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20.名前で呼んで

********


 ホールからさらに進むと、大広間の扉が開け放たれていた。


「すごいですね」


 まるで眩い万華鏡の世界にいるようだと、アルヴィスは眩しさに目を眇めた。


 セリウス達も男爵も「小規模」と言っていたのだが、想像を超えた小規模感だった。


 これを小規模と称するのであれば、アルヴィスが領地でたまに招かれるガーデンパーティーなど極小も極小。


 まるで別世界に迷い込んだような熱気に満ちていた。


「とってもきれい」


 磨き上げられた大理石の床に、花を模した見事なモザイクが広がり、天井には荘厳なフレスコ画が描かれている。壁にはおそらくラスフォード家の紋章を象った飾りが整然と並び、高く吊るされたシャンデリアが、無数のクリスタルで煌めいていた。


「ラスフォード家は男爵とはいっても商業で財を成した名家ですから。一般的な男爵とは保有している財産の桁が違います。あの天井にあるクリスタルのシャンデリアは、隣国の職人に直接発注した後、ラスフォード家の商船が海を渡って取りに行ったそうですよ」


 ひと際大きく、会場の高い天井の上で輝くシャンデリアを指差しながら、セリウスがアルヴィスの耳元で説明してくれる。


 ひとつひとつがまるで宝石のような輝きで、細やかに施された表面の微細なカットが、星の煌めきのように光を反射している様子は圧巻だった。


「吊り上げる時は大変だったようで、大の男八人がかりで悪戦したようです」


 実はそのうちの一人なのだとは言わず、何か懐かしい思い出を語るようにセリウスは目を細める。あの時にはもう婚約は解消されていて、ただの友人には戻っていたけれど。


「そうだったんですね。ワイヤーも相当な太さですから、設置がとても大変そう」


 自分の腕より太いしっかりとしたワイヤーが天井から下がっているのを見つめながら、アルヴィスは苦笑した。


 談笑する貴族たちの笑い声や、グラスが触れ合う音が絶えず響く。


 ふと思考を切り替えて周囲を見渡せば色とりどりのドレスに身を包んだ令嬢たちは、装飾品と共に目を引きつけるほど美しい。そしてそれを彩る紳士たちの服装も、きらびやかで端正だった。


 リタがとても頑張って飾り立ててくれたのに、場違いな気がしてどうしても気後れしてしまう。


 そんなアルヴィスの心情を推し量ったかのようにセリウスが優雅な笑みを浮かべて、そっと手を取りその甲に唇を落とす。


「へ?」


「一曲踊りませんか?」


「はい?」


 彼の言葉にアルヴィスは一瞬言葉を失い、戸惑いの表情を浮かべる。


 まさか今自分は、この目の前の美貌の主にダンスに誘われたのだろうか、いや、そんなはずはないと自分に言い聞かせるが、少しだけ強く引かれた手に足がもつれて、うっかりセリウスの胸の中にすっぽり収まってします。


「ごめんなさいっ」


 驚いたとはいえ、とんだ不作法だ。


 婚約者でもない相手にこんなに密着するなんて淑女としてあるまじき行為である。


 リタにバレでもしたらどんなお小言を言われるか分かったものではないと、ぐっと腕に力を入れて離れようとするが、セリウスは距離が離れるのをよしとしないように今度は腰にするりと手を回してきた。


「っ」


 びくりと肩を震わせてほぼ密着して隙間のない格好のまま見上げれば、セリウスの水色の相貌が非常にうれしそうな光を浮かべてこちらを見下ろしていた。


「今日は俺の我儘に突き合わせてしまって本当に申し訳ありません」


 申し訳ないという表情というより、嬉しくてたまらないというような子供っぽい喜色を浮かべた満面の笑みに、アルヴィスは戸惑いを隠せない。


 親愛を込めたような表情で見つめられて、あまりの事態に思考が固まる。


 エヴァンスにチラつかせられた「種」を条件に、性格に反して気が付いたら安請け合いをしてしまったのだが、苦手で避けていたとはいえ、夜会に一緒に出ただけでこんなに感謝されるとは思いもしなかった。


 むしろ、本命は古代薬草の種であるので、かえって申し訳ない。礼を言うべきなのはアルヴィスの方なのだ。


「いえ。その。ヘイウッド様のおかげで」


「どうぞセリウスと呼んでください」


 セリウスのおかげで念願叶って熱望していた種が手に入りそうだと感謝を述べるより先に、とんでもないことを言われた気がする。


「俺もアルヴィスと呼んでもいいですか?」


 アルヴィスは名前で呼んでもいいかと間近で問われ、悲鳴を上げそうになる。


 人が多くて様々な音は聞こえるが、十二分にセリウスの声は届いているので、できればもう少し離れて欲しい。そうでもないと、変な勘違いでもしてそうだと思いかけて、アルヴィスは心の中ではた、と真横に首を振る。


 誠実で爽やかな紳士の代表名刺のようなセリウスが、まさかこんな公衆の面前でかつ、元とはいえ婚約者だった女性の夜会の場で自分を口説いてくるような下手な真似はするまい。これではまるで愛の言葉を囁かれているように傍から見えてしまう。

 

 第一、彼と出会ったのはほんの数日前で、アルヴィスが彼のことを良く知らないように、彼もまたアルヴィスのことを知らない。


 きっと彼はアルヴィスがこの夜会で気後れしないように気を使ってくれているのだろう。


 そうだ、そうにちがいない。


 ふわりと浮かんだ馬鹿馬鹿しい疑問を、あっという間に自己解決して、アルヴィスは彼の気づかいを無にしないために、友人としての親しみを込めた「提案」を喜んで受け入れることにした。


「ありがとうございます。それではセリウスさんとお呼びさせていただきますね」


 セリウス、さん、と飴玉でも食べるようにその音を確認するセリウスの様子に、アルヴィスが外行き用の笑顔で応じれば腰と背中に回されていたセリウスの両手から少し力が抜けた。


 ほぼ抱きしめられるような格好になっていたのだが、この隙を見逃さず、するりと距離を取る。友人としての紳士淑女のパートナーとして適切な距離を保ちつつ、できれば比較的速やかに夜会を後にし、エヴァンスから報酬をもらうのがアルヴィスのミッションである。


 そのとき、背後から聞き慣れない女性の声がした。


「セリウス?」


 振り返ったアルヴィスの目に飛び込んできたのは、濃紺色のすっきりとしたシルエットのドレスを上品に着こなす、勝気そうな鳶色の瞳の女性だった。


 まるで女神のような存在感を放つ艶やかで妖艶な雰囲気の女性がやや驚いたようにセリウスを見つめていた。


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