12.脳内お花畑
セリウスはまるで雷に打たれたかのように動きを止めた。
ぽろりと花束が手から零れ、やや硬めの絨毯に音を立てて落ちる。
――妖精のようだ。
円形のティーテーブルの脇に淡いペールブルーのワンピースに、薄地のストールを肩に無造作に引っかけた無防備な姿の彼女がそこにいた。
柔らかそうなアッシュブラウンの髪の毛は複雑な編み込みで丁寧にまとめられている以外、形のいい耳にもほっそりとした首からデコルテのラインにも、驚いたように緩やかに動くその手首や指先にも装飾品はない。
貴族の令嬢にしてはリボンも刺繍もない、シンプル過ぎるデザインのワンピースだったが、それがかえってアルヴィスの清らかさを引き立てているような気がして、妄想に拍車がかかる。
まるで朝露に濡れた花のようだ。
その花はいったいどんな香りがするのか。
顔を寄せればまた、あのみずみずしく爽やかで少し甘い香りでもするのだろうか。
そんな考えがふと頭をよぎり、セリウスは即座に首を振った。
早鐘を打つがごとく鼓動を刻む心音が、今にも外に漏れそうだった。なんとか平静を装おうとしたものの、視線はどうしてもアルヴィスに吸い寄せられてしまう。
彼女の背後に広がる部屋は、妙に彼女の雰囲気と調和して見えた。
壁は明るいアイボリー色に塗られ、所々に木目調の装飾があしらわれている。
窓際には織りの細かい生成りのカーテンがかかり、まだ早い時間の午前の陽光が柔らかに差し込んでいた。床には質素な木製の板張りが広がり、隅々まできちんと掃除されていることがうかがえる。
木製の家具はどれも落ち着いた深い色合いで、時折窓からの光を受けてほのかに輝いていた。
ベッドは部屋の奥に位置し、シンプルな木製のフレームに清潔な白いリネンが掛けられている。枕元には植物の蔓をかたどった優美なデザインのランプが置かれ、その明かりが柔らかな陰影を作っていた。
壁際には高さのある衣装棚があり、ライティングデスクには簡素なインク壺と羽ペンが置かれ、今まさに何かの作業をしていたことが伺える。
セリウスは彼女がただそこにいるだけで部屋全体が一層輝きを増すように感じ、思わず胸を押さえたくなるほどの鼓動を覚えた。
「……っ!」
セリウスは妙に熱くなった顔を隠すように視線を逸らしたが、次には自分が妙な妄想に耽っていることに気づき、内心で激しく自分を叱責した。
「あの。ひとまず、そちらの椅子へどうぞ」
困惑したように揺れるアルヴィスの瞳が心配そうにこちらに向けている。
「セリウス。花」
吸い寄せられるように令嬢にする挨拶の礼を取ろうと動き出した自分の動きを制しするように、刺々しくやや呆れかえったようなエヴァンスの声が耳を打つ。
足元で乾いた音がしたので目を向けて見れば、自分が手にしていたはずの花束が靴の上に落ちていた。セリウスは慌てて手を伸ばして拾い上げ、右手と右足を同時に出すようなぎこちない歩行状態でこちらに近づいてくるアルヴィスの前まで慎重に進み出た。
昨日は気づかなかったが、彼女は自分よりずいぶん小さい。
艶やかな髪の毛に滑らかに光が走るのを見下ろしながら、程よい距離を何とかとることに成功したセリウスはできるだけいつものように花を差し出した。
「おはようございます。レディ・クロフト。朝から騒がせてしまい申し訳ありません。良ければこちらを。今日のご挨拶と昨日のお礼の品として受け取っていただけたら嬉しいです」
両手で花束を差し出すと、灰緑の瞳が驚いたように瞬いた。
髪の色と同じまつ毛に縁どられた艶やかな瞳が戸惑ったようにセリウスを見上げてくる。
「お礼?あの、ええと、どちら様か…」
わからないと、当惑するアルヴィスの言葉に何を言われたのかわからずセリウスは一瞬固まった。