31.頭の痛い問題
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翌朝にはようやく王都を離れる段取りが整うということで、アルヴィスは気だるい体を引きずりながら荷物の整理をしていた。
夕陽が差し込む窓際の寝台の上に置かれたトランクに、丁寧に私物をしまっていく。
白々と夜が明け、太陽が昇り始めてすぐに戻ったばかりなので、できることならあともう一日ゆっくり体を休めたいところではある。
とはいえ、いつまでも領地を開けておくわけにもいかず。ブランシェの風邪の具合によっては来訪が取りやめになるかもしれないことを考えると、早めに屋敷に戻って今後の段取りを決めておいた方がよいだろうと結論付ける。
長く使いこまれた飴色のトランクの中に、薬草図鑑を入れると丁寧にふたを閉めて金具で左右を止める。亡き父が使っていたというトランクの上をすっと撫でながら、怒涛のようだった昨夜から今日の明け方にかけての出来事を思い返していた。
あの後、合流したリタと共にエヴァンスの指示に従い、身動きができる人や警備にあたっていた軍の関係者の手を借りて庭園中を走り回っていたのだ。
騒ぎを聞きつけたのか、誰かが通報したのか。
初動としてはかなり遅く到着した軍の管轄に移る頃には、ほぼすべての応急手当てが完了していた頃だった。エヴァンスの的確で正確な指示と人海戦術のおかげもあっただろうが、人数が少ないことが功を奏した。これが通常王都で開かれる規模の夜会であったらと思うとゾッとする。
中重症者の傍には状態の急変に対応するためエヴァンスがつきっきりだったが、軽症で比較的症状が軽い招待客についてはラスフォード家の執事の采配の元、名前が控えられ、軍用の車両や馬車で帰宅していった。
一区切りついたところで、エヴァンスに声をかけられ、リタとは別々に簡単な聴取を受けることとなった。聴き取りを受けながら、惨憺たる状況の庭園を見回せば、ラスフォード男爵夫妻が目に留まった。憔悴しきった様子の夫妻は軍の関係者に促されて車両に乗り込み、どこかへと向かっていった。
帰り際、エヴァンスに聞いたところによれば、イヴリンの婚約者であるヴィクターが重症者として軍病院に運び込まれたという。彼女はその付き添いで夫妻より早く邸宅を離れたという。
無事だったという安堵と共に、あまりにも多い負傷者の数に喜んでばかりはいられないと気を引き締める。
最後まで手伝うと申し出たい気持ちはあったが、専門家に任せた方がいいとリタに諭され、ひとまず宿に戻ることとなった。
帰り際、エヴァンスに口酸っぱく「汚染物をそのままにしないように」と言われ、迎えの馬車に乗り込んだ。
その後は宿に頼んで湯を用意してもらい、湯あみを済ませてから仮眠を取った。リタも疲れているだろうに、細やかに世話を焼いてくれ、昼過ぎに目覚めると普段通りの彼女が帰宅の準備を進めていたというわけだった。
そして今、アルヴィスは荷造りをしながら、困ったことになったと悩んでいた。
「どうしたものかしら…」
呆然と呟きながら目を瞑って眉間をもみほぐす。
昨晩の騒動の中で大切にしていた一張羅のドレスを破ってしまい、靴もショールもどこかに行ってしまった。
しかも最悪なことに借り物の葉っぱのブローチとイヤリングの片方も失くしてしまったのだ。
ドレスは自前なので時期を見て新調すればいいかもしれないが、靴はともかく、あの高価そうなブローチとイヤリングをどう弁償すればよいのか。
ティーテーブルの上に並んだ四角い箱を遠目に見つめてアルヴィスはますます絶望的な気分になった。
セリウスが快く貸してくれたブローチの箱が物寂しそうにぱかりと口を開けている。
エヴァンスに借りたペリドットの揃いの耳飾りとネックレスは、ネックレスと左側のイヤリングを残して右側が空になった状態だ。
「親切な誰かが見つけてくれないかしら」
とは思うものの、あの混乱の中だ。よしんば見つかったとしても、壊れている可能性は高く、いったいいくらするのかも検討がつかないので弁償の費用をどう捻出すればいいのか考えるだけで頭が痛い。
やっぱり夜会になんていかなければよかった。
そう思おうとして、少し別の感情がさわりと胸の奥で湧き上がりアルヴィスは首を左右に振る。
「悲観的になる前に、まずはちゃんと謝らないと」
その上で必要な弁済についてきちんと考えようと思い直し、軽く頬を叩く。
「そういえば、セリウスさんは大丈夫だったのかしら」
庭園で別れ、屋敷の方向に駆けて行った彼をその後は見ていない。
煙を浴びたりしていないといいのだけれど。
もしかしたら事後処理に駆り出されたのかもしれない。
ぐるぐると思考を巡らせていると、部屋の扉がノックされた。




