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アーケイン・フロント  作者: メグメル
【サンライズ作戦編】第六章:アッシュフオール
29/37

アッシュフォール②

章の最後に脚注があります。

「どういうことですの!? “使えない”って!」


夜気を裂くような甲高い声が響き、行き交うレンジャーたちの足を止めさせた。木箱、銃器、戦闘糧食を抱え、忙しなく動く兵士たちの視線が一斉に集まる。

栗林キャンプは出撃前の最終確認と準備に追われていたが──それでも彼女は止まらなかった。


「あなた、誰に向かって物を言っているか分かってまして?」


怒りを隠そうともしない。


「私は第四十四師団随一の射手、エキスパート認定者ですのよ。そのドローンがなければ、私の能力を最大限に発揮できませんわ!」


物資係の兵は瞬きひとつしなかった。


「へぇ、そりゃすごいな。俺は火星皇帝だ。──で、ドローンはやらん。」


「わたくしは真剣ですの! これは気まぐれや贅沢ではありません。精密支援は作戦成功の要ですわ。分隊の命運すら左右しかねませんのよ。動く標的だって、わたくしなら──」


「はいはい。」


物資係は大きく溜息を吐く。


「高等評議員の娘だとか、英雄の血筋だとか、どうでもいいんだよ。欲しいなら上官に掛け合え。ナカムラ中尉、だったか? ──せいぜい頑張れや。」


数メートル離れた場所で、コウタ上等兵は一部始終を見てしまい、薄ら寒いものを覚えていた。

よりによって、最後の詰めで同じ分隊に組まされたのが──彼女。


白金エレナ(シロガネ・エレナ)。第二分隊所属、指定射手。階級は上等兵。


金髪に澄んだ蒼の瞳。


そして自らを飾る通りの、連邦の“お嬢様”。

片眉を上げて微笑めば、それだけで場を支配する。褒め言葉の体で相手を切り捨て、そのまま笑ってみせる。


──まごうことなき現代の王女様、だった。


あの青灰色の制服を着ていても、彼女の立ち居振る舞いは“選ばれし者”そのものだった。

訓練で身につけたものではない。──「自分はお前たちより上だ。それを知っている」そう全身で語る態度。


それは昔も、今も、決して変わらなかった。


コウタ上等兵には分かる。

彼女の“型”を。


いや、高校時代に目の当たりにしているのだ。

磨かれた笑顔、計算された所作、教師や生徒会役員ですら翻弄する鋭い魅力。

周囲を操り、自分の舞台で踊らせる。

彼女は誰も触れられない存在になった。


──よく知っている。


なにせ、自分は彼女の“雑用係”だったのだから。


「何度言わせれば気が済みまして? 発進まで三時間ですのよ。私はこの連隊の中でも随一の射手。その私に与えられた装備が、これ──」


エレナ上等兵が物資係の前に並べられた装備へと手を広げる。

赤外線ライト、RATS¹、モーションセンサー、スマート光学機器、小型メディキット、そして山のように積まれた弾薬。


まるで洗濯物の山でも見せられているかのような、軽蔑の仕草だった。


「──これが、かき集めた精一杯ですの? 呆れてしまいますわ。」


物資係はこめかみを押さえ、低く唸った。支給は上等だ。弾も潤沢、RATSもおまけで二基。


──だが、ドローンだけは別だ。


そこだけは譲れないらしく、エレナ上等兵は静かに引き下がる気配を見せなかった。

数メートル離れたところで、コウタ上等兵は長く鼻から息を吐いた。


……ああ、長い夜になりそうだ。


「上級軍曹、失礼します。」


コウタ上等兵が一歩前に出て手を挙げる。まるで旧友の口論に割って入るように、滑り込むような声だった。


「すみません、彼女ちょっと……その、動揺してるだけでして。初めての大規模作戦ですし。」


「……はぁ?」


背後からエレナ上等兵の声が鋭さを増す。


コウタ上等兵はちらりと視線を向けた。


幸い、彼女もすぐに察したようだ。──もしここで逆上されでもしたら、神に祈るしかなかっただろう。


「俺たちは第二分隊の火力支援要員です。〈セミ〉²と41式狙撃改修³を運用予定でして。──正直、助けは多いに越したことはない。特注弾薬の余りなんてありませんか? それと……予備の心拍モニターなんかも。」


