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猫耳と王冠  作者: クーアウコ
第一部
34/52

34話 第二の走馬灯

 雨は容赦なく降り注ぎ、森は薄暗い陰に包まれていた。

 その中で一際ひときわ、小さな影が震えていた。



 誰かに体を揺さぶられている。


「おい、大丈夫か?生きてるか?」


 男の声が轟く雨音の中から聞こえてきた。

 グリムが目を開けると黒髪の人間の男がグリムの顔を覗いていた。

 剣を脇に挟み、茶色いマントを羽織っている。

 歳は20代といったところか。

 奥に彼が持ってきたらしい、大きな袋が置かれていた。

 おそらく身なりからして冒険者だろう。


「どうしたんだお嬢ちゃん。こんなところで。迷子か?親は?」


 グリムは、男の優しそうな言葉にかえっていら立ちを覚えた。

 まるで傷口をえぐられるようで、彼は体中に力なく猫のように丸まってしまった。


「放っておいてくれ……」


「流石にそんなわけにはいかないだろ。体も冷たい。風邪を引くぞ」


「いいからどっかに行ってくれ」


 男に事情を話す気力もなければ、振り払う気力すらなかった。

 指輪はグリムから離れ無造作に転がっていた。


「その指輪を売れ。王家の指輪だ。人間の世界でいくらになるかは知らんが少しは金になるだろう。それを持って消えてくれ」


 男が消えてくれればどうでも良かった。

 必要最低限の情報だけ伝え、男が消えるのを待った。






 しばらくすると、男の声が聞こえてきた。


「ちょっとそこの袋を見てもいいか?」


「……どうでもいい。指輪でも袋でもいいから、持って消えてくれ」


 しばらくすると、男のひとり言が聞こえる。


 ――衣類、ナイフ、水筒、火打ち石、タオル、このあたりの地図……ここまでは冒険者の俺と同じような感じだな。防寒具や着替えがないのが気がかりだが。

 ん?何だこれは……トロルの肖像画……?


 男は折りたたまれたトロルの肖像画の紙を広げ、観察した。


 ――おそらくかなり地位の高いトロルだろう。

 そこに転がっている腕輪とよく似たものが嵌められているな……

 なるほど、指輪はトロル用のサイズだったのか。

 トロルはあの少女にとって大切な人だったのだ。

 そしておそらくこのトロルが死んだのだ。

 生きているならばここまで指輪をぞんざいに扱うわけがない。これで決まりだ!

 男は聞いてきた。


「なあ、お嬢ちゃん。このトロルとお嬢ちゃんは……」


 次の叫び声は森中に響き渡った。

 暗い森の中で、グリムは怒りと悲しみに打ちひしがれていた。


「そのトロルはアンミストだ!!お前が何をしようがどうにもならない!!わかったらさっさとその指輪を持って出てゆけ!!」



 そういうと心のダムが決壊し、感情の洪水が頬を伝った。






「おい!死んでないだろうな!起きろ!」


「……出てけ……放っておいてくれ……」


「おい!本当に死んじまうぞ!」


「げほっげほっ」


「おい、お前トロルなんだろ!トロルってのは強い生き物なんだろ!!この程度でなんだ!!」


「事情も知らないお前に……何がわかる……」


「わかるさ!昨日お嬢ちゃん……いや、トロル王様がぜーんぶ話してくれたからな!」


 消え入りそうな声でグリムが呟く。


「……トロルの王として、数々の歴史を紡いできた。その証が、傷跡だった……友とともに笑い喜び悲しみ、戦ってきた。数々の出会いや別れがあった……」






  森は、木漏れ日が幻想的な模様を織りなす、静寂に包まれた空間だった。鳥たちのさえずりが音楽のように響き、小川のせせらぎは心地よいリズムを刻んでいた。

 川の音を頼りに水源を探していると、突然グリムが小声で言う。


「まて、先客がいるようだ。静かに近づけ……」


 とエリックを制し、音の先に向かう。

 木漏れ日が差し込む水辺には、巨体のトロルが悠々と浮かんでいた。

 その姿は、まるで古代の巨人が現代に甦ったかのようだった。

 やけに高い声で放たれるトロルの鼻歌は、森全体を包み込み、どこか懐かしいメロディーのように響き渡る。


「おい、良かったな王様。アンタのお仲間だぜ。しかも機嫌も良いらしい。おい、挨拶に行ってこいよ。アンタの森の住民かどうかはしらんが同じ種族だろ?ああ、そうだったな。あんたはトロルの言葉を忘れちまったんだったな。でも、もしかしたらあのトロルは勉強熱心で人間の言葉が通じるトロルかもしれないぜ?」


 しかしグリムは目を見開き口を唖然と開けていた。


「……あの背中は……あの腕の傷は……」


 グリムは今にも泣き出しそうな表情を浮かべ、歯ぎしりをする。


「王様……もしかしてあのトロルは、仇の類か?」


「アレは私の体だ!アンミストは!!生きていたのだ!!」


「おい声がでかいぞ王様……!聞こえるだろうが……!」


「この千載一遇の機を逃す手はない……!今すぐにでも助けたい!!エリック、手を貸せ……!!

