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アーケイン・フロント  作者: メグメル
番外資料 - フィールドログ01
45/50

ヒヨコ

章の最後に脚注があります。

「……これが、〈輪入道〉?」


車両の前に立っていたのは、若いフェリニドの少女だった。小柄な体躯に、青みがかった灰色の尻尾が残像を引いて揺れる。

毛並みも同じ色合いで、鋼を思わせる艶があった。


髪は短く整えられ、ほとんど軍規通りと言っていいほどきっちりと切り揃えられている。その下の表情は――年相応とは思えないほど、妙に落ち着いていた。


耳がぴくりと動き、乗員たちを順に見渡す。

左右で色の違う瞳――大理石色の緑と、空色の青が、ひとりひとりをなぞっていく。


そして、その視線がカニナイトの砲手で止まった。

――にやり、と口元が歪む。


砲手は即座に反応した。耳が立ち、尻尾が強張り、喉の奥で低い唸りが鳴る。

……最初からこれか。


砲塔の上から、黒宮アカネ軍曹が飛び降りた。慣れた動きで、ブーツが地面を打つ。


「この中隊で――いや、師団全部ひっくるめても、この戦車だけよ」


腕を組み、唸り声が本気になる前に一歩前へ出る。


「で、あなたは?」


フェリニドの少女は、きびきびと敬礼した。整った髪は微動だにしない。 ダッフルバッグが、どさりと地面に落ちる。


「ロシカ・ミョール上等兵。配置命令により着任しました。ドライバーです」


「やだーっ! この子きらい、軍曹!」


ウメ上等兵の耳がぺたりと伏せ、吠え声が飛ぶ――文字通りの。 ミョール上等兵は、半眼を向けただけで特に反応しない。


「帰して! か、帰して!」


シイナ上等兵が、どこか楽しそうにくすりと笑った。

アカネ軍曹はゆっくり息を吐いた。


またヒヨコか……しかもフェリニド付き。神々が悪趣味なのか、それとも司令部が本気で無能なのか。


犬と猫。

そりゃ、こうなる。


塔が落ち、その後の押し上げが始まってから四日が経っていた。

第二統合艦隊の支援を受け、連邦地上軍は東京各地を着実に奪還している。だが、抵抗はなおも市内の各所に食い残っていた。


中でも最悪だったのが――渋谷交差点だ。


昼間、連邦軍の狙撃兵たちは〈ナインズ¹〉の上層階を占拠し、交差点全体を重なり合う射界で押さえていた。

だが夜になると、イゴールたちが地区地下の地下鉄トンネルから再び溢れ出し、外周を探りながら、地面を一寸ずつ奪い返していく。


前線は太陽とともに移ろった。 夜明けに制圧され、夕暮れにせめぎ合い、そして真夜中には――再び塗り替えられる。


〈輪入道〉は修理を終え、昨日付で正式に第四十四へ移管された。

そして今朝、補充のドライバーが到着した。


――その直前の夜、支援要請が入る。


偶然か?


この戦争で、そんなものがあった試しがあるか。


「ロシカ……ロシカ……」


アカネ軍曹は名を小さく反芻しながら、一歩近づいた。


フェリニドの少女が顔を上げる。耳がぴくりと動いた。背筋を伸ばして立っても、その先端はアカネ軍曹の肩に届かない。


「黒宮アカネ軍曹よ。……あなたが新しいドライバー?」


「はいにゃ」


ミョール上等兵がうなずき、両手をきちんと脇に揃えた。 声には、かすかだがはっきりと猫科特有の抑揚がある。第一世代か、せいぜい第二世代だろう。



……可愛い、なんて。



「軍務歴は?」


とアカネ軍曹が問う。


「8週だにゃ」


8週間。


コミュニティセンターから引き抜かれたばかり――ほとんど子どもじゃないか。 訓練期間を削りに削って、腕と脚が揃っていれば前線へ放り込む。そんな段階に、もう来ている。