物資係が片眉を上げ、腕を組んで指先でカウンターをトントンと叩く。


ゆっくりとしたリズムは──厄介事か、あるいは交渉の合図。

コウタ上等兵は笑みを崩さず、視線を行き来させながら、“王女様”が戦争をおっ始めないよう抑え込んでいた。


入隊してから一度や二度の経験じゃない。──おそらく、これからも続く。 やがて物資係は大きく溜息をつき、何も言わずにカウンター裏へと消えた。

エレナ上等兵がぴくりと身を固くする。


コウタ上等兵の額にも冷たい汗がひと筋。──王女様は今にも大爆発寸前だった。

だが彼女が口火を切る前に、物資係が戻ってきた。オリーブドラブの弾薬箱を肩に担ぎ、カウンターへドンと落とす。


「全リストはやれん。──だが特注弾だけは譲ってやる。大事に使えよ、兵隊ども。」


コウタ上等兵は長く息を吐き、わずかに肩を緩めた。


危機回避──とりあえずは。

物資係が一歩下がると、エレナ上等兵は弾薬箱の蓋を開け、中身をざっと確認してから小さく顎を引いた。


「ふん……これで我慢するしかありませんわね。」


それだけ言い残すと踵を返し、出口へ向かう。

すれ違いざま、コウタ上等兵に投げかけられたのは──挑発とも笑みともつかぬ視線。 装備一式は、まるで取るに足らぬ物だとばかりにカウンターへ置き去りに。


……ああ。そこも昔から変わらない。


物資係はこめかみを掻き、眉をひそめる。 今にも湯気を噴き出しそうだ。


「助かります、上級軍曹。──必ず役に立てます。」


コウタ上等兵は素早く片手を挙げ、男が爆発する前に場を収めた。

装備をひとつひとつ集め始める。


「ったく、厄介な奴だな……苦労してんだろ?」


物資係が低く唸る。

コウタ上等兵は苦笑いを浮かべて肩を竦めた。


「安心してください。……見た目ほど悪い奴じゃありませんから。」


左腕に弾薬箱を抱え、その上に装備を積み重ね、右肩には〈セミ〉を背負う。 コウタ上等兵は小さく礼をして、幕舎を後にした。

足を速めつつ前方を探る。


きっと、分隊の共用ホールへ向かったのだろう。


──やれやれ、思ったより短く済んだ。

もし物資係がもう一押ししていたら……



自分も抑えきれなかったかもしれない。



「随分と時間がかかりましたのね。」


エレナ上等兵の声は蜜のように甘く──それでいて、舌の先で人を切りつけるような鋭さを帯びていた。

コウタ上等兵が近づいても振り返ることなく、彼女は入口そばの共用ホールの席に完璧な姿勢で腰掛けていた。


「自分の“重要性”に足を取られて転んだのかと思いましたわ。」


「それは、お前が言うのかよ。」


コウタ上等兵は装備をテーブルに置きながら低く呟く。


「まだ自分を持ってるのが驚きだな。」


「……はぁ?」


「なんでもねぇ。」


平板に返すと、彼は彼女の正面に腰を下ろした。


「風の音だろ。」


奇跡的に、エレナ上等兵は追及しなかった。彼女は愛用のライフルに向き直り、優雅な所作で分解を始める。


コウタ上等兵はほっと胸を撫で下ろした。

しばし二人の間に流れたのは、整備の規則正しい音だけだった。金属の軽い音、布の擦れる音、時折混じる小さな吐息。


