32.予期せぬ来訪者(1)
「今開けるわ」
おそらくリタだ。
アルヴィスの荷造りを先ほどまで手伝っていた彼女は明日までの延長分の宿代と、時間外で湯を沸かしてもらった分の料金を支払いに階下に降りていた。それが終わって戻ってきたのだろうと扉の方に歩み寄る。
部屋には内側から鍵をかけていた。彼女が室内の安全を気にして、そうするよう強く念を押したからだった。
扉の方に近づくと、壁を挟んだ廊下側からリタの声がした。誰かと何かを言い合うような声に、またエヴァンスが無茶でも言ったのだろうかと鍵を開けて開く。
「リタ」
「ですから、お嬢様は救護にあたっていただけだと何度言えば―――、お嬢様!」
眦を吊り上げて顔を真っ赤にして抗議しているリタの横顔が強張ったようにこちらを向いた。
リタの叫びと同時に、軍服をまとった男たちが勢いよくアルヴィスの部屋へなだれ込んできた。彼らの靴音が床を叩き、部屋の空気が一気に緊張に包まれる。
有能な侍女は男たちの間をすり抜けて、アルヴィスの体を抱きしめるようにして部屋の奥へと引き込む。
「無礼者!」
リタが怒声を上げるが、男たちは意にも介さず部屋の中へとずかずかと踏み込んできた。重い軍靴が床を踏み鳴らすたび、静謐だった宿の一室が無遠慮な侵入者たちによって乱されていく。
その中で落ち着き払った様子の一人の男がアルヴィスに向かっていま一歩進み寄る。鋭い眼差しと軍人特有の無駄のない動きに、ただ事ではないことが起きているのを感じさせる。
アルヴィスはリタに後ろ手で守られながらも、動揺した素振りを見せることなく、冷静な瞳で男たちを見据えた。
「何の真似です?」
問いかけに応える者はいない。
無遠慮な視線が部屋の隅々を舐めるように動き回り、寄り添って立つリタの肩が震えているのを目にした時、アルヴィスはすう、と心の芯が冷えていく心地がした。
「どういうことですか?」
リタは隣からくっきりと聞こえた抑揚のない声を耳にして青ざめた表情でお嬢様を見つめた。いつも穏やかで控えめな彼女の自慢の主の、聞いたことがないような底冷えする声。
アッシュブラウンの前髪の間からのぞく灰緑の瞳が、怒りを孕んだ強い輝きを放っている。
「お嬢様……」
か細い声でリタが呟くが、アルヴィスは彼女を背中で庇うように一歩前へ進み出、毅然とした居住まいで相手を睨視する。
やがて一人の男が、冷徹な顔でアルヴィスに向けて一枚の紙を掲げ、声を張り上げた。
「アルヴィス・セレスティーナ・クロフト・ファロンヴェイル子爵令嬢。貴女を昨晩、ラスフォード邸で発生した毒物事件の容疑者として、ただちに身柄を拘束し、軍本部へ連行する」
「毒物事件……?」
アルヴィスの眉がわずかに動く。
爆発事故ではないのか、と一瞬の困惑が瞳に宿る。
男は何の感情も込めぬ平坦な声で、続けざまに罪状を読み上げた。
「貴女には爆発物に毒を仕込み、ラスフォード男爵夫妻および会場に居合わせた多くの者の生命を危機にさらした嫌疑がかけられている」
その言葉は、夕陽が暮れ始めた部屋の薄暗い室内に冷たく響き渡る。
アルヴィスの瞳は微動だにせず、冷静な光を宿したまま、軍人たちをじっと見据えていた。
「抵抗せず、大人しくご同行ください」
「お嬢様、いけません」
アルヴィスがゆらりと動くのを見て、リタはとっさにその腕を掴みそうになるが、その横顔を見て考えを改めた。伸ばした手を引き戻し、指をきゅっと握り込む。
静かに空気を切るような声が響き渡った。
「ファロンヴェイル子爵令嬢として尋ねます。私が関与したという確たる証拠はあるのですか?」




