砕かれた平和【下】③
章の最後に脚注があります。
二時間が経過した。
何も言葉を交わさず、四人はただ静かに待ち続けていた。
構内には、抑えきれない緊張感が漂っていた。機械的なアナウンスが数分ごとに鳴り響き、そのたびに場の空気が揺れる。名前ではなく、番号のみが呼ばれる。静かな歓声。押し殺された嗚咽。一時的な再会の安堵が、空気の隙間に滲んでいく。
モリタの視線が部屋を横切る。
一人のドワーフの少年が、年老いた女性にしがみついている。おそらく祖母だろう。そばには兵士が一人。少年の不安を落ち着かせるように寄り添っていたのだろう。
少し離れた場所では、一人のドラグーンの少女が父親にしがみついていた。尻尾が彼の足にきつく巻きついている。涙の跡が残る二人の顔が、少しずつ安堵に緩んでいく。
「番号、二・一・三・八。繰り返します。番号、二・一・三・八番の方は、プラットフォーム1番、車両2号までご移動ください。」
張り詰めた空気の中、連邦が掲げた「家族の再会」は確かに進んでいた。
兵士たちの監視下、わずかな再会の場が繰り返される。親が子を抱きしめ、兄妹が互いの手を握り合う——そんな一瞬の安堵。それは儚くて脆い。指の隙間からこぼれ落ちていくような時間だった。
モリタは静かに息を吐いた。
手に持ったチケットを見下ろす。白い紙に濃く刻まれた一六〇八の数字が、異様に浮かんで見える。彼はそれをポケットへと押し込んだ。
——俺たちの番は、いつだ?
行き先は、まだ明かされていない。
放送でも、掲示でも、それについての情報は一切なかった。プラットフォーム1に停車しているマグレブ列車がそれを語っていた。
——羽田宇宙港。次の目的地は、地球ではない。
その想像だけで、胃がきしんだ。
“国外”ではなく、“地球外”。
連邦の「移送計画」は、意図的に曖昧なままにされていた。だが、見ていればわかる。これはただの「疎開」じゃない。
異界人と、「問題を抱えた市民たち」を——この街から遠ざけている。
「……マジで“外”に送られるのか?」
モリタはそう呟き、チケットに触れたポケットを無意識に押さえる。
「前回こんなことがあったのは……’33年。社会主義系の分離主義者をエンゲルス・プライムに送った時だった。聞いた話じゃ……一年も持たなかったって。飢餓で全滅したとか……」
どこへ連れていかれるのかはわからない。
戻ってこられる場所ではない。そう思わずにはいられなかった。
モリタの視線が、またあの男に向いた。
構内の向こう側を歩くコタニと、その随伴部隊。
骨のように白い制服は、周囲の兵士たちの中でもひときわ目を引いた。この一時間、モリタは何度となく彼の姿を追っていた。
ほとんど口を開かない。それでも、わずかな指示だけで兵士たちが一斉に動く。その命令は重く、無駄がなかった。
モリタが一番強く印象に残ったのは、権威ではない。彼の“動き”だった。
命令、視線、姿勢——一つひとつが、計算されたように無駄がない。
ある場面では、迷子のカニナイトの子どもに対して、彼自ら膝をついて目線を合わせていた。
それは、モリタの通っていた学園で聞かされた「冷酷な執行官」のイメージとはまるで違っていた。
——任務に“捧げている”。
そんな言葉がモリタの頭に浮かぶ。
盲目的な忠誠ではなく、原則に基づいた、ゆるぎない信念。たとえそれが外部から冷たく、非情に映ったとしても。
「……カシンラ先生が“市民”と“民間人”の違いについて尋ねたら、どう答えるんだろ……」
そんな呟きが口の中に留まる。
近くから、ホロ表示の駆動音が聞こえた。
モリタは顔を上げる。視線の先にはナオトがいた。数人の異界人たちと一緒に、ホロプロジェクターを囲んでいる。その中の年配者が持ち込んだものらしい。画面にはフェドニュースが映っていた。
「……続いての重要なお知らせです。連邦自治区域¹における再配置計画は、現在も予定通りに進行中とのこと。
この措置はあくまで一時的なものであり、市民の安全と秩序の確保のために不可欠であると連邦は発表しています。
教育部門最高評議会によれば、再配置された方々には指定施設において、住宅・物資・必要なサービスの提供が保証されるとのことです——」
ホロ映像が切り替わり、連邦の報道官が姿を現す。背後には連邦旗と評議会の紋章。
「本措置により、一部の対象者に不安や混乱が生じていることは、我々も十分に認識しております。
しかしながら、本措置は帝国の間者・破壊工作員・煽動者といった脅威への対策として不可欠であり、連邦全体の安全保障の維持のために必要です。
