15.種
「アルヴィス。こいつはポンコツで残念なやつだが悪い奴じゃない。親友の俺が言うのもなんだが、女性に対しては紳士的で誠実だ」
誠実だ、と言いながらエヴァンスは自分の言葉に説得力が欠けていることを感じていた。
全身至るところに女の口紅まみれで、浴びるように飲めない酒を飲んだセリウスの醜態を思い出したからでもある。
「夜会はごく内輪の小さな会。お前のことを知っている連中が来るとはまず思えない」
断言はできないが、丸め込むにはちいさな夜会であるということを強調した方がアルヴィスの警戒も多少弱まる。領地では気の置ける数人の友人を招いてのガーデンパーティーにも参加しているとはとある筋から得た情報だった。
彼女が苦手とするのは主に、「王都での賑やかで規模の大きな夜会」である。小規模だからと気を使わないでいいわけではないが、アルヴィスの社交復帰を望んでいるエヴァンスとしても今回の件は都合がよかった。
なんにせよ押し切ってしまえばこっちのものだと、エヴァンスは自分の言葉に説得力を持たせるように何度も頷く。
それに自分には切り札があった。
セリウス如きに使ってやるのは全く癪だが、大きな借りを作っておけば後々便利なことがあるかもしれないと思考を巡らせる。
アルヴィスが視線を彷徨わせ頼みを断る言葉を探していると、エヴァンスが再び軽い調子で口を挟んだ。
「アルヴィス。そんなに固く考えるな」
できるだけ相手の警戒を解くように雰囲気を作るのは得意分野だ。
だてに侯爵家の息子を二十数年演じてきたわけではない。
それに早く言質を取らねば、「あの厄介なメイド」が帰ってくる。
それまでに何としてもアルヴィスには了承してもらわねばならない。
エヴァンスは仕上げとばかりにジャケットの内ポケットから小さな薄い銀色のケースを取り出した。
「リヴェットフェルベの種」
「リヴェットフェルベの……種?」
大人しく控えめ風だったアルヴィスの表情がパッと変わり、彼女本来の輝きが顔を出す。
「お前、昔からこれに興味津々だっただろ?」
エヴァンスはケースを指で軽く回しながら続けた。
「先月オークションでたまたま見かけて落としてな。お前に見せびらかせて楽しもうと思ってたんだが」
悪趣味と返されたが、彼女の瞳は銀のケースに釘付けだ。
実を言うと、昨日は「急用さえなければ」アルヴィスに日頃の礼として遊ぶついでに譲ろうと思って用意をしていたものだが、まさかこんな形で利用できるとは思いもしなかった。
セリウスには恩が売れるし、アルヴィスは薬草に目がないからきっといい取引材料になる。
ひと粒で二度おいしいとはまさにこのことだと、エヴァンスはほくそ笑んだ。
「賢者の根の薬草…、リヴェットフェルベの種」
アルヴィスは息をのんだ。幼い頃、実家の古びた図鑑で読んだことのある希少な薬草。
古代種と呼ばれる部類の薬草で、まず一般に流通することはない。
「賢者の」と大層な名前がついているが、幻と呼ぶほどの代物ではない。現に王室の薬草園では育てられているし、ごく限られた一部の高位貴族が利用することもある。
万病に効くとされ、その花は夜にしか咲かない神秘の存在――それをこの手で育てられるかもしれないと、エヴァンスは餌をちらつかせて来る。
「……本当に、リヴェットフェルベの種なの?」
彼女は信じられないような声で尋ねた。
エヴァンスはケースを開けて中身を見せた。そこには、宝石のように小さく光沢のある種が三粒入っている。猛禽類の瞳のような光沢をもつ杏型の小さな黒い種だ。大きさは小指の先ほどで、吹けば飛んでしまいそうな危うさを感じる。
真っ白なビロードが張られたケースの中で、アルヴィスを待っているような気さえする。
「でも、こんな貴重なもの……私がもらうなんて……」
「誰もタダでやるとは言ってない」
エヴァンスはさらりと言って肩をすくめた。
「夜会でセリウスのパートナーとして参加すること。それで手に入るなら安いものだろう?」
「でも……」
「アルヴィス」
エヴァンスは彼女の目をまっすぐに見つめ、極上の笑顔でねじ込んだ。
「リヴェットフェルベは、お前が育てたらきっと素晴らしいものになるだろう。そんな機会を逃すのは、もったいないと思うけどな」
とどめに、アルヴィスによく見えるように少し斜めに向けてやり、鼻先でぱちんとケースを締めてから胸ポケットに入れる。銀のケースを名残惜しそうに追いかけて、アルヴィスは悶えるように固く目を瞑る。
「小さな、内輪の、夜会」
「そう。内輪の、ごく小規模の夜会だ。セリウスにはパートナーが必要なんだ。な?」
心の中で猛烈に葛藤しているアルヴィスの様子に、エヴァンスは勝利を確信した。
確かに彼女は社交が苦手だが、貴族令嬢として一般的な教育は受けてきているし、何といっても国一番の貴婦人と言われていた祖母を教育係として持つ。そつなくこなすどころか、必要に駆られれば夜会で決して目立つこともなく影のように気配を消すことも可能だろう。
不愉快極まりない、あの独り歩きした汚名が付きまとっていたとしても。
ぐるぐると考え込んでいた様子のアルヴィスを黙って成り行きを見守っていたセリウスが興味深そうに見つめていた。薬草の種一つであんなにはしゃいでいるような様子が新鮮で、自分がこれまで対面してきた令嬢とは異なる種類の人物であることを改めて認識する。
「夜会。リヴェットフェルベの種」
アルヴィスは恍惚とした表情で繰り返した。