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アーケイン・フロント  作者: メグメル
【模範市民編】第二章: 砕かれた平和【上】
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砕かれた平和【上】③

章の最後に脚注があります。

通学路の中ほどに差しかかる頃には、街の通りはだいぶ活気づいていた。


カティアは相変わらずモリタの隣を歩いている。ふと目が合うたびに、二人の間に小さな笑みが交わされる。短く、かすかなもの——けれど確かに、何かを伝えていた。


ナオトとリアはそのすぐ後ろ。ナオトは自分の話に夢中で、派手な身振り手振りを交えながらしゃべり続ける。その陽気さに対し、リアの返事はどこか素っ気なく、言葉数も少ない。それでも二人の距離感には、馴染んだ心地よさがあった。


朝の通りには、配送トラックやスクーターの走行音が混じり、沿道の店からは会話や呼び込みの声が微かに漏れていた。


次の交差点へと差しかかった——


突然、空気を切り裂くようなアナウンスが響き渡る。大きく、容赦なく、そしてビルの壁面に反響して四方へ拡がっていく。


それから数秒後——


風に乗って、どこかで聞き覚えのある旋律が流れ出した。


『連邦の光』。

連邦の国歌であり、戦時中に幾度となく耳にした鼓舞の音楽。その旋律は雄大で、勝利と忠誠を謳う歌詞と共に、心を奮い立たせるように響いていた。


モリタの視線は即座に発信源を捉える。


数メートル先の通りに、白・青・金の連邦カラーで塗装されたサウンドトラックが停まっていた。街のくすんだ色彩の中で、その車体は異様に鮮やかに際立って見える。


その上空では、ドローンが隊列を保ちながらホバリングし、ホログラフのバナーを映し出していた。アンセムはスピーカーによってさらに増幅され、街全体に響き渡る。


録音された声が堂々とした調子で流れ出す。


「奴らは、我々の植民地を、家庭を、そして我々の生き方そのものを脅かしている!

今こそ立ち上がれ!今こそ加われ!

——“奉仕こそが、安全を築く!”」


アナウンスの語調が変わった。より直接的で、鋭く、鼓膜を打つような声が響く。


「君は、家族を守る覚悟があるか!?

凡庸さを越え、歴史に名を刻む覚悟があるか!?

今すぐ志願せよ——市民権を手に入れろ!

人類の剣となり、盾となれ!」


モリタの足が自然と緩まった。


視線は、人だかりの中へと流れる。ドローンの真下、折りたたみ式の簡易ブースが設置されていた。

その前には、連邦の青灰色の制服を身に着けた募集担当官が立っていた。制服は一切の皺もなく、まるでマネキンのように完璧だ。


その男は、自信に満ちた口調で、どこか舞台役者のような“完璧な滑舌”で話し続けている。配布される申込書は、次々と若者たちの手に渡っていた。


「前へ進め、市民権を勝ち取れ!」


彼の声が群衆の上を突き抜ける。


「帝国が築いたものを侮辱し、理想を踏みにじる時代は終わった!

思い出せ、ルミナラⅡでの最初の一撃を!

英雄になれ!伝説となれ!

——“奉仕こそが、安全を築く!”」


歩道には、志願希望者の列が伸びていた。

若者たち。ほとんどがモリタと同年代に見えた。


表情は真剣で、目には誇りと決意の光が宿っている者もいれば、口元に興奮の笑みを浮かべて仲間と囁き合っている者もいる。


中には、足元に学生鞄を置いたまま、黙々と順番を待っている姿もあった。


「……すげえな」


ナオトがぽつりと呟く。思わず見とれていたようだった。


「演出はうまいもんだよな、あいつら」


「まさか、それに感動してんの?」


リアが横から冷たく刺すように言う。


「楽しみにしとくわ。あんたの名前が戦死者リストに載る日をね」


ナオトは肩をすくめ、茶化すように言い返す。


「ほら、“みんな参加してる”んだよ?……君は?」


その視線が再び志願者たちの列へと戻る。

リアは盛大に目を回し、睨みを一つ。


「……死ねば?」


モリタはナオトの方にちらりと目を向け、思わず笑ったが、それ以上は何も言わず、再び志願者たちと募集官へと視線を戻した。


その光景に——


ふと、心の中に浮かび上がるものがあった。


ほんの一瞬の、思いつき。


だが、それは確かに彼の胸をかすめた。


(……行き場なんて……あるのか? 他に……)


