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アーケイン・フロント  作者: メグメル
【サンライズ作戦編】第八章: 塔
42/52

塔③

章の最後に脚注があります。

出発前夜、カティヤが散歩に誘ってきた。 5人の中で、志願しなかったのは彼女だけ――


いや、志願しない“賢さ”を持っていた唯一の存在だったのかもしれない。


その夜は冷え込んでいて、どんな服の上からでも容赦なく刺さる寒さだった。 それでもカティヤの笑顔は温かくて、 彼女にしかできないやり方で心の警戒を解いてしまう。 いつも耳の横で揺れていた三つ編みはなく、 すっきりと切られていた。 ドラグーンの慣習では、それが“誰に渡したか”を意味していた。

カティヤは、噂話をしに来たわけではない。


彼女は訊きたかったのだ――


リアがなぜ志願するのか。 収容所のあとで、配給列のあとで、鉄条網のあとで。 それでも“連邦の掲げる団結と進歩”を信じているのか、と。


リアは答えられなかった。 信念で動いているわけじゃない。 最初から、そうだった。

だから代わりに、こう言った。


「家族が……まだ東京にいるから。」


カティヤは黙って頷き、 空っぽの通りを見つめ続けた。 そのすぐあと、モリが通り過ぎていった。 肩を落とし、 出発前夜の重さを背負った姿で。


カティヤはもっと何かを言おうとしていたのかもしれない。 けれどもしそうなら、 リアの耳に届くことはなかった。


数か月後。 戦争は問いそのものを変えはしなかった。

変わったのは――答えのほうだった。

ポッドが脈動する。 ガラス越しに、顔が揺らめいた気がした。 母、父、ハジメ、アリス――

亡霊みたいに浮かんでは消える“影”。 自分が追放されてから一年。 そのあいだに、何があってもおかしくない。


胸が締め付けられる。



……家族も、こうなっていたら。



胸当てをコツ、と拳で叩く音。 素早く、意図のある合図。 リッカ上等兵だった。


「……ほい、持っといて。」


彼女の声には、いつもの冗談が一切なかった。


「伍長には言わないで。文句も質問も無し。 作戦前に二つ――“幽霊”が消えるから。 それ以上は……」


薄い笑み。


「……うちに来ないでね。」


リア兵長の手のひらに、小さくて凹んだ鉄の缶が置かれる。 中身がかすかに触れ合って鳴った。 蓋には青いインクで丸いループや小さなハートが描かれている――誰かの“可愛くしようとした努力”。


