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アーケイン・フロント  作者: メグメル
【模範市民編】第三章:砕かれた平和【下】
14/37

砕かれた平和【下】②

章の最後に脚注があります。

最初の一発が空気を裂いた。張り詰めていた緊張が弾け、並んでいた生徒たちの間に悲鳴が連鎖する。弾丸は化け物¹の胸を正確に貫いた。蒼白い肉片と銀色の体液が鋭く飛び散る——それでも、動きは止まらなかった。


化け物が飛びかかる。動きは鋭く、ぎこちなく、異様に速い。四肢が常軌を逸した角度でねじれ、ブースの兵士に向かって躊躇なく迫る。


自動火器の轟音が鳴り響く。銃口の閃光が霜に覆われた地面に歪な影を刻み、銃弾がドッペルゲンガーの変質した身体に連続で命中する。上空のドローンも容赦なく射撃を浴びせた。


その身体が痙攣し、形が激しく乱れる。マーブル状の皮膚とエルフの少年の姿とが断続的に切り替わる。化け物はよろめき、痙攣しながら氷の舗道に崩れ落ちた。白濁した目が、何も見ないまま空を見上げていた。


場が重苦しい静けさに包まれる。兵士たちが慎重に接近する。銃口を下ろさぬまま、無力な死骸を囲む。

モリタは息を詰まらせながら後ずさった。全てが始まった瞬間に終わったような衝撃。ごくわずかに保たれていた秩序が、この一瞬で打ち砕かれた。


恐慌が列を駆け巡る。鋭い叫び声、慌ただしい動き、生徒たちが互いにしがみつきながら、焼け焦げた死体へと目を向けていく。


「——列を崩すな!動くな!!」


兵士たちは容赦がなかった。動きは無駄がなく、徹底していた。怒号を飛ばし、銃を構え、その圧だけで生徒たちを列へと押し戻していく。銃床が腹を打ち、ブーツの踵が地面を鋭く踏み鳴らす。怒鳴り声が雷鳴のように響き渡った。


モリタは、カティアの指が自分の袖を強く握っているのを感じた。その隣で、リアは視線を忙しなく巡らせ、ナオトはわずかに後ろに立ち、唇を血の気のない線に結び、拳を固く握っていた。


不意に一人のフェリニッドの少女が走り出した。しなやかな身体が、張り詰めたバネのように弾ける。叫び声もなく、ただ一閃の動きで二人の兵士の隙間をすり抜けていく。手錠をかけられた腕を不器用に前に突き出しながら。


「止まれ!——おい、止めろ!」


兵士の一人が叫ぶ。銃口が一斉に跳ね上がり、逃げる影を追う。


だがフェリニッドは速かった。生徒の間を器用にすり抜け、靴の底が舗道を滑りながら、広場の端へと駆けていく。目指すはその先の通り。無謀だが、本気の逃走。


一発の銃声が響いた。


鋭く、冷たい音が空気を真っ二つに裂く。ギロチンが落ちるような鋭さ。静寂を引き裂いたその一発が、生徒たちの列に再び恐慌の波を走らせた。誰もが体をすくめ、悲鳴と嗚咽が沸き上がる。


モリタは咄嗟に身を低くし、カティアを自分のもとへ引き寄せる。彼女の体がかすかに震えていた。押し寄せる恐怖に目を見開き、強くしがみついてくる。


モリタは顔を上げた。銃声の主を探して、素早く周囲を見渡す。


——そこにいた。


国家保安局(ISB)所属——小谷久生(コタニヒサオ)。黒い拳銃²を構えたまま立っていた。銃口からは細く煙が立ち昇っている。表情はまったく変わらない。冷酷な静寂をまとった彫像のようだった。目は鋭く、瞬きひとつしない。


世界は彼だけになった。


フェリニッドの少女が、肩を撃たれてよろめいた。赤い血が吹き上がり、体が回転するように横に弾かれる。氷の地面に激しく叩きつけられ、滑りながら転がり、苦痛の声を上げた。


「……素人め」


コタニが鼻で笑い、ゆっくりと拳銃を下ろす。片腕を振り上げると、背後の部隊が一斉に突進した。ブーツの音が花崗岩の舗道を轟かせ、少女を取り押さえる。手錠で拘束された腕を頭上に無理やり引き上げ、膝で背中を押さえつけた。


