幕降りて、再度ベルは鳴る3 【本編完】
***********
鬼畜悪魔大佐の未曾有の爆笑が執務室に轟いてから数刻。
世界の終わりだと泣き叫ぶ下士官たちの声が届かない執務室で、アルバートは淡々と仕事を再開していた。
それにしても、部屋から出ていくときのあの捨て台詞は録音でもしておけばよかったほど秀逸だった。
アッシュブラウンの柔らかい髪色の娘は、真っ赤に顔を染め上げて「もう二度と、お会いしたくありません!ごきげんよう!」と憤懣やるかたなしという様相で出て行ってしまった。
思い出すたびに、何とも面白い。
面映ゆげに口元に手を当てて、喉の奥でクツクツと笑う。
こんなに笑ったのはおそらく、生まれて初めてのことだろう。
目を閉じれば、瞼の裏に鮮やかに蘇る、強い意思を秘めたまっすぐな灰緑の瞳。
紅潮した頬にかすかに残る、横に走る赤い線は、奇しくも自分が放った銃弾の一発が、標的に命中する前に彼女の頬をかすめたものだった。
アルバートは上着の内ポケットから小さな鍵を一つ取り出すと、手慣れた仕草で鍵穴に差し込む。
カチン、という音が鳴り、開けば、返す機会を失ったまま転がっている鮮やかな緑色の耳飾りが転がっている。
指先でそっと掴んで手のひらに乗せれば、細やかな輝きの中に鮮やかで強い光が目を刺激する。単に明るい緑というだけでなく、遠目からでもくっきりわかるほどの強さを持つ光。
アルバートはしばらく無言で眺めると、引き出しに戻し、軽く目を瞑る。
『もう二度と関わりたくないわ、あんな人!謝罪のひと言もないなんて信じられない!!』
廊下から室内にはっきり聞こえるほど、令嬢らしくない声色を響かせた姿が何とも面白くて、もう少し遊んでやればよかったと少しばかり後悔している。
謝罪の代わりの詫びの品を、彼女が後生大事にしている本の中に忍ばせたのだが――。
「反応が見れなくて残念だな」
「大佐、失礼します」
ノックと共に、メイノワールが入室する。
アルバートは現実(仕事)に意識を引き戻した。
***********
領地に向かう馬車の中は最悪だった。
気分が、と言えば気分なのだが、感情的には「せいせいする」という気持ちがありながらも、馬車の揺れは最悪で、どうしようもなく「気分が最悪」という表現になってしまう。
相変わらず酔い止めは気休め程度以下にしか効かない。
これはもう領地に帰ったら本格的に「おいしくいただける酔い止め薬」の開発に注力しなければ、と思っていると向かいの座席の小窓から、ステファンとやり取りをしていたリタと目が合った。
「お嬢様が元気になられて、本当によかったです」
心から安堵した表情のリタに、アルヴィスは何とか体を引き起こしてしっかりと頷く。
ガタゴト、と馬車が大きく揺れ、うっかり膝の上に乗せていた植物図鑑が落ちそうになるのを片手で留める。すると、僅かに浮いた本の隙間からなにやら白い紙の端がひょっこり現れた。
訝しんで白い紙を引き抜くと、リタが「そうだ」と何か思い出したように手鞄を膝の上に乗せてパカッと開いた。その中から、小さな小瓶と手紙のようなものを差し出してくる。
「ルネカのシロップ?」
花の求婚のようなデザインのガラスの小瓶を受け取りながら、アルヴィスは目を剥いた。ラベルに「最高級」と記された黒地に金色のインクが眩く輝く。表記されている文字を読んでいくとウェルメル産の最高級品質の精製済みのルネカのシロップであることがわかる。
「ダスクモア社の最高級のシロップだなんて、なんて贅沢な。ねえリタ、これはいったい誰からもらったの?」
ウェルメルで採取されるルネカの中でも特別に稀少な樹齢50年以上の樹木からのみ採取される最高品質のシロップだ。未精製のものでも非常に甘く、雪解けの時期、山野を分け入って時間をかけて丁寧に採取する。一般的な流通はおろか、王族でさえも一年に一度口にできるかどうかというほどの超が付くほどの高級品。
門外不出のレシピによって採取後、ダスクモア社の特別な職人によって精製され、3年ほどの熟成期間を置く。戦禍によって一時その生産は中止されたというが、そもそも貴重すぎて本物を見るのはこれが初めてだ。
震える手で丁寧に受け取ると、リタは手紙を差し出しながら、何ということもないように答えた。
「グリムリッジ伯爵からです」
「へぇ。とっても素敵な贈り物ね。誕生日のプレゼントにおばあ様からアストレーネの種をいただいた時くらいの喜びよ」
しげしげと眺めながらコルクで封じられた小さな瓶の端々まで観察する。
ダークレッドの何とも甘くておいしそうな樹液がトロリと踊っているように見える。
手紙を片手で受け取りながら、お行儀が悪いですよ、と窘められるもどこ吹く風だ。あんなに気分が悪かったのに、そんなことも忘れてしまうほどはしゃいでいるのだという自負がある。
なお、エヴァンスからは当初の報酬であった古代薬草の種を無事に回収済である。一瞬だけ「軍の方に提出した方が」と言われたのだが、軽く威圧するとアリエンスが首を横に振って「坊っちゃん」を宥めていたのを思い出す。
そんなことより、「グリムリッジ」とリタは言っただろうか。
アルヴィスはリタに視線を向けると、今にも吹き出しそうな悪い顔をしている侍女がいる。両頬を栗鼠のように膨らませて、顔を真っ赤にして笑いをこらえている風でもある。
嫌な予感がして、アルヴィスは恐る恐る受け取った手紙に視線を下ろす。表書きも裏書も何もない。ただの白紙の手紙である。
小瓶と植物図鑑を膝の横に置いて、ごくり、と生唾を呑みこんでゆっくりと中から手紙を取り出す。
『君は意外と絵が下手だな』
ぽと、と指先からアルバートからの手紙が零れ落ちた。
リタが足元に落ちた紙を拾い上げるのと同時、鬼気迫る形相でアルヴィスは日記の中から取り出したメモ書きのような紙を引き出して、開き、視線を走らせる。
ウェルトバリカの種、とだけ記された小さな封筒。
「あの、クソ、男―――――――!!」
「淑女は、そんなこと、言いません!!」
絶叫するアルヴィスの声に被せるように、リタの声が澄み渡る空に響き渡った。
Fin
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
長らく本作を応援していただき
また最後までお読みいただき
誠にありがとうございました!
読んでくださった皆様のおかげで
こうして完結を迎えることができました。
荒い点や読みにくい点等
多々あったかと存じますが
本当に、ありがとうございました!
12/26より
新連載をスタートさせていただきました。
「骨董品鑑定士ハリエットと「呪い」の指輪」というタイトルです。
恋愛を主軸としたライトミステリーとなります。
星座で言うと「牡牛座」的な感じの明るく元気な主人公です。
もしよろしければ、是非ご覧いただけましたら幸いです♪