父の家は、日に日に“家”と呼べる場所ではなくなっていく。


中で、兵役という選択肢は——


モリタの人生に欠けていた“意味”というものを、与えてくれるようにも思えた。


「やめて」


その思考を断ち切るように、カティアの柔らかな声が響いた。モリタが顔を向けると、カティアは真っ直ぐ彼を見つめていた。尾は動きを止め、翼はぴたりと背に沿うように折りたたまれている。


「……タツキ、考えるだけでダメ。あたしがいるじゃない。

だから、そんなの必要ない」


彼は一瞬だけ迷い、そして小さく笑みを浮かべた。


「……たぶん、そうだな」


「“たぶん”じゃなくて、そうなの」


カティアは即座に言い返す。その声は穏やかでも、決して揺らいではいなかった。


「忘れないで」


モリタは後ろを振り返る。リアの鋭い視線が、一瞬だけこちらに向けられていた。


ナオトはまだ「義務だなんだ」と一人で盛り上がっているが、リアは黙ったまま。その視線はすぐ前方へと戻る。


スピーカーから再び、募集官の声が轟く——

……しかし、それにかぶせるように、新たな声が群衆の中から上がった。


募集官ではなかった。 歩道の端に立つ、モリタたちと同じ制服を着た生徒の一団。

最初は小さく、誰かが吐いた嘲笑。


だがそれは、次第に声を増し、はっきりとした“言葉”へと変わっていく。


「おいおい、裏切り者かよ!」


一人の男が叫んだ。


その声には、はっきりとした悪意が滲んでいた。指さされた先——それは、モリタたちだった。


「そんなもん引き連れて、堂々と歩いてんの? 冗談だろ?」


次の声が、さらに大きく、そして怒りを乗せて響く。


「こっちは人類のために志願してんだぞ? それなのに、お前は翼付きの化け物と、その混血のペットと仲良くお散歩か? 笑わせんな!」


三人目が加わる。声は甲高く、嘲り混じりの調子だった。


「なぁ、鳥女ぁ! そのカラダで戦場に行けると思ってんのか? せいぜい出荷される前に“役立てて”おけよ、元の星に戻る前になぁ!」


ひとつひとつの言葉が、石のように心にぶつかる。モリタは無意識に顎を引き締め、拳を握った。 カティアの肩がぴくりと強張るのが、横から伝わる。 視線は前を向いたまま、表情ひとつ変えない——けれど、鞄のストラップを握る手は白くなるほど力がこもっていた。


あれは、感情を隠すための“仮面”だった。


「……進んで」


リアが静かに言った。


視線は動かさず、全神経が背後の騒音に集中しているのがわかる。


「おい、お前もだよ、尖り耳!」


今度はいやらしげな声が飛んできた。


「連邦のこと見下してるつもりか? その顔、ベッドでしか役に立たねぇだろ。人間ぶってんじゃねぇよ!」


「……相手するだけ無駄。価値なんかない」


リアの声は震えていたが、怒りを抑え込んだ色が滲む。 その手が、ぎゅっと拳を作る。


「今ここに木刀あったら……口の中に叩き込んでやるのに」


「……ふざけんなよ、お前ら!」


ナオトが怒声を上げた。群衆に向き直り、苛立ちをぶつける。


「何もしてねぇだろ、こいつらは!」


だがその言葉が出た瞬間、リアの目が鋭くナオトを睨みつけた。その表情は、まるで「やってくれたな」と言っているようだった。


「……言うなって言ったばっかだろ」


リアの声は低く、刺すように鋭い。


「マジで最悪、アンタ……」


「うわ〜、同情野郎が吠えてんぞ!」


一人の生徒が数歩前に出てきて、鼻で笑った。


「次はどうするよ? お得意の“化け物シールド”でも使って逃げんのか、ヒーローさん?」


胸の奥に熱がこもる。


モリタの拳は震えるほど固く握られ、足が前へと一歩踏み出しかけた——


だがその瞬間、カティアのかすかな首振りが、彼を止めた。言葉はなかった。ただ、目だけが伝えていた。


——「やめて」


「……行こう」


カティアが静かに言った。

声は小さく、それでいて確かな決意を帯びていた。


「……あいつらに、勝たせないで」


乾いた拍手が一発、空気を裂くように響いた。嘲笑と国歌の音を一瞬で飲み込むように、その音が場を制する。群衆の視線が、音の発信源へと向いた。


その中央を、ひとりの男が自信たっぷりに歩いてくる。連邦の募集官——さきほどまで壇上に立っていた男だった。光を反射するほど丁寧に整えられた制服を身にまとい、堂々とした足取りで群衆の間を割って進む姿は、まさに“統制”そのものだった。


