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54.大きな子供

 エヴァンスの好意で、一晩だけ客室を借りることになった。


 夕食を軽く済ませた後、用意されたナイトドレスに着替えると、柔らかく肌触りの良い上質なシルクに慣れない肌がくすぐったさを覚える。


 リタはかわいいと褒めていたが、自分なら絶対に選ばないデザインである。


 繊細なレースが、袖口や裾にあしらわれていて品の良さを感じさせる。エヴァンスはこうした細やかな気配りができる性格ではないので、アリエンスあたりが手配したのかと思ったのだが、どうやら違ったらしい。


 一緒に届けられた手紙で送り主を確認すれば、エヴァンスの婚約者である「白の君」であることがわかった。心配をかけたことへの謝罪を含めたお礼の手紙を書くと、贈り物を届けてくれたステファンに託した。


 アルヴィスが留置されたという知らせを受けてブランシュはかんかんだったようで、あらゆる手を使ってできうる限りの最大の圧力をかけたのだとアリエンスがステファンを通じて教えてくれた。


 遊学中の隣国の公女がそんなことをしてはまずいのではないかと思ったが、どうやら「絶対に表沙汰にならない非合法的な方法」だったと聞かされ、血の気が引く思いがしたのは確かである。権力と財力を持った人間の恐ろしさを垣間見た気がした。


「お嬢様、こちらへ」


 リタは部屋の窓際にあるドレッサーの椅子を手前に引いて座るように促した。


 彼女はこれから明日、領地に帰るための段取りをステファンとするために、まだ仕事着のままだ。


 自分だけ先に休むのは気が咎めて、簡単な荷造りなら手伝うと申し出たのだが。


「お嬢様は体調を万全に整えていただかないと」と、リタは頑として首を縦に振ろうとしなかった。さらに渋る自分の顔を覗き込んで「じゃないと明日からの馬車の中で大変な思いをすることになりますよ」と、エヴァンスから処方されたシロップ入りの薬の瓶を取り出して脅しをかけてくる始末である。


 領地であるファロンヴェイルは王都から馬車で三日の距離にある。


 長距離の移動になるので途中街々に寄りながら休み休み領地への道を辿っていく。道中でその地域でしか取れない薬草や、その街でしか取り扱いのない植物の種を手に入れるのも楽しみの一つである。帰る頃には荷物でいっぱいになってしまうので、マリーにはいつも小言を言われがちだ。


(帰る時にはマリーへのお土産も買わないと)


 そもそも、アルヴィスが王都に来たのはエヴァンスの診療所へ試薬を届けるためと、ルネカを買い付けるためだった。


(薬草園の管理者なのに、薬が苦手なんて)


 リタがエヴァンス達の前で暴露した時は顔から火が出るかと思った。


 一生記憶の奥底に埋めて、二度と掘り返さないようにしたい。


(しかも、乗り物酔いが酷すぎて、酔い止めの薬を飲むためにシロップが必要なんて本末転倒だわ)


 シロップの入ったスプーンを片手にずずいと体を寄せてくるリタに、たじたじになりながらアルヴィスは反論すらできず渋々応じる。


「もう子供じゃないのだけど…」


 小さな頃のように口の中に薬入りのシロップを含ませようとする侍女に、胡乱気な瞳を投げれば、焦げ茶色の瞳が不気味に煌めく。


「小さい頃はお薬を飲みたくないと、部屋の隅や寝台の下、おもちゃ箱の奥や衣装ダンスの奥に隠しておいででしたものね」


 ウフフと微笑む侍女の笑顔が怖い。


 甘いシロップに入った蜂蜜色のスプーンを受け取って飲み干し終わると、リタは非常に満足そうにうなずいた。


「おりこうさんですね。さあ、もう夜も遅いですから、仕上げてしまいましょう」


「ハイ……」


 肩を落としてアルヴィスは椅子に腰を掛ける。


 うなじに少し冷たいリタの指先が当たり、丁寧に梳られていく。


 髪を丁寧に梳くブラシのリズムは一定で、力加減もいつもと同じだ。


 やはりまだ体は休息を必要としているようで、気持ちよさと同時に眠気が襲い始める。


 うとうとと瞳を閉じてリタが髪をとかし終わるのを待っていた時だった。


「―――お嬢様、本当にこれでよろしいのですか?」


 唐突に、浮かない顔をしたリタが鏡越しに問いかけてきた。


 不安そうな表情とは裏腹に、瞳の奥には何かを探るようなそんな印象を受ける光が浮かんでいる。


「リタは不満?」


 少し揶揄うように尋ねれば、リタは難しそうな顔をして何かを言いかけ、けれど結局口をつぐんで曖昧に首を横に振った。


「お嬢様がこうして戻ってきてくださっただけで十分です」


 十分とは言いながらも不満を滲ませている表情に、アルヴィスは少し意外とばかりに目を見開いた。


「どうしたの?」


 いつもは勝手に行動する度に「淑女は、そんなことを、しません!」と雷を落とすくせに。


 振り返るように顔を向けようとすると、リタの指先がアルヴィスのこめかみに移動し、まっすぐ鏡の方を向かせた。


「なんだか、嫌な事件です」


 でした、と完了系で口にしないのは、この事件が現在もなお進行中であると彼女自身感じているからだろう。


「犯人も、目的もわかりませんし、お嬢様が罪を着せられそうになった理由も不明のまま……」


「そうね」


 結局今に至るまで、なぜ自分が釈放されたのかに関して誰からも何の説明もない。エヴァンスにそれとなく聞いてみようとしたのだが、夕食の際の彼はどこかその話題を避けているようでもあった。


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