アッシュフォール④
「気を抜くな、レンジャー!」
伍長の声が銃声を裂く。ライフルが跳ね上がり、アンダーバレルのショットガンが吠えた。 突進していたイゴールが火花と金属片を散らしながら崩れ落ちる。
コウタ上等兵は振り返らない。〈セミ〉の引き金が指に食い込み、蒼白の弧光を吐き出す。 HUDに赤が灯る──落とす。また三つ点る──落とす。 潰しても潰しても、赤は尽きない。
LZ-Sはすでに溢れていた。 最後の落伍者が転げ込む頃には地獄そのもの。 防衛線など名ばかり。 崩れた掩体に身を押し込み、片腕に包帯を巻いたまま射撃する兵。
増援もなし。 指揮に繋ぐ手段もなく、ヘリックス中隊はいまだ姿を見せない。
「オオサカッ! 無線はどうだッ!」
伍長の声が飛ぶ。視線は前線と、唯一の望みに交互に走る。
「3分──いや2分や!」
ヘッドセット越しに返る声は荒い。関西訛りを無理に陽気に装っている。
「お望みなら懐中電灯で照らしながらやるけどなぁ!」
「一分でやれッ!」
「暗闇でこのグチャグチャ直せるならやってみぃや!」
二分? 笑わせる。
コウタ上等兵は信じない。 四分かかればまだ幸運な方。 その間に防衛線は消えている。
左を見る。
エレナ上等兵のライフルが正確に弾を刻む。 完璧な精度。だが肩は硬直し、白くなるほど銃を握り締め、震えを抑えていた。
イゴールの群れが波のように掩体を叩く。 金属の体が掩体を軋ませ、鉤爪が銃や装甲を引っ掻く。 蒼白の閃光が闇に弾け、群れを積み上げる。 次の群れが屍を踏み越えて押し寄せる。
コウタ上等兵は一体を撃ち倒し、振り向き、また一体。 HUDは赤く染まったまま。
弾薬表示までもが赤に染まる。
一発一発が、次の死神に届かぬ恐怖に変わる。
「来るぞッ! 構えろ、構えろォ──ッ!」
蒼光の弧が奔る。
最初の一閃が左翼を薙ぎ払う。 人もイゴールも蒼光に呑まれ、瞬時に消えた。
二閃目が中央を縦断。 銃座を構えたレンジャーの巣を一直線に貫く。
刃が上がり、線を引く。
たった一動作で、さらに三人が地に倒れた。
騎士。
あの怪物が追ってきた。 彼らを押し潰すように。
「オオサカ、リレーは──ッ!」
伍長の声が回線を裂く。緊張がにじんでいた。
「……いける……繋がったッ!」
コウタ上等兵のHUDに〈AETHER〉のアイコンが再点灯する。 オオサカ上等兵の荒い息がネットに漏れる。
「FIONAとのリンク──復旧ッ!」
伍長は一拍も無駄にしなかった。
「ネプチューンよりFIONA──ハンマー1、目標指定、三点測位!」
次の瞬間、コウタ上等兵のHUDが明滅する。
【目標三点測位 要求:視認(複数)】
CPL. 森田 龍己
PFC. 辻 康太
PFC. 白金 エレナ
考えるな──動け。
彼は〈セミ〉を跳ね上げ、巨影へと照準を叩き込む。 その一拍後にはエレナ上等兵も並び、視界をロックする。 HUDが再び点滅。
コウタ上等兵は息を止めた。
【目標三点測位 要求:視認(複数)】
CPL. 森田 龍己[ACTIVE]
PFC. 辻 康太[ACTIVE]
PFC. 白金 エレナ[ACTIVE]
【視認成立】
赤いダイヤが騎士の輪郭に浮かび上がり、リアルタイムで動きを追う。
――FIONAの声が響いた。
《砲撃:準備完了。》
「デンジャー・クローズ──送れ!」
空が裂け、一条の白熱が落ちる。
──そして音が追いついた。
雷鳴のごとき衝撃が滑走路を貫き、歯を軋ませ、骨を震わせる。380ミリ砲弾が星のごとく降下し、騎士の進路へ突き刺さった。
コウタ上等兵の耳が悲鳴を上げる。閃光と熱と衝撃波が一度に押し寄せ、20メートル以内のイゴールどもは煙と破片の中へ吹き飛ばされ、直撃地点の奴らは跡形もなく消え去った。