「一匹炙れば、他の連中もゴキブリみたいに這い出してくる」


少女が笑った。濡れて詰まったような音。ひび割れた水道管の中を泡が通るような、濁った笑いだった。

体が痙攣し始める。息は不規則に乱れ、細切れの呼吸が浅く重なっていく。頭がビクッと跳ね、首が異様な角度に捻じれる。肌が揺らぎ、波打つように変質し始めた。銀色の脈が首筋と顔面に広がっていく。


大きく見開かれた目が、次第に白濁していく。生気を失ったその瞳が、だがどこかで確かにコタニを見つめていた。


兵士たちはさらに強く押さえつける。背中に押しつけられたブーツが、少女の身体を氷上に沈めていく。

顔が一瞬、ちらついた。輪郭が歪み、頬骨が鋭く突き出し、顎が不自然に引き延ばされる。皮膚が頭蓋に沿ってピンと張り詰め、まるで仮面を無理やり引き伸ばされたようだった。


少女はうめいた。声は割れた囁きとなり、言葉は——


《お前たちの連邦は……内側から腐っている。盲目を導くのは、視野なき理想主義者。脆弱な偽りの上に築かれた欺瞞の国家……降伏せよ。さもなくば——報いを受けよ!》


コタニが一歩前に出た。拘束された少女の目前で止まり、歪んだ目と目を合わせる。表情は微動だにしない。鋼のような沈黙がそこにあった。


次に彼が口を開いたとき、その声は冷たく、鋭く、インターステラル・タングで発せられた。


《ほう。それは楽しみだな。……ならば余すことなく話してもらおうか。》


彼はくるりと振り返り、片手の指を鋭く突き出す。


「お前。兵士。拘束具を用意しろ。首輪だ。今すぐに。」


指名された兵士が頷き、金属製の拘束首輪を取り出す。無骨な鋼鉄製の枠には、かすかに継ぎ目が走っており、内部に複雑な機構が隠されていることを示唆していた。側面の制御モジュールには、赤いインジケーターが一定間隔で点滅している。


フェリニッドの少女——否、その顔を借りた「何か」が、兵士の接近に合わせて激しく身を震わせた。目が細まり、首輪を見据えたその瞳には、確かな「恐れ」があった。


《——エリシア聖帝国に……栄光あれッ!!》


冷たい鋼が少女の首に嵌められた瞬間、鋭い金属音が響き、それに続いてかすかな低周波の唸りが空気を震わせた。赤いインジケーターが点灯し、高音の電子音が辺りを満たす。首輪が起動した。


少女の体が激しく跳ねた。背中が弓のように反り返り、強烈な電撃が全身を貫く。歪んだ顔が引き攣れ、歯を剥き出しにしながら無言で唸る。唇が痙攣し、金属と肌の接触部からは白い煙がうっすらと立ち昇る。


電撃が止まると、少女はぐったりと前に倒れかけた。呼吸は乱れ、頭を垂れたまま動かない。

コタニが一歩近づき、鼻で笑う。


《人類というのはな……存外、“説得力”がある種族だ。》


その声は静かで、だが刃のように鋭い。少女がわずかに顔を上げ、目がコタニの顔を捉える。口元が歪み、笑みとも憎悪ともつかぬ表情を浮かべた。唇の端からは粘つく唾液が細く垂れている。


「他の連中と一緒に拘束しろ。首輪は作動状態を維持。再度抵抗するようなら、出力を上げろ。……止まるまでな。」


「了解!」


兵士が叫び、少女の両腕を乱暴に引き上げて立たせる。


化け物はよろめきながらも立ち上がる。動きは不規則で、神経が焼き切れたように断続的だった。彼女は生徒たちの視線が届かぬ位置まで引きずられていく。その途中で、ほんのわずかに顔を横へ向け、憎悪と満足が混じった表情を浮かべた。


コタニは黙ってそれを見送る。背筋を伸ばし、拳銃を正確な動作でホルスターに戻す。視線が静かに生徒たちの列をなぞるだけで、彼らの動きが凍りついた。


「——処理を再開しろ。今すぐに。」


列が再び動き出す。生徒たちは足元ばかりを見つめ、ぎこちなく前へと歩を進める。首輪の低い唸りがまだ空気に残っていた。焼けたオゾンと汗の臭いが鼻を突く。


ナオトが列に戻る際、小声で呟いた。


「ドローンよりも……あの白服の奴らの方がよっぽど容赦ないな……」


列はじわじわと前へ進み続ける。頭上でドローンが鳴らす微かな駆動音と、手錠が擦れる金属音だけが空気を支配していた。時折、兵士の怒声や無線の雑音がそれを破る。踏み出す一歩一歩に躊躇いがあり、誰もが浅い呼吸しかできなかった。


