39.ステファン
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王都は夕日の沈む頃になると独特の静けさに包まれる。
暮れなずむ空は朱色から紫色へと移り変わり、やがて黒い帳が降りる準備を整え始めていた。
建物の間から見える空の隙間に、かろうじて最後の光が残っている。家々にはいくつかの煙突から薄く白い煙が上がり、街路には人影がまばらだった。
街灯がぼんやりと灯り始め、油の匂いが微かに漂う。だがその淡い明かりは、押し寄せてくる夜の闇には無力だとでも言うように、宿屋の周囲を覆う影を深くするばかりだった。
アルヴィスが軍用車両に乗せられ、宿を後にするのをリタは呆然と見送っていた。
ほどなくして、ヴァネッサが迎えの馬車に乗り込むため、上機嫌な様子で姿を現した。リタはその背中に思わず言葉を投げかけた。
「お嬢様を陥れることに成功して、そんなに嬉しいですか?」
ヴァネッサは歩みを止め振り返る。
「ファロンヴェイルは使用人のしつけもできないのかしら?」
不快さを隠そうともせず、声には容赦ない鋭さが滲んでいた。
ヴァネッサの侍女が一歩前に進み出て、リタを嘲り笑うように睨みつける。
「お嬢様に対して無礼な口をきくとはどういうつもり?」
「ユーディッシュ、行くわよ。わたくし早く戻って今日のガーデンパーティーをふいにしてしまったお詫びのお手紙を書かなければならないの。それに……今は気分がいいから、聞かなかったことにして差し上げるわ」
ヴァネッサは振り返りもせずに馬車に乗り込んだ。続いて侍女が乗り込み扉が閉められると、豪奢な装飾の馬車が動き出し、去っていくのをリタはただ見つめていた。
「リタ」
不意に名前を呼ばれたリタが振り返ると、くすんだ金色の瞳の青年が駆け寄ってきた。
軽く息を切らしながら、お嬢様のもう一人の使用人であるステファンが目の前に立っていた。
「ステファン……?」
驚きと戸惑いを浮かべるリタに、ステファンはくすんだ金色の瞳を真剣な色で光らせた。その視線には焦りと不安、そして何かを確かめたいという強い意志が宿っている。
「お嬢様はどこにいるんだ?」
明日領地へ戻るための馬車の手配をするため出かけていた青年に、リタは歯噛みした。
いつだって、ちゃんとお嬢様を助けて欲しい時に彼はいないのだ。勝手な八つ当たりだとは思うけれど、あの時彼がその場所にいたなら、何かが違っていたのではないかと思わずにはいられない。
ステファンはリタの肩に手をかけ、顔を覗き込むように身を低くした。力は強くなかったが、問いかけには切迫したものが感じられた。
「さっき……、戻ってくる途中あっちの通りで軍用車両を見た。中に、お嬢様そっくりの女性が乗ってた。どういうことなんだ。一体何があった?」
ステファンの声は低く抑えられていたが、その裏にある焦燥は隠しきれていなかった。
リタは震える手を握りしめながらようやく答えた。
「……お嬢様は、容疑者として、連れていかれてしまったわ」
「は!?何の!?まさか昨日の騒動のことじゃないよな」
言葉が詰まる。
喉の奥が固まり、涙がこぼれそうになるのをこらえながら、リタは続けた。
「そのまさかよ」
リタの声は震えていたが、その語調には冷静さを保とうとする意志が感じられた。
「容疑者って……どういうことだ。うちのお嬢様がそんなことするはずないのは、誰の目を見ても明らかだろうに」
ステファンは眉を寄せながら問い返した。
その目は不安と焦燥に揺れている。リタは口を一度閉じ、唇を強く噛んだ。




