22.「お気に入りの」元部下
細やかな装飾が施されているその装飾品は瑞々しい青色と水色のグラデーションが美しく、葉脈に沿って一粒一粒丁寧に石留されている職人の腕が光る逸品だった。宝石にはあまり興味がないので詳しくはないが、採掘量が少なく珍しいサファイアだったような気がする。
「へぇ。可愛いブローチね」
「葉っぱの形がとても素敵ですよね」
宝石でなくて、形?可愛い顔をして妙なところを褒める令嬢だと腕を組んで観察していると、セリウスが一言もなくアルヴィスを背中に隠すようにして間に入ってきた。
全く邪魔なやつである。
「ヘイウッド卿。なにか?」
威圧的に笑顔で問い返せば、いつもはぶっきらぼうに「別に」とか「なんでもありません」とかしか言わなかった青年が、むっとした表情で反駁する。
「ちょっと離れていただいてもいいですか?彼女がおびえてしまうので」
「人を何だと思ってんのよ」
貴族令嬢として言葉遣いが、と言われても軍務経験のある女性ならばこれくらい何ということもない。母には呆れられ、父には泣かれてしまっているが、今更取り繕う気なんてさらさらないのだ。
そもそもこの男。よくもまあ今日の夜会に顔を出せたものである。
彼のしでかしはもちろん自分の耳にも入っているが、まさか1年以上も前に婚約を白紙に戻した青年が「自分の婚約がきっかけで」自棄になったという話はまるきり信じられなかった。というか、真意がありありと手に取るようにわかるため、セリウスの失態を聞かされた時、まるで自分のことのように恥ずかしかったし、何をやっているんだと呆れもした。
「イーヴィン!」
はっきりと耳に届いたその声に、イヴリンはいつの間にかセリウスの襟首を掴んで揺さぶっていた指をぱっと放し、雷光が如く背後を振り返った。
「ヴィクター!私の愛しい人!」
「こんなところにいたのか。義父上殿と義母上殿が探しておられたよ」
すこし低い明るさを帯びた声がアルヴィスの耳に届いた。急に鬼の形相になったイヴリンがセリウスの喉元を絞り上げ始めたのは驚いたが、もっと驚いたのは彼女がまるで恋する乙女のような表情でくるりと体を反転させ、人ごみをかき分けてくる男性に抱きついたのを見たことだった。
イヴリンよりやや低い身長の、くすんだ金髪に溌剌とした緑の瞳が印象的な青年だった。
黒い軍服に銀の肩章が光を受けて輝いている。儀礼用の銀房の飾り緒のついた細剣を腰に下げていて、白い手袋をはめた手には正装用の帽子を持っていた。
「うふふ。ヴィク。ねぇ聞いて。今ね婚約者様をご紹介いただいていたのよ」
ヴィクターの首筋に甘えるように両手を絡めながら、イヴリンは蕩けるような笑顔を彼に向けている。まるで見てはいけないものでも見ているような、そんな恥ずかしい気分になってイヴリンは彼女が何と言ったのか聞こえなかった。
「副隊長」
右胸に拳を当てて軍人式の礼をとるヴィクターの声に、セリウスは居住まいをただして片手を差し出して応じる。
「もう退役してる」
眩しいような、誇らしいような。
複雑な感情がない交ぜになった表情を浮かべているセリウスに、アルヴィスは背筋を正して横にそっと控えた。
ヴィクターはセリウスと軽い握手を交わすと、イヴリンの紹介を受けてアルヴィスに礼を取る。
「はじめまして。本日はよくお越しくださいました。スタンフォード家のヴィクターです」
「この度はおめでとうございます」
笑顔で返せば、ヴィクターは恥ずかしそうにイヴリンに視線を送って頬をかく。
見た目年齢的にはセリウスと同じくらいの年齢だが、彼に敬語を使っているところを見ると親しくも規律ある関係性が垣間見えた。
「ヴィクターはね、セリウスが軍にいた頃の部下なのよ」
シャンパングラスを片手に隣に立つイヴリンがふわりと笑った。
「軍にいらっしゃったんですか」
「あら。聞いてないの?」
まさか一昨日会ったばかりですとも言えず、アルヴィスは曖昧に誤魔化す。
全くあの言葉足らずが、と何か鋭い独り言が聞こえた気がするが、おそらくは気のせいだろう。
「彼ね、セリウスのお気に入りの部下だったのよ」
「お気に入り…」
「そ。お気に入り。だから大変だったのよ。セリウスを振って、ヴィクターとお付き合いをはじめた時は」
「へ?」
初耳というか、意外な事実がぽこりと現れてアルヴィスは耳を疑った。
ヴィクターさんはセリウスさんのお気に入りで、イヴリンさんの婚約者で。
「もう何が大変だって。四六時中付きまとってデートの邪魔をしてくるんだもの。うざいったらありゃしないわ。色々な妨害工作もされて、やっかんでくるんだもの。何度ひねりつぶしてやろうと思ったことか」
「深く愛していらっしゃった・・・・、のですよね」
感想はこれで正しいのだろうか。
なんだかすごい三角関係だったのだろうかと想像してみるのだが、恋愛経験が人並以下の自分ではまるで想像できない世界が広がっていた。
ついとイヴリンを見上げれば、辟易したとばかりに長いため息が耳に届いた。
繊細なグラスをくるくると傾けて中の液体で遊びなら、イヴリンは顔を引きつらせる。
「だから内々で婚約式を済ませて、婚約式の日取りを決めたんだけどね。さすがに、ヴィクターの元上司で私の遠縁の親戚でもあるから、知らせないわけにはいかず」
それとも黙っていた方がよかったのだろうか。
あるいは、結婚式を挙げた後に、とも考えたがどのみちアルバートはともかくとしてエヴァンスから情報が漏れるのはわかっているので、どうあがいたとしても無駄だったというべきか。
自分がヴィクターと結婚するのがショックというより、ヴィクターがイヴリンと結婚することで、大切な元部下が詐欺に遭ったような感覚を覚えて荒れたのだと、さすがのイヴリンもセリウスのポンコツぶりが気持ち悪すぎてこの隣の可愛い彼女に教えるのはためらわれた。
個人的な性的嗜好についてとやかく言う気はないが、アルヴィスに妙な勘違いを起こさせる気はとりあえずなかった。
「ともあれ、あなたが来てくれてよかったわ」
「私?」
ファロンヴェイル子爵の社交での諸々の噂については、もちろんイヴリンは知っていたが、そんなことはどうでもいい事だった。ああいうくだらないことをする連中と付き合うだけ時間の無駄なのだ。
イヴリンは改めて年下の可愛らしい「セリウスが一方的に好意を向けているらしい」新しいおもちゃであるアルヴィスに心からの笑顔を向ける。
「改めてよろしく。アルヴィス。困ったことがあったら、この私にいつでも相談してね」
なんだか色々と訂正したり、質問をしたりした方がいい気がしたが、取り敢えずありがたい好意は喜んで受け取っておこうと、アルヴィスはにこやかに応じたのだった。