アカネ軍曹は静かに息を吐き、〈輪入道〉の方へ視線をやった。 そこでは、二人のヒヨコが、好奇心を隠しきれない様子でぶらついている。


……いや。


もう、ヒヨコじゃない。


ウメ上等兵とシイナ上等兵は、初めての実戦を生き延びた。 動揺せず、命令に従い、〈輪入道〉を守り切った。 レンジャーミントが助けになったのは確かだが――薬品が規律を教えるわけじゃない。

あの呼び名を被せられる筋合いは、もうなかった。



……



あの衛生兵をひっぱたいてやる。

――あとで、礼に一杯奢ってやるけど。



「ついてこい」


ミョール上等兵はバッグを担ぎ、アカネ軍曹のすぐ後ろについた。

最初に動くものを親だと刷り込む雛鳥みたいに、妙に近い距離で。 軍曹の胸が、ちくりと疼く。

補充が乗り込むたびに――西岡軍曹も、こんな気分だったのだろうか。 死者の席を埋めるために、子どもたちが送り込まれてくるのを見て。


考えを振り払う。


〈輪入道〉がこの子にも懐いてくれればいい。ウメ上等兵やシイナ上等兵に向けたのと、同じ慈悲を。


「これが〈輪入道〉よ」


アカネ軍曹は装甲を軽く叩き、それから旧友に触れるように、掌を平らに当てた。


「大事にしなさい。気難しいけど、話は聞く。相棒で、盾で……言ってみれば守護神ね。信じても信じなくてもいいけど、礼を欠かして損はしないわ。 この子は九州、福岡、奈良、琵琶湖……それから川崎を越えて、ここまで来てる」


一拍。


「昔は、私がドライバーだった。 〈輪入道〉があなたを気に入れば、生き延びる。もし――」


視線が、ヒヨコに落ちる。 言葉を最後まで言う必要はなかった。


「……祈りなさい」


ミョール上等兵は一度だけ瞬きし、耳がぴくりと動いた。


「守り神……だにゃ。……了解だにゃ」


尻尾が小さく揺れ、意外なほど真剣な所作で、装甲へ向かって頭を下げる。


「ちゃんと……みゃ、心に留めます」


……


文字通り受け取ったな。

フェリニドって、みんなこうなのか?


「そこの2人」


アカネ軍曹は砲塔の方を振り返った。 退屈した社の神様みたいに、盗み聞きしていた連中へ。


「降りてきて。自己紹介」


先に飛び降りたのはシイナ上等兵だった。 落ち着き払った鬼族らしい笑み。背が高く、どっしりしていて頼れる――

生の手榴弾を二つ持っても平然としていられる、という条件付きだが。

もう一人は――


「やだ!」


ウメ上等兵が顔を背け、腕をぎゅっと組む。 気難しいクソガキ……が、アカネ軍曹の砲塔で一番の腕前でもある。


「やりたくなーい!」


「――は? もう、何が気に入らないのか知らないけど、とっとと押し込めて自己紹介しなさい」


「まだ乳臭いです、軍曹!」


ウメ上等兵が吠え返す。尻尾が逆立っている。


「帰しましょう!」


アカネ軍曹は鼻梁をつまんだ。


……ああ、言うと思った。やっぱりこのクソ犬だ。


「ウメ」


一語一語、ゆっくりと。


「――自己紹介。し・な・さ・い」


「やです!」


シイナ上等兵が、笑いを噛み殺すように軽く咳払いをした。 一方、ミョール上等兵は気にした様子もなく瞬きをするだけ。 どうやら、この二人はそれなりに波長が合っているらしい。