戦場が凍りつく。怒号もない。パルスライフルの音もない。小型の機械どもすら足を止め、群れの進撃が揺らいだかのように。まるで一撃が奴らの度胸を叩き潰したように。
沈黙を破ったのは、モリタ伍長の声だった。
「白金、スキャンを寄越せ」
エレナ上等兵は息を殺す。唇はまだ衝撃の余韻に震えていた。耳も間違いなくコウタ上等兵と同じように焼き切れている。それでも彼女は僅かに視線をコウタ上等兵へ寄越し、彼は短く頷いた。二人は同時に遮蔽物の縁から身を起こす──彼は〈セミ〉を構え、彼女はスコープを覗く。
「……コウタ。」
彼女は冷ややかだが鋭い声音で言う。
「……私の位置に敵弾を引き込むのはご遠慮願いたいわ。」
コウタ上等兵は目を翻し、乾いた笑いを漏らした。
「なら、外すなよ。」
「私は一度たりとも外してないわ。」
鋼の光を宿した瞳で、彼女は即座に返す。
HUDが真紅に染まる。敵影が増え、収束してくる。
「しつこい連中ね……」
エレナ上等兵が舌打ちする。
「伍長、敵影が──」
言葉の途中、青い閃光が煙を裂いた。第二列を抉る一撃。爆風が彼らの肺を奪い、土砂と破片の雨が降り注ぐ。
「くそっ……!」
エレナ上等兵が言葉を噛み切った。わずかに崩れた冷静さが滲む。
「状況が悪化──今すぐ!」
「撃ちまくれっ!!」
一斉にパルスライフルが応えた。
コウタ上等兵は見た。光跡を辿り、発射源を捉える。新たなイゴールの群れの中に、暗い影が立っていた。三百メートルも離れていない。
わずかな瞬間、舞い上がった砂塵がその輪郭を縁取る。空気そのものが歪むように。
「380ミリを食らって……まだ立ってやがる。」
コウタ上等兵は自分の声すら届かないように呟いた。 エレナ上等兵を振り向く。いつもなら返す皮肉も、今はない。ガラス越しの視線に映るのは、同じ絶望の色だけ。
──騎士。
380ミリの精密軌道砲撃は、第一線から押し出したに過ぎなかった。殺しきれていない。
握る手に力が入り、震えが走る。疑念が、恐怖が、氷のように染み込んでくる。
ここが墓場になる。
……
ヘリックス中隊だけでは救えない。
「ネプチューンよりFIONA、増援の到着予定は?」
モリタ伍長の声が通信に割り込む。緊迫し、しかし揺るぎなく。
《ヘリックス中隊──到着予定、五分後。スタンバイを継続せよ。》
「5分だと!? もたねぇ──!」
《訂正不能。通信途絶──優先度再評価中。大田区──戦況悪化。》
短い間。冷ややかな声が続く。
《増援部隊──再配備の可能性あり。前線安定化を優先。》
5分……仮に来るとしても。
騎士なら2分で蹂躙できる。 フォックスとジョージは六倍の兵力で突入し、生還したのは二十にも満たず、その大半が瀕死か戦闘不能だった。
増援は、ただの統計の数字に消えるだろう。
コウタ上等兵が舌を打つ。〈セミ〉のコッキングハンドルを引き、残弾表示が赤く点滅し続けるHUDを睨む。
敵は止まらない。第一線はすでに崩壊していた。
騎士が迫る──第二防衛線まで200メートル。
HUDが点滅する。残り弾薬は最後の一箱。
あの“フェイド野郎”ですら、これで終わりだと悟っているように見えた。腕のブレスレットを何度もなぞり、数珠を繰るように。
「……プロトコル〈アッシュフォール〉。」
モリタ伍長の声が無線に割り込む。
「ネプチューンよりFIONAへ──増援を取り消し、大田区への再配備を指揮部の意図どおり実行せよ。」
一拍。
機械の声が戻る。
《警告──プロトコル〈アッシュフォール〉発動時、羽田宇宙港は全損。確認は当チャンネルの全責任。実行可否、回答を。》
短い沈黙。
コウタ上等兵は鼻で笑う。──これがモリタ伍長。“フェイド野郎”。“あのクソ伍長”。
