62.断罪(ヴァネッサ視点)
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フェリュイーヌ男爵家は、豪奢と言えば聞こえは良いが、実際は高価そうな調度品をただ意味もなく並べただけの趣味の悪さを凝縮したような小さな博物館のような空間だった。
深紅と金の刺繍が施された分厚い絨毯は、足を踏み入れるたびに沈み込むほどの高級品だが、壁に貼られた派手な花柄の壁紙との取り合わせは悪く、まるで絨毯と壁紙が互いに主張し合って喧嘩しているようだった。
玄関ホールの中央には、黄金の装飾をこれでもかと施した彫刻付きのテーブルが鎮座している。吹き抜けになっているホールの天井には、大きすぎておさまりの悪い派手なだけのシャンデリアがぶら下がっていて、どこか安っぽさを感じさせる雰囲気を醸し出していた。
屋敷全体がそんな調子で、「とにかく高そうなものを片っ端から詰め込めばいい」という考えが透けて見える。
そんな屋敷の部屋の一角で、ヴァネッサの父、フェリュイーヌ男爵が怒鳴り声をあげていた。
深紅の絨毯を踏み荒らすようにしてぐるぐると落ち着きなく歩き回るその姿は、冷静さを完全に失っており、威厳ある紳士然とした佇まいは跡形もない。
男爵夫人は心配そうにその様子を見守っていたが、夫のあまりの剣幕に声をかけることもできず、ただオロオロと視線を彷徨わせるばかりだった。
そのとき、外から帰宅したヴァネッサが異変に気付いた。玄関を通り抜けるやいなや父の怒号が耳に飛び込み、目の前に広がる異様な光景に思わず足を止めた。
「お父様は一体どうなさったの?」
玄関を開けた家令に尋ねれば、それが、といったきり口ごもるばかり。
異常な事態だ、ということはわかるものの、一体全体どうしたのかまるきり見当もつかない。
「お父様?」
心配そうに声をかけながら近づくと、父の口から思いがけない言葉が飛び出した。
「大切なものを探しているんだ!」
「ひっ」
「あなた。ヴァネッサが怖がっているじゃぁありませんか。そんなに怒鳴らないでくださいな」
父に大きな声で叱責されたことは生まれて一度もない。
それだけに、父の身にいったい何が起きているのかとヴァネッサは自分の身に起きた「不可解で受け入れがたいこと」もすっかり忘れて、その姿を遠巻きに眺めるしかできない。
「ごめんなさいね、ヴァネッサ。お父様、ちょっと混乱していらっしゃるみたいなの」
面長の顔に浮かぶヴァネッサと同じ瞳を糸のように細くして、母はヴァネッサの腕をそっと撫でた。
「帰るや否や、ずっとそう。何かを探し回っていらっしゃるのだけれど、それが何か一言もおっしゃらないから、私もどうお手伝いしていいか」
その瞬間、ヴァネッサの顔から血の気が引いた。まさか泥棒でも入ったのだろうか。
そう思い、胸の内に不安を抱きながら慎重に尋ねる。
「お母さま、泥棒が入ったの?」
しかし、返ってきたのはさらに予想外の反応だった。
「違う!警察なんかに言うな!家のどこかにあるはずだ、絶対に!」
父はヴァネッサではなく、警察に相談した方がいいと声をかけた家令を怒鳴り散らしていた。
まるで自分に向けられた言葉のように、かつてない大声に体が震える。
けれど父は、こちらを気遣う余裕がないようで、使用人に命じてヴァネッサと母が立ち尽くす廊下と、父の執務室の扉を閉めるように指図しただけだった。
「お前まで余計なことを言うな!」
びりびりと怒りを含んだ声が空気を振動させてヴァネッサはすっかり母と一緒にすくみ上ってしまった。
あのいつもは温厚で穏やかで、妻と娘をこれでもかというほど溺愛している父はいったいどうしてしまったのだろう、と顔を見合わせた時だった。
背後の玄関の方から、慌ただしく怒鳴り声ほどではないが、大きな物音や声がし始めたのに気づき、ヴァネッサは母の両肩をさするようにしながら振り返った。
「お待ちください!旦那様は今取り込み中でして」
「問題ありませんヨ。用があるのは彼だけではありませんからネッ」
抜けるように明るく、拍子抜けするほど軽快な男の声が耳に届いた。
いったい誰が来たのだろうと、ヴァネッサは扉の陰からそっと玄関の方を見守る使用人を押し抜けるようにして視線を彷徨わせる。
そこには―――。
「あっ。使用人の皆さんは、申し訳ありませんがおひとり残らず外に出ていただけますか?部下が名簿のリストをおつくりしますので。それから、そこの君。今日非番の使用人がいたら使いを寄越して邸迄可及的速やかに来るように伝えてくれないか?」
ふわふわと動く度に揺れるやわらかい金髪と紫の瞳が印象的な青年が立っていた。
まるで新しいオモチャでも見つけたかのように、目を輝かせテキパキと何事か指示をしている。肌は白磁のようでとても美しく、意外に上背がありすっきりと均整の取れた体躯をしている。
(あれくらいの見目の男性でしたら。お相手に選んであげても見劣りしないわね)
部下を持ち、指示を出しているということはそれなりの身分の男性なのだろう。
ヴァネッサは誘われるように、ホールに足を進め、侍女が止めるのも聞かずに悠然と右手を差し出した。
「ごきげんよう。当家に何の御用かしら?」
声をかければ、左の絵画を取り外すように指図していた青年が、やや驚いたようにヴァネッサを見た。
(ほぉらね。私ほどの美貌があれば、こんな男)
「どうも。ヴァネッサ嬢ですね」
えーと、どこだったかなー、と気の抜けた声で青年は手に幾枚も持っていた紙の束を白い手袋を嵌めた手で捲っていく。
貴族令嬢への挨拶を無視され、差し出した右手が居場所を求めて虚空を彷徨う。
あまりの対応に、二の口が告げず、ヴァネッサは唇をうっすらと開けたまま、目を見開いた。
「あー。あったあった。えーと。ヴァネッサ、マーガレット、モリ…長い名前だな、クソ。あ、失礼しましタ。ヴァネッサ・フェリュイーヌ男爵令嬢ですね?」
何か聞いたことのないスラングが耳を駆け抜けていったが、気のせいだろう。
玄関からいつの間にかたくさんの軍人たちが部屋の中に入り込み、軍靴で家の中を荒らすように動き回っていたのだが、ヴァネッサは状況に全く追いつけず、呆けたまま青年の顔を凝視した。
「あなたにも逮捕状が出ています。こちらが逮捕状で、うちの上司の署名と捺印があります。ご同行、願いマース」
「は?」