最初は、ささやきだった。震える唇の隙間からこぼれる不安の連鎖。モリタの耳に断片が届く。


《……見たか?変わり方……もしまだ、他にもいたら?》

《……あいつら、どこから来た?誰かと“入れ替わった”に決まってる。何もないところから現れるはずが……》


言葉が少しずつ鋭くなっていく。視線が長く留まりすぎ、隣人の動きが一つひとつ注視される。疑念と恐怖が、沈黙の中にヒビのように広がっていた。


モリタの思考が駆け巡る。——入れ替わった。


その言葉が、棘のように脳裏に刺さる。


あれは単なる侵入者ではなかった。誰かの“代わり”だった。列に紛れ、人間の顔をつけて、ここにいた。

視線が隣のカティアへと向く。一瞬だけ。


わずかに。


その影が心をよぎる。


自分の思考を、モリタは吐き気がするほど憎んだ。


彼女が、静かに口を開いた。


「……そんな目で、見ないで……モリ。」


その声は壊れそうなほど小さくて、それでもモリタの胸を鋭く刺した。

モリタは目を逸らし、ほとんど吐息のような声で答えた。


「……ご、ごめん。」


次の声が響く。


「——次。」


モリタの胃が冷たく沈み込むのを感じた。喉にひっかかる息。ほんの一瞬、足が動かなくなる。靴底が霜の張った地面に凍りついたようだった。


カティアの手が袖に触れた。


かすかに震える、一瞬の仕草だった。


言葉ではなかったが、それだけで充分だった。


モリタは足を前に出した。ゆっくり、一歩ずつ。手錠が微かに鳴る。視界が狭まり、前方のブースだけが見えていた。最初のドッペルゲンガーが崩れ落ちた地点には、今は何もなかった。だが、銀色の痕が舗道に薄く残っていた。


スピーカー越しに兵士の声が響く。わずかな緊張を含みつつも、乾いた笑いを混ぜていた。


「皮肉だな……今日見る中で、シフターが一番“普通”に思えるとはな。……で、どうやってトラブルに巻き込まれた?」


モリタは喉がカラカラに乾いていた。胸が締めつけられる。強張った喉を押し下げるようにして顔を上げ、ガラス越しに映った自分の青白い顔を見た。


胃の奥に残った塊を飲み込み、肩をすくめる。乾いた笑いをひとつ。兵士の声の奥には何かがあった。疲労か、それとも微かな気休めか。だが、言葉の隙間には警戒の棘が潜んでいた。


兵士がスキャナーの縁をグローブの指で軽く叩いた。


「お前が“変身”するようには見えねえけどな、念のためだ。はい、手をパネルに。顔をスキャンに向けて。時間ないんだよ。」


モリタは一歩前へ。手錠のかかった両手を、震えながらもパネルの上に置いた。


兵士がわずかに前屈みになり、バイザー越しにドローンを操作する。緑色のラインがモリタの顔を静かになぞる。


一瞬、すべてが止まったようだった。


聞こえるのは機械の低い唸りと、背後で列がわずかに動く音だけ。


ピッ。


スキャナーが短く反応し、確認音が鳴る。


兵士が小さく頷いた。肩の力を抜き、息を吐く。


「ほら、簡単だろ。……行け。もう変なことすんなよ。」


シュッという音と共に、側面のゲートが開いた。その奥には、駅の本構内へと続く通路が現れる。両脇には二人の武装兵が立っていた。モリタは一歩踏み出す。靴底が滑るように、ゲートの先の滑らかな床に乗る。


モリタは足を止めた。目を見開く。——信じられなかった。


構内にはイカイジンたちの姿があった。年齢も服装も様々。学生、成人、高齢者までもが自由に歩いている。彼らの手首には、あの拘束具が——ない。小さな荷物を抱える者。静かに会話を交わす者。その表情は、疲れと希望が混ざった、繊細な安堵に見えた。


兵士たちも動いていた。だが、外にいた兵士たちとは違う。まるで災害救助隊のようだと、モリタは思った。フェドニュースで何度も見た。ペットボトルの水を配り、道を案内し、体調を崩した者には応急処置を施している。


一人の兵士が彼の方へ歩み寄った。


「手を出して」


淡々とした口調で、顎を少し動かして指示をする。


兵士の手には小型の金属製ツールがあった。エッジには青い光が走り、かすかに駆動音を響かせて起動する。モリタは一瞬だけ戸惑ったが、やがて手錠をかけられた手首を前に差し出す。


