46.頭の中の図書館
気にかかったことをひとつずつ頭の中で箇条書きにしていく。
まず、爆発事件だと思っていたのに「毒物」事件と言っていたこと。
次にヴァネッサの態度に関するリーザス卿の反応。
(確かにヴァネッサのあの勢いにはびっくりしたけれど、穴がありすぎるわ)
リーザス自身の矛盾した言動も妙に引っかかる。
捜査に関わることは口にしないで欲しいとヴァネッサに言いながら、彼自身が「捜査内容にかかわる内容」を漏らしていたのも気がかりだ。
(ヴァネッサの父君は確か―――、財務管理官だったはず。軍と役所の間でお金のやり取りを調整する役目よね。お役人仕事だから外より内向きの仕事。―――というところを考えると、捕縛権を持つ現場の軍人と接する機会は少ないのではないかしら)
それに、あのヴァネッサが軍人と一緒にいるところを見て驚いたのは、自分だけではないはずだ。
彼女はマナースクール時代、自宅に訪れる侯爵や伯爵を得意げに語ることはあっても、平民出身者が多い軍人に関しては「粗野で野蛮人な人間」だと決めつけ、一方的に嫌っていた記憶がある。
ヴァネッサは自分のことを嫌っており、これまでにも様々な嫌がらせをしていたが、「自分を陥れるためだけ」に決して関わり合いになりたくなかったはずの人種――つまり、彼女が嫌悪してやまない軍人たちに近づくだろうか。
百歩譲って、自分を陥れ、惨めなさまを見るためだけにもし彼女が動いていたとしても、たかだか男爵令嬢の「頼み」でまっとうな軍人が捜査に同行させるようなことがあるだろうか。常識的な軍人ではありえないことだと考えると。
(何か特別な事情があるのかしら?)
そう思えばそう思うほど、ストン、と心の中に納まっていく。
この考えが正しければ、リーザス卿の不可解な行動のいくつかも納得できるような気がした。
(表向きには彼女を制止するようなことを言っていたけれど、実際には止める気なんてなかったような素振りもあったもの。本当に捜査の邪魔になると思っていたのなら、部下に命じれば済む話。それをしなかったのは、彼女の暴走がある意味「都合がよかった」とも解釈できる)
完成図が見えないパズルのピースを、一つずつ検分して当てはめているような心地に、アルヴィスはふうと疲れたように息を吐いた。
(まったく。途方もなくて嫌になってしまう)
そして、最も気がかりなのが「ナイトシェード」という言葉。
(ナイトシェード。いったい、どんな植物なの……)
アルヴィスは膝の上に置いている植物日記を見下ろした。
この図鑑の中には「ナイトシェード」という植物の名前は記されていない。
領地の屋敷で保管している過去五十年分の先祖の日記をはじめ、すべての書籍、さらに薬草学の学会で発表される最新の学術書の内容までも記憶している。しかし、その膨大な情報のどれを紐解いても、「ナイトシェード」という名前は一度も記されていなかった。
一度読んだ本の内容は決して忘れない。
それは奇妙で、どこか不気味な能力だったが、頭の中に存在する図書館の中にその言葉が存在しないことは明確だった。
(まるで、私に知られるのを避けているような)
リーザス卿はそれまでやりたい放題のヴァネッサを放置していたのに、「ナイトシェード」という言葉が出ると血相を変えた。彼の部下たちもそろってだ。
ヴァネッサの様子を注意深く観察すると、彼女はよくわかっていないという風だった。まるで言葉の意味にただ踊らされているような、そんな印象を受ける。
(気になるのはもう一つ)
―――あの匂い。
アルヴィスは夜会で嗅いだ不可解な香りを思い出していた。
爆発が起き、煙が生じた。
白煙に微かに混じる火薬とは別の香り。
それは火薬の匂いとは異なる、どこか重たく粘つく匂いだった。
処置にあたっている間も、症状が重い者の身体に特にまとわりつくように漂っていた。
記憶のどこかに似た香りがあったような。しかし明確には思い出せない。
(レーヴェフェロンの樹木を燃やした時に似た匂いに近い)
湿り気を帯びたような重い香りの中に、鋭く刺激的な成分が混ざっていた。
山間部の高い標高に生息するレーヴェフェロンという樹木には、その樹液を加工して医療品や靴底、ホースや車両のタイヤなどの生産に使われる特性があった。未加工の状態の白っぽい樹液はほぼ無臭だが、燃焼させると黒い煙とともに耐えがたいほどの悪臭を放つことで知られており、その悪臭に加えて有害な物質が発生することも知られている。
(その匂いに近いけれど、どちらかというと油のような…。それに、小規模の貴族の夜会にしては軍の対応が早すぎる気がするのよね。事実、警察の介入よりも先に、軍が現場を取り仕切っていたような気がするし。まるで会場の警備に紛れ込んでいたかのように。予め予期していたかのように―――)
そこまで思考を進めた時、部屋の扉がノックされる音がして、アルヴィスは思考を中断させた。