我々は一致団結し、連邦が脅かされる存在ではないということを、世界に証明してみせます。」
画面が切り替わる。映し出されたのは整然と並ぶプラットフォーム。兵士たちが家族連れ——大人、子ども、高齢者——をマグレブ列車へと案内している様子。
その中で、一人の兵士が微笑みながら毛布を子どもに手渡す場面でカメラが止まる。
ナオトが体を少し起こした。視線が駅構内を横切り、空中に浮かぶホバードローンへと止まる。側面にはFedNewsのロゴが青く浮かび上がっていた。
《……あれは、間違いなく東京駅だな》
隣でホロを見ていた年配の異界人——鬼族の男が、ぽつりと口にする。
《FedNewsがいなかったら、ここまで丁寧に扱ってくれただろうか……?》
《さあ……》
もう一人、細身のカプリニド²が静かに呟く。
《……祈るしか、なかったさ……》
ナオトは、異界人たちの会話をほとんど聞いていなかった。
音声翻訳機や学習ツールがどれほど進化しても、地球出身の人間のうち、“異界語”——その言語や方言を本当に理解しようとする者は、ほんの一握りしかいない。
モリタには、それがよく分かっていた。
ナオトも、その「理解しようとしない」側の一人だった。
彼の視線は、まだFedNewsのドローンに向けられたままだった。青く光るロゴを見つめたまま、数秒だけ黙り込む。
だがすぐに、ぱっと顔を明るくしながらモリタの方へ歩み寄ってきた。
「なあ、今の見た? あれ、FedNewsの“生放送”だぞ。マジで今の状況、全部流してるんだ。……案外、お前が言ってたほどヤバくないんじゃね?」
モリタは片眉を上げ、プロジェクターの周りで囁き合っている異界人たちをちらりと見てから、ナオトに視線を戻す。
「……それで、満足か?」
「何で? こっちの方がマシだろ。何の情報もないより、誰かが見てくれてる方が安心するじゃん」
ナオトは肩をすくめながら笑った。いつもの調子だ。
「そうだな。きっとFedNewsはお前のために、真実をそのまま全部見せてくれてるんだよ……良かったな。誰かが“ちゃんと見てる”。……問題は、お前じゃない気がするけどな」
モリタが口元をわずかに歪めて返す。皮肉に満ちた一撃。ナオトは眉をしかめた。
「……なんだよ、それ」
不満げに呟きながらも、ナオトの目がふと別の方向へ動く。今度は構内の正門近くに立つ兵士たちを見つめていた。
「……なあ、ちょっとおかしくないか?」
ナオトの声が低くなった。体を少し起こし、視線を動かしていく。
「あいつら……外に出てってる。なあ、センパイ」
モリタも視線を向ける。ナオトの目線をたどってゲートの方を見た。
確かに、複数の兵士たちがゆっくりとした動きで外へ出ていた。編成は散開気味で、全員が通信に意識を集中しているようだった。銃器を調整しながら、何かの準備をしている。
モリタの目が構内を素早く走る。
——見つけた。あの白い制服。
見慣れた、一つの影。
国家保安局のコタニは、兵士たちの別動隊と共に構内の一角にいた。動きはごくわずか。視線を走らせ、通信に短く言葉を落とす。顎で一度だけ、何かを指示した。 表面上は、ただの巡回指揮官。状況を監視しているだけのようにも見える。
——様子が違っていた。
出口に向けられる視線の角度。兵士たちが彼の仕草一つで即座に反応する、その“整いすぎた”動き。
そこにあったのは、練度ではない。
“配置”。
チェスの盤上で、駒を再配置するプレイヤーのような——静かな意図。
モリタの胸に、小さな違和感が沈んだ。
「……やっぱりおかしい」
静かに口を開いた。
「それだけじゃねえよ」
ナオトも声を潜める。
「ドローン見てみろ。さっきから、ゲートの方に何度も出入りしてる。……あれって、いつもそうだっけ?」
モリタの目が天井近くを捉える。
ドローンが一機、空中に停止していたが、すぐにゲートの方へ滑るように移動していく。
確かに——言われてみれば、異常だった。
「……そんなはずない」
モリタが呟く。胸の奥にざらついた不安が広がっていく。
少し離れたところで、カティア とリアが座っている。視線がそちらへ向かう直前——
アナウンスの機械音が、緊張の糸を一瞬だけ断ち切った。
「番号、五・九・一・四。繰り返します。番号、五・九・一・四番の方は、プラットフォーム1番、車両7号までご移動ください。」
「カティア 、リア!」
モリタの声が少し強く響いた。 二人は静かに会話していたが、その緊迫感にすぐ反応する。
「……何かあったの?」
リアが腕を組みながら答える。目線はもう、周囲を鋭く走っていた。
「兵士たち、それと白服のヤツを見てくれ」