コウタ上等兵は弾薬箱を引き寄せた。


中には特注のDUXダーツが整然と収められている。パルスライフル用、オートコイル用にきちんと仕分けされ、光を受けて鈍く輝いていた。物資係からの“おまけ”だ。

彼は長年の習慣に従い、慎重にベルトボックスへ装填していく。DUXを三発、DUX-TH⁴を一発、DUX-I/T⁵を一発──筋肉に刻み込まれた順序どおりに。


四つ目──サーマイトをはめ込んだとき、口元にかすかな笑みが浮かんだ。


残酷かもしれない。


だがイゴールは機械の躯体。シミュレーションで嫌というほど叩き込まれた事実だ。 教官がどれほど彼の装備選好に文句を言おうと、やめるつもりはなかった。

あの弾が命中した瞬間に広がる光景──鮮烈な火花が鎧を裂き、花火のように弾け散る光。


効率的で、美しかった。


最後のベルトを収め、カチリと金属の音を響かせて蓋を閉じる。

留め具に指を残したまま、ほんの一瞬だけ視線が宙を漂った。


テーブルの向こう、エレナ上等兵はちょうどライフルの手入れを半ば終えたところだった。

予想どおり、その動きは淀みなく、正確で──恐ろしいほど洗練されていた。 まるで高校時代、ライフル部を優雅さと鉄の規律で支配していた頃のように。


コウタ上等兵は横目で盗み見る。


……そしてもう一度。


耳の後ろにきっちりとまとめられた編み込み、蒼の瞳に宿る鋭い集中。

一つひとつの所作が完璧に整えられ、作業に没頭する姿すらどこか気品を漂わせていた。


馬鹿馬鹿しいほどに。


下手をすれば、このまま銃を差し出されて「さあ、始めなさい」とでも言われかねない。 そう思うと、口元に自然と笑みが浮かんだ。 もっとも、彼女が頼むはずもない。


これは白金エレナだ。

彼女は「助けを求める」のではなく──「助けられる」のが当然だと考える女。


……不思議と、それを嫌だとは思わなかった。

ルナ基地での訓練が、ほんの少しは彼女の誇りを削ったのかもしれない。


「……失望しましたわ。」


彼女は顔を上げず、冷ややかに言った。


「もっと粘って、あのドローンを引き出すと思っていましたのに。」


──いや、やはり気のせいだったか。


「俺に無理なら、お前に出来るわけないだろ。」


コウタ上等兵は弾薬箱を脇へ押しやり、〈セミ〉の給弾機構を確かめながら鼻で笑った。


「それに、軍曹や中尉から目をつけられるほど馬鹿じゃない。……あのフェイド野郎と一緒にされてから、補給の締め付けは余計に厳しいんだ。」


「まあ──」


エレナ上等兵は首を少し傾け、あたかも無垢を装うように言った。


「伍長のこと、ですのね?」


コウタ上等兵は短く唸り、苛立ちを隠そうともしなかった。彼女はそれを聞いて小さく鼻歌のように声を漏らす。


──含み笑い、知っている者だけに分かる調子で。


「ふぅん……それでも、サーマイトは手に入れたし、その上……まあ、驚き。黒弾頭に赤の曳光リング⁶?」


白魚のような指が、弾薬箱の中から珍しい弾を摘み上げる。

光にかざしながら、楽しげに回し弄ぶ。


