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アーケイン・フロント  作者: メグメル
【サンライズ作戦編】第七章:ソウルテイカー
34/38

ソウルテイカー①

章の最後に脚注があります。

生ける者は閉ざされ、死せる者だけが、その中に眠る。



闇を裂くエンジンの咆哮――耳に染みついた音だ。

続いて、反響。

鋼を弾く跳弾の音。油と汗の匂い。鋭く、儚い。連装150ミリ・パルス・アクセラレーターの轟き。

オートコイルの連打。烈しく、容赦なく。

だがやがて、遠くに吸い込まれるように消えていく。

声がした。

平山軍曹の落ち着いた号令。デュ・ヴァレンデルの笑い声。岡部の取りとめのない世間話。

最初は鮮明なのに、いつも同じように途切れる。言葉の途中で、ぷつりと。

いつもの「パターン」だった。

暗闇に手を伸ばしても、何もない。残るのはエンジンの低い唸りと、履帯の震動。


そして――生きているという実感。

あの者たちが死んで、自分がまだここにいるという、残酷な確かさ。


黒宮(クロミや)伍長、起きて!」


息を呑む。目が開いた。

狭い運転席――鋼鉄の壁、デジタルパネル、計器。熱に焼けた汗の臭いがこもっている。震える指で眼鏡を押し上げる。周囲の声は、まだ生きている。今のところは。

彼女は見なかった。もう見ない。二度と。


黒宮(クロミヤ)(アカネ)にとって、これが六つ目の乗員だった。

この戦争に身を投じて5か月。


そして、終わりの見えない戦いの2年目。


「大丈夫? すごい汗よ。寝言も言ってた。」


伍長は手を振ってやんわりと受け流す。軍曹――新しい指揮官。まだ3週目。彼女もまた代わりに過ぎない。


「おい、それ俺のだぞ!」


通信越しに抗議の声。笑いが続く。


「カニナイトってチョコ苦手じゃなかったっけ? 心配するなよ。東京を解放したらいくらでも手に入るって。今回くらいはいいだろ?」


砲手と装填手。補充兵。入隊して5日と3日。カニナイト族と鬼族の二等兵。新兵上がりのひよっこ。


平凡な声。ありふれた会話。第一機械化(だいいちきかいか)師団(しだん)のどの戦車にもある光景。


アカネ伍長は黙ったまま、ハッチを開けて外に出た。名も顔も、もう覚えようとは思わない。どうせ長くはもたない。そのほうが楽だった。


遠くで、砲声と戦闘機の悲鳴が夜を震わせる。アカネ伍長は火の海となった地平を無表情に見つめた。大地の下から火山のように轟く振動。

――プロトコル〈アッシュフォール〉発動中。


「羽田は残念だったけど……いい絵だろ?」


軍曹が笑いながら言う。


「エドガーどもにたっぷり報いを与えた。可哀想にな。けど、奴らも役目は果たした。」


誇らしげな声音。あの炎を“勝利”と信じている声。アカネ伍長にはわかっていた。二度と戻らない声を、まだ覚えている。

九州反攻戦で消えた声。第二次福岡戦で、自分を呪いながら散った声。



声が――。



誇りなど、補充兵のものだ。まだ“地獄”の意味を知らぬ者たちの。

マンティコア¹のパルス・アクセラレーターがそれを教えてくれた。この〈ヒヨコ²〉どもには、まだわからないだろう。


戦場機械の装甲の上から、アカネ伍長は〈第一機械化(だいいちきかいか)師団(しだん)〉の前線展開地を見下ろしていた。

かつては子どもたちの声が響いていた野球場と公園――今は、前進基地に変わっている。


その南側では、工場群と倉庫街が臨時の補給拠点と化し、〈マンティコア〉や〈リュクス³〉が、空いた区画ごとに並べられていた。各車の乗員たちは砲塔の上で煙草をくゆらせながら、合図を待っている。


内側では高校の校舎がぽっかりと口を開けていた。教室は臨時の病院に変わり、運動場には黒い袋が並べられている。隣には、兵たちが信じるままに寄せ集めた、即席の祈りの場。