ツールが接近すると、光が強くなった。それが手錠のロックに重なった瞬間、短いビープ音と共にパルスが放たれる。


カチッ。


冷たい金属の輪が解かれ、床へと落ちる。


ツールは兵士の左腕に固定されたホロパッドと接続されていた。その画面が一瞬だけ光を走らせ、次の瞬間、小さな紙片がウィンという音と共に印刷される。そこには太字で数字が印字されていた。

——1608。


兵士がそれを無造作に引き抜き、モリタに差し出す。


「これを持って。無くすなよ。番号が呼ばれるまで待機。構内、ホテル、地下モールの外には出るな。」

モリタは紙片を受け取った。だがその軽さが、なぜか合金のように重く感じられた。目を落とし、数字を確認し、それから兵士に尋ねる。


「……これ、何のための……?」


兵士は手首のホロパッドを睨んだまま、モリタの顔をほとんど見ない。


「家族単位での搬送を優先してる。……その番号で調整してるだけだ。」


声は平坦で、どこか業務的な疲労が滲んでいた。指先で軽く、紙の番号を示す。


「その番号は、ご家族の処理グループに対応してる。……森田さん、で間違いないな?たぶん、君はお父さんの息子だろう。ご両親の手続きが終わり次第、その番号と搭乗プラットフォームが呼び出される。」

