52.油 (アルバート視点)
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アルバートは机に山積みされた書類を前に椅子に深く腰掛け、机の上で手を組んで無表情で部下の報告を聞いていた。オイルランプの揺らぐ炎に照らされて赤い瞳が朱金に輝いている。
「―――現在、軍病院で収監中の容疑者の男ですが、全身の約六割に火傷を負っており、そのうちの一部は真皮層に達しています。先日ショック状態から回復しましたが、容体は依然として安定せず、意識不明のままです。無菌室で監視を強化しながら治療を続けさせておりますが、生命予後については楽観視できないと医師が申しております」
アルバートは一つ頷き、ペンを指先で弄びながら続きを促す。
「加えて呼吸を確保するために気道切開をしております。仮に意識が戻って容体が安定しても、すぐの聴取は難しいかと」
耳が聞こえ、目が見えるのであれば言葉を介さない聴取の方法も考えたが、あまり現実的ではなさそうだと結論付ける。
「身元の確認は取れたのか」
質問ではなく確認。
鋭く走らせた瞳には剣呑な光が浮かんでいる。
下士官が手元の用紙に紫色の視線を落としわずかに沈黙すると、アルバートは眉間に微かにしわを寄せて書類を一枚とり、目を走らせていく。
「ラスフォード家の執事に出席者の名簿を提出させ、割り出しを急がせろ。明日の昼までに」
「はっ」
「帰宅した中軽症者全員の動向を人を使って監視させろ。王都から出すな」
「重傷者についてはどうします?」
「……そうだな。家の者に聴取を行い、直近一ヶ月以内で不審な点がなかったか調べておけ。交友関係のリストを調べればわかることがあるかもしれん」
男が誰かわかれば、その周囲の人間、容疑者との関係性、現場の状況がより鮮明になる。
動機の直接的な解明にはならないかもしれないが、何らかの手掛かりになると踏んで指示を出す。
それに杞憂に終わっても「後々使える情報になる」可能性は十分ある。
そこでふと、アルバートは視線を僅かばかり上げ、退出せず待機したままの部下に口を開く。
「例の件の進捗状況は」
男は待っていたとばかりに目をわずかに開き、次いで薄く笑うと低い声で答えた。
「ほぼ九割完了しております」
感情を極力抑えた平坦な言葉が部屋に静かに響く。
「確証が取れるまで動くなと伝えておけ。――その他、真新しい情報は?」
「はい、男が使用したと見られる爆発物の一部を現場から回収しました。その破片に油状の物質が付着しており、現在その成分について詳細な分析を進めています」
油、と疑問符を浮かべながら僅かに身じろぎした上司に、頷いて手元の資料を差し出した。
片手で受け取って視線を走らせると、すぐにそれを戻す。
「……毒物との関連性は?」
「現時点では未確定です。可能性としては、可燃性を上げるため毒物を油に混ぜて使用したか、もしくは爆発物の構造上あらかじめ油が仕組まれていたかが考えられます。また、爆発によって油が副産物として生成された可能性も否定できません」
「どの種類の油だ」
「分析官によると植物性とのことでした」
「だとしたら、副産物として油が生成された可能性は低そうだな。爆発物の大きさを考えてみろ。服に忍ばせておくなら、大きなものは邪魔で目立つ。貴族連中は違和感には目ざといからな。怪しい行動をしていればすぐにわかるだろう。―――第一、爆発が起きれば基本的に油は燃焼する。少量であれば、火力にもよるが蒸発する。現場で回収可能だったことを考えると、油の中に毒物が混入していた可能性の方が高い」
「そうすると」
ふむ、と顎先を考え込むように触って下士官の男は何かを考える素振りを見せる。
「ナイトシェード、ではなさそうですね」
その単語にアルバートは不快感を隠そうともせずにペンを机の上に放り投げ、両手を組んだ。