レンジャー・ミント。


疲労と恐怖に対する連邦の“解決策”。 “戦地用覚醒・鎮静複合剤”なんて正式名称もあったはずだが、そんな呼び方をする者はいない。


ここでは、その通称のほうがよほど実態に近い。

……

幽霊が消える……か。


リア兵長は缶を見つめたまま、親指でその縁をひと撫でした。 塔の脈動が、手首の鼓動と同じリズムで打っている。

耳がひくりと動く。 イヤーピースが弾けた。


『フェアリーベイトよりシルヴァン、応答を――状況は?』


リア兵長は瞬きをし、息を飲み込んだ。 世界が戻ってくる。 雨の音、塔のうなり、リッカがスライスに何か叫んでいる声。 彼女は缶をしまい込んだ。


ミントは後でいい。


「こちらシルヴァン。 内側の柵を突破。塔の基部に到達。抵抗は最小。……モリ、奴らは“人間”を使ってる。」


喉がひっかかる。


シミュレーションが見せてきたのは、砲撃で四散する兵士、炎に焼かれる影、戦車に押し潰される死。 だがこれは――違う。


意図がある。

目的がある。

スライスが臭いについて何か呟いたが、誰も返さなかった。


「ポッドの中に民間人。全部、この中継塔に繋がれてる。」


彼女は言葉を絞り出した。


「……ここを“喰わせて”動かしてる。」


ザーッと雑音。


『あの飽くなき連中め……』


銃声にかき消されかけながら、モリの声が返ってくる。


『もう一度言え、シルヴァン。今のは“人間”と言ったか?』


リッカ上等兵は、リア兵長が答えるより早く声を上げた。


「動物だよ、あいつら。」


ポッドに振り返り、吐き捨てるように言う。


「クソみたいな“動物”。まだ間に合う。言ってくれれば引っこ抜く。」


スライスも顔を上げる。 顎を固く結んでいた。


「リッカの言う通りだ。見捨てるとか、ねぇだろ。」


「……シルヴァン、救出を試みる。」


リア兵長はマイクに向けて告げる。


「だがCIVACが¹必要。至急だ。」


北の方角から、耳を裂くような咆哮が響いた。 爆発というより、悲鳴に近い、鋭い音。


――リジェネレーターだ。


『援軍だ。』


銃声の合間に、モリ伍長が低く唸る。


『帝国、塔を取り返す気満々だな。イージーが北西から押してる。ETA、5分。』


すぐ後ろでパルスライフルの一斉射が通信を裂いた。


『何があってもいい、シルヴァン――止めろ。』


通信が途切れた。


塔の光が脈打つ。 先ほどより速く、深く。 雨ではもう冷えず、表面は生きたガラスのように光を返している。


スライスはすでにポッドのひとつに取り付いていた。 コンバットナイフを突き立て、継ぎ目にねじ込む。 金属が悲鳴のように軋み――次の瞬間、刃が折れて跳ねた。


「ラッチなし、溶接もなし……なんだよ、これ何でできてんだ?」


リッカ上等兵は別のポッドに手袋越しの拳を叩きつけた。 触れた表面が、心臓のように脈を返してくる。


「どこかに、手動で止める仕組みぐらいあるでしょ。 全部、魔法とクソみたいな構造ってわけじゃないはず。」


彼女はしゃがみこみ、地面を調べる。 足元の光る円は、塗料でも彫刻でもなく、 光そのもので編まれた格子。 ガラスの下に回路が走っているように、紋章がゆっくりと流れていた。


