砕かれた平和【下】④
章の最後に脚注があります。
甲高く、切羽詰まった叫び声が外から響いてきた。
《——!》《——くそ、後ろ!》《逃げろ、下がれ!》
異界語での怒号が、混乱の中に突き刺さる。悲鳴はどんどん近づき、銃声が重なった。連続する発砲が、あらゆる音をかき消していく。
構内の異界人たちは本能的に身をすくめ、群れのように集まりはじめた。モリタの胸がじわりと締めつけられる。丸の内側の扉が叩かれる音も、先ほどとは違う。荒々しく、何かが体ごとぶつかってきているような、そんな圧力を帯びていた。
構内の兵士たちが一斉に動く。
「扉から離れろ!」
怒声が構内を切り裂いた。兵士の一人がライフルを構え、扉に照準を合わせる。仲間たちもそれに続き、一斉に銃口を上げた。
「警告はこれが最後だ!」
モリタの目が白服の男——ISBのオフィサーへ向かう。彼とその護衛たちは、もはや警戒の域を超え、戦闘態勢に完全に入っていた。
扉を叩く音がさらに激しくなる。高い天井に反響し、群衆の中で誰かが息をのんだ。
「……モリ、どうするの?」
リアの声がかすれる。
「これ、もう制御できてない……!」
金属の破裂音が響き、中央の出口が吹き飛んだ。
兵士たちが一斉に反応し、銃口が新たな侵入者に向けられる。
白服の男は一歩も動かず、視線は破れたゲートの先へ、鋭く突き刺さるようだった。
二人の人影が駆け込んでくる。負傷した仲間を肩に担ぎながら、全力で構内へ滑り込むように突入してきた。
背後では、民間人たちが波のように押し寄せてきた。恐怖に突き動かされたような足音、途切れ途切れの悲鳴が、構内全体に反響していた。
負傷者は仲間たちに支えられながら、ずるずると引きずられるようにして構内へと入ってきた。頭はだらりと垂れ、汗と血にまみれた顔が左右に揺れている。片脚は膝下からごっそり失われ、制服の切れ端で雑に巻かれていた。胴と腕にも鋭く裂かれた傷がいくつも走っていて、まるで猛獣に引き裂かれたようだった。
構内が騒然となる。悲鳴。誰かが後ずさりし、誰かが出口と逆方向へと駆け出した。群衆の一部がプラットフォーム側へと殺到し、兵士たちが圧迫される。
「下がれ!その場を動くな!」
一人の兵士が怒声を飛ばし、ライフルを構えたまま群れの前に立ち塞がる。
パンッ。
一発の銃声が構内全体に鳴り響いた。悲鳴が止まり、全員の視線が一点に集まる。
拳銃を下ろした白服の男――コタニ大佐。何も言わずにゆっくりと歩き出すと、自然と人々が道を開けた。倒れ込む三人の元へ近づき、彼らの様子を見下ろす。肩で息をしながら、二人が一人を支えていた。まともに立てていない。
「衛生兵!」
短く、鋭い指示が飛ぶ。血がコタニ大佐の足元にも広がっていく。それでも表情は崩れなかった。
「扉を閉じろ。今すぐ封鎖しろ」
負傷者を抱えていた兵士の一人が、振り返りざま叫ぶ。かすれた声が震えていた。血まみれの手で、仲間の身体を必死に支える。
「……あいつらが多すぎるんだ!」
兵士の一人が駆け寄り、重い金属扉を勢いよく閉めると、すぐさま施錠を行った。構内に残されたのは、外で続く銃撃の反響音だけだった。足元にかすかな震え。不規則で、それでも確かに揺れていた。
今や駅構内は異界人の民間人で溢れ返っていた。ほとんどが、まだ処理を受けていない状態だった。どれだけ外に取り残されているのか、把握は難しい。
「報告しろ」
コタニ大佐の声が響く。冷静さの中に、鋭さがあった。
前に立つ兵士が、疲労に震える手でライフルを抱えたまま、姿勢を正した。
「第一報のあと、指示どおり、残りの車列と民間人を皇居側へ誘導しました」
呼吸を挟みながら、言葉を絞り出す。
「……ですが、保持するには、戦力が足りません」
「よくやった。安心しろ」
コタニ大佐が頷き、近くに立っていた装備を背負った兵士に目を向ける。無線兵だろう。合図を受けたその兵士がすぐに駆け寄り、指示を受け取り始める。そばでは、呼ばれた衛生兵が負傷者のもとへと到着していた。
コタニ大佐は再び、目の前の兵士に視線を戻す。
「責任は私が取る。次の列車で脱出しろ。それと——誰か、M3チェックポイントのツヅミ中尉を呼び出せ!」
命令が広がりきる前に、駅の床下から銃声が響いた。単発ではない。断続的で、荒々しく、そして……近い。
駅全体が揺れるような銃撃の連打。叫び声も交じっていた。指示ではない。悲鳴だった。
モリタの体が反応する。息が止まり、視線が階下の入り口へと走った。音は、地下モールの方向——
すぐに、入り口近くにいた兵士たちが反応。銃を構えて、下階へと照準を合わせた。
「……な、なんだよ、今の音」
ナオトが震えた声でモリタの肩を掴む。
「……まずいな」
モリタが唇をかすかに動かし、リアに目をやる。
耳がわずかに動いた。
「近い。……近すぎる」
銃撃はまだ続いていた。そこに混じるのは、金属が軋むような甲高い音。何か機械的なものだが、モリタには正体が掴めなかった。ただ、背筋が凍るような感覚だけが残った。あれは、普通の戦闘じゃない。
階段を上がってくる人影が見えた。背は低く、小学生と変わらないくらいの体格。だが、その表情は鋭く、目的を帯びていた。
——トミタ伍長。
