33.予期せぬ来訪者(2)
男たちは言葉に詰まったように視線を彷徨わせる。
まさか目の前の気の弱そうな令嬢が毅然と反論するとは思いもしなかったという顔だ。
「昨晩、貴女はラスフォード男爵邸にいたと聞いている」
「招待を受けたから参加したまでのこと。その場にいた、というだけで証拠になるのならこの世の犯罪のほとんどは解決済みです。―――私は確かに昨晩、ラスフォード邸の夜会に参加しておりましたが、エヴァンス・アステリア・アストラヴェル侯爵のご友人であるヘイウッド伯爵の公式なパートナーとしてご招待にあずかりました」
「侯爵の…」
短く息を呑む音が聞こえ、相手に考える余裕など与えないとばかりに言葉を重ねた。
「夜会ではヘイウッド伯爵と共に、グレーツェル男爵やモントレー伯爵、レヴィーナ子爵にもご挨拶をさせていただきました。夜会は人の目が多い場所です。そのような場所で、誰にも見咎められることなく、あなた方の言うところの爆発物を設置できるとお思いですか?会場は警備の者もいたと聞いています。身に覚えのない嫌疑をかけられ、宿に押し入られるなど、私には到底受け入れられないことです」
その瞳は不当さを見逃すつもりなど毛頭ない、と静かに主張しているかのようだった。
「それは何だ?子爵令嬢の持ち物としては不相応に高価なものとみえる」
腰に下げている細剣を片手で持ち上げて男が何かを示した。
話の筋を逸らしたのに気づいてリタが口を開きかけるのを、アルヴィスは押しとどめるように先に動く。
「そちらの机の上にあるジュエリーの一つはその侯爵がご好意で貸し出してくださったものです。ペリドットのネックレスと揃いのイヤリングのパリュールでした。不明な点があれば、二番街レイベック通りにあるティアーズ宝飾店の主イェーリカをお訪ねください。貸与条件が記された契約書の控えがあるはずです」
男は緑の瞳の部下に目配せをし、テーブルの上に並べられたままになっている耳飾りが一つ欠けたペリドットのネックレスが入っている箱を持ってこさせた。
「片方ないようだが?」
鮮やかに揺らめくペリドットのイヤリングを無遠慮に持ち上げて、男は端々までとっくりと観察する。
「昨晩の騒動の渦中、どこかで落としたようです」
「こちらの箱は?」
ビロード打ちの箱にシルクで整えられた台座の小さな箱を指差して、下士官だろう男がこちらを見る。
何も入っていない箱の方だ。
アルヴィスの脳裏にあの水色の瞳が鮮烈に浮かび上がる。
ブローチの表面を指先で丁寧に撫でる仕草には、何か深い思いが込められているようだった。
空っぽの箱を乱雑に開閉する下士官をアルヴィスは一瞥した。
無意識に軽い不快感を覚え、目を細めながら「正直に」言葉を並べる。
「そちらはヘイウッド伯爵の個人的なコレクションの中からお借りしたものです。残念ながらそちらも昨晩の騒動の内に耳飾りと一緒に紛失してしまったようですので、庭園や会場に残された遺留品のリストの中から該当するものを探していただけると助かります。小粒の青色のサファイアがはめ込まれている葉っぱの形のブローチです」
値踏みするような視線がアルヴィスの瞳を貫く。
男は顎をしゃくってその箱を一瞥すると部下に命じて持ってこさせるように言葉を放つ―――、が。
「箱を」
「侍女に―――」
灰緑の瞳が刃のような鋭利な光を帯びた。
「なに?」
「侍女に申し付けて、紛失の知らせを先にヘイウッド伯爵に伝えさせていただいております。箱はこちらで預かっておくようにと伝言を預かっております。そうよね、リタ?」
アルヴィスはやや振り返って背後のリタに目配せするように視線を走らせる。
リタは慌てて何度も頷く。
「はい。お嬢様の言いつけ通りに伯爵には、ご伝言を…」
「箱まで紛失したとなれば、信用も失ってしまいます。それでも押収されますか?」
にっこりと柔和な貴族の令嬢らしい笑みを浮かべたアルヴィスのひと言に、男が口惜しそうに顔を歪めた。背後に控えていた下士官が小さく悲鳴を上げる。
「リタ。箱をお返ししてもらって」
アルヴィスの言葉に従ってリタは即座にテーブルに走り寄ると、若い軍人の手から奪うような形で空の箱を取り戻し、胸元に抱え込むようにしまい込んだ。
「その他に何かお尋ねになりたいことがありますか?ないのでしたら、本日はお引き取り下さい」
「はぁ?」
アルヴィスが優雅に扉の方を手のひらを向けて示すのを見て、男の顔色があっという間に朱色に染まる。
「おま、―――貴女には、事件の件で、重大な嫌疑が」
「嫌疑だけで証拠もなく身柄を拘束するというのはおかしくはありませんか?書面には拘束を必要とする旨の命令書が書かれていますか?簡易的ではありますが聴取は既に現場で受けています。任意の同行を願い出るのならともかく、容疑者として捕縛というのは早急すぎて真実味がないと思っただけですが」
ぐしゃり、と男が握っていた紙が握りつぶされる音が響く。
「それでも強制的に執行されると言うのでしたらわたくしにもそれなりの考えがございます。―――当家には王都に専属の顧問弁護士がおります。明確な証拠もなしに、子爵家の者を強制的に捕縛しようとするのなら、それなりの筋を通していただきたい。カートライト卿の同席なくしての一切の証言を拒否いたします」
空気が変わった。
ざわざわと視線を合わせる軍人たちの中には、奇妙な命令だと疑いを持つ者もいたのだろう。
だがその沈黙を打ち破るように、不意に後方から軽薄な笑い声が響いた。
「証拠ならありますわ」
耳障りな声に、アルヴィスは眉をわずかに動かす。
そこに立っていたのは――この場には相応しくない人物だった。
「ヴァネッサ……?」
思わず名を呼ぶ。
パサリと落とした外套の中から邪悪さを内包した緋色の瞳が肉食獣のように煌めいた。
アルヴィスが怪訝そうに見つめる中、ヴァネッサは笑みを深くしながらゆっくりと前に出る。
勝ち誇った表情を隠そうともしていなかった。