鬼族の装填手――シイナ上等兵が、ヒヨコの目線まで少し腰を落とし、手を差し出した。


大久保椎凪(オクボシイナ)、上等兵。 よかったら“シイナねえ”って呼んでね」


「……しいな、にぇえ」


ミョール上等兵が復唱する。

シイナ上等兵の笑みが、さらに深くなった。


「かわいい」


アカネ軍曹は、目を回すのをどうにか堪えた。


……


……道端で拾った猫と少女、か。


アカネ軍曹はふと立ち止まった。 考えてみれば、ウメ上等兵の鼻はそうそう外れない。少なくとも、人間と――食べ物に関しては。


砲塔のあちこちに隠された間食の量は、もはや小さな奇跡だ。 シイナ上等兵がどれだけ見つけ出しても、カニナイトは必ず別の隠し場所を持っている。


……それはさておき、ヒヨコだ。


アカネ軍曹は改めてフェリニドを見やる。 小柄な体、軽い足取り、あまりにも無防備。

――冗談抜きで、中学生の社会科見学に紛れ込んできたみたいじゃないか。


「ロシカ」


アカネ軍曹が声をかける。


「年はいくつ?」


ヒヨコは顔を上げ、尻尾を揺らし、耳を気楽そうに動かした。


「17です、軍曹。 来週で……じゅうはち、だにゃ」



……



へえ。そう。


その理屈が通るなら――

アカネ軍曹は、最高評議長のお気に入りの姪だ。



アカネ軍曹の視線が、ミョール上等兵へと戻った。 ブーツから耳先まで改めて確認しようとして――小さく息を吐き、その動きを止める。


2度見したところで、疑いは変わらない。 もし司令部が本当に“子ども”を押し付けてきたのだとしたら、徴募部の誰かが吊るし上げを食らうことになる。

そしてアカネ軍曹は、新しい乗員を申請する前に、赤テープの山に腰まで埋もれる。


調査に1週間――やる気があれば。

代替要員の手配に、さらに2週間。 それから〈輪入道〉が新しいドライバーに慣れるまでの調整期間。

そんなことをしていたら、戦争の方が先に終わる。


……


なら、いい。


ヒヨコが話を聞けて、運転できて、全員まとめて三途の川へ直行させなければ――

年齢がどうあれ、文句を言う理由はなかった。


アカネ軍曹は背筋を正す。


「ロシカ」


声が、指揮官のものに戻る。


「ドライバー席は任せる。訓練で場所は教わっているわね?」


ヒヨコ――ミョール上等兵が、ぱっと表情を明るくした。


「はいにゃ、軍曹」


「よし」


アカネ軍曹は顎で戦車を示す。


「装備を収めて、席に慣れておきなさい。 すぐ出るわ。銀座方面への攻勢に、装甲支援で参加する」


シイナ上等兵が、ミョール上等兵の背中を軽く押して、装甲の方へ促す。 ウメ上等兵は、鼻鳴きとも唸りともつかない音を立てただけだった。


「30分」


そう言い残し、二人を無視してキューポラへと戻る。 本当なら、〈輪入道〉の“ちょっとした癖”をいくつか教えてやりたいところだが――今は時間がない。


現地で覚えてもらうしかない。


「準備しなさい」


ミョール上等兵の尻尾が、ひとつだけ、不安げに揺れた。 次の瞬間、その小さな背中は〈輪入道〉の影に飲み込まれる。


「溝に落ちたら――」


ウメ上等兵がぼそりと呟いた。


児童虐待(じどうぎゃくたい)で訴えますからね」


そして、あっさりと――

〈輪入道〉には、再びドライバーが戻った。


___________________________________


脚注


1) ナインズ

渋谷交差点を見下ろす位置に建つ百貨店で、「旧秩序」時代のインフラが残る数少ない建造物のひとつ。

インペリウム占領期および、その後の連邦軍による奪還作戦の過程で中程度の損傷を受け、破壊された看板には数字の「9」だけが残った。

この特徴から、連邦地上部隊は同施設を「ナインズ」と呼称するようになる。

のちに建物は交差点を見下ろす臨時前哨拠点兼スナイパー・ネストとして再利用された。

メグメルです!


今回は年末年始向けの短めエピソードになります。しばらくの間は、このような形での更新が続く予定です。

本編再開までの“合間”ではありますが、世界観やキャラクターをより深く知れる内容になっていますし、本編を読んでいなくても単独で楽しめるお話になっています。


それでは、メリークリスマス!

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