ようやく兵士がモリタの顔を見た。その目には、どこか事務的な——だが丁寧な——距離感があった。


「警戒する気持ちはわかるよ。……本当に。」


声がわずかに柔らかくなる。


「我々はイカイジンと、場合によっては反逆者の処理を担当している。でも、君の記録と家族の背景を見れば、潔白なのは明らかだ。」


兵士が背筋を伸ばす。落ち着いた口調で続けた。


「どうしてここに来たのか——それは、家族が揃ってから説明してもらえばいい。……それまで、その番号を大切にして、指示に従ってくれ。」


その視線が一瞬だけ長く留まる。感情を読み取れないまま、ホロパッドへと視線を戻す。


モリタの背後でドアが静かに開いた。シュッという機械音が微かに響く。反射的に振り返ると——


翡翠色のドラグーンの少女が、扉の向こうに立っていた。


思考よりも先に、身体が動いた。


モリタは駆け出し、そのままカティアの胸元に飛び込むようにして、彼女を強く抱きしめた。

カティアは一拍だけ動かない。肩が小さく震え、驚いたように硬直した。


——それでも、やがて彼女の手錠のかかった手が、ぎこちなくモリタの胸に触れ、抱擁を返した。


「ほら、大丈夫って言ったでしょ……そんなに疑ってたの?」


囁くような声。どこかくすぐったい調子が混ざっていた。


「いや、その……ちょっとだけ……ごめん」


モリタは照れくさそうに笑う。言いながら、自分でも苦笑いが出る。


「だって、ドッペルゲンガーのこととか、あんなの見せられたら……」


カティアが微かに笑う。その声には、確かな安堵が滲んでいた。


「ほんと、たまにサイアクね……」


近くにいた兵士がカティアの方へと歩み寄った。先ほどまでの威圧的な態度とは打って変わって、どこか柔らかな雰囲気をまとっていた。


「両手をお願いします、お嬢さん」


声には棘がなかった。ただの指示であり、脅しではなかった。


モリタは名残惜しそうに一歩下がる。手がカティアの腕に軽く触れた。そこに彼女が確かに“いる”ということを、手のひらで確かめたくて。


カティアは無言で手錠のかかった手首を差し出す。動くたびに、金属の鳴る音がかすかに響いた。

兵士はモリタのときと同じスキャナーツールを取り出し、カティアの手首に近づける。


ピッ。


短い音と共にロックが解除され、冷たい鋼が彼女の腕から外れる。床に落ちた金属が、控えめな音を立てて転がった。


兵士の左腕に装着されたホロパッドから、小さな紙片が印刷される。それはモリタが受け取ったものと同じものだった。


兵士がそれをカティアに差し出す。軽く会釈を添えて。


「大切に保管してください。番号が呼ばれるまで待機です。」


カティアは紙を受け取り、眉をひそめた。視線がチラリとモリタと紙の間を往復する。


「……これ、何?何が起きてるの?」


声には不安と好奇心の両方が混ざっていた。


モリタは片手を上げ、表情を落ち着かせながら答える。だが、その口元にはまだ緊張が残っている。


「皆が揃ったら説明するよ。……今は、それ持ってて。」


カティアは頷き、紙片を手の中にそっとしまい、モリタの隣に並んだ。


数分後、ドアが再び開いた。


シュウ、と機械音が微かに鳴る。


リアが姿を現した。目を細め、構内を見回す。そしてモリタとカティアを見つけた瞬間、その肩がわずかに緩んだ。数歩駆け足で近づいてくる。


「……やっと見つけた」


声には安堵が滲んでいた。リアの視線がモリタとカティアの顔を順に見て、それから二人の手にあるチケットに気づく。更に——手首。そこに、もう手錠はなかった。


「ちょっと、二人とも何で——ていうかその紙、何?」


言葉が最後まで届く前に、例の兵士が近づいてきた。その存在だけで、リアの言葉が遮られる。

兵士が軽く肩に触れ、穏やかに言った。


「両手をお願いします、お嬢さん」


リアが一瞬だけ動きを止める。耳がわずかにぴくりと動き、目線が兵士からモリタへと揺れる。口を開きかけたが、兵士の手が再び淡々と促した。その仕草に、容赦や交渉の余地はない。


「すぐに終わりますので」


リアは小さくため息をつきながら、少しだけ警戒した動きで手錠のかかった手首を差し出す。

兵士のツールが光を発し、手錠のロックに反応する。


カチリ。


鋼の枷が外れ、リアの腕から滑り落ちた。


ホロパッドが光り、兵士の表情が——ほんの一瞬だけ、揺れた。眉がかすかに寄ったのを、モリタは見逃さなかった。


だが兵士はすぐに動きを戻し、紙片を取り出す。無駄のない、慣れた手付きだった。


「このチケットを大切に保管してください、ハナザワさん。番号が呼ばれるまで、そのままお待ちを。」


言葉は揺らぎがなかった——だが、紙を差し出す直前に生まれた「間」が、かえって目立った。


「……ありがと。たぶん」


リアはそう呟きながらチケットを受け取る。印字された数字に一瞬だけ目を落とす。


——0022。


それをポケットにしまうと、兵士は足を揃え、ピシッと背筋を伸ばす。

右拳を胸に当て、整った所作で敬礼³した。


「——連邦に栄光を。」


兵士は一歩後ろに下がる。ほんの一瞬だけ、その視線がリアに残った。だが何も言わず、すぐに踵を返し、静かにその場を去っていった。


リアはその背を見送りながら、チケットの入ったポケットを指でかすかになぞる。


カティアがモリタを見て、それからリアへと目をやった。


「……今の、何だったの?」


リアの唇がわずかに歪む。眉を寄せ、吐き捨てるように答える。


「さあね。今日見た中で一番“お堅い”兵士だったけど……あの白服の連中と比べても引け取らないってのは、結構なもんよ。」


「ナオトを待とう。もうすぐ来るはずだから」


モリタはそう言って、彼女たちを安心させようとする。だが、自分の胸の中には不安が渦を巻いていた。視線が自然と、まだ開かぬゲートの方へ向いていく。


三人は言葉を失い、しばしそのまま待ち続けた。


長くはかからなかった。


ドアが静かに開く。シュウという機械音と共に、ナオトが現れた。室内をざっと見渡し、すぐにこちらへと目を留める。


「……おお、いたいた!何があったんだよ?俺だけ完全に置いてけぼりじゃん!」


モリタは小さく息を吐いた。胸が少しだけ軽くなる。


近くにいた兵士がナオトの方へ向かって歩き出す。


「……遅いぞ」


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脚注


1) ドッペルゲンガー

極めて稀少かつ謎に包まれたヒューマノイド種。対象の容姿や行動を高精度で模倣する能力を持ち、主に潜入・諜報任務を担っているため、戦場での直接的な遭遇は稀である。その忠誠心は一貫して〈エリシア聖帝国〉に向けられており、連邦軍内では「シフター」「チェンジリング」「ドップラー」などの俗称で呼ばれている。


2 ) FSP45『クロガネ』

.45ACP通常弾仕様拳銃。正式名称は「Frontier Service Pistol, .45」。地球および連邦植民地の過酷な環境下での運用を前提に設計され、高い信頼性を誇る。連邦軍の将校や特殊部隊から特に好まれたが、後にEP-11『パルスピストル』に更新された。


3) 連邦式敬礼

両足を揃えて直立し、顎をわずかに上げる姿勢を取った上で、右手を拳に握りしめて胸元に当てる。これは連邦への忠誠・団結・献身を象徴する動作とされ、軍および政府関係者の間で正式な敬意表現として用いられている。


2025/7/10 - カチャ を カティア に変更しました。ごく小さなこだわりですが、こちらの方が名前の響きが良く感じたためです。

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