃つらしいわ。 空でも地上でも関係なしや」
コウタ上等兵が歓声を上げ、札を叩きつける。
「ストレートだ、ボケ!」
椅子の上で、小さくガッツポーズまで決める始末や。
「かわいいな」
オオサカ上等兵は笑みを浮かべ、自分の手を返す。
「フラッシュや」
「クソが――!」
コウタ上等兵は、まるで卓に裏切られたみたいな目で盤面を睨み、 そのまま椅子に沈み込み、横へ唾を吐いた。
「……ふざけてんのかよ……」
オオサカ上等兵は、引換票をまとめる。 デッキはもう、手の中に戻っとった。
「主催やからな」
軽い調子。
「不公平やったら、あかんやろ?」
「……ああ、親切やこと……」
そこへ、モリタ伍長が口を挟む。 札から目は離してへんが、 興味はどう見ても、話の方や。
「……で、その塔はどうなってる?」
――喋らせときゃええ。
全部、予定通りや。
オオサカ上等兵は、すぐには伍長に答えへんかった。 手の動きは少し遅くなったが、札を揃え、ひとつ切り、 そのまま掌へ戻す。
「対処はしたで」
淡々と。
「キャンプから異界人一個小隊、放り込んだ。 近接や。――新しい手、ルールは同じや」
モリタ伍長が顔を上げる。
「徴集兵か?」
オオサカ上等兵が札を配る間、 コウタ上等兵が、同意ともつかん低い声を漏らす。
伏せ札、二枚ずつ。 いつもと同じ、滑らかなリズム。
「せや」
オオサカ上等兵は一度だけ頷いた。
「遮断壁の下を走らせて、 ポッド吹き飛ばして、コアごと持ってった」
テントが、静まり返る。
オオサカ上等兵は札を揃え終え、卓に置いた。
「……大半は、戻らんかった」
「……根性ある連中だな」
コウタ上等兵が、低く言う。
「本物のエースだ……」
少なくとも、今手にしとる札やない。
「他に言いようないわ」
オオサカ上等兵が言う。
「配るで」
「チェック」
伍長が応じる。
「チェック」
コウタ上等兵も続き、 もう椅子にもたれ始めとる。
オオサカ上等兵は札を覗き、 それから二人の様子を見る。
モリタ伍長は、ぴくりとも動かへん。 札の汚れと折れ具合で分かる――
悪ない手や。
一方、コウタ上等兵は前のめりや。 肩に、また希望が戻っとる。
……この手は。
せやな。 これは捨ててもええ。
ええ札やった。惜しい。 せやけど――勝負のための捨て札や。
それから先は早かった。 チェックが続く。引換票が卓を滑る。
オオサカ上等兵は、 不自然にならんギリギリまで付き合う。
――食いついとる。しかも、ええ具合に。
モリタ伍長が降りる。
コウタ上等兵は、張る。
オオサカ上等兵が――予定通りにフォールドした。
「よっしゃ」
コウタ上等兵が、背筋を伸ばす。 楽勝やと言わんばかりの顔や。
「やっとやな」
オオサカ上等兵は背もたれに身を預け、軽く伸びをした。 唇をすぼめる。
――あっちの負け犬も、 『運』が味方しとるうちは、よう喋るやろ。
左を見る。
モリタ伍長が見とったのは、札やない。 オオサカ自身や。
……勘のええクソ野郎や。
「ポットから何か取ってこい」
オオサカ上等兵が、ぼそっと言う。
「何でもええで」
コウタ上等兵が鼻で笑った。
「はいはい。分かった、分かった」
手をひらひら振って、木箱の方へ向かう。
オオサカ上等兵は、その背中を見送りながら、 次のラウンド用に札を切り直す。
わざとや。 必要以上に、ゆっくりと。
缶が鳴る。 紙が擦れる。
「……あれ?」
戻ってきた手にあったのは――チョコレートバーやった。 オオサカ上等兵は一瞬瞬きし、 すぐに、ひとりでにやりとする。
……ええ選択や。
「甘党やとは思わんかったわ」
軽い調子で言う。
「タバコか、あの汚ねぇ雑誌行くと思っとったんやけどな」
「俺を誰だと思ってるんだ」
コウタ上等兵は椅子に戻り、チョコを脇へ置く。
