14.それぞれの思惑
セリウスのパートナーとしてとある夜会に出席して欲しい。
席に着くや否やエヴァンスからそう切り出されて、アルヴィスは言葉に詰まった。
「無理よ、エヴァンス。どうして私なんかがヘイウッド様のパートナーになんてなれると思うの?」
アルヴィスは小さくため息をつきながら、視線を机上に落とした。その声はいつになく慎重で、自信のなさがにじみ出ている。
「務まるかどうかなんて関係ない。大袈裟に考えすぎだ。これはただの内輪の集まりだ。大した夜会じゃない」
エヴァンスはアルヴィスに笑顔を向けながら、軽く肩をすくめてみせた。
「内輪の集まりでも、私が行けば間違いなく場違いになるわ。社交界には、もうずいぶん出ていないし。それに……私のこと、皆がどう思っているか知っているでしょう?」
アルヴィスは顔を上げ、エヴァンスをじっと見つめた。その表情には隠しきれない不安が浮かんでいる。指先を膝の上でぎゅっと握りしめ、絞り出すように声を出す。
エヴァンスは彼女の視線を受け止め、とぼけたように軽く首をかしげてみせる。
「そんな評判、気にすることはない。取るに足らない噂話だ。奴らの好物は知ってるだろう?」
「いいえ、エヴァンス。そういう問題じゃないのよ。私のことじゃない。・・・・私の、せいで。私の評判がヘイウッド様に傷をつけるかもしれないのよ。それだけは絶対に嫌だわ」
迷惑をかけられないとアルヴィスは瞳を伏せた。
アルヴィスの表情や言葉に耳を澄ませていたセリウスは、先ほどから彼女の唇から飛び出す「評判」や「迷惑」という文言について首を傾げていた。
目の前にいる可憐な女性とは全く無縁の言葉のように思える。
彼女はいったい何をそんなに気にしているのか。
それともこれは、自分のことが好ましくなくて、遠回しに断られているだけなのだろうか。
確かに最初の第一印象は良くなかったし、彼女に不埒な男だと記憶されているのかもしれない。
頭の中で泥を煮込んだような重苦しい感情が去来する。
そう思えば思うほど、心臓を握り込まれたように苦しくなり、喉の奥がチリチリする。
「アルヴィス。お前、こいつが嫌いか?」
「はい?」
こいつ、と隣の親友から指を差されているのにも気づかずセリウスは硬直したままさらに深く思考を沼の方向へ向けて巡らせていた。
眉間にくっと深い皺を刻んでいるのが、いかにも不機嫌そうな男性の表情に見えて、アルヴィスは慌てて首を左右に振る。
「そんな。あの、違う。あの、そんなことは―――」
「全身キスマーク付きで突然現れた酒臭い男なんて、普通は不潔だと思ってしかるべきだよな」
「不潔だなんて、そんなこと」
「思ってないのか?」
「いえ、あの。確かに、確かに最初突然診療所にやってきたときはびっくりしたけど、エヴァンスの友達だって言っていたし、前から時々名前を聞いていたから、不審人物だとは思わなかったというか。その。患者さんかな、くらいにしか・・・・」
あの時の状況は確かに自分にとって驚くべきものだったが、これまでの診療所での経験を踏まえると、そういうことは時々あった。
急患が運び込まれたり、近所の子供たちがエヴァンスと遊びたくて入って来たり、近所に住む奥さんたちが差し入れを持ってきたりという具合だ。
エヴァンスの診療所にいて危険な目に遭ったことがなかったから、必然的にヘイウッドが訪れた時も特に違和感を感じなかったというのが本音だ。
深く考え込む様子のアルヴィスの表情を認めながら、エヴァンスは疲れたようにため息を吐いた。
どうして自分がこんなめんどくさいやり取りの仲介をしているんだろう、と天井を見上げ、その元凶が静かになっていることに気づいてふと右隣を見やる。
すれば、眉間に深い皺を刻んだままで顎先に指を当て考え込んだまま固まっている様子の親友の姿がある。
そもそもの元凶はお前だとピクリと頬を痙攣させる。
「おい、セリウス。お前、アルヴィスが迷惑か?」
「ぐっ、え?なに?はい??」
ドン、と突然脇腹に肘打ちを喰らってセリウスは面食らう。
机向かいにやや朱色に染まった表情のアルヴィスがこちらを見上げていて、セリウスは目を見開いた。自分はもしかして独り言を口に出していただろうか、と隣のエヴァンスを見やれば、冴え冴えとした藍色の瞳で鋭く睨みつけられた。
「おい。聞いていたか?」
思考が全く別のところに飛んでいたため、エヴァンスの質問を理解するのに数秒を要す。
迷惑とか、評判とか言うくだりについてだろうか。
だとするなら、セリウスの回答は一つだ。
「いえ。全くもって気にしていません。むしろ隣にいていただけるだけで、安心できるというか。信頼できるというか」
「俺の言うことをちゃんと聞いていたのか?」
つじつまが合うような、合わないような。
微妙にズレた回答を口に出している男に、エヴァンスはまあいい、と言い捨ててアルヴィスに向き直った。