「じゃあ、これとかどう?」


リッカ上等兵はコンバットナイフを抜き、 線のひとつに刃を当てた。

刃は何かに触れた――


固体でも液体でもない抵抗。 “電流の中を金属で掻き分けるような”手応え。

火花が散った。 青白く、重さのない光が宙に溶ける。

紋章が波打つ。 全体が低く唸り、 その音は悲鳴に変わり――また静まった。

傷ついたはずのパターンは、 光が縫い戻すように元の形へと戻っていく。


リッカ上等兵は後ずさった。 ナイフを握りしめたまま。


「……はいはい、全部魔法とクソでした。認める。」


唸りは止まらない。 むしろ地面へ沈み込み、 光の網を這うように塔のポッド群へ広がっていく。

リア兵長はその流れを目で追い、 次に足で追った。 ある導管の脇に膝をつき、 光に手袋越しの指をかざす。


「……パターンが、ポッドに電力を送ってる。」


スライスはその光景をしばらく見つめ、 歯の隙間から息を漏らした。


「……マナ塔、ってことか。まあ、だろうな。」


スライスは紋章を蹴りつけた。 光の線がひび割れ――すぐに修復されていく。


「この塔、全部ひとつの大陣だな。 地面に描いて、そのままポッドに流し込んでやがる。」


リッカ上等兵は、乾いた笑いをひとつ漏らした。


「言ったでしょ。魔法とクソだって。」


「クソじゃねぇ。」


スライスがうなる。


「ただ……奴らの理屈だ。 こいつらは回路じゃなくて“信仰”で技術を組む。」


「つまり魔法で――クソってこと。」


「……でも動いてんだよ、それが。」


リア兵長は何も言わなかった。 リッカ上等兵とスライスのやり取りが、 疑問をさらに積み重ねていく。

彼女の視線は塔の高さへ、それから基部へと戻る。 エリーがこれをいつから造ってきたのか。 いったい何人の命を飲み込んだのか。


ポッド内部の光がわずかに脈動する――


心拍のような、しかし人間ではない落ち着き方。


「……まだ生きてる。」


リッカ上等兵が小声で言う。 ひとつのポッドの横にしゃがみ込みながら。


「少なくとも……“いた”んだと思う。 どれだけ残ってるかは、わかんないけど。」


スライスは光の網を追いながら近づいた。 ポッドからポッドへ、線が脈動している。


「見ろよ。ひとつが光れば、他が沈む。 電力のバランス取ってる。シェアしてんだ。」


リッカ上等兵がジロリと睨む。


「で、なんでそんなことわかるの、天才さん?」


「わかんねぇよ。」


スライスは肩をすくめる。


「でも前は中継塔のログを読む仕事してた。 ノードが落ちると、送電所がルートを組み替える。 そのパターンと同じだ――ただし、“人間”を通してな。」


「もしグリッドなら……」


リア兵長が口を開く。


「制御点があるはず。 流れをまとめてる“何か”。」


スライスが顔を上げる。


「レギュレーターか?」


「……心臓でもいいわね。」


リッカ上等兵が呟く。


「どっちでもいい。」


リア兵長は続ける。


「それを見つければ、 ポッドを傷つけずに電流を断てる。」


「インプがキルスイッチ置いてくれると思う?」


リッカ上等兵が言う。


「兵長が通話してる間に塔の周り一周したけど、 そんなもん、どこにもなかった。」


塔が脈打つ。 空洞のような三つの鼓動――


遅く、機械的な心臓の拍動。


それに合わせてポッドが光り、 中の人影が痙攣し、 顔が歪む――まるで個々の悪夢に引きずり込まれるように。

スライスは口元を手で覆い、 地面の紋章と記号を追いながら言った。


「これだけ複雑なら、 メンテ用の停止手順は絶対あるはずだ。 どんなシステムでも、 “ただ動き続けるだけ”なんてありえねぇ。」


「そうね、この世界で“魔法で動いてる”なんて代物――これだけでしょ。」


リッカ上等兵の声は平坦で、どこか乾いた皮肉が滲んでいた。


「“聖者”を酸欠にしないための装置を、わざわざ止めると思う? ないでしょ。」


リア兵長は医療兵の言葉を無視し、スライスへ視線を向けた。


「持ってる装備、全部。」


スライスは自分のキットを叩いた。


「C-5、たんまり。ワイヤーのスプール。 サーミットペーストがチューブで……まあ、派手なもんはなし。」


リア兵長の目が、ポッドへ―― ポッド同士をつなぐ光の網へ―― 静かに移る。

彼女は指し示した。


「サーミット。ガラスと外殻の継ぎ目に使って。 回路を踏まずにひとつ開けられれば…… 一人引き抜いて、システムの反応を見る。」


スライスがわずかにためらう。


「閉ループなら、ひとつ抜けば他が負荷を拾う。 ノードが落ちりゃ、残りが補う。 最悪、供給そのものが崩れる。」


「で、やらなかったら?」


リッカ上等兵が鋭く言い返す。


「こいつらはこのまま“電池”だよ。」


「サーミットが一番マシな手だ。」


リア兵長は声を切り詰めて言った。


「外殻だけ焼ければ、一人は救える。 再ルートされるなら中止して……」


言葉が途切れた。 リア兵長の顎がわずかに動く。 耳が、ほんの少しだけ沈む。

その先の答えは言えなかった。 机の上に置かれた第二の起爆装置のように、 “冷たい計算”がそこにあるとわかっていても、 それを言葉にすることだけは拒んだ。