「実験型のプラズマ弾まで紛れ込んでいますのね。──大胆になったのかしら? それとも、あの上級軍曹が丸くなったのかしら?」


「冗談だろ。」


コウタ上等兵は感情を抑えた声で言い、金属音を響かせながら給弾トレイを閉じた。


「少しは……“エレナらしさ”を控えてみろよ。物資係の態度も変わるかもな。」


エレナ上等兵は小さく、わざとらしい溜息をついた。楽しげで、どこまでも余裕に満ちた仕草。

特注弾を箱からつまみ上げ、指先でひと回し。


「なんて……野蛮ですこと。」


乾いた呟きに、悪戯めいた色がかすかに滲む。


「ですが役には立ちますわね。──まあ、当面は十分ですわ。」


青いテープで印をつけたマガジンに、その弾を滑らかに収める。 仕舞う直前、彼女の視線がちらりとコウタ上等兵に向けられた。


頭を動かすことすらなく。


コウタ上等兵は顔を上げなかった。ただ、口元にかすかな笑みが浮かぶ。


「俺は常に最高を狙う。」


カチリと響く心地よい音。

張り詰めていた空気が解け、室内は再び整備の音に満ちた。

ブラシの擦れる音、装備点検の小さな調整音、機械部品がかち合う規則正しい響き。


皮肉と虚勢に彩られたやり取りの後で──これはコウタ上等兵にとって欠かせない日常だった。

いつからか、あの憎しみは薄れていた。

高校の頃は、心底彼女を嫌っていたのに。

声も、笑顔も、存在そのものも。白金エレナという少女のすべてが、彼の肌を逆立てさせていた。


彼女は“間違いを犯さない”女。

教師を魅了し、生徒会に囁きかけ、常に自分の思うままに事を運ぶ。 そして、取り巻きと共に弱い者を弄び、笑う。



……そう。



彼の妹を、弄んだ。



……


それでも今、こうして同じ卓を囲んでいる。

沈黙を分け合い、弾薬を分け合い──数時間後には死刑宣告にも等しい作戦に臨む。


その方が──まだましだった。


ドアがシューッと音を立てて開いた。

ブーツの足音と低い話し声が共用ホールに流れ込み、その中に独特な関西訛りが混じる。


エレナ上等兵がぴくりと肩を強ばらせ、視線を入口へ。

コウタ上等兵は見るまでもない。誰が来たのか、分かっていた。


「非致死弾をできるだけ持て。情報では民間人は“いない”と言うが──鵜呑みにはするな。」


“フェイド野郎”。モリタ伍長。


もちろん、彼一人ではない。


その隣に、まるで忠犬のように控えめな歩調で寄り添うのは──エルフのフェイド、花沢(ハナザワ)リシエンヌ兵長。


──厄介な存在。


静かすぎる。落ち着きすぎている。あまりにも“異質”。 あの耳はまるでエドガー共の証。


確かに基礎訓練ではアンダーバレル式ランチャーを器用に扱っていた。だがコウタ上等兵には拭えない不安があった。──いつかその銃口を、俺たちに向けるんじゃないか。


さらに数歩後ろを歩くのは、木下直人(キノシタナオト)上等兵。


希望にすがる愚直な理想主義者。フェイドを庇うためなら迷わず身を投げ出す“盾”。──コウタ上等兵にとっては“餌”そのものだった。 無駄に誠実で、無駄に希望を抱き、それでも銃の腕は悪くない。