「それに、これは俺のじゃない」
「ほぉ?」
「それとだな」
コウタ上等兵が指を突きつける。
「底にあった『特別枠』……あれ、説明しろよ。どうやって手に入れた」
オオサカ上等兵は、指を一本振る。 半分は誤魔化し、半分は冗談。
「企業秘密や」
配り終え、 顎でチョコを示す。
「ただの確認やけどな」
軽く付け足す。
「それ、お前のやないんやったら…… 誰のや?」
「関係ねぇ」
コウタ上等兵は即答し、 チョコを卓から遠ざけた。
――もう、 賭けには出さん、という置き方やった。
オオサカ上等兵は、ふん、と鼻を鳴らした。 押す必要はない。――いつも、誰かが勝手に押す。
モリタ伍長が首を傾け、 一瞬だけチョコに視線をやってから、コウタを見る。
「……シロガネか?」
コウタ上等兵が固まる。
――合図通りや、伍長。想定内。
「……は?」
モリタ伍長は肩をすくめ、何でもない調子で言う。
「最近、甘いもの探してたろ。たぶん、それだと思ってな」
一拍。
オオサカ上等兵は札を配りながら、 笑みを秒ごとに深くしていく。
「……ああ」
コウタ上等兵が、観念したみたいに呟く。
「……そうか。どうして分かった?」
モリタ伍長は札を確認する。 悪くない手や。 それから、顔を上げる。
「上級軍曹が言ってた」
淡々と。
「――意訳だけどな。 お前の狙撃兵が、『味覚を中和できるものが必要だ』って話をしてたそうだ。 チョコがあれば尚いい、ともな。」
言葉を切る。
「 ……相当ご機嫌が悪かったらしい。 呼び名もいくつか付けてたが、 ここでは言わない」
コウタ上等兵は舌打ちしてから、 小さく笑った。
「……それがエリーだ」
「意外だな。お前がそんな気を利かせるタイプだとは思わなかった」
「黙れ」
オオサカ上等兵は、ひとりでに笑い、 ようやく顔を上げた。
「ついでやけどな」
何でもない風を装う。
「この調子やと、 皆一緒におる時間、そこそこ長なりそうやろ」
一枚、中央へ弾く。
「好みも、出てくるわ」
「好みぃ!?」
コウタ上等兵が鼻で笑い、 札を確認してから伏せる。
「余計なお世話だ。で、続けんのか?」
「……間違っとるか?」
「じゃあお前はどうなんだよ!」
コウタ上等兵が言い返す。
「分隊に、気になっとる奴でもおるんか?」
――来た。
これや。
今夜ずっとオオサカ上等兵が釣っとった『本命』。 噂話、裏話、本音――ほんまの通貨や。 いつかは女子会でも開いたろか。表も裏も、まとめて網にかけたる。
「答え、欲しいんか?」
オオサカ上等兵は札を配りながら、歯を見せて笑う。
「ええで。チェック。――花沢や」
コウタ上等兵が机を叩き、眉をひそめた。 今夜いちばんアホなもん聞いた、言いたげな顔や。
「花沢? ……フェイド兵長の?」
オオサカ上等兵は顎を引いて頷く。
「せや。……言葉、気ぃつけや?」
「へえ」
モリタ伍長が札から目を離さず、二度机を叩く。
「意外だな。なんで彼女?」
コウタ上等兵も、ゆっくり頷く。
「……そうだな。なんで?」
「何が不満なん?」
オオサカ上等兵は、こともなげに言った。
「タフで、撃てて、肝も据わっとる。 ビビらんし、舐めた真似も許さん。 一回、命も助けてもろた」
肩をすくめる。
「それに、見た目もええわ。 胸もデカいし。エルフやしな」
「ハーフエルフだ」
モリタ伍長が顔を上げずに訂正する。
「本人はそう言ってる」
一拍。
「……まあ、その辺は昔から議論の的だったがな。健闘を祈る」
オオサカ上等兵が、ほんの少し身を乗り出す。 笑みが、刃みたいに研がれる。
「健闘?」
首を傾げる。
「……それ、もう相手おるって意味か、伍長?」
さらに距離を詰め、声を落とす。
「――あんた、とか?」
モリタ伍長は落ち着いた所作で札を置き、左手を上げた。