彼女の後ろには兵士が二人、そして民間人の一団。異界人も人間も混ざっている。服は乱れ、装備は片寄っており、身体のあちこちには黒や青の液体がべったりと付着していた。まるで抽象画のように、まだ乾かない色が彼らの肌を染めている。
トミタ伍長は構内を一瞥すると、すぐにコタニ大佐を見つけ、迷いなく人混みを押し分けて向かっていった。コタニ大佐はいつも通り落ち着いた態度で彼女を迎える。モリタは耳をすませたが、周囲のざわめきと下階から響く銃声に会話はかき消されていた。
「……聞こえる?」
モリタがリアに視線を送り、小声で尋ねる。
リアの耳がわずかに動き、目を細めながら口を開いた。
「少しだけ。報告してる……中尉は初撃でやられたって。アイアン・ランツ? とにかく、トミタ伍長の小隊が地下通路を必死に抑えてる。封鎖作業に入ったらしい」
「封鎖? じゃあ、下にいる民間人はどうなるんだ?」
「分からない。でも封鎖するってことは、そういうことかもしれない」
「……地獄なんだな、下は」
カティアがため息まじりに呟き、階段の方を見やった。
「でも、そうまでしなきゃいけないなら……きっと他に選択肢がなかったんだよ」
リアが顔を上げた。トミタ伍長の表情が少しだけ曇っていた。彼女はコタニ大佐の言葉を受け、無言で何かをかみ締めているように見えた。
リアはさらに耳を傾けた。
「……命令が出た。兵を三人選抜して、民間人の誘導を開始。列車で羽田宇宙港まで護送しろって」
「羽田宇宙港……やっぱり、俺たちを地球から出す気か」
ナオトがプラットフォームを見つめながら、ぽつりと呟く。
「俺も、そう思ってた」
モリタが目を伏せたまま言い、しばらくして顔を上げた。
「……で、他に何か聞こえたか? トミタ伍長の反応……あまり納得してないように見えた」
「うん。……残りたいんだよ、彼女は」
トミタ伍長の拳が、無意識に握られていた。声には熱がこもっていたが、音量は抑えられており、遠くには届かない。表情は崩れなかった。だが、その目がわずかに細まる。反論するつもりはなさそうだった。
左腕を持ち上げ、小型の通信端末のようなデバイスに触れる。画面をタップすると、新たな指示が送られてきた。
「……今、何か送られた」
リアが低く呟く。眉がわずかに寄った。
「通行証……か、転送命令……?」
カティアの尾が不安げに揺れる。
「無理やり……行かせようとしてる」
トミタ伍長の左手が、腕のデバイスに触れた。表示を確認すると、口を開きかけるが——コタニ大佐の鋭い視線が、それを止めた。何を言ったのかは聞こえなかったが、トミタ伍長の顎が固く締まった。
沈黙が落ちる。次の瞬間、彼女はビシリと敬礼を返した。彼はすでに別の命令に移っていた。
トミタ伍長は歩みを止め、ライフルのグリップを強く握る。ひとつ息を吐き、背後の兵士たちに短く合図した。
「行くぞ」
声ははっきりと構内に響いた。すぐに隊員たちが動き出す。
「すぐに誘導を開始する、急げ!」
そのまま、トミタ伍長は駅の職員ブースへ向かった。そこにいた駅長は、年配の人間で、額には汗が浮いていた。彼女の接近に気づくと、姿勢を正す。
「駅長、準備をお願いします」
強い語気に、命令というよりも決意がにじんでいた。
駅長は一瞬ためらい、構内に集まった異界人の群れへと目をやる。数秒後、小さく頷き、震える手で端末をトミタ伍長へと渡した。続けて、横のロックされた棚を開け、カービン¹銃を引き出す。手の動きはぎこちなく、緊張に満ちていた。
トミタ伍長はメガホンを手に構内を見渡した。混乱は収まりつつあったが、群衆の中には不安と疑念が残っていた。多くの視線が、彼女を警戒と恐れの入り混じった目で見つめている。
一度メガホンを口元に運んだが、動きを止めて下ろす。眉を寄せ、隣の兵士に小さく何かを伝えた。再びメガホンを握り直すと、一歩前に出て構内に向けて声を放つ。
「通訳が必要です。日本語から異界語への翻訳ができる方、前に出てください」
穏やかだが明確な口調だった。構内がざわつくも、誰も動かない。群れの端にいたヴァルパスの青年が腕を組み、異界語で何かを呟いた。周囲の者たちが無言で頷いている。
モリタは意味をすべて拾えなかったが、隣のリアが息を潜めて訳す。
「……信用してない。兵士も、彼女も」
トミタ伍長の視線が群衆をなぞる。メガホンを握る手に力がこもる。
「怖いのは分かっています。ですが、これはあなたたちの安全のためです。避難のために、整理を——」
「俺がやります」
モリタが一歩踏み出した。両手を上げ、人々の間から名乗りを上げた。
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脚注
1) M8A1『グレイヴ』6.8×51mm通常弾仕様突撃カービン
連邦軍の標準的な歩兵火器の先代モデル。前線での運用はすでに終了しているが、保安要員や警察機関、軍以外の部門では今なお広く支給されている。駅長が所持しているのは、その権限に基づく正式な装備である。
2025/7/10 - カチャ を カティア に変更しました。ごく小さなこだわりですが、こちらの方が名前の響きが良く感じたためです。