一度はエレナ上等兵に挑んだこともある。

──幸運だったのは、その時の彼女が気まぐれに寛大で、恥をかかされた時間が短かったことだ。


最後尾を歩くのは奇妙な二人組。


藤原玲子(フジワラレイコ)上等兵──明るさを装う分隊の戦闘工兵。 そして山岸拓海(ヤマギシタクミ)上等兵──関西弁をこれでもかと撒き散らす通信兵。

あだ名は“オオサカ”。

その腕には黒いステンシル文字が躍る木箱が抱えられていた。GRENADES MK33-CNC──制圧用の衝撃手榴弾だ。


“オオサカ”は典型的なタイプだった。

命が懸かっても黙っていられない。冗談ばかり、声ばかり大きい。


一方、フジワラ上等兵は──まあ、悪くない。

腕も立つし、愛想も良く、タレットの扱いにも長けている。


だが問題は、連む相手。

そのせいで、彼女もまた疑わしい存在になっていた。


彼らがまだ気づかぬうちに、エレナ上等兵は席を立った。その動きはいつも通り。計算され尽くした所作。優雅で、意図的で、鍛錬を重ねた証。

まるで生まれながらの貴族か、さもなくばそう思い込ませる何かを纏っているようだった。


奥底に潜む毒は変わらない。

──昔から、何ひとつ。


最初に彼女へ気づいたのはフェイドだった。 尖った耳がぴくりと震え、視線が鋭さを帯びる。


「モリタ伍長。」


エレナ上等兵の声は絹のように滑らか──そしてガラスのように鋭い。


──来たな。


伍長は足を止めた。声音にも一切動じず、挑発を理解したとしても応じる気配はない。

ただ礼儀正しく頷いた。

丁寧に、落ち着いて、必要以上に距離を詰めることもなく。


「シロガネ上等兵。ちょうど探していたところだ。」


目がちらりと横へ流れる。視線の先は、黙って睨むように座っていたコウタ上等兵。


「──ツジ上等兵も一緒か。好都合だ。」


……相変わらず、よく見てやがる。


コウタ上等兵はすぐに気づいた。


エレナ上等兵の変化。

視線の微妙な揺れ、顎のわずかな角度。隙を見せることなく、彼女はもう円を描き始めていた。

計算づくで、優雅で、狡猾に。


「まあ、ご親切に。」


薄く笑みを浮かべながら言う。


「ご贔屓には、抜かりなく物資が回るのですのね?」


フェイド──花澤兵長の瞳が細まる。 半歩前に出て肩を強張らせた。  挑発に気づいたのだ。当然の反応だった。


モリタ伍長は取り合わない。


「生きて帰れる確率が上がるなら何だってするさ。」


淡々と返す。


「お前とツジ上等兵も、今のうちに衝撃弾を受け取っておけ。」


「ふむ。ごもっともですわね。」


視線を木箱へ落とし、軽く頷く。


「……残念ですこと。ドローンの要請は、どうやら一部は通りが遅いようで。」


「司令部に申請してある。いまは先導任務専用だ。──個人を贔屓してるわけじゃない。」


「当然ですわ。わたくしだって“えこひいき”だなんて思いません。──軍人のやり口ではありませんわ。」


言葉の端にかすかな嘲りを滲ませつつ、エレナ上等兵は首を傾けた。 挑発と見えぬように、しかし確実に棘を仕込む仕草で。


「それで──いつになれば、そのドローンは届きますの?」


部屋の向こう側で、コウタ上等兵の口元に嘲るような笑みが浮かび始めていた。


エレナ上等兵が何をしているのか──分からない者はいない。

誰が糸を引いているか、口に出す必要すらなかった。少なくとも、モリタ伍長ではないことだけは明らかだ。


一瞬の思考がよぎる。


エレナ上等兵は、完全に主導している。


だが──ほんの一押し。


自分が加われば、もう少し“面白く”できる。


伍長の、そしてフェイドの神経を逆撫でするために。


「約束できる最短は降下後だ──だが保証はできん。中尉の命令だ。」


「──では、どうして他の分隊には補給が行き届いているのか、説明してくださる?」


合図はそれだった。


コウタ上等兵はゆっくり、わざとらしく立ち上がった。


一定の歩調で歩き、エレナ上等兵の隣に並ぶ。


「HUD光学照準は遅延。手榴弾は二つ。〈セミ〉のヒートシンク交換も足りてない。……小便でもかけて冷やせってのか? 俺の目から見りゃ、俺たちの装備は箱の底を掻き集めた残りカスだ。」


