40.青いブローチのケース
「あなたが馬車の手配に行っている間に、突然軍人たちが宿に押し入ってきたの。いかにも、初めから準備を整えていたかのようなやり方で」
リタの言葉は静かだが、滲む感情が鋭く胸に突き刺さるようだった。
「お嬢様は、何もおっしゃらなかったのか?」
その一言にこらえきれないとばかりにリタの感情が爆発した。
「もちろん反論なさったわ。当たり前でしょう!?お嬢様は冷静に、とても落ち着いていらっしゃったわ」
その声には、アルヴィスへの深い信頼と怒り、そして悔しさが滲んでいた。
「それなのに、どうして……」
ステファンの知る「お嬢様」はとても賢くいつでも冷静で客観的な判断ができる人物だ。
表向きは物静かで口数が少ないという印象だろう。
だが、リタやステファンをはじめとした内側の人間。屋敷や領地、薬草園に関わる人々や、アストラヴェル侯爵子息や一部のごくごく親しい友人と接する時には全く違った顔を見せる。
ただ黙って謂れのない罪を受け入れたり、不当な事柄に対して何もせず大人しく聞き入れるほどお優しい令嬢ではない。
「フェリュイーヌ男爵令嬢」
「は?」
どうしてここであのとんでもなく派手な外見の令嬢の名前が出て来るのかと、ステファンは声を裏返らせた。
「フェリュイーヌ男爵令嬢が突然現れて、お嬢様が薬草園で毒草を育てているだの、ナイトシェードがどうだの聞いたことのない薬草の名前を言い始めて、それで―――」
「ちょっと待ってくれ、ナイトシェード?」
感情の高ぶりそのままにさらに続けようとするリタの両肩をステファンが強く揺さぶるようにしたが、彼女は気にするそぶりもなくさらに続ける。
「爆発物にその毒物が紛れていたとか、それで、お嬢様が関与を疑われて」
「待ってくれ。どうしてお嬢様がナイトシェード―――、じゃなかった。昨夜の騒動の犯人になるんだ?現場にいたからか?おかしいだろう」
「お嬢様もそう仰ったわ。そもそも、そんな名前の植物を聞いたこともないし、何か爆発物を仕掛けるような暇もなかったと。でも、ファロンヴェイルの事業で毒草を育てていることは周知の事実だからと、そう言われたのよ。薬草園では毒草ももちろん育てている。……お嬢様は嘘がつけない方よ。あなたも知っているでしょう?」
ステファンが何か訝しがるように動きを止めた。眉間に深く皺を刻み、口元を覆って何か思案するように呟いている。
その様子が普段の彼にしては実に奇妙でリタは、探るように視線を走らせた。
「リタ……、お嬢様は、他に何か言っていなかったか?」
「他に?」
ステファンの声は冷静を保ちながらも、どこか急かすように響いた。
リタはその問いかけに、一瞬動きを止める。
彼の視線に気づいて、辿るように両手を見下ろすと、両手で握りっぱなしになっているあるものに気づいた。
「それは?」
ステファンに指差されて、リタはハタと気づく。
お嬢様から保管を命じられたヘイウッド伯爵の紺色のジュエリーケース。
あの場では、ブローチの紛失の件を既に伝えたと言っていたが、実際にはそのような事実はなかった。
お嬢様がきちんと指示を残していったのだと気づくのに、そう時間はかからなかった。
「ステファン」
彼女たちが尊敬する主の伝言をステファンに伝えると、彼は深く頷き、また普段通りの何を考えているかわからないぼんやりとした表情に戻った。
ただ、瞳には活路を見出したかのように喜色がともっていた。