「さてさて、未来の市民として、もう少し品位を持ってはどうですか?」


声は落ち着いていて、調子は滑らか。


だがその裏には、場の空気を完全に把握している者だけが持つ“圧”があった。彼はモリタたちのすぐ手前で足を止め、柔らかな笑みを浮かべながら、わずかに頭を下げる。


「……ご迷惑をおかけしました。こういった場面は、我々の目指す“姿勢”とは少々異なりますので」


「い、いえ……別に……」


ナオトが頭をかきながら曖昧に答えた。


リアは鼻で鋭く息を吐き、腕を組み直す。


モリタは沈黙を守ったまま、冷めた視線で人混みをなぞる。


カティアの手が、鞄のストラップを握りしめる。


指先が白くなり、彼に一歩寄る。募集官は、モリタたちを順に見渡した。一人ひとりの顔を静かに、そして注意深く確認するように。


姿勢を正すと、再び群衆へと向き直る。


「……我々は、“ホーリーズ¹”よりも優れているはずです」


その言葉は、明確に投げかけられた。


「異なる者を貶めたり、奴隷にする……そんなのが連邦のやり方だと、本気で思っているんですか?

我々は“共に在る”からこそ、ここまで来たのです」


その声には、力強さと正しさが込められていた。“ルミナラⅡ”を侵略した“インプども”とは違う、と。


「このような行動は、誰のためにもなりません。

連邦のためにも、未来のためにも——」


群衆の空気が、微かに変わった。 先ほどまでの熱狂が、静かに萎んでいく。募集官はモリタの方に再び振り返った。


笑みを少し深くしながら、自然な仕草でモリタとナオトの手に申込書を差し出す。


「君たち——いい目をしている。市民になるには、意志がいる。行動がいる。

連邦には、君たちのような人間が必要だ。強くて、有能で、未来を築ける人間が」


その鋭い目線が、カティアとリアへと向けられた。


ほんの一瞬。……その視線には、“計る”ものが宿っていた。


「決意ある者は、いつだって歓迎される。英雄とは、こういう瞬間に生まれるんだ。連邦が最も必要としている、今こそ」


モリタは思わず口を開きかけたが、


募集官の張りついた笑みと、揺るぎない眼差しが言葉を凍らせた。


カティアが一歩前へと出た。


声は静かで、けれど芯がぶれることはなかった。


「ありがとうございます、募集官」


「でも……彼は、興味ありませんから」


募集官は小さく首を傾げた。その表情は変わらない。むしろ、余裕すら感じられた。


「もちろん。それで構いません」


声は滑らかで、丁寧な口ぶり——だが、その奥にはどこか“上から目線”の響きがあった。


「ただ……決意ある者は、いつだって求められていますよ。選択肢を持っておくことに、損はない。誰にだって、“果たすべき役割”がありますからね」


その言葉が、モリタの耳に残った。


“市民権”

“団結”

“強さ”

“存在意義”


それだけで、自分は“意味のある存在”になれるのか——


モリタは手元の申込書へと視線を落とす。その上部には、連邦の紋章がくっきりと刻まれていた。思わず、握る手に力がこもる。


「どうも。でも……これで失礼します」


小さく呟きながら、モリタは申込書を鞄に押し込んだ。カティアの手をそっと取る。


「……少し、考えてみるよ」


そう言って、軽く一礼する。そのまま彼女の手を離さず、一歩前へと歩き出した。仲間たちも、それに合わせて動き始める。その足取りは、慎重でありながら、どこか意志のあるものだった。空気にはまだ、重たい緊張が残っている。