モリタがゲートを顎で示す。「ナオトが“おかしい”って言ってる。どう思う?」
リアとカティア の視線が同時にそちらへ向かう。構内に点在する兵士たち、そして白い制服の男。しばしの沈黙。
「立ってるだけにしか見えないけど」
リアの声は落ち着いていたが、少しだけ眉が寄っていた。カティア は首を傾けながら、処理ライン近くの兵士たちを見渡す。 視線がコタニへと移ると、そこで止まった。
「……外で何かあったのかも。新しい到着者とか、ね」
モリタの表情が曇る。胸の奥がじわりと締めつけられる。ナオトがさらに身を寄せ、小声で補足した。
「モリタだけじゃない。俺も見た」
声を落としながら続ける。
「さっきまでの兵士たちと違って、じっとしてない。ゲートのやつら、グループで外に出てってる」
リアの目が細められる。
ゲート近くをじっと見つめたあと、耳がぴくりと動く。
「……分かるけどさ」
頭を軽く振る。
「皆と一緒で退屈してるだけでしょ。配置換えとか、そんなのじゃない?」
「あるいは、何でもないこと」
カティア が言う。やわらかな声だったが、どこか奥に張り詰めたものを感じさせた。
モリタは何も返さず、またゲートの方へ視線を向けた。
別の兵士たちが、数人ずつまとまって外へ出ていく。 銃を胸に構えたまま、隊列のようなものはない。その頭上を、ドローンが何機も滑っていく。音を立てず、焦ったような動きで。
頭上のスピーカーが、ゆっくりと音を鳴らし始める。
「ご案内申し上げます。
ただいま、プラットフォーム1番からのご乗車は、予期せぬ事情により一時中断しております。
ご利用のお客様におかれましては、その場でお待ちいただきますよう、お願い申し上げます。
今後の案内をお待ちください。」
構内のざわめきが、わずかに大きくなった。空気の中に、目に見えない“ざらつき”が広がっていく。異界人たちのあいだに、言葉少なげな視線が交わされる。
不安の色が、誰の目にも宿りはじめていた。
《……外で何が起きている……?》
ホロプロジェクターを囲んでいた群れの中から、掠れるような声が漏れた。先ほどの年配の鬼族。顔は緊張にゆがみ、落ち着きを失っていた。
モリタがカティア に視線を送る。彼女はすぐに察し、小さく頷く。目線だけで、群れの中心を確認し、身体を寄せて小声で囁いた。
「外のことを話してる……もしかして、何か知ってるかもしれない」
モリタが返事をする前に、リアの耳がぴくりと跳ねた。全神経を、ゲートの向こうへ向けている。
モリタが声を落とす。
「……どうした?」
リアは耳を立てたまま、目を細めた。
「叫び声……兵士の声。何かを——指示?」
「指示って……何の?」
ナオトが低く割り込む。
リアは答えなかった。耳が震え、唇がわずかに開いて閉じる。
「……他にもある。金属音? 擦れて……削れてるような。うまく説明できないけど……」
カティアが背筋を伸ばす。
「本当に聞こえるの?」
リアはゆっくりと頷いた。唇を一文字に引き結びながら。
「かすかだけど、確かに。……外で何かが起きてる。普通じゃない」
壁の向こうで、破裂音。空気が張り詰めたように、瞬間が止まる。
モリタの体が一瞬固まる。
次の瞬間——構内の外から銃撃音が連なった。雷のような発砲。間を置かず、壁越しに叩きつけられる。
鋭い。重い。止まらない。
その音にかぶさるように、悲鳴が上がった。
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脚注
1) 連邦自治区域(Federal Autonomous Region / FAR)
連邦成立に伴い、地球上の各地域はFAR-0x(連邦自治区域)と呼ばれる五つの行政ブロックに再編された。これは統治効率の向上と、地球規模での統一意識の醸成を目的として設計されたものである。各区域は以下の通り:
FAR-01:アメリカ大陸およびカナダ
FAR-02:ヨーロッパおよび地中海沿岸地域
FAR-03:ユーラシア大陸および東アジア
FAR-04:アフリカおよび中東地域
FAR-05:東南アジア、オセアニア、オーストラリア
この制度は、旧来の国家への忠誠を排し、「連邦市民」としての共通アイデンティティを確立するために導入された。
2) カプリニド
異界出身の獣人種の一つ。基本的な体型や外見は人間に近いが、特徴として湾曲した角、四角形の瞳孔、そして腰付近に小さな毛の房——痕跡器官とされる尾の名残——を持つ点が挙げられる。
2025/7/10 - カチャ を カティア に変更しました。ごく小さなこだわりですが、こちらの方が名前の響きが良く感じたためです。




