36話 死
ヴォルグラスを殴り倒した勢いで、グリムは氷の破片が舞う戦場を蹴散らしながら魔法陣へと突進した。
それを見ながら血まみれの老人は呟く。
「ククク………最後にこれほど面白い壊れ方をするこどもに会うとは………」
満足気に笑い彼は事切れた。
グリムが魔法陣にたどり着くと、まばゆいばかりの光が前に広がった。
これでアンミストは………助かる。
彼は、アンミストの魂がどこかわからない、アンミストだったはずの人間のところに移動していくのを感じた。
次の瞬間トロル王グリムは床に倒れていた。
腹から大量に出血していて意識も朦朧とする。
それまでグリムだったはずの、何も知らない白い髪の猫耳少女は辺りをキョロキョロしている。
グリムは安堵した。
あの子が生きてるってことは……アンミストもきっとどこかで生きている。
彼の思考はそれを最後に途絶えた。
再び次の瞬間、グリムの眼にトロルの顔が映り込む。
トロルとキスしていたのだ。
何が起きたかわからない彼は飛び退き、周りを見渡す。
アンミストが使っていたバックパックの中身が散乱しており、その中には身体交換の薬マインドメルトもあった。
ハッとなり、彼は落ちていた氷柱の欠片に映り込む姿を見て自身の体を確認した。
元の猫耳少女だった。
瀕死のトロルが荒々しい呼吸音とともに弱々しく口を開く。
「ごめんね、グリムちゃん………」
「アンミスト………! なんで………」
堪え切れぬ感情が溢れ出し、グリムは我を忘れてトロルに抱きついた。
――なんで君は私を助けた………
君の本当の姿が今の私だと言うなら、なんで今まで薬を使わなかった………
なんで正体を隠していた………
なんで君が謝る………
腹部に大量出血をしているトロルは息も絶え絶えに、残された時間で懸命に応えようとする。
「ボクは、グリムちゃんが元の体に戻っちゃったら……………この薬を使う気だった………」
呼吸音と声は更に弱々しくなり、もう長くないことを示していた。
「ボクはその姿の……グリムちゃんが………………好きだったから……
だから…………本当のわるい魔法使いは…………ボクのことなの…………
……ごめんね……バイバイ」
それから呼吸音は聞こえなくなり、トロルは動かなくなった。
子どものように泣き叫ぶ声が部屋に轟く。
グリムは、まるで冬の寒さから逃れるようにアンミストに抱きついた。
冷たくなってきた体を感じながら、現実から目を背けようとした。
溢れる涙がトロルの血染めの腹部を濡らしていく。
グリムの悲痛な叫び声とともに、彼の白い髪は鮮やかな赤に染まっていった。
その声で起きたのか部下が閉じ込められていた扉が開き、茶色い髪の猫耳少女が飛び出してきた。
少女は倒れているトロルとヴォルグラスを見て状況を理解したようだ。
絶望の形相となり、落ちているマインドメルトを拾い、自身の口に流し込む。
それから、もう二度と動かないトロルの口に流し込み、王を蘇らせようとした。
使い切られたマインドメルトの小瓶が床に放り投げられる。
四肢に重症を負い、動けないエリックが呟いた。
「よせ……それはアンミストだ。トロル王グリムじゃない……
それにマインドメルトは1回しか……その1回を……アンミストが使ってしまった……」
言葉が通じない事をわかっていながら、エリックは伝えずには居られなかった。
トロルが動かないことで精神にショックを起こしたのか、茶色い髪の猫耳少女はその場に倒れ気絶した。
それからグリムはトロルの村に引き返し、言葉は伝わらないながらも身振り手振りでトロル達を誘導し、ふたたび廃墟の城へと戻った。
重症のエリックと死んだトロル王の遺体、それに猫耳少女となったグリムの部下を村に運んだ。
葬式は3日3晩行われ、村は嘆きの声で溢れる。
グリムは3日目にトロル王の墓の前で、
「アンミストだけでなく私も死んでしまったようだ………」
と、包帯が両足に巻かれたエリックに告げる。
3日目にも関わらず、その目は涙がとどまる事を知らないようだ。
部下はその間1度も目を覚ます事がなかった。
葬式の最後の日の夕暮れ、エリックとグリムは最後の会話を果たした。
エリックは両手に杖を持ち、移動がやっとの状態だ。
「王様……トロル達はまだアンタを必要としている。……本当に行く気か?」
「……いずれは来るはずの日だ。そもそも言葉が通じないのではな。
王家の指輪も消えた。
私は多分、王である資格が無くなったんだ。
それに私はもう……疲れた。」
と寂しそうな笑顔でグリムは答えた。
「……アンミストの正体は、今のアンタの体だ」
「……その可能性も考えなくもなかった」
「つまりその……アンタが今死ぬと、アンミストの体も……」
「安心しろ、その気はない。どこか遠くでゆっくり暮らすさ」
「……王様、元気でな」
「……お前もな、エリック」