背後から、再びあの声が響く。募集官の声が、再び力強さを取り戻して群衆に放たれる。


「忘れるな!連邦は、“君たち”のような個人によって支えられている!英雄は生まれながらではない——“鍛えられる”ものだ!今こそ選べ!“価値ある存在”となれ!」


再びアンセムが鳴り響く。その旋律は、誇り高く、しかしどこか不気味なほどしつこく——まるで背後から追ってくるようだった。


誰一人、言葉を発することはなかった。


静かな靴音だけが、その場の余韻を引きずるように響く。 足音が静かに並び、誰もその沈黙を破ろうとはしなかった。


視界の隅で、モリタはリアがナオトを一瞥するのを捉える。


その表情には、一瞬だけ——ほんのわずかに、戸惑いにも似た感情が浮かんでいた。


“気にしてる?”


そう思う間もなく、リアはそっけなく顔をそらした。

カティアはモリタのすぐ隣にいた。


軽く腕に触れるように手が寄せられ、それだけで彼の心はふっと現実に引き戻される。

嵐のような思考の中にあって、たった一つの“触れられる安心”。


言葉にしなくても伝わるものが、確かにそこにあった。


校門が見えてきた。


朝の鐘の音が、遠くから響いてくる。


冷えた空気を突き抜けるような澄んだ音——緊張の残滓を切り裂くように、まっすぐに届く。


モリタの目が、校舎前の旗の列へと向いた。トリフェクタの三つの紋章が、学校の旗と共に風に揺れている。光景を見ながら、彼の思考は再びあの募集官と、鞄にしまった申込書へと引き戻された。

やがて、リアとナオトが無言で別方向へと歩き出す。


自分たちの教室へ向かうために、自然に道が分かれていく。


ナオトは鞄に手を差し入れ、何かを確かめるように視線を落とす。


——それは、申込書だった。


そのまま彼はリアを見て、何かを言おうとする。


明るい声が空気に浮かんだが、リアはどこか遠くを見ていた。視線が一瞬、モリタとカティアに留まり——すぐに、群れの中へ溶けていった。


彼女は何も言わなかった。ただ、静かに。


ナオトはその場に少しだけ残った。 手はポケットの中。表情は、珍しく考え込んだようだった。


——彼もまた、ゆっくりと群れに溶けていった。


校門のすぐ手前で、モリタの足が止まった。 無意識のうちに鞄へと手が伸びる。指先が触れたのは——あの用紙。


連邦の紋章が、鋭く、揺るぎなくこちらを見返してくる。その下に記された標語が目に入る。


《奉仕こそが、安全を築く》


「ねえ、見せて?」


カティアの声が静かに届いた。


モリタは何も言わずにそれを差し出す。


カティアは丁寧にそれを受け取り、ゆっくりと広げた。印刷された内容を、目でなぞるように読み進める。

何も言わず——そして、静かに折り畳む。


端をぴしりと揃えて、まるでそれが一枚の紙ではなく、誰かの“感情”であるかのように丁寧に。


「……こんなの、いらないよ」


柔らかく、優しい声でそう囁いた。


「どんなに辛くなっても、大丈夫。タツキにはあたしがいる。ずっと、いるから」


モリタはかすかに頷いた。胸の奥の張りつめた何かが、少しだけ緩んでいくのを感じた。

遠くで、再び登校の鐘が鳴る。


——もう行かなくては。


カティアは小さく微笑んだ。


ほんの一瞬、けれど確かな笑み。彼女はそのまま校門へと向かって歩き出す。

モリタも、少しだけ軽くなった足取りでその後を追う。


生徒たちの群れにまぎれて、二人の姿はゆっくりと校舎へと消えていった。

背後にはまだ、かすかに『連邦の光』の旋律が漂っていた。


冷たい朝の空気の中で、その音もやがて、都市のざわめきに飲まれていった。


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脚注


1) ホーリーズ:

エリシア聖帝国を指す、連邦軍内で広まった侮蔑的なスラング。ルミナラⅡでのマクララン攻勢失敗後、開戦から一ヶ月経った頃に行われたFedNewsの報道をきっかけに一般にも広まった。インプス(Imps)やエリーズ(Ellies)と同様の軽蔑的愛称。

2025/7/10 - カチャ を カティア に変更しました。ごく小さなこだわりですが、こちらの方が名前の響きが良く感じたためです。

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