27.「親切な」軍人さん
「目を、放すなと、言った、だろうが」
雷鳴が轟くような低い怒声はアルヴィスには届かぬよう抑えられていたが、あからさまな怒りの気配には気づいたようだった。
こちらにゆっくりと歩み寄る気配を感じながら、エヴァンスはさらにセリウスの首を絞めつけている腕に力を籠める。
「すみませんッ。申し訳ありませんッ。絞まってます、本気で絞まってますから!!」
死ぬ、とエヴァンスの袖を何度も叩くが、その度に腕に込められる力が強さを増す。
「おう。殺す気で絞めてるんだから当然だろうが」
現役時代を彷彿とさせる鬼上官ぶりを露にしながらエヴァンスはぎゅうううとさらに締め上げた。
「死ぬ!!死にますから!!」、
死に平謝りするセリウスの様子に、許さないとばかりにエヴァンスはきつく相貌を細めた。
その時である。
「本当に仲がいいのねぇ」
「「ちがう!!」」
思わず揃った反論に、姿がはっきり確認できるほどの距離で立つアルヴィスが驚いたように目を丸くし、ややあってふんわりとほほ笑んだ。
口元に手を当てて、思わず零れた笑みそのままの柔らかな表情を浮かべている。
エヴァンスは仕方がないとばかりに惚けているセリウスから腕を外し、久々に動かして痛くなった両腕の動作を確認するようにぶらぶらさせながら、上から下までアルヴィスの様子を確認する。手袋を外している以外は特に異常なし、と確認しながらやや首をひねる。
同じことを感じたのだろうか。
芝生から立ち上がったセリウスが、土ぼこりを落としながら衣服を整える手を止め、小首をかしげている。微かに鼻をひくつかせ、何かに気づいたようにアルヴィスへと顔を近づける。
「っ!?」
鼻先が触れるほどの距離。
急に間近に迫った水色の瞳に、アルヴィスは小さく悲鳴を上げる。セリウスはすぐに顔を離したが、アルヴィスは突然のことに思考がついていけず顔を真っ赤にさせたまま固まってしまう。
「ウェルトバリカの香りがする」
セリウスの言葉に、エヴァンスも怪訝そうな顔で同意する。
「確かに……野営訓練でよく嗅いだ香りだ」
でもいったいどこから、と困惑顔の二人にアルヴィスは何を探しているのか気づいて、あ、と小さく声を零す。
二人の視線を受けたアルヴィスは、少し恥ずかしそうに踵に貼られた薬草を見せた。
「さっき、親切な軍人さんが」
親切な軍人さん、という言葉を耳にしながら、アルヴィスの緩やかな動きに視線を移動させる。ふわりと少しばかり持ち上げられたドレスの裾から露出した白い足首がセリウスの視界に映り込み、状況を把握するより先に顔が一気に赤く染まった。
「っ」
目を逸らしながら片手で顔を半分覆い、できるだけ視界に入れないようにするが、自分がひどく動揺してしまっているのがわかる。バクバクと心臓が痛いほどに音を立て、今にも口から飛び出てしまいそうだ。
いったい自分はどうしてしまったのだ。
何か変な病気にでもかかったのだろうかと、セリウスは胸を強く抑えた。
目の端に映った映像が頭から離れない。
柔らかな弧を描く足の甲、かすかに覗く青い血管、そのすべてが妙に鮮明に意識に刻み込まれていく。
「アルバートに会ったのか」
じろりとセリウスを睨みつけながらエヴァンスは吐息のような声を零した。
「アルバート?」
スカートの裾を元に戻しながらアルヴィスはエヴァンスを見上げた。
知らない名前だと一瞬思ったが、それが「親切な軍人さん」を指す名前だとすぐにわかり、ややあってこくりと頷いた。
「ふうん。珍しいこともあるもんだな」
エヴァンスは不思議そうな表情をしたが、そんなことよりどの程度の擦過傷なのだろうかとその場に屈みこんだ。
見れば、水分を多く含んだ緑色の葉が患部をしっかりと覆っているのがわかる。周囲の皮膚に赤みは見られるが、大した傷でもなさそうだ。
夜会用の靴が合わなかったのか、履きなれなかったのか、それともパートナーのペースを考えず相棒が無茶をして引きずり回したのか―――。
おそらくは最たる原因は最後のものだとは思われるが、なんにせよ彼女には悪いことをしてしまった。
「悪かったな」
「大丈夫。大したことはないから」
それより、新しい薬草を見つけたとばかりに彼女はとても嬉しそうに笑っている。
全く、とんだ薬草馬鹿だ、と独り言ちてエヴァンスは詫びのついでに年下の友人が欲しがりそうな情報を付け加えた。
「ウェルトバリカは、ちょっとした擦り傷ならつけておけば治る。王都周辺でよく見かけるありふれた植物の一種で、春の間は小ぶりな赤い花が咲く。花は摘み取って果実酒に入れると香りと色が移って面白い。葉と花をアルコールにつけて薬酒にして常備薬にする家庭もある。民間の治療薬として古くから利用されている薬草の一種で、煎じれば効果は薄いが解熱の作用もある。抗菌作用もあるから、葉っぱを摘み取って風邪の引き初めに飲んだり、うがい薬として日常的に使わる。野営訓練ではよく使う野草だ」
「なるほど……」
与えられた情報をすぐさま資料として書き残しておきたいのだろう。わずかに揺らいだアルヴィスの指先を一瞥してエヴァンスは苦笑した。




