61.帰路の中で
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気を付けて帰るんだぞ、とエヴァンス達に送り出され、アルヴィスとリタ、ステファンは領地に向かう馬車に乗っていた。
次第に遠ざかっていく建物だらけの灰色の街を見つめながら、早速の乗り物酔いで、アルヴィスの顔色は悪い。
中心部を離れる馬車の揺れは、最初のうちはまだ耐えられるものだった。
アルヴィス達が滞在していた中心街にほど近い宿屋通りが面する道はきちんと舗装され、整然と区画されていた。道幅も広く、馬車や車両が行き交う方向も規則的だ。
途中凸凹とした道はあったが、それも一瞬のことで、天井をぶつけるほどの大きな揺れはない。
しかし、そこから少し離れ、中心を離れれば離れるほど道はだんだんと石畳から、土、砂利などが多く混ざる平坦でない地面となる。
「うっ」
ひとたび大きく揺れ、青い顔をしたアルヴィスは思わず口元を抑えた。
酔い止めの薬を馬車に乗る前に飲んできたのに、全く効かないどころか冷や汗まで出てくる始末だ。
「やはり、もう一日休ませていただいた方がよかったのではないですか?」
いつも以上にひどい主の様子を見かねたリタが、心配そうに顔を覗き込んでくる。
「目を閉じて眠っていれば、大丈夫よ…」
くったりと背中を預けて目を閉じて浅めの息をすれば、リタは呆れたように嘆息した。
「まったく。強情なのは大奥様にそっくりですわ。ステファンに言って薬湯を取ってもらうように言いましょうか?」
出立の前にエヴァンスが用意してくれた「お土産」の中に、薬湯の入った水筒があった。その水筒は内側が二重構造になっていて、冷たいものを冷たいままに、温かいものを温かいまま長時間保つことできる優れた道具だった。
「―――苦いから、その」
言い訳をしようとしたアルヴィスに、リタはさっと片手を振って言い返す。
「苦いから飲まないとかわがままはおっしゃらないでくださいな。シロップを分けた瓶がありますから、薬湯を飲めたら、シロップをご褒美に差し上げますからね」
薬が嫌だと駄々をこねる子供に言い聞かせるような口ぶりで、リタは困ったように頬に片手を当てた。
(うう。苦手なのに)
ステファンから薬湯入りの水筒を受け取ったリタからさらに受け取って、蓋を開けて、何とも言えないツンとした匂いに苦さを予測し、一気に飲み干す。
一瞬は何ともない温かい湯のようだったが、青臭さの中に何とも我慢できないような苦みが猛烈に口の中一杯に走り、涙が零れそうになる。
領地に戻ったら、子供でも飲みやすいように甘い酔い止めを研究しようと、堅く心に誓う。
全てのみ干して、「ご褒美」にリタからシロップ入りの小瓶をもらい受けると、少しだけ飲んで、残りは蓋をして手鞄に入れておく。
「あ、お嬢様。お返しください」
「飲み干したりしないから大丈夫よ、リタ」
淡く微笑むアルヴィスの表情は薬湯を飲んでもなかなかすぐには回復しないようで、リタが心配して指先を握ればびっくりするほど冷たくなっていた。
「やはりお嬢様。一度戻って、しっかりお休みになってから領地に戻りましょう」
「私は大丈夫よ。ありがとう、リタ。―――それにしても、セリウスさんのところに無事にブローチが戻ったと聞いて安心したわ」
「お嬢様、話題の転換について、領地に戻ったら再度お勉強が必要ですよ」
じろりと睨みつけられてアルヴィスは灰緑の相貌を困ったように細める。
リタは肩を落としながら頷いた。
(お嬢様が気がかりにしていらした、ヘイウッド伯爵のブローチはちゃんと戻ったとエヴァンス様が教えてくださったし。最も頭を悩ませていらっしゃったペリドットの耳飾りのことも解決したようだし。これでよかったのよね)
あんな高価なものをいったいどうやって弁償すればいいのかと、青い顔を通り越して白い顔になっていたあの時のアルヴィスの顔を思い出して、リタはふふ、と自然な笑みをこぼしていた。
「ねぇ。リタ」
唐突に名前を呼ばれ、記憶から引き戻されたリタはお嬢様を見た。
「はい?」
「お願いがあるのだけれど」
アルヴィスの視線に捉えられ、少し戸惑いながら答える。
その瞳に、強い意志と覚悟がにじんでいるのを感じ、なんとなく嫌な予感がして、リタの心の中にわずかな違和感が広がる。
「お願い、ですか?」
アルヴィスは短く頷き、真剣そのものの表情で言葉を続ける。
「―――ラスフォード男爵のタウンハウスに向かって欲しいの」




