8話 指輪の真贋
次の日、晴天の中……
猫耳少女グリムは自慢話もしなくなり、無言でトボトボ歩いていた。
彼はただ、前に進むことだけを考えているようだった。
後ろから観察していたが自傷行為をする様子はないようだ。
とりあえずエリックは峠は越えたようだと胸を撫でおろす。
街に着くなり、エリックはグリムに鑑定屋に一緒に来るように提案した。
「なぜだ……?」
「あんたが自分のことをトロル王だと思っている事は俺も信じている。だが実際にトロルの王様かどうかはまだわからない」
「……どういうことだ」
「アンタは記憶を操作されている可能性がある」
「だ、だが私にはこのトロル族に代々伝わる王家の指輪がある!」
グリムは指輪を取り出しエリックに見せた。
「アンタは偽物を王家の指輪だと思い込まされていて、実はトロル王でもなんでもないタダの猫耳の少女である可能性もあるってことさ。
いや、俺も90%程度はアンタの言うことが本当だと信じている。
残り10%の可能性を消しておきたい。
……まあ、その指輪が仮に本物だとしても、"わるい魔法使い"とやらがそれをトロル族から盗んで、記憶を操作された猫耳の少女にそれを持たせた可能性もあるが、もうその可能性までは証明しようがないからな。
そのときは綺麗さっぱり報酬を諦めるさ」
「……私の記憶が……偽物」
グリムの言葉に、エリックの心は氷で締め付けられるような冷たさを感じた。
少女の顔色が変わり、動揺を隠しきれない様子だ。
――しまった!!
またさっきのように……!!
彼は、グリムの心の状態が極めて不安定であることを理解していた。
少しでも彼の心を刺激すれば、再びナイフを手に取り自らを傷つけるかもしれない。
その可能性を考えると、エリックは恐怖を感じると同時に、深い責任を感じていた。
「待ってくれ!俺は挙げられる可能性を羅列しただけだ!多分王様……アンタの記憶は本物だよ……」
エリックは心臓がバクバクと鳴りながら、適当な言葉を選び出す。
指輪を鑑定してもらうため、目的の場所に到着した。
鑑定屋のガラス窓に映る自分の顔を恐る恐る覗き込むグリムは、震える声でこう提案する。
「……その……もうちょっと後でもよくないか」
「……分かった。鑑定は後回しだ」
それからエリック達は数日かけ、ギルドや情報屋を当たった。
どこから出た情報かはわからないが、ここから北に4日ほど歩くとたどり着く大きな町に、あらゆる魔法書の収集が目標と言う浮世離れした変人の魔法使いがいるらしい。
それが例の"わるい魔法使い"かは分からないが、エリックたちはとりあえずそこを目指す事にした。
魔法屋に行き情報収集をした。
グリムが今、どこかから魔力の供給を受け続けていて姿が変化しているのか……
それとも魔力の供給は既に途絶えていて、魔力が彼から消えて姿が戻る日が来るのかを調べてもらったが、やはり魔力の反応はゼロだった。
魔力なしで今の状態を成立させている。
魔法屋にはおそらく恒久的な変化だと結論付けられ、彼は落胆した。
そして夕暮れ、再び鑑定屋の前に立った。
グリムは鑑定屋の重厚な扉に手をかけ、何度も肩を上下させ深呼吸を繰り返していた。
まるで逃げ出したくても逃げられない小動物のように足踏みしていたかと思うと、こう提案する。
「な、なあ。今日はもう遅い。明日鑑定しないか?」
彼は王家の指輪を握りしめ、まるでそれが最後の頼りの綱であるかのように、両手でぎゅっと抱きしめていた。
その白くなった指先とわずかに震える唇からは、彼の動揺が見て取れた。
「……分かった明日にしよう」
これは重症だな……
エリックは、げんなりとした表情で肩を落とし、宿の扉を開けた。
宿の一室で荷下ろし後のグリムが話しかけてくる。
「それにしてもエリック、この町の人間達もお前もトロル語が流暢だな。
トロルと人間では言語体系がかけ離れすぎているし、脳や発声器官の違いもある。
簡単な意思疎通程度ならともかく、トロル語を習得できるような才の人間なんて私の知る限りはほとんど居ないはずなのだが。
よほどの人間の集まりなのだろう。
そしてトロル族との交流がかなり深い町と見た。
できれば今後、我が国の通訳兼外交官として迎い入れたい。
ただ、その者が満足する賃金を我が国が払えるかは頭が痛い問題だがな」
グリムは、さも自分は本物だ、トロル王だと言いたげな会話を続ける。
どこか部屋に白々しい空気が漂い始める。
「それにしてもこんな町が近くにあったのを今まで私が知らなかったのは不思議だし、そこまでトロル語を熟知している人間の町でトロル族を一人も見かけないのは違和感があるが」
エリックはこの会話が泥沼へと発展していく様を想像し、途方に暮れた。
このまま話を続けたら、彼の心をさらに傷つけてしまうかもしれない。
しかし、嘘をつき続けることはできない。
彼は二つの板に挟まれ、苦悩の表情を浮かべ、思わずため息が出てしまう。
「……王様。俺も町の人達もトロル語は話していない」
グリムはエリックの言葉を聞いて、血の気が引いたように顔が蒼白になった。
「……むしろ、王様が流暢に人間の言語を話している」
「……なるほど。私は今、人間の言葉を喋っているのか……通りで民と話が通じなかったわけだ」
グリムは、まるで自分の手を初めて見るかのようにじっくりと観察し、静かに語り始めた。
「エリック。……トロルの言葉すら話せない、トロル族とは似ても似つかない力なき醜い生き物が本物かも怪しい指輪だけを根拠に自分をトロルの王だと主張して偉そうにふんぞり返る。
傍から見ているとさぞ滑稽な見せ物だろう」
彼は顔を手で覆い、自嘲の笑みを浮かべた。
「王様……別にアンタは醜く……」
「エリック、お前はゴブリンの事をそう思えるのか?」
重い沈黙が二人を包み込み、エリックはただうつむいたままだった。
「王様……もし指輪が偽物だったら、アンタは本当はトロルの王様じゃないかもしれない。
だけどそれはそれで良いんじゃないか?
一人の人間として気楽に暮らしてみるのも。
王族ってのはそれはそれで大変だろ。
なんなら俺と一緒に行くか?」
エリックの提案にグリムは眉をひそめ、しばらく考え込んだ。
その表情はまるで複雑なパズルを解こうとしているようだったが、次の瞬間――
「もういい!考えるのはやめだ!明日鑑定屋にいく。それで終わりだ!」
と吹っ切れたような、諦観したような返答が返ってきた。
――……明日はどうなる事やら。鑑定屋はしっかり仕事してくれよ。いや、しっかり仕事しなくてもいいかもな。