 頼む……!アンミストが水浴びをしてる今しか無いのだ……!水浴びが終わればアンミストはどこかに行ってしまう!!そうなったらもう追いつけない……!」


 しかしトロルは予想外の動きを見せた。


「キャー!なんなんですか!」


 トロルにはまるで似つかわしくない、まるで声変わり前の子どものような高い悲鳴がその体から発せられる。

 更にトロルは川岸から森へと逃れようとした。

 そこに草むらから飛び出したグリムがトロルの前に立ち、両手を精一杯広げて道を塞いだ。


「……頼む……行かないでくれ。死なないでくれ。私はまだ……アンミスト。君と一緒に旅をしたい」


 アンミストが不敵な笑みを浮かべ


「分かりました。じゃあ、グリムちゃんも、わかるよね。」


「な、なにがだ?」


「他人の前では猫耳の女の子をやってね。分かった?グリムちゃん」


 グリムは膝をつき涙を流した。


「何でもやるから……お願いだ。アンミスト……頼む……後生だ……」






 次の日、エリック達は鑑定屋の前に着いた。

 グリムは指輪を心臓に押し当て、まるで溺れる藁を掴むように力強く握りしめていた。

 蒼白な顔はまるで血を抜かれたかのように青白く、不安で大きく見開かれた瞳がこちらを見つめている。

 神経質な猫のようにピクピクと震えるイカ耳が、彼の動揺を物語っていた。

 尻尾はまるで鎧のように体を覆い尽くし、不安げにぴょんぴょん跳ねている。

 足は小鳥のように震え、彼は今にも倒れそうだった。


「王様!逃げるな!」


「離せっ!ただの武者震いだ!」


「王様、もう覚悟を決めてくれ。」


「も、もういいだろう。」


「……王様。」


「うるさい黙れ!」


「ー王さ」


「黙れ!聞きたくない!」


 グリムは恐怖に震えながら両手で猫耳を覆い、まるで外界から遮断されたかのように目をぎゅっと閉じこめ叫んだ。


「あーあー聞きたくない!やめてくれ!離してくれー!お前はいつもこうだ!私がお前に何をしたというのだ!もうこれ以上嫌な事は何も知りたくない!これ以上私をいじめるな!やめてくれえぇぇー……離せ……離してくれ……」


「王様……アンタ、今度は何をするつもりだ」


「エリック……離せ……私は行かないと……!!」


「……王様、アンタは先走りす……」


 とエリックが言いかけたが、その時予想外の台詞が後ろから聞こえてきた。


「グリムちゃん。そんなに思い詰めてるならボクは飲んでもいいよ。」


 グリムが振り返ると、アンミストがそこにいた。

 グリムは信じられない、ありえないという顔でアンミストを見た。


「ア、アンミスト!!こんなところに居たのか!!さあ、一緒に逃げるのだ!!わるい魔法使いに捕まる前に早く!!」


 グリムは、まるで溺れる藁をつかむようにアンミストの腕を掴み、全身の力を込めて引っ張った。

 しかし、まるで岩のように微動だにしなかった。

 彼の瞳には切実な願いが宿っていたが、しかしその願いはアンミストを揺るがす事はできなかった。


「あんな奴に挑もうとした私がバカだったのだ!!後悔している!!

 だが今ならまだ間に合う!!

 は、はやく……!!なぜ動かないアンミスト!!

 エリック!!お前も手伝え!!

 急げ!時間がない!!あいつが来る前に……」


「グリムちゃんがそんなに思い詰めてるなら、もういいの。飲んで、森を救ってきて。」


「な、何を言っている!!飲むとか飲まないとか、森の話ではない!!」


 アンミストはまるで壊れやすいガラス細工を扱うように、慎重にグリムの体を抱き寄せた。

 温もりが、彼の心を溶かしていくようだった。

 アンミストの大きな手が、グリムの頭を優しく撫でる。

 そのリズムは、まるで子守唄のようだった。


 ――ああ、そうか。

 これは私の……ただの記憶だったのか……

 君は、もう……ああ……


 グリムはアンミストの胸に顔を埋め、泣きじゃくっていた。






「……だけどね……!」


 アンミストがそう前置きした。






「やれることを全部やってからにして!!今のボクたちにできることを考えて!!グリムちゃん言ってたじゃない!!トロルは手も足も無くなっても可能性をあきらめないって!!」



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