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64.右か左か(エヴァンス視点)

***********



 中央司令部の拠点である本部棟は堅牢な造りと無機質な装飾が特徴だ。


 エヴァンスは中庭を通り抜け、建物の内部へと足を踏み入れた。


 建物の内装は外観同様に威圧感があり、冷たいのっぺりとした壁と床が整然と続いている。天井からは電灯が吊るされ、柔らかくも白みがかった光が廊下を満たしていた。その光は、壁の陰影を浮かび上がらせ、厳格な空気をさらに強調している。


 たびたび通りすがりに、足を止めて敬礼する士官たちに、エヴァンスは片手を軽く上げて応えた。廊下をしばらく進んでいくと、遠くから女性の甲高い声が反響して聞こえてきた。


 何と言っているのかは判然としないが、随分興奮しているのがなんとなく窺える。


「なんだ?」


 訝しんで同じように廊下向こうに視線を向けている士官たちの身体越しに目線を走らせると、髪の毛を振り乱した女が暴れまわり、数人がかりで押さえつけられ、引きずられる格好で通路の向こう側に消えていく様子が目に入った。


「大変だなぁ」


 あれほどまでに感情が乱れている淑女の姿を見る機会は少ない。


 本部棟の取調室がある方向を見やりながら、人ごとのように呟く。


 主に内々に処理したい事案の際、()()部屋が使われることを思い出し、エヴァンスは少しばかり彼女に同情した。


「アストラヴェル中佐」


 ふいに声がかかり、エヴァンスは驚いて振り返った。


「メイノワール少尉、っと。今は―――、中尉か。出世したな」


「お目にかかれて光栄です」


 ふわふわの綿菓子のような金髪に紫水晶の瞳のメイノワールがくしゃっと顔を子供のように歪めて、混じりけのない喜色を浮かべる。丁寧に敬礼する様子に、慌てて昔のように返礼しそうになってエヴァンスは苦笑しながら力なく手を下ろし、片手を差し出した。


 メイノワールは何かに気づいたように同じく苦笑して、手袋を嵌めた右手で固く握り交わす。


「お噂はかねがね。退役後、街で診療所を開設されたと伺っておりました」


「現在も、目下のところ運用中だ。……で、アレはどうした?随分騒がしいようだが」


 視線を騒々しさが増す通路方向に向ければ、金切り声を上げながら逃走を図ろうとする女が引き倒され、喚き散らしながら床の上で暴れている様子が目に入る。


 エヴァンスの指先を追うようにしてゆっくりと半身を振り向かせたメイノワールの完璧な美貌がピシリと音を立てて固まった。


 絶対零度の微笑が微動だにしないまま凍り付く。


「―――お前たち」


 ヒッ、と鋭く小さな悲鳴を上げたのは、彼の背後に控えていた下士官たちだ。


 メイノワールはエヴァンスに背を向けて彼らの方を振り向くと、とても小さな声で何かを言い付ける。すれば、エヴァンスに軽めの敬礼を送りながらあっという間に乱闘の中心に突入していった。


「女性も結構な力があるんだなぁ」


「アレは()()()()()()ですので」


 しみじみと呟けば、バッサリと切り捨てられ、エヴァンスはおやと肩眉を上げた。


「名残惜しいですが、自分は仕事がありますのでこれで。またじっくりお話を聞かせてください」


 では、と短く言い残し去っていこうとする背中に、思い出したように声をかける。


「メイノワール」


「はい?」


「―――第三会議室はどこだっけ?」


 一瞬、酢を飲んだように目を丸くさせた青年は、ややあって苦笑するとエヴァンスが向かおうとしていた場所の逆方向を指差した。


「右の通路の突き当りです。中佐の方向音痴は相変わらずですね」」


「からかうな」


 機嫌よさげに笑って、メイノワールは足早に乱闘が落ち着きつつある通路の奥へ向かっていく。途中、鋼のように固い声が響いたが、彼の言葉を捕らえることはできなかった。


 その背中を見送って、エヴァンスは今度こそは間違えないように、慎重に通路をよく確認しながら再び足を進めた。


いつもありがとうございます。

くもいです。


12/26より

新連載をスタートさせていただきました。

「骨董品鑑定士ハリエットと「呪い」の指輪」というタイトルです。

恋愛を主軸としたライトミステリーとなります。

星座で言うと「牡牛座」的な感じの明るく元気な主人公です。

もしよろしければ、是非ご覧いただけましたら幸いです♪

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