コウタ上等兵の目が輝く。 オオサカ上等兵も同じや。
手首に巻かれていたのは、 細く手入れされた、絹糸編みのブレスレット。使い込まれて柔らかい。 中央には、深紅のビーズがひとつ。 光を受けて、静かに揺れた。
――買ったもんやない。 どう見ても。 もらいもんや。
モリタ伍長の親指が、無意識の癖みたいに一度だけそれを撫でる。 それから手は、静かに卓へ戻った。
小さく、息を含んだ笑い。
「期待外れだったら悪いな」
そう言って、伍長は肩をすくめる。
「……待ってる人はいる」
視線がブレスレットに落ち、指先が名残惜しそうに触れる。 ほんの一、二秒、間を置いて続けた。
「それと――リアじゃない」
――沈黙。
テントの空気が、ぴたりと止まる。
コウタ上等兵が瞬いた。
一度。
もう一度。
「……待て」
声が、やけにゆっくりになる。
「……フェイド兵長、じゃねぇのか?」
モリタ伍長は、首を一度振っただけ。 それ以上は何も言わない。
コウタ上等兵は背もたれに体を預け、髪をかき上げた。
「……へえ。……そうかよ」
短く笑いを漏らす。
「そりゃ予想外だわ」
卓の向こうで、オオサカ上等兵は相変わらずの薄い笑みを保ったまま、 札を集めて、何事もなかったみたいに切り直す。
――内心?
そら大当たりや。
金どころやない。 これは原石。 削られてへん、生の情報。 信頼してるか、よっぽど口滑らせた時しか出てこん類や。
相手あり。 リアではない。 しかも隠す気ゼロ。
……ああ、これはデカい。
他所の分隊の女子は肩落とすやろな。 代わりに、男どもが色めき立つ。 「ワンチャンあるかも」って、希望持ちよる。
オオサカ上等兵は、喉の奥で小さく鼻を鳴らした。
――遅いわ。
今夜の時点で、もう一歩先や。
「まあ」
軽い調子で言う。
「これで噂は一つ、片付いたな」
そう言って、一枚。
カードが、卓の中央へと滑った。
「ほな――シロガネはどうなん?」
オオサカ上等兵が、何でもない調子で付け足す。
「相手おるんか、コウタ。あ、ディールな」
カードが配られる。 コウタ上等兵は、少し早すぎる鼻笑いを漏らした。
「は? ねぇよ。そんなわけねぇだろ」
手札を見て、もう一度見る。顎がわずかに強張る。
「そもそも、なんであいつがお前と絡むんだよ ……チェック」
モリタ伍長が卓を二度叩く。チェック。 オオサカ上等兵は肩をすくめ、手を進める。
「いや、言うてるだけや。噂や噂。人気あるしな。狙っとる奴も――」
「ない。絶対ない」
コウタ上等兵が鼻を鳴らす。
「人気? あいつはクソめんどいだけや」
「でもチョコは持ってったんやろ」
――ぴたり。
コウタ上等兵の動きが止まる。 オオサカ上等兵は『重さ』を感じ取った。 鋭く、真っ直ぐで、刃物みたいな視線。 言葉は要らん。これ以上踏み込んだら、火傷するラインや。
……当たりやな。
それでも無駄ではなかった。 部隊内を漂っとった噂――
エレナ上等兵も、コウタ上等兵も、誰かに『縛られとる』わけやない。 せやけど、その間にあるもんは――
正気の人間なら、十尺棒でも触らん類や。
まあ、評価する立場でもないか。 アホ二人が、互いの重力圏に閉じ込められとるだけや。
それでも、別の誰かは挑むやろ。 それがまた――面白い。
コウタ上等兵が舌打ちする。
「……別に意味はない」
ぼそりと言う。
「あいつはな……砂糖切れると機嫌悪くなるだけだ。見りゃ分かるだろ」
「ああ、知っとるで」
オオサカ上等兵は軽く答え、伝票を揃える。
「分隊全員な」
カードを一枚、中央へ滑らせる。
コウタ上等兵は、また卓を睨んだ。 まるで、次は裏切られると分かっとるみたいに。
「……チェック」
オオサカ上等兵は、内心で笑う。
――もう一押し、いけるか?