彼女は息を整え、ポッドへ向き直る。


「……やって。」


スライスは動いた。 まるで十回でも百回でも繰り返してきた作業のように、迷いがない。

キットから耐熱繊維の布を裂き、 ガラスと外殻の継ぎ目にサーミットペーストを塗布する。 それを布で覆い、密着させる。


点火装置を擦ると、白い火花が散った。


ペーストが閃光のように燃え上がる。 光の熱が波となって押し寄せる。 布が蒸れ、金属が溶け、継ぎ目から鈍い赤が滴り落ちる。

3分――


世界は白い光と、 焦げた樹脂と金属の臭いだけになった。


ポッドの周囲の紋章が、 怒ったようにカチカチと短く鳴き始めた。

床下の格子が異常を検知したのか、 甲高い唸りが地面から突き上げてくる。 リア兵長は“聞いた”というより、 足裏で鼓動の乱れを感じ取った。


「ナイフ。」


スライスが手のひらをリッカ上等兵へ向ける。

医療兵は目を細め、ため息をひとつ。 ベイオネットを抜きながら言った。


「……絶対折らないでよ。」


「努力する。下がってろ。」


スライスが継ぎ目へ刃を叩き込む。 ガラスがクモの巣状に割れ――

しぶしぶと音を立てて崩れた。


中から、温かく、腐敗を含んだ空気が吐き出される。 その奥で、胸がひとつ震えた―― 浅く、弱く、だが確かに“生きて”いる呼吸。


その瞬間だけ、 リッカ上等兵の顔からいつもの刺々しさが消えた。


「彼女を確保。」


リア兵長が命じる。


医療兵が真っ先に動いた。 女性の肩の下へ腕を滑り込ませ、そっと支える。

スライスはすでに次のポッドへ走り、 手早く準備を始めていた。

リア兵長は反対側に回り、 壁の裂け目――彼らが確認していた遮蔽へ向けて、 女性の身体を引きずるように運んでいく。


その女性は――鰭のような耳、 首元に淡く光る鱗―― 特徴からしてタラシアン²だろう。


咳が漏れた。 湿り気を含んだ、痛みのある音。

医療兵の腕の中で、 その身体はコートのように軽かった。


「……安定してきてる。」


リッカ上等兵はタラシアンの首筋に指を当て、胸の上下を確認した。


「脈は弱い。呼吸も浅い。でも――持ってる。この子は生き残る。」


リア兵長はほんの一瞬だけ呼吸が戻った。


リングを囲む光が揺らめく。 鋭い点滅のあと、全体がゆっくりと暗くなり―― まるで塔そのものが突然息を吸い込み、そのまま止めたかのようだった。

床下の格子はもう締めつけるような脈を打たない。 代わりに、沈んだ規則的な唸りへと落ち着いていく。


スライスが目を凝らす。


「……再調整してんのか?」


ポッドを――それから塔を――見比べ、 彼は二度、瞬きをした。


「待て。……違う。違うぞ、これ。」


スライスの声が低く跳ねた。


「出力を絞ってる。アレイ全体の負荷を落としてる。」


「はい、簡単な日本語でお願いしまーす。」


リッカ上等兵が食ってかかるように言う。


「つまり、他のポッドに負荷を押しつけて暴走することはないってことだ。」


「もっと簡単に。」


「スロットルが保てば――」


スライスがにやりと笑う。


「もっと救える。」


リッカ上等兵は鼻で笑い、だがその笑いにはわずかな希望が混じっていた。


「そうこなくちゃ。たまにはこっちに運が向いてもいいでしょ。」


リア兵長の胸の奥で、わずかな安堵がきつく巻きついた。 小さい。脆い。だが確かに“窓”が開いた。


「次の二基にサーミットを仕込んで。 点火は私の合図まで待って。動け。」


スライスはすでにキットに手を伸ばしている。 耐熱布を裂き、ペーストを手早く正確に継ぎ目へ塗布していく。 リッカ上等兵は隣に位置を取り、 「ナイフ返して。」 とスライスに要求しながら、 燃え終わった瞬間にこじ開ける準備を整えた。


リア兵長は遮蔽物へ移動した。 陣地を突破して以来、初めてひとつ長い呼気を吐き出すことを許した。


――救える。


「サーミット完了!」


スライスが叫ぶ。


「3分焼き――前と同じだ!」


リア兵長は頷いた。


「点けて。」


点火装置が擦られ、 白い炎が耐熱布の下で花開く。 熱が空気を歪ませ、 サーミットはゆっくりと、しかし貪るように金属を溶かしていく。


床下の格子は安定したまま。 さきほどより光は弱いが、揺らぎはない。


リア兵長は柵の方へ視線を向けた。 輪入道のエンジン音、パルスライフルの短い連射――モリも全力で押し返している。 イージーの増援もまもなく着くはずだ。

よし。


1分はある。 2分持てば……もう一人、いや――


背筋に寒気が走った。 音より先に。


薄い風が床を滑った。 装甲越しに肌を刺すような冷たさ。 その流れは彼女の足元を巻き込み、 白い霞を引きずっていった。


「……兵長?」


リッカ上等兵の声が強張る。 彼女が見ているのは燃焼箇所ではない――その“向こう”だ。

リア兵長の吐息が、細く白く漏れた。 空気圧が落ちる。 最初はわずかに、 次の瞬間には明確な落差となり、 “ここではない冷たさ”が押し寄せた。


霧。


崩れた壁の隙間から滲み出し、 砕けた漆喰を這うように立ち上る。 最初は薄い――ただの朝靄と変わらない。 だがすぐに濃さを増し、 波のように折り重なりながら形を呑み込んでいった。


