『闇の魔物』 その8
「フィーの両親は……旅に出たんですよ」
「旅……? それって、いつ……?」
「ショーナが……お出掛けする様になる、少し前の事でしたね」
エイラの言葉を聞き、ショーナは過去をさかのぼって考えた。
(オレが出歩き始めたのは……確か半年になった辺りだったハズ……。フィーは確か……オレより少しだけ上だけど、同い年のハズ……。それなら、まだフィーは一歳になっていないハズだ。
そんな一歳にもなっていないコドモを置いて、両親が旅に出るとは……考えにくいな……)
ショーナがこの集落で見てきたドラゴン達は、とても文化的なドラゴンばかりだった。子を持つドラゴンとして見てきたのはエイラだけだったが、そのエイラも子煩悩。それ所か、そのエイラからは子離れさえも見られない。
ショーナは、それが全ての親に当てはまるとは思わなかったものの、この世界のドラゴンが、まだ幼い子を残して旅に出るとは到底思えなかった。
(旅……か……。いや、待てよ……!)
エイラの言葉を繰り返し考えていたショーナは、はっと気が付いた。
(まさかっ……!)
ショーナの思っている事を察したエイラは、目を向けて声を掛けた。
「ショーナ……」
「分かってます……」
「……ありがとう」
エイラの言葉を最後まで聞く事無く、ショーナは彼女が何を言おうとしていたのかをくみ取って返事をした。
(やっぱりそうか……。まぁ、そんな事……フィーには言えないよなぁ……)
ショーナは真剣な表情をしながら、自身の直感が正しかったと、エイラの言葉を聞いて確信していた。
その一方で、彼は別の事も気になりだした。
(そういえば……、オレの父親って……)
フィーの両親の話をして、ふと自分の親の事も気になったショーナ。彼はこの集落に来てから、一度も父親と顔を合わせた事は無く、唯一の記憶も、彼がこの世界に生を受けた時の「黒い生物」だけだった。
「ねぇ、母さん」
「何ですか?」
「オレの父さんって……」
気になった彼は、それをエイラに尋ねた。
「まさか……」
フィーの両親の事がまだ頭に残っていた彼は、自身の父親も同じ様な事になってしまったのではないかと心配していた。それを見たエイラは、ショーナの気持ちを察して笑顔で答える。
「フフ……。そんな訳ありませんよ」
「じゃあ……どうして……」
「簡単には会う事が出来ないんですよ。……立場的に」
「立場的に……? それは……母さんが長だから……?」
「……それもありますね」
「…………」
エイラの答えに、どこか釈然としなかったショーナは、少し下を向いて考えていた。
(立場……か。でも……もしこの集落にいたのであれば、全く会えないという事は無いと思うけど……)
難しい顔をして考えているショーナを見たエイラは、笑顔で優しく声を掛けた。
「……じきに会えますよ」
「…………」
会えるという言葉から、自身の父親は生きている。それだけははっきりした所で、これ以上考えても仕方が無いと思ったショーナは、他の話題をエイラに振った。
「そうだ、母さん」
「何ですか?」
「この砦の地下室って、何があるの?」
今日の昼下がりから気になっていた事、それが地下室だった。ショーナは、この際だから聞いてしまおうと、この機会に質問を重ねていた。
「地下室ですか? 特に何もありませんよ」
「何も……? じゃあ、何に使ってるの?」
「地下室は会議室として使っているんですよ。特に……戦闘部隊の」
「会議室……」
優しく答えたエイラに対し、ショーナはどこか難しい顔をしていた。
「じゃあ、どうしていつも見張りのドラゴンがいるの? オレも通してもらえなかったよ?」
「それは……」
エイラはショーナに顔を近付ける。その顔はどこか怖い顔をしており、ショーナは思わず生唾を飲んだ。
「会議室には……」
エイラはショーナの鼻先まで顔を近付け、少し言葉に間を空けた。そんなエイラに、ショーナは口を半開きにして、どこか不安な表情をする。
エイラは相変わらずの顔付きで十分に間を取ると、表情を変える事無く、その続きを話し出した。
「こわ~いオバケが……」
「…………っ!」
エイラのその言葉に、ショーナは目を見開いて固まってしまった。
(オバケ……!? 出るのか、この砦……!?)
