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74.深淵から覗き返す瞳

 彼らが軽く挨拶を交わす様子を見ていると、ステファンがなにやら帽子を両手に抱えてソワソワとしている。


 薄い黄色の瞳が、状況を何とか把握しようとあちらこちらに飛び回っている。


 彼の祖父とそっくりな外見的特徴を持つ元部下の姿を目に止めて、アルバートはひとまずはと友人の方を見やった。


「何をしに来た。病気を移されてはかなわない。帰れ」


「そうだ帰れ!寝てろ!邪魔するな、この病原菌!」


「や―いやーい。病原菌だって。ぷふふ」


 セリウスが先日熱を出してエヴァンス邸でひっくり返った、という知らせは藍色の瞳の友人からすでに聞かされている。なんでも重要な話の最中に昏倒し、額を強打したと言っていたがと、場違いなほどの笑顔を振りまいている男の額に目をやれば、なるほど治療の痕がある。


 やや大きめのガーゼが額に張られており、ずいぶんと間抜けな姿だ。


 リチャードに額の状態を見せてほしいとと揶揄われ顔を赤く染め上げている様子がいかにも幼く、毒気を抜かれてしまう。


 やれやれ、と嘆息して手元の資料に目を落とせば、先日バルトレイが回収し、メイノワールが気になる点を書き出したものがあったと思い出し捲ってみる。


 数年間の間にフェリュイーヌ男爵から様々な理由を付けて公金が流出していた動かぬ証拠である。リストには彼が金を工面した人物の名前のリストや、彼を経て間接的に取引があった数十人の名前が記入されていた。


 フェリュイーヌ男爵は小賢しさばかりが目立つ小物の悪党ではあるが、慎重で時には狡猾で非常に用心深く、そしてまめだった。


 おかげで少しは楽ができそうだ、と思い至りながらリストの名前を見ていると、その中に見知った名前があることに気づいて指を止める。長らく泳がせてはいたが、最近その名前を聞かなくなったと思い至り、顔を上げる。


「バルトレイ。これは今、どこにいる?」


 全てが詳らかになる前に包囲網を敷けばどのような手段に出るかわからないため、放置していたのだが、目の前の忙しさにかまけてすっかりと失念していたのもまた事実である。


「ああ。はい。彼ですね。確認してまいります」


 バルトレイは部下を伴い、機敏に部屋を出ていく。


 落ち着いた緑色の瞳をした部下の中ではそこそこ使える下士官だったのだが、数年前。それこそ、フェリュイーヌ男爵が公金を横領し始めたのとほぼ同時期に、少しずつ変容していった。最初は小さな違和感だったのだが、違和感を確証が得られるまで追いかけながら観察していると、いつの間にかある程度の獲物になっているのに気づいた。


 今回はフェリュイーヌ男爵を餌にして、芋づる式に解決するはずだったのだが―――。


 ざわり、と何か不快な気分が競り上がり、アルバートは顔を上げた。


 いつの間にか椅子に座って資料を読み込んでいたセリウスが、こちらを驚いたように見、次いで震える声で尋ねた。


「なんてことだ。…信じられない。エイリックは、死んだのですか?それに、容疑者…どういうことです?エイリックはあの事件の犯人だったのですか?」


 そんな馬鹿なことがあるはずがないと、動揺にセリウスが顔を強張らせる。


 ヴァーレントゥーガは容疑者として死んだのか、と。


「知り合いなのか?」


 アルバートの問いかけに、セリウスは静かに頷いた。

 

 水色の相貌に悲哀を写し込んで震える指先で紙に記された名前を辿る。


「入隊時の同期で。仲間でした…。部隊が分かれて、彼はヴィクターの部下として彼の班に所属していたはずです。夜会であんなに、――っ」


 同期全員でヴィクターを祝おうと仲間で言っていたのに。


 ふざけながら酒を飲みかわし、客たちの見送りに行ってくるとイヴリンと手を振って歩いていくヴィクターの背中に向けて、「特別なものを手に入れたから必ず戻って来いよ」とはしゃぐエイリックの姿が目の裏に浮かび上がる。