アカネ伍長の乗員のうち、二人は“幸運”にももう戦いから解放されていた。前任の車長は輪番を外れ、罵りながらも“墓場行きは免れた”傷を負って前線を離れた。


川崎市の戦いが終わって、まだ一週間。


それでも上層部は、彼女たちをもう次の戦場へと押し出している。


──その基地では、噂が風のように漂っていた。

囁くのはフェイド系乗員たち。師団の五分の一を占める彼らの多くは、ヒヨコだ。

アカネ伍長には彼らの共通語はわからない。自分の戦車を追う視線と、時おり聞こえてくる言葉の意味は理解できた。


「呪われている」


「ソウルテイカー」


輪入道(ワニュウドウ)――火の車。最初の乗員たちがそう呼び、そして全員が沈黙した。名だけが残り、彼女の背に“穢れ”として焼きついている。


「気にすんな、黒宮(クロミヤ)。」


車長が腰に手を当て、歪んだ笑みを浮かべた。


「奴ら、ちょっとビビりなだけさ。ポジティブに考えろよ。お前が今もここにいるのは、運がいいって証拠だ。」


運、か。


アカネ伍長は眼鏡を押し上げ、視線を逸らした。視界の端で、砲手と装填手がまだレーションを頬張っているのが見える。せめて今回は、異界人であることや名誉を巡って、車長が喧嘩を吹っかけることもなかった。


輪入道(ワニュウドウ)”――そしてその全員女性の乗員。編成が変わっても、そのパターンだけは変わらない。


砲塔の鋼板を撫でるような冷気が、ソウルテイカーの首筋を這い上がる。砲手と装填手の笑い声が途切れた。彼女が車長に視線を向けたその瞬間、またあの感覚が胸を刺した。まるで、別れがすでに書き込まれているかのような、重く、静かな予感だった。


通信回線が割れ、声が流れ込んできた。


「こちらは連邦軍FAR-03第11軍集団司令官、ダグラス・ヴァルス・ハサウェイ元帥である……」


軍曹が無意識に背筋を伸ばす。瞳に一瞬だけ敬意の火花が灯った。


「あの老いぼれだ……」と彼女は呟く。誰にともなく。周囲の乗員は動きを止め、イヤピースやオムニリンクに頭を寄せ、開かれた放送に耳を傾けた。


アカネ伍長は眼鏡を押し上げる。


「初めて彼の声を聞くか?」と軍曹が訊く。


「ええ」


軍曹は短く答えた。


「背負ってるものが違うって感じるよな。あの確信の半分でも欲しいぜ。」


アカネ伍長は軽く首を振り、唇を真一文字に結んだ。その種の声は以前にも聞いたことがある――誇りと確信に満ち、他人の命を賭けに使う口ぶり。彼らは〈九州の獅子〉と呼ばれた。


英雄だと? 真実に近い呼び名は、むしろ〈九州の耄碌野郎〉だ。


「連邦の兵士たちよ――未来の市民たちよ!」


スピーカーから元帥の声が真摯に響く。アカネの胃が締めつけられる。あの調子は福岡の時と変わらない。最初の乗員たちはその声を信じ、すべてを払った。あの老いぼれは何も学んではいない。朝の鐘の音だって、そちらの方が正直に聞こえる。


「今こそ、我らの街を汚す卑しきエドガーどもを叩きつぶす時だ。羽田の砲は沈黙し、最後の障害は取り除かれた。我らの行程は前倒しされた――東京への道が開かれたのだ!」


アカネ伍長の唇が震える。忌まわしい時が、予想より早く来た。


「多摩川の向こうには橋がある――我が祖国への門だ。インペリウムは自らの精鋭を配備しているというが――獣、怪物、畸形の類だ。嘆くな。我らの鋼の前では彼らの防御は茶番にすぎぬ。勇気など幻影だ。そいつらは連邦の鋼の前に影でしかないのだ!」