これまで、そういった事は何も考えてこなかったショーナだったが、エイラから言われた事で急に動揺してしまった。
(確かに……言われてみれば、この砦って……出そうだし……)
目を見開いて固まったまま、目だけをきょろきょろと動かして辺りを見回し、そんな事を考えていたショーナ。そんな彼に、エイラは笑顔で声を掛けた。
「フフ……。まぁ、そんな事は無いですけどね。…………あら? ショーナ?」
しかし、ショーナは動揺して考え込んでしまったからか、彼女の声が耳に届いていない。
「ショーナ? ……ショーナ? 大丈夫ですか?」
「……!」
エイラの度重なる呼び掛けに、ようやくはっと気が付いたショーナ。そんな彼に、エイラは優しく声を掛けた。
「大丈夫ですよ、ショーナ。……あなたはドラゴンなんですから、オバケなんてやっつけちゃえばいいんですよ」
「……出るの……? オバケ……」
少し怖がりながら質問したショーナだったが、エイラの答えは曖昧なものだった。
「フフ……。さぁ、どうでしょうね?」
「…………」
満面の笑みで答えたエイラに、どうしても言葉を返せなかったショーナ。
(……はっきり『出ない』と言ってほしかったなぁ……)
不安な表情を浮かべ、うつむいてため息を吐く。ドラゴンとして生を受けたものの、彼の思考や記憶は人間の時から引き継がれていた。当時の怖い物は、そのまま今も怖い物として彼の中に宿っていた。
「さぁ、もう寝ましょうか。明日からまた特訓も再開しますし、夜更かしすると……こわ~いオバケが……」
「か……母さん……!」
最後に半眼で薄ら笑いを浮かべながら言ったエイラに、ショーナは困惑しながら寝床で丸くなった。
「フフ……。大丈夫ですよ、ショーナ。……もしオバケが出ても、私が守りますから」
そう言って、エイラは部屋の明かりを消した。
翌朝――
窓から差し込む光で目が覚めたショーナ。
「おはようございます、ショーナ」
「おはよう、母さ…………んっ!?」
ショーナは尾の付け根付近に違和感を感じ、飛び上がる様に立ち上がってその場を離れた。すると、寝床に敷き詰められた藁の一部が濡れているのを目にし、目を見開いて仰天した。
(えっ!? ……まさか!! ウソだろ……!?)
一昨晩のエイラの話が頭に残っていたショーナは、それが自身の粗相であると直感し、激しく動揺してしまう。
そんなショーナを心配して、エイラが後ろから声を掛けた。
「どうしました? ショーナ。……あら!」
「……っ!! いやっ……! これは……その……!」
「あらあら。……やっぱり、寝る前にオバケの話は良くなかったですね」
「そ……それはっ……!」
そう言うと、ショーナの横から顔を擦り合わせたエイラ。ショーナは顔を赤くして目を逸らす。
「フフ……。大丈夫ですよ、ショーナ。これは水です」
「いや……だって……、オネショは水で…………んっ!?」
「フフ……。そうですよ、ショーナ。これはただの水です」
動揺して全く考えが及ばなかったが、昨朝と同じやり取りで、ふと思い出したショーナ。
(や……やられたっ……!)
彼は右手で顔を押さえると、大きくため息を吐いた。そのため息は、エイラへの呆れというよりも、安堵の意味合いが強かった。
「フフ……、驚きました?」
昨朝と同じ様に、満面の笑みで無邪気に笑うエイラ。そんな彼女を見て、ショーナは昨日の事を振り返っていた。
(母さんが何かを隠しているのは間違い無いけど……、それは多分、後ろめたいからじゃないんだろうな……。我が子にこんなイタズラを、それも二日連続で仕掛けて、こんなにも無邪気に笑っているんだし……)
そう感じた彼は、幼い頃にフォーロから言われた言葉を思い出しながら、エイラに話し掛けた。
「母さん」
「フフ……、何ですか?」
「母さんが何かを隠しているのは……、やましいからじゃなくて、今は言えないから……だよね?」
「…………」
「前、書庫長に言われた事があって……。その時は『他にも知らなくてはならない事がある』って、教えてもらえなかった事があった。だから……」
ショーナが言葉を言い切る前に、エイラは目を閉じて顔を擦り合わせた。
「ショーナ。あなたは……本当に賢いですね……」
「母さん……」
「賢く育ってくれて、母さん嬉しいですよ……」
エイラは目を閉じて顔を擦り合わせていたが、その擦り合わせた反対側の目からは、光る物がこぼれ落ちていた。