リア兵長の通信機が悲鳴を上げる。 耳を刺すようなノイズ。 アカネ伍長の声が歪み、途切れ、 干渉に喰われながら押し出されてくる。


『――聞こえるか誰か――霧が広がっ――繰り返す、“魔女”が――』


金属を裂くような咆哮が、残りをかき消した。


リッカ上等兵が息を呑む。


「……最悪。これ以上ヘンな展開はないと思ってたのに。」


リア兵長の耳が震える。 反射的に、外の戦況に意識が向く。


パルスライフルの断続的な銃声が――消えていく。

輪入道の雷鳴のようなエンジン音も――途切れた。

代わりに響いたのは、 イゴールたちの遠吠え。

長く、甲高く、揺らめく叫び。 ハネダで聞いたものと同じ。 戦況が彼らに傾いたときの叫び。


――“聖者”が戦場に現れたときの叫び。


リア兵長の息が引っかかった。


「――」


声にならない。


「兵長――?」


リッカ上等兵が振り向く。


声は途中で途切れた。 何かに締め上げられたわけでもない。 残った空気ごと、音が消えた。

スライスが喉へ手を伸ばす。 目を見開いたまま――



声が出ない。



霧が、腕を伸ばした先すら呑み込んだ。

声が最初に消えた。 吸い取られるように――音が断たれ、 戦場の残響だけが、遠い水の底のようにくぐもって流れていく。


塔が、一度だけ脈動した。

リア兵長の思考が駆ける。 ハネダの滑走路、下水路の強襲ルート、そしてこの塔――どれも訓練シミュレーションとは噛み合わない。


彼らが学んだ戦いは統一戦争の記録――相手は“人間”だった。 こんな戦いじゃ、決してなかった。

魔法なんて、教範には載っていない。 帝国魔導のブリーフィングも、結局はルミナラII帰還兵のひと言に集約される。


《魔導師は最優先で殺せ》


援軍は来ない。 通信は潰され、 “魔女”が戦場そのものを折り曲げている。


遠くで、まばらなパルス射撃。 そのあとに金属音――鋼と鋼がぶつかる甲高い悲鳴。

リア兵長は塔を見上げた。 紫青の光が霧の中で脈を打つ。 二つ目のポッドに仕込んだサーミットはまだ半分、 三分の切断の折り返しすら来ていない。

周囲のポッドは――まだ閉ざされたまま。


そこにある命、すべてが――


……


彼女は駆けた。 スライスのパックへ手を突っ込み――


NGD戦闘員が一瞬目を見開く。


次の瞬間、彼は理解した。 彼女の手の中のC-5とクラッカーを見た瞬間に。

リッカ上等兵の目が見開かれた。 彼女は二人の間に立ちふさがり、 声にならない叫びを口の形だけでぶつけてくる。


聞こえなくてもわかる。 答えられない。 答えてはならない。

スライスは迷わなかった。 走り、ポッドへ。 外殻に次々と爆薬を叩きつけ、 乱暴で、しかし素早い手つきで配線する。


リッカ上等兵は、 まだ燃え続けるサーミットのポッドを指差し、 必死に時間を稼ごうとする――もう、時間など存在しないのに。


リア兵長は目を閉じた。


――ごめんなさい。

――ごめんなさい。

――ごめんなさい。


目を開けると、 スライスがすでに目の前にいた。

彼はクラッカーを彼女の手のひらへ押し込む。 その金属は冷たく――重かった。

リッカ上等兵は首を振る。 ほとんど懇願に近い動きだった。

外では、鋼の衝突音が近づいてくる。 切迫し、迫り、逃げ場を食い尽くす。


リアは息を吸った。





――押し込んだ。




___________________________________


脚注


1)CIVAC(Civilian Evacuation/市民避難)

連邦軍が使用する用語で、非戦闘員である民間人を、 戦闘地域、災害地域、あるいは帝国支配下の危険区域から避難・救出する任務を指す。

負傷者の後送を優先する CASEVACとは異なり、 CIVAC は 武装していない民間人の安全確保と搬送 を目的とする。 しばしば交戦中の区域で実施され、 敵火線下での行動を余儀なくされるケースも多い。

連邦軍の野戦ドクトリンでは、 CIVAC は 「タイプIII:人道支援作戦」 に区分され、 前線部隊と連邦民政局(FEDERAL CIVIL AFFAIRS)による協同任務として扱われる。


2) タラシアン

海洋惑星 タラッサ-IV 出身の水棲ヒューマノイド種。

両生類的な生理構造と、生得的な水術(ハイドロマンシー)適性を備える。

深海域と地上環境の双方に適応しており、 耳・前腕・脹脛にかけて伸びる鰭状の突起が特徴的。 これらは水中での平衡感覚や音波通信能力を高める役割を持つ。

連邦記録では、タラシアンは「第三波(サード・ウェイヴ)」と呼ばれる 連邦―帝国交流計画3年目の移住期において、 帝国系異界人として三番目に大規模な移民群が確認された種族とされる。

この移住は、 主に人類が占めていた社会に海洋種族が本格的に統合された初の事例として位置づけられている。


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