FIONAは口実を与えてしまった。
「上等だ。どうせこれも“あのクソ伍長のせい”にされるんだろ。」
フレアガンをホルスターから抜き取り、装填。金属音が短く鳴る。
「プロトコル〈アッシュフォール〉──繰り返す、プロトコル〈アッシュフォール〉!」
赤い閃光が夜空を弧を描き、爆ぜた。戦場全体を血のような光が染める。束の間、すべてが止まり、その光へと視線が吸い寄せられる。
《確認──プロトコル〈アッシュフォール〉》
【FFID同期完了。〈レイヴン〉──味方識別マーキング開始】
──轟音が降ってきた。
深く、荒々しく。核融合ドライブが天を裂き、戦場全体に響き渡る。やがて砲門が唸る。鋼と肉を引き裂く金属の咆哮。
震電IIIの全火力。
一機目が低空を掠め、開けた場所にいたイゴールを粉砕する。二機目が東から突入し、ナパームとスマート爆弾を投下。三機、四機、五機……地獄のロケット弾、掃射、シンデンの全火力が夜を切り裂いた。
初めて、騎士がよろめく。足を止めた。
モリタ伍長──この野郎にしては──無駄はない。
「リア、脱出ルートを確保しろ。白金、コウタ──」
鋭い眼差しが二人に向く。
「第三線まで下がれ。あの騎士が追ってきたら俺たちが止める。」
「了解、伍長。」
エレナ上等兵がコウタ上等兵の肩を叩く。唇には煤と灰にまみれながらも、笑みの欠片。
「伍長を褒めるなんて、いつから?」
コウタ上等兵は鼻を鳴らし、〈セミ〉を握り直す。
「まだ嫌いだ。だが、俺たちを生かすためにデンジャー・クローズを二度も呼び込む奴だ。そりゃあ逆らう気はなくなる。」
反論を許さぬかのように、空が応える。
ハンマー3──380ミリの軌道砲撃が怒りを込めて落ちた。夜空が裂け、炎と鋼が柱のように降り注ぎ、宇宙港を丸ごと呑み込む。
地面が揺れる。耳が焼ける。肺も歯も震える。黒い雪のような灰が降りしきる。
イゴールの群れは砕け散り、散り散りに逃げる。騎士の姿はどこにもない。
赤いフレアが照らす安全圏から、コウタ上等兵は廃墟を睨み続け、笑みを浮かべた。ほんの少し、騎士とその群れに哀れみを覚えるほどに。
「モリ、出口確保!」
フェイドの声が割り込み、確かな響きで届く。
「発射台の整備門──“雉”マーク!」
モリタ伍長は一瞬も迷わない。
「フォックスは最後尾だ。ジョージ、中でも動ける者を優先しろ。快適さは後回しだ。」
赤い光が頭上に漂い、ヤマシロの火力を味方に逸らし続ける。その下で伍長の声が響く。
「気を抜くな、レンジャー! 段階的後退だ──誰一人置いていくな!」
コウタ上等兵は〈セミ〉を肩に担ぎ直した。
隣でエレナ上等兵がスコープの砂を払う。視線は固く、前方を射抜いている。
フェイドとオオサカ上等兵がすぐ背後に入り、言葉もなく隊形が整う。運悪く数体のイゴールが発着パッドに食い込んできたが、フェイドの手榴弾とオオサカ上等兵のそこそこ正確な射撃で、瞬く間に屑鉄へと変わった。
フォックス中隊とジョージ中隊、合わせて約二百五十名が羽田宇宙港に送り込まれた。命令は単純だった──砲台を沈黙させ、ターミナルを確保せよ。
0250時点。フォックスとジョージは壊滅。羽田は鋼鉄とコンクリートの墓場と化した。作戦は失敗と判定された。
だが三十名を超えるレンジャー──負傷者も健在者も含めて──が、一人の伍長に命を救われた。
森田 龍己伍長。
ある者には〈フェイド野郎〉。
ある者には〈あのクソ伍長〉。
だが羽田を生き残った者にとって、彼はただ一人──〈アッシュフォール伍長〉。
あの紅い信号弾が空に燃え続ける限り、彼らは生き延びる。
------------------------------------------------------