「私のグレネード弾も半分欠けてる。」


フェイドが鋭く声を上げ、一歩前へ踏み込む。


「オオサカのAETHER⁷はコイルが焼き切れて、応急処置で動かしてる。レイコは──」


フェイドが顎で隅を示した。


「自動タレットのIFFモジュール、先週から未だに交換されてません。」


腕を組み、声が一段ずつ大きくなる。


「モリ伍長はこの分隊のためにずっと動いてるんです。報告書を出して、補給を追って、誰もやりたがらない仕事を一手に背負って。──それを自分だけの問題だとでも?」


「そうだ、誰のせいだと思ってる?」


コウタ上等兵が切り込んだ。鋭く、速く。


──最初から用意していた返しだった。 周囲に視線を流す。


オオサカ上等兵の苦い顔。

フジワラ上等兵のわずかな身じろぎ。


そしてフェイドに視線を戻し、にやりと笑む。


「やっと分かってきたな。──お前らでも、時間かけりゃ学べるんだな。」


「この……!」


フェイドが一歩踏み出す。


手が塹壕ナイフの柄へとかかる。

彼女の瞳が揺らいだ。


淡い栗色から、深く不自然な紫へと変じる。

コウタ上等兵はそれを見逃さなかった。

……笑った。


驚きではない。 快楽だった。


フェイドの目の色が変わったこと自体ではなく──自分がその引き金を引いたという事実に。


「リア。」


モリタ伍長の腕が前に差し出される。その声は刃のように張り詰め、空気を断ち切った。


「下がれ。」


緊張が爆ぜる寸前──コウタ上等兵の後頭部に、乾いた衝撃が走った。

振り返ると、そこに立っていたのはエレナ上等兵。

無言のまま。


叱責の言葉はない。あるのは、ほんの僅かな──演技めいた笑み。短く、控えめに。それは誰に向けられたものでもなく──彼だけへの合図。


役割を演じるための一撃。伍長の目の前で、体裁を繕うための芝居。


「ご無礼いたしました、伍長。」


エレナ上等兵はにこやかに言った。


ただし、礼儀正しさの仮面に過ぎない。誠実さなど、彼女の持ち物リストには最初からない。

ましてや“観客”を前にした場面なら、なおさら。


「今宵は少々、緊張が高まっておりますの。どうかお気を悪くなさらず──あるいは、あなたの権限に対する挑発などと誤解なさいませんよう。」


「……気にしていない。」


“フェイド野郎”は淡々と返した。


その視線は最後まで、隣のフェイドに釘付けだった。


──いかにも、らしい。


エレナ上等兵は一歩も引かずに前へ出た。


「それでは、もうこれ以上お手を煩わせませんわ、伍長。──お一人三、四発ずつ。そう仰っていましたわね? ……十分に行き渡るのであれば、ですけれど。」


短い間。


笑みは浮かんでいる。だがそれは、目元には届かない。

冷ややかで、わずかに嘲る色を含んだ笑み。


「──あるいは、我々に知らされていない『優先順位』でも、あるのでしょうか?」


ナオト上等兵の背後に立ちながら、オオサカ上等兵から木箱を受け取った藤原上等兵が、諦めと困惑が半分ずつ混ざった溜息をついた。ちらりとナオト上等兵を見やり、それからモリタ伍長へ視線を送る。


伍長は黙って小さく頷き、そして目を逸らした。


「えっと……」


フジワラ上等兵は呟き、片手で箱の蓋を開いた。


「三つずつ? 四つ? ……十分すぎるくらいありますし。ね? 仲良くやりましょうよ。」


衝撃手榴弾。

非致死兵装。


まともな兵なら死地に非致死なんて持ち込まない。


──それでも箱は溢れていた。馬鹿げてる。


それでも、“フラグ一発と祈り”を押しつけられるよりは、衝撃弾を幾つかポケットに詰め込む方がマシだ。


エレナ上等兵が歩み出る。木箱を覗き込み、笑みを浮かべた。

コウタ上等兵が彼女を知らなければ、見過ごしていたかもしれない。


笑みに潜むわずかな嘲りを。


──“勝ちを掴んだ者”の静かな満足を。


予想通りだった。


エレナ上等兵は何も言わずに一歩退き、コウタ上等兵へと目を向けた。 あとは彼が手榴弾を回収する番だと言わんばかりに。

彼女の視線はすでに別の場所へ流れていた。


最初から、このやり取りに関わっていなかったかのように。 周囲の兵も、すでに散っていく。

あれほど緊張に満ちた一瞬も、こうして溶けて消えた。


──次に顔を合わせるのは数時間後。


だがその時まで、互いに別々の輪に留まり続けるのだろう。

昔と変わらず。


そして──これからも、きっと。


「もう少し……そうですわね、外交的になることを学ぶべきですわ。」


最後の手榴弾をウェビングに差し込みながら、エレナ上等兵は軽い調子で言った。


「混成部隊の中では、なかなか役立つ技術ですのよ。」


「それを“外交”と呼ぶなら……お前の“恐喝”は見たくもねぇな。」


コウタ上等兵は鼻で笑った。


返ってきたのは、含みを帯びた笑みだけ。謝罪も、説明もない。まるで聞こえなかったかのように装備へ向き直り、ベルトを締め、手榴弾を固定していく。


それでいい。


「それはそうと──」


弾倉の最終チェックを終えながら、コウタ上等兵が口を開いた。


「予備弾、持ってくれないか? これ以上は箱が入らん。」


その手が、動きを止めた。ゆっくりと振り返り、冷ややかで意図的な視線を向ける。

そして、ため息。


「あなたの余剰弾薬を“私が”運べと? コウタ、それは“やりたがる者”に任せるべき労働ですわ。」


思わず、笑みが漏れた。


──これが白金エレナ。


最後まで、彼女の真意を測り切ることなどできない。


分隊が割れようと、フェイド野郎とその取り巻きがどうなろうと、構わない。自分はただ、彼女の傍にいればいい。あの時──涙に暮れる彼女を見つけながら、差し伸べられなかったものを。

