60.鬼畜悪魔大佐と緑の耳飾り
鬼畜大佐は一瞬何のことだかわからないというように眉間にしわを寄せた。
が、ややあって思い出したとばかりに、形の良い顎先に手を当てて首を傾げた。
「そんな約束をした覚えはないが?」
視線を逸らすこともなく、平然と返す。
「……え?」
「捜査が終わったら、そうだな。三日ほどまとまった休暇をくれてやると言った覚えはあるが、謝罪の約束をした覚えはない。だいたい、誰に対して何の謝罪をすべきなのか聞いていない」
スティーブンの体が崩れ落ちた。
手帳を抱え込んで爆笑している金髪頭の上司が恨めしい。
「少尉、大丈夫ですか?甘いものでもどうぞ」
差し出されたトレーの上には、クリームたっぷりの数種類の果実のケーキと湯気の立つ紅茶が乗っている。
「……え?」
「バルトレイ少尉は甘党ですからね。これでも食べて元気出してください」
「妻のカサンドラが少尉への日頃のお礼もかねて、昼頃持ってきてくれたんです」
「紅茶も体があったまりますよ。いつも通りたっぷり砂糖を入れています」
「あのお嬢さんには悪いことをしてしまったのを、俺たちもずっと気に病んでいたんです」
謝る時は一緒です、と励まされスティーブンはたまらず大きな体を震わせて泣き出してしまった。
しばらくして、部下たちの献身のおかげでようやく落ち着きを取り戻したスティーブン・バルトレイ少尉は、深く息を吐いてから、穏やかな口調で食器を片付けていた部下に声をかけた。
「申し訳ないんだけど、あれを持ってきてくれるかい?」
礼儀正しくお願いすると、部下はすぐに部屋を出ていき間もなく戻ってきた。その手には、やや大きめの箱と美しい装飾が施された葉を模した青いサファイアのブローチが載った小さなトレイがあった。
スティーブンは慎重にトレイを受け取り、ブローチを手に取る。小粒のサファイアだが、一粒一粒に丁寧で美しいカットが施され、光が当たると眩く輝いていた。
「良く見つけてくれたね。これはどこにあったんだい?」
「噴水の近くに落ちていました。昨日の騒動の際に落とされたのではないかと」
そう報告する部下に頷き、スティーブンはアルバートへ目を向ける。
上司はブローチを一瞥し、わずかに眉を動かした後、短く指示を出した。
「それはヘイウッド伯爵に返却しておけ」
「かしこまりました」
傍に立つ部下が応じると、スティーブンはブローチをトレイの上にちょこっと乗せてから今度は箱を受け取って開き、中に収められたペリドットのパリュールを確認した。
パリュールの中には耳飾りが片方だけ足りていなかった。
「庭園や邸内部、回収した遺留品を隅々まで探しましたが、ペリドットの耳飾りは見つかりませんでした。どうやら、あの騒動の中で完全に行方不明になったようです」
立ち上がってから、箱を開けたままの状態でそれをアルバートへ差し出す。
スティーブンから受け取って、一瞥をくれるとさっさと蓋を閉じ机の上に置いて嘆息する。
「レイベック通りのティアーズを尋ねましたが、そちらの宝飾品は間違いなく、その店の貸与品のようです。念のため、契約時の書類の控えを預かってまいりました」
きびきびと手際よく動くスティーブンと同様に優秀な部下の様子に満足し、アルバートは自分の机の引き出しをちらりと見た後、すぐに視線を元に戻し一つ頷く。
「商品代に補償金の二倍を上乗せして買い取れ。ただし、他言無用だと根回しを忘れるな。予備費の調整はメイノワールに確認しろ」
「はい」
「それから、首飾りの方だが…。明日の午前中にエヴァンスが来る予定があるのでその時に渡す。念のため、―――耳飾りの片方が紛失したこと。それから、軍の予備費で補償を行ったことを先に伝えておけ。ヘイウッド伯爵のブローチはこの後すぐに返しに行ってこい。それまで余計な問題が起きないようにしておけ。以上だ」
「了解しました」
成り行きを見守っていたメイノワールは、何か含みのある意地の悪い笑みを浮かべながらそわそわとした落ち着きのない様子でグリムリッジ大佐に話しかける。
人懐っこい紫水晶の瞳が猫のように煌めいた。
「あっ、ねぇ、大佐。ちょっといいですか?」
軽快な口調でにこやかに話しかけてくる副官に、鬼畜大佐の機嫌があからさまに急降下した。体感で確実に十度は下がったと、スティーブンをはじめとして誰もが思ったが、怖くて誰もそのことに言及できない。
ただこれ以上、上官の機嫌を損ねた挙句のとばっちりは御免だとばかりに、そろり、そろりとドアの方に気配を消しながら後退し始める。
「アストラヴェル侯爵の緑の耳飾り。すんっごく興味があるんですよね。僕も見てもいいですか?」
トン、とグリムリッジ大佐の人差し指が、ペリドットの首飾りが入っている箱の上に落ちた。
凄絶な微笑みを浮かべて無言で拒否の姿勢を貫いた上司の姿に、スティーブンの部下たちは彼を捨て置いて我先にと脱兎のごとく部屋を飛び出した。