 その後、自分はアルヴィスと別れ、一度会場に戻った。すぐさま彼女から目を放したことをエヴァンスに見咎められ、彼と一緒に庭園に向かった。


「会場は爆発が。だとしたら、仲間は。あいつは――」


 その自分を引き留めた、《《緑の瞳の》》あの友人は無事だったのだろうか。


 アルヴィスと分かれる時に自分に声をかけて、会場に引き戻した彼は―――。


「アルバート」


 セリウスの瞳が動揺に揺れながら、アルバートの赤い瞳を射抜く。


「なんだ?」


 指先をコツコツと机の上で叩いて何かを待っている風のアルバートは、いつにも増してどこか不機嫌で、焦っている気がする。


「オースティン。オースティン・ゼファラムは無事ですか?」


「―――なに?」


 凍り付くように動きを止めたアルバートは、信じられない名前を聞いたとばかりに目を見開いた。


「閣下。失礼いたします」


 唐突に、退出していたはずのバルトレイが扉を押し開け足早に入出する。迷うことなくアルバートに近づくと、身を屈めて小声で耳打ちする。


「ゼファラムは体調不良を訴えて、午前中に帰宅したようです。自宅のある住所に連絡をやりましたが、応答がない為、現在部下が住所に向かっております。それから、気になる情報が。―――現在ラスフォード邸で警備にあたっていた者から、本部へ問い合わせの連絡が入っていたようで」


「なんだ。不審者でも捕まえたのか?」


 じろりと睨みつけるように問えば、バルトレイは怯むどころか一層表情を険しく曇らせた。


「レヴィーナ子爵が邸内に入りたいと許可を求めていたそうなのですが」


「例外なく、許可など認めない」


 それで終わりか、と懸案事項を再び浮上させ、思考を再開しようとした時だった。


「それが、―――ゼファラム少尉が許可をされたそうで、ご婦人二人を伴って邸内に入って行ったようなのです。その後、詳細を確かめるべく本部から再度連絡を入れたのですが、誰一人応答がないとのことで」


 息を呑んで顔を上げれば、バルトレイは何かに気づいたように素早く部屋を出、廊下向こうで何事か指示を飛ばし始めた。いつもは丁寧な口調の彼が、激を打つように大きな声を張り上げているのにセリウスも気づいて顔を上げる。


「どうしたんだ?」


 セリウスの緊張感の欠片もない声が耳を通り過ぎていく。


 アルバートはステファンに目をやった。


 彼はいったい、ここへ何をしに来たのだと視線を走らせる。


 エヴァンスの話では、彼女は今朝ほど王都を出立し、領地に向かったと聞いた。


 これ以上ここへ留まる必要がないように、セリウスのブローチも、―――一応は首飾りも解決させたはずだ。コートも返さなくていいと念を押した。


 彼女がいると、余計なことまで気にかかって、邪魔だったからだ。


 予想外のことでこれ以上掻きまわされるのが耐えがたくて、最も効率的で早い解決方法を模索し、選択した。それだけなのに。


 立ち尽くすステファンに近寄れば、彼の表情が困惑へと変わる。


「《《お前は》》、《《ここに》》、《《何をしにきた》》」


「お嬢様の、植物図鑑を…」


 取りに来たのだと、小さな声で答える。


 ステファンは青ざめていた。手にしていた帽子を床にぽとりと落とし、ひるがえって部屋から飛び出そうとするのをアルバートが手を伸ばして留める。


 重要なことをまだ聞いていない。


「―――、は」


 彼女は、と言ったのか。


 アルヴィスは、と尋ねたのか。


 続けて途切れた言葉の真意を把握して、ステファンの相貌が見開かれる。


「ラスフォード邸に」


「―――あのッ、馬鹿!!」


 明らかな怒りだと自覚するまでもなかった。


 腹立たしさと焦りで眩暈がする。


 気が付けば、アルバートは会議室を飛び出していた。


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