軍曹は相槌を打ち、目に火が灯る。砲手と装填手は動きを止め、ヘッドセットに耳を押し当てる。どこかから歓声が上がった――空虚で、国粋的な喚声。福岡が再び蘇るようだ。


「お前たちは火と鉄で暁をもたらす。我らは歴史の好意を乞うのではない――命じるのだ。歴史を強引に創り出すのだ!」


もう一つ、歓声がオセロット3号車の近くで上がった。彼を墓場へ運ぶはずの歩兵戦闘車の横だ。機械化歩兵はこういう戦いでは長持ちしない――哀れな奴らだ。


「己を忘れるな。我らの盾たれ。明日の鎚たれ。行進するその足で敵に恐怖を教えよ!」


「恐怖を教える?」


神は背を向けることはあっても、嘘はつかない。

イゴールは恐怖を知らず、容赦を示さない。隙があれば人を戦車から引きずり出す。戦闘ゴーレムが隣をのし、オークの突撃部隊がかかとで轟く今、過小評価などできない。


「各自配置につけ! 時計を合わせろ!」


アカネ伍長は視線を落とした。命令は経文のように怒鳴られるが、どんな儀式も死者のささやきを封じることはない。


彼女は運転席に身を沈めた。ハッチがシューッと閉まり、内部に鍵を下ろす。四方を狭い鋼が押し包むが、外の視界やパネルがせめて声から意識をそらしてくれる。


「準備はいいか、黒宮(クロミヤ)。」


軍曹の声がヘッドセット越しに割れる。習慣でアカネは後ろを一瞥した――しかし彼らの目を結局見ることはないと知りつつ。操縦席は砲塔と隔てられ、背後にあるのは収納棚と予備のカービンだけだ。


「心配か、黒宮か?」


アカネ伍長はゆっくりと息を吐く。いまさら親しくしてどうする、という時間帯だ。手首の時計を同期させ、親指がスロートマイクにふれる。


「何を、だ?」


間が、間延びする。


「お前の……呪いのことだ。」


当然の問いだ。出撃前に乗員全員が一度は口にする。いつも答えは同じ。


「生死は神のみが定める。」


通信の向こうで低い口笛が漏れる。


「さすがは黒宮神社の継承者よ。信心深いね。」


言葉が、息を奪った。――血筋。戦場でその語を向けられたのは初めてだった。〈元〉継承者、だと訂正しかけたが、喉の奥でそのまま呑み込む。


通信を切り裂くように、老いぼれの吠え声が全チャンネルを満たした。


「連邦のために――撃て! 撃て! 撃て!」


軍曹がインターコム越しに笑う。


「さあ、呪いをぶち壊そうじゃないか。奴らを見返してやろう。……よし、聞かせてみろ、そのエンジンの唸りを!」


老いぼれの唱える戦いの呪文が、アカネ伍長のヘッドセットにこびりつく。エンジンの咆哮が高まっても、あの声だけは消えない。――鐘が鳴った。葬送の鐘が。


「また一緒だな、相棒。」


その呟きは自分へではなく、唯一変わらず傍にある鋼の獣――輪入道へ。出撃前に必ず唱える、擦り切れた祈りの言葉。


「今回の乗員は気に入ってくれるといいな。……もう二度と、あの子たちを連れていかないでくれ。」


指が操縦桿を握り、足がペダルを踏む。また一度、出撃の時。また新しい名前を背負う時。


もしこの“呪い”が本当にあるのなら――


……神は、なんと残酷な冗談を好むのだろう。


輪入道(ワニュウドウ)、前進!」


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___________________________________


脚注


1) M22A4〈マンティコア〉主力戦車(MBT)

連邦軍が誇る90トン級主力戦車にして、同軍の設計技術の到達点。

連装150ミリ・パルスアクセラレーターを備え、交互発射によって持続的な射撃を実現。

乗員は4名――操縦手、砲手、装填手、車長。

自動装填補助システムを搭載し、乗員の負担を軽減する構造となっている。

〈アーケイン・フロンティア戦争〉勃発時には既に高コストと魔力環境下での信頼性問題から退役が検討されていた。


舗装路での最高速度は80キロ毎時。


2) ヒヨコ

旧秩序時代から使われているスラングで、新兵や補充兵など、経験の浅い未熟者を指す呼称。

地域によっては「FNG(Fucking New Guy)」という表現のほうが一般的である。


3) M114〈リュクス〉歩兵戦闘車(IFV)

2114年に連邦軍で制式採用された履帯式歩兵戦闘車。

〈M22A4 マンティコア〉主力戦車との連携運用を前提に設計されている。

40ミリ機関砲を備えた砲塔と、155ミリ誘導ミサイルシステム、同軸機銃を搭載。

重火力による直接支援を行いながら、八名の歩兵を戦場に輸送する。

乗員は三名。高い汎用性と、諸兵科連携を重視した設計思想が特徴。

2025/11/7 ― 「第1装甲師団」を「第1機械化師団」に修正しました。

以前の下書きのまま無意識に書いてしまっていました。すみません!

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