今こそ、差し出せる距離にいられれば、それでいい。



近くにいればいい。

今は、それで十分だ。


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___________________________________


脚注


1) RApid Terrain Scanner(RATS/ラピッド・テレイン・スキャナー)

連邦が太陽系周縁惑星の開拓を開始した時代に開発された地形測量用ドローン。球体形状を持ち、地面に触れた瞬間に内蔵AIが作動。複雑な地形や洞窟網、狭隘な通路を転がりながら素早く走査し、高精度の地図を生成する。


2) EMG-38(エレクトロマグネティッシェ・マシーネン・ゲヴェーア38)

電磁式汎用オートコイル――従来の実弾式機関銃の進化形。《ヘビーパルスライフル》の異名を持ち、12×28mm DUX弾を発射する。

その圧倒的な運動エネルギーと爆発力により、敵兵を粉砕する強力な兵器である。

しかし、その超高速連射時に発生する耳をつんざくような金属音が特徴的であり、その甲高い音から、日本兵の間では〈セミ〉の愛称で呼ばれている。


3) EG-41/s(エレクトロマグネティッシェ・ゲヴェーア41/シャーフシュッツェ)

連邦標準支給のEG-41/iパルスライフルを基に改造された狙撃仕様。最大射程は三キロメートルに及び、長距離精密射撃に特化している。

特徴として、使用者のヘルメットと同期するデジタルスコープ、内蔵ジャイロスタビライザー、三点バースト射撃モード、そしてアンダーバレル式ランチャーの代わりに装着された二脚が挙げられる。

生産コストは高いものの、連邦狙撃兵に最も好まれる選択肢となっている。


4) DUX-TH(Depleted Uranium, eXplosive - Thermite/劣化ウラン炸裂弾〈サーマイト〉)

口径12×28mm、EMG-38専用のDUXダーツ。安定化されたサーマイトコアを内蔵し、貫通と同時に炸裂・発火。超高温の熱流を発生させ、軽装甲・機械構造・有機組織を容易に焼き溶かす。

その合法性や倫理性は常に議論の的となっているが──戦場での有効性について疑う者はほとんどいない。


5) DUX-I/T(Depleted Uranium, eXplosive - Incendiary/Tracer/劣化ウラン炸裂弾〈焼夷/曳光〉)

焼夷性の炸薬と曳光材を組み込んだDUXダーツ。通常はベルト給弾やマガジンの五発目ごと、または末尾に装填され、射撃修正・目標指示・制圧効果を補助する。

着弾時には先端の焼夷材による限定的な燃焼効果も付与される。


6) DUX-I/P(Depleted Uranium eXplosive - Incendiary/Plasma Incendiary/劣化ウラン炸裂弾〈焼夷/プラズマ焼夷〉)

連邦狙撃兵にのみ試験的に支給された希少な試作ダーツ。

超高速の劣化ウラン徹甲サボット弾芯とプラズマスリーブ炸裂を組み合わせ、装甲部品を一撃で無力化──場合によっては破壊する能力を持つ。

ただしEG-41/s狙撃銃にかかる負荷が極めて大きく、生産も限定的であったため、司令部の明確な許可がある場合、もしくは絶望的な状況下での即席手段としてのみ使用が認められていた。


7) AETHER(Advanced Electromagnetic Thaumic-Interference Hardened Encrypted Relay/次世代戦術通信システム)

魔力干渉対策として開発され、ルミナラII戦役で初めて実戦投入された次世代型戦術通信システム。

高魔力環境下でも安定した通信を維持し、地上部隊と軌道艦隊のリアルタイム連携を可能にする。

電磁ハードニングと高度な暗号化処理を組み込み、魔力干渉のみならずEMP攻撃に対しても強固な耐性を備える。

現代の戦場において不可欠な通信基盤のひとつとされている。

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