リッカ上等兵。 それとも戦車組――アカネ軍曹とその連中。 シオン軍曹も、ネタには困らん。 まだいくらでも垂れとる。
……今日は、この辺でええか。
テントのフラップが、さっと揺れた。
三人同時に顔を上げる。
立っていたのはシオン軍曹だった。腕を組み、視線はすでに卓の上をなぞっている。 カード。伝票。木箱。脇に避けられたチョコレート。
「……あんたたち、こんな時間に何してんの?」
誰も答えなかった。
沈黙が伸びる。 伍長ですら口を閉ざしている――それは、なかなか珍しい光景やった。 もっとも、カード遊び自体は規則違反やない。金銭が動かん限りは、やけど。
シオン軍曹は鼻梁をつまみ、ため息をつく。
「……信じられない」
一歩踏み込み、空いている椅子の一脚をブーツで軽く蹴る。
「戦地のど真ん中で」
淡々と続ける。
「……トランプ?」
三人の背筋が、一斉に伸びた。
シオン軍曹は、もう一度テーブルを見下ろす。
――そして瞬きをひとつ。
「……ビールなしで?」
オオサカ上等兵の横の空席を指差す。
「そこ、空いてる?」
オオサカ上等兵がこくりと頷く。 シオン軍曹はにやりと笑い、フラップの方へ向き直った。
「場所、取っときなさい。取ってくるわ」
入口で、ふと立ち止まる。
「私が戻ってきた時になくなってたら――」
振り返らずに言う。
「ポット、全部没収だから」
フラップが閉じた。
コウタ上等兵が、長い息を吐いて前に崩れた。
「……っぶねぇ……」
小さく呟く。
「マジで死んだかと思った」
「トランプ自体は違反じゃないだろ」
モリタ伍長が、穏やかに言った。 平静を装ってはいるが――ほんの少しだけ、硬い。
「少なくとも、金が動かない限りはな」
オオサカ上等兵はデッキを集め、ゆっくりとシャッフルを始めた。 今夜は、もう十分や。 しかも軍曹が加わるとなれば、これ以上つついても気まずくなるだけやろ。
一枚、カードを卓に弾く。
「……ま、せやな」
軽い調子で言い、にやりと笑う。 いずれ、また引き出せる。 今度は女子側からかもしれんし――誰が知る。コロンブスのみぞ、や。
「ほな」
カードを整えながら言った。
「もう一戦、行く奴おるか?」
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脚注
1) 缶入りキャンディドロップ
連邦成立以前、いわゆる〈旧秩序〉時代から続く FAR-02 地域発祥の伝統的な菓子。 特徴的な長方形のスチール缶に詰められており、安価で保存性が高く、見た目も含めて広く知られている。
現在でも年齢を問わず民間人の間で流通しているが、その人気の理由は味よりも――
慣れ親しんだ存在であることにある。
2) 1970年万博塔
〈旧秩序〉時代の文化遺産のひとつ。連邦成立後も一世紀以上にわたり、記念施設として保存・維持されてきた。
インペリウム占領以降、同構造物はマナ基盤の防衛施設として強制的に転用され、公共の記念碑は致死的な戦闘資産